倶楽部メモ(565)
平成21年11月20日〜11月29日



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年11月20日(金)20時33分49秒
タイトル 修学旅行と列車
ED76109先生
今は高2で修学旅行ですね。私の時代は高3の中間テストが終わってすぐでした。
旅行委員にされちまって---その時の旅行委員長が今東京のS女子学院大院長のF君です。

神戸港から別府航路「こがね丸」の船底に貨物同然に詰め込まれて,別府から別大線の
電車で大分駅から豊肥本線のスハニ32で内牧温泉泊まり、(夜中に先生達の部屋を襲撃
した連中が居て,夜中たたき起こされ学生大会で一騒ぎ)バスで阿蘇山見物の後オハ61
で熊本まで。立野の物凄いスイッチバックに驚きつつ熊本からスハ32で博多泊まり
翌朝市内線で日蓮上人の銅像がある公園往復,博多から門司港までオハ35、門司港から
スハ32で別府の観海寺温泉-泊まり-山の上なので生徒が然るべき所へ出歩かない様に)?

翌日地獄巡りの後又「こがね丸」(今度は婦人子供室)が当たって少しマシで神戸港へ。

唯一の収穫は当時「郊外電車仕様」だった「荒尾市電」が併走してきたのを写せた事で
した。
今時船底(3等)詰め込みなんてやったら暴動が起きますよね?



投稿者 雪だるま
投稿日 2009年11月21日(土)20時48分4秒
タイトル 修学旅行
ED76 109さま
奥様の修学旅行の話をうかがっておりましと私よりも二学年上なのかな?と思いました。
私は室蘭線沿線でしたからキハ27・56の集約臨で函館まで行き連絡船乗り換えでした。
行きは24系ゆうづる、帰りは583系でゆうづるでした。
修学旅行の車両に一般客に一段発券されていて自分の担任ともめましたが、
私が寝台の割当表を作っておいたので一般客に発券されているのが解り解決しました。
パンタ下の二段しかない場所です。

修学旅行の自由時間に梅小路に行けたのが思い出に残ってます。

以前話題になってましたアルミサッシ化ですが、オハフ62 39札ムロ(茶)は窓枠はアルミサッシ化してました。
末期はスハフ44,オハフ33の車掌室の窓を横にスライドするアルミサッシにしている車がありました。

長々とすいません。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年11月22日(日)09時01分17秒
タイトル 臨時特急「はくつる81号」
 おはようございます。「道民球団の優勝パレード」の朝を迎えた「ED76109」であります。

 雪だるま様
 >私よりも二学年上なのかな?

 御無沙汰しております。
小生は「寅年(正確には兎の早生まれ)」ですが、愚妻は「酉年」であります(これ以上暴露すれば、小生の運命が・・・)。
「広尾高の友人」に「JR北海道(帯広運転所)」に勤務している方がおられ、
「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」を運転されているとか。
しかし、小生の「鉄」度が理解できないのか、絶対に紹介してくれません。(別に運転させてほしいと思っていないのに・・・)

 >帰りは583系でゆうづるでした

 平成10年の晩秋、「上野」から「青森」まで「団臨スジ」で運転された「583系はくつる81号」にお世話になりました。
「生徒指導の関係(先輩方にはストレス解消じゃないのと揶揄されましたが)」で
「ロザの車掌室」から「電話式のマイク」を使って車内放送をする体験を。
ビバルディ(?)の「四季」か何かのクラシックの調べの「チャイム」の後、「この列車は上野定刻発車しました〜」で始め、
「〜青森到着20分前まで放送による御案内は休ませていただきます」のフレーズで締め、
カレチさんたちの拍手喝さいを頂きました。
そして、体調を崩していた生徒の救護場所として「ロザ」をカレチ氏に断って解放いただき、「ロザ」で夜明かしを・・・。
しかし、以前記させていただいたように、「団臨エルム」でも2度「ハイケンス」の後で「車内放送」を
させていただいた思ひ出もあり、「鉄」教師には楽しい思ひ出であります。

 >パンタ下の二段しかない場所

 上記の折、件のベッドは引率団長の「教頭」と「学年主任」に割り当てました(教員も一応サラリーマンですので・・・)。
特に「教頭」さんは「いいこと聞いたなぁ」と、翌年の「修学旅行」の折も添乗員氏に頼み込んで、
同様の対応をしてもらったようであります(実際の寝台がそうだったのかは知りませんが)。

 長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年11月23日(月)13時27分41秒
タイトル 気動車特急通学
▼ED76 109様:
> いつもの戯言ですが「昭和」の欠片すら残っていないんですねぇ…(嘆息)。

優等列車への誘導措置は、東武鉄道における日光線「快速」伊勢崎線「準急A」でも、
同様ですね。斯様に運転系統を簡素化する事で、合理化をも図るという、鉄道会社の
台所事情が窺える様でもあります。新幹線並行区間での「在来線選択動機」の最たる
例としては、仙台〜盛岡の 455系快速「くりこま」を想起しますね。

>「札幌・稚内間の都市間バス運行」に一刻も早く切り替えたいのが本音でしょうね。

現行「スーパー宗谷」にせよ、閑散区間となる名寄以北が 表定 約70km/h ですから、
物理的にバスが抗する余地は、大いにあるでしょう。当該区間唯一の存在意義である
稚内市については、経済水域問題を背景とする漁業不振が久しい中、人口流出が近年、
著しいらしく、観光需要も漸減傾向と、予断を許さない厳しい状況が続きそうですね。

>「新得」勤務時代でも「帯広」から10人程度の生徒が 1時間かけて通学

学区割の可能性を考えると、狩勝峠の向うから新得に通う事例は無いでしょうね(^^)
なお、普通運賃のみで特急への特例乗車が可能な占冠、トマムにおいて、鉄道通学の
実例はあるのかと、ふと気になりましたが、学区割が支庁境界を基本区分とするなら、
上川支庁に属する占冠村(勇払郡所在ゆえ、胆振支庁域と勘違いしていました)では、
富良野方面を指向すると考えられ、石勝線の導線とは相容れなさそうです(^^)

帯広通学圏の一端を担ったであろう、士幌線の末端区間は、1977年以来「バス(時々
タクシー)代行」という、現代風に称する処の「社会実験」が有名でしたが、先月の
台風で家城(06、09年の二度に渡り、夜間に車両逸走事故が発生しています)以遠が
不通続きの名松線でも、同様の措置を模索する提案が、沿線自治体に示された様です。
ある程度の人口集積が見られる伊勢平野では近鉄が並行し、以遠はひたすら山間部と、
立地条件の悪さが目立った同線ですが、来るべきものが来た、という印象を受けます。



投稿者 のり
投稿日 2009年11月24日(火)22時09分37秒
タイトル スロ スロフ51 スロフ53
皆様こんばんは、質問させていただきます。
スロ51 スロフ51 スロフ53 これらの形式がグリーン車表記を付けていた時期があったのでしょうか?
一等車時代の写真しか見たことがないのですが…



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年11月24日(火)22時47分14秒
タイトル Re: スロ スロフ51 スロフ53
のり様、はじめまして。
 グリーン車の制度が始まったのは昭和44(1969)年5月10日の事でした。
スロ51・スロフ51・スロフ53の3形式とも、この時点以降まだしばらくの間残存していたものがあります。
おそらく定期運用は無かったはずですが、翌年10月にスロフ51が組み込まれた団臨の記録があるなど、
臨時の運用はあったと思われますので、グリーン車標記は付けていたと思われます。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年11月25日(水)02時06分24秒
タイトル 旧型客車のグリーン車表記
 しばらくご無沙汰しております。

 旧型客車のグリーン車表記ですが、近年まで「マイテ49−2」
がこの表記をつけておりました。

 これは、天王寺駅での撮影です。

 マイテ49−2は今は専ら、山口線での運用がほとんどで、この
グリーン車表記はしておりません。

<マイテ49−2グリーン車表記> <マイテ49−2車内・白熱灯グローブがナイス>



投稿者 のり
投稿日 2009年11月26日(木)21時36分39秒
タイトル ありがとうございます
クモイ103様、ユーラシア鉄道様、ありがとうございます。
低屋根冷改されていない旧型車にグリーン車マーク…
このアンバランスさが何かこう、想像しただけでたまらないものがあります(笑)



投稿者 Yokoyama
投稿日 2009年11月27日(金)13時48分44秒
タイトル Re2:スロ スロフ51 スロフ53
皆さま、だいぶご無沙汰いたしております。

のり様、はじめまして。
すでにクモイ103様からお答えが出ていますが、
その中でグリーン車標記のスロフ51の画像を見つけましたのでご紹介させていただきます。

残念ながら私が撮影したものではありませんので、こちらに掲載することが出来ません。
弊ブログにアップしましたので下記リンクからご覧下さい。

PS
管理人さん、すみません。不適でしたら削除して下さい。
投稿者のホームページ



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年11月28日(土)20時08分13秒
タイトル Re3:スロ スロフ51 スロフ53
Yokoyama様、ご無沙汰しております。
グリーン車標記のスロフ51の画像情報ありがとうございます。
皆様の仰っているとおり、各形式の車両歴と等級制のモノクラス化の時期から考えて、
当然グリーン車標記の時期は存在するはずながら、定期運用はなかった?と思われる為、
手持ちの資料を探してみてもグリーン車標記のスロフ51等の画像を見つける事が出来ずにいました。
やはり実際の画像は大変説得力があるもので、とてもありがたく思います。

画像添付の件ですが、ご本人が撮影された写真で著作権等の問題がまったくない物というのが原則で、
鉄道誌等からの転載などは著作権等の問題からもちろんNGなのですが、
撮影者様から使用の許可等を得ている画像であれば問題はないと考えています。
また、ご自分のサイト等に限定された使用許可等であった場合は、今回のYokoyama様のような方法も大変助かります。
先にも書かせていただいたとおり、客車の話題においては実車がすでにない場合が大半であり、
過去の実車の画像等は説得力のあるとても貴重な資料となりますので、
著作権等に気をつけていただいた上で添付していただけると大変助かります。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年11月29日(日)01時14分15秒
タイトル 逝去された名優たちと映像の鉄道
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >狩勝峠の向こうから新得に通学する例

  雄大な狩勝峠を毎日通学するのは、「鉄」としては精神衛生上言うことなし(!)ですが、残念ながら「皆無」であります。
なお、「遠軽高勤務」の折、「北見市内」から「オホーツク2号」で通学していた生徒が数名おりました(所要時間約1時間)。
「交通費は如何ほどでしょう。」と保護者にお伺いしたところ、「いや、まぁ・・・」と返答頂けませんでした・・・。

 さて、前置きが長くなりましたが、表題の件に係り「戯言」を述べさせていただきます。
いつものように、先達の皆様方に話題の欠片にしていただければ幸甚の限りでございます。

 1 今年の3月30日に「大木満」さんが逝去されました。85歳でありました。
 「大木」さんは、昭和33年に公開された映画「張込み」の主役として活躍されております。
「張込み」は言わずもがなの「松本清張」氏原作の短編小説。殺人犯の張込みのため、
「急行さつま」で東京から一路佐賀に向かう「夜行旧客急行」の旅路や「西海」を牽引する「C59」が描かれるなど、
「鉄ムード」にあふれる名作。
 さて、昭和30年代に「さつま」で小生の「鉄」親父が叔父たちと「出水の伯母宅」に向かった折、
眠れぬ「ハザ」から羨望の眼差しで見つめていたのは、前方に連結されていた「マロネロ38」。
当時、「3等鈍行」が定番だった「鉄親父」には、一生無縁な「ハコ」と思っていたようでした。

 2 8月3日、「長〜く愛して」の名言で有名だった「大原麗子」さんが逝去されました。62歳でありました。
 「大原」さんが出演された「鉄ドラマ」として印象に残るのは、
昭和47年に放送された「鉄道開通100年記念ドラマ『大いなる旅路』でのはとガール」。
「PCつばめ」が「大阪車掌区担当」、「PCはと」が「東京車掌区担当」であったことから、
どちらの「女性乗務員のサービス」が優れているかを審査する・・・というストーリー(?)であったと記憶しております。
挑戦的な「つばめガール」に対して、戸惑いながらも「日本一のはと乗務員」としての矜持をかけた「サービス合戦」に挑む
「美人はとガール」の名演が印象に残ります。
 当時、「はとガール」は「鉄路の友情」という有名な交流を行っており、
小学校5年生の「国語教科書」にそのエピソードが紹介されるなど、全国的に注目される存在でありました。

 3 日本の名優と言えば、11月10日に逝去された「森繁久弥」さん。
昭和20年代に「僕は特急の機関士で」を歌われた経歴もございます。
そんな名優が演じた名作が、小生の記憶の中にございます。
昭和40年に公開された「喜劇・各駅停車」がそれです。(小生は、某民放局の「日曜映画劇場」で、昼間に見た記憶があります)
 内容は、「森繁」さん演じる「国鉄両毛線の貨物列車」を運転する「独善的なC12の機関士(高崎機関区か前橋機関区所属?)」
に反発心を感じながらも、次第に人間味溢れる人柄に「三木のり平」さん演じる「機関助手」が惹かれていく・・・。という内容。
初夏の深緑の中、「C12」に牽引された貨物レが、「神土」付近の山間の渓流に沿って走る美しいシーンが印象に残ります。
実際に森繁さんが「C12」を運転するシーンもふんだんに描かれており、責任感を持って仕事をする「プロの職人」を
感動的に演じられておりました。

 長々と失礼しました。
前述いたしました「南田洋子」さんを含めて素晴らしき名優の方々に対し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
 以上「中年客車鉄ちゃん」てございました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年11月29日(日)17時02分16秒
タイトル 「さつま」
ED76109先生
マロネロ38が使用されていたとは古い話しですね。「さつま」はいつも満員でしたが
昭和32年3月に鉄友と卒業撮影旅行で岡山から帰るときに乗車しましたが、超満員で
空いている車掌室にもぐり込んだり、食堂車で夕食を食って三ノ宮まで時間つぶしを
しました。
映画でホロリとさせられたのは城端線のC11の機関士の娘が不治の病で、家の近くを
走るとき父親が汽笛を鳴らすのを楽しみにしていた「父ちゃんのポーが聞こえる」でした。
(TVで見たか)??
娘が臨終の直後に,知らないで通過した父親が汽笛を鳴らす場面が泣けました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年11月29日(日)20時37分20秒
タイトル 「おもいでのつるぎ号」
いきなり現在の話題の投稿、恐縮ですが、「おもいでのつるぎ号」を見に、大阪に小旅行してきました。
運転日日中に長岡のEF81 150に引かれ送り込み回送。
すぐ後続に「トワイライトエクスプレス」が迫るため、ものの数分で宮原に引き上げる慌しいダイヤでした。
本命の営業運転は、予想に違わず、凄まじい人手で、隣の番線で帰宅列車を待つ一般客が、かなり訝しげでした。
客車は青森のものが使われ、電源車以外金帯。ローズピンクの敦賀のEF81が先頭に立ちました。
今回は「日本海」「トワイライトエクスプレス」の編成記録も合わせて調査しましたが、
「日本海」のガラ空きぶりに唖然としました。
明日青森発〜1日大阪発で、フル増結計画が組まれていますが、本当に需要があるのか、疑問でなりません。

Lot No.4170 11/27 9005レ「おもいでのつるぎ号」

1↑オハネフ24 10(19- 2秋田総合車セ・引戸)
2 オハネ25  32(21-10秋田総合車セ・引戸)
3 オハネ25  148(21-11秋田総合車セ)
4 オハネ25  152(18-10秋田総合車セ)
5 オハネ25  220(19-10秋田総合車セ・変則字体銀テープ文字)
6↑オハネフ25 129(21- 5秋田総合車セ)
 ↓カニ24  116(21- 6秋田総合車セ・白帯)
  EF81   48(20-12金沢総・ローズピンク)

サボが「臨時」だったことと、電光掲示板が「特急 新潟」表示だったのが残念です。
「つるぎ」サボがないとは思えないのですが・・・。
ともあれ、天気ももち、総計11本の収穫があり、有意義な2日間でした。


 
 
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