倶楽部メモ(559)
平成21年10月 9日〜10月16日



投稿者 太田拓也
投稿日 2009年10月 9日(金)14時16分25秒
タイトル 昭和30年代の東海道本線の列車密度
>シベリア鉄道
「湖上にレール」で思い出したのですが、日露戦争当時は単線で長区間行き違い設備が無かったため
日本軍が「一度列車が着たら当分補給は無い。」とタカをくくっていたところ、
一方通行で次々と列車を走らせてきたそうです。

ところで時代は下って冷戦真っ只中の昭和30年代、
東海道本線の輸送力が限界に達したため高速新線の建設に着手した…と史実にありますが、
当時の時刻表を見ると1時間に特急が3本走る現在の北陸線や鹿児島線に比べるとたいしたことの無い列車本数に見えます。

まあ当時は貨物列車が多い上に遅い2軸車中心でダイヤが作りづらかったのでしょうが、
新幹線の建設が始まった頃の時刻表(1959年7月号)をみるともっと興味深い事実が分かります。
なんと朝に東京駅を出る大阪行き列車が7時発の「第1こだま」、9時発の「つばめ」、9時30分発の「なにわ」の
たった3本しかありません。

現在の新幹線ホームの最も混む時間帯ががこんなにスカスカとは… 
そんな現状で新幹線建設したら「万里の長城」言われますって。
史料が当たり前のように書いてる事も現在の視点で見るといろいろ疑問点が浮かんできます。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年10月 9日(金)20時42分34秒
タイトル Re: スエ38 3 (2008年の過去記事をみて)
EF80スユニ60様

遅レスとなりましたが、はじめまして。
スエ38 3が搬出される様子を実見されていたのですか。
児童図書館として利用されたというのは、貴重な体験ですね。私もそんな体験をしてみたかったです…。

大切に保存されているオーナー様には、本当に敬服しますね。
私も行って見たいのは山々ですが、公開を前提としてはいない様ですから、
既に行って来られた方々の写真を拝見して満足しています。

EF80スユニ60様は地元という事ですから、お出でになる機会がお有りなのでしょうか。
その時は、よろしければ現地の様子を教えて下さい。



投稿者 EF80スユニ60
投稿日 2009年10月10日(土)02時50分48秒
タイトル Re:Re: スエ38 3
クモイ103  様

はじめまして。ありがとうございます。
クモイ103様の、情報量、知識量の深さには、感服いたしております。

過去記事を見て、あの当時の状況が、うっすらとよみがえってきたので、思わず投稿してしまった次第です。
そういえば、図書館内には、児童書のほかに鉄道図書も多数あり、
あの何とも言えない旧型客車特有の座り心地の座席に座って、本を読んだことを思い出しました。
本当に貴重な体験だったと思います。

私は数年に一度、実家に帰省していますが、正直申し上げると、この掲示板を訪れるまで、
まったくといっていいほどこの車両のことを忘れていました。お恥ずかしい限りです。
次回帰省の際、必ずこの場所を訪れ、様子をお伝えしたいと存じます。

その時はまた、よろしくお願いいたします。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年10月10日(土)14時59分33秒
タイトル トカホセ急行全盛時代
 失礼致します。「ED76109」であります。

 太田拓也様
 >現在の視点で見るといろいろ疑問点が浮かんできます

 ご無沙汰しております。小生はこう考えるのですが・・・。

 確かに、早朝の「東京」を出発するのは「第1こだま」、「つばめ」、「なにわ」だけでありますが、
その後の午前中に「阿蘇(熊本行)」、「雲仙(長崎行)」、「霧島(鹿児島行)」等の長距離急行が運転されていたはずですし、
夜行便では「明星」、「あかつき」、「安芸(広島行・呉線経由)」、「銀河」、「瀬戸」・・・
そして最終便の「大和(湊町行・関西本線経由)」まで10本程度の急行が運転されていたと思われます。
当時は、現在と違って「関西方面の出張」は「1泊以上」が基本だったはずであります。
小生の「鉄」親父も、前述の「関西集金出張」は「僅かな出張旅費」を節約するために、
下りは「131レ」で西下して「112レ」で帰京するという「夜行鈍行日帰り0泊3日」が定番だったようであります。
ですから、「日帰り出張」が一般的な現在とは状況が異なっているように思われるのですが・・・。
また、「つばめ」や「はと」は一般的な特急ではない「特別急行」だったわけであり、
移動手段等も考察すれば、当時の「東京・大阪」の移動は「夜行急行」が中心であったと考えております。
先達の皆様方からの御教示をお願いいたします。

 長々と失礼致しました。
以上、「道民球団のポストシーズンゲーム」に期待を寄せる「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年10月10日(土)17時19分22秒
タイトル シベリアの事
▼ユーラシア鉄道様:
> バイカル湖の西岸を「バイカル環状・観光鉄道」が走っております。

実際の路線は「環状鉄道」には程遠い状況ですね(^^)イルクーツクから直通との事、
鉄道での移動は、かなりの迂回路となり、単なる移動手段としては、バイカル湖から
流れ出るアンガラ川(エニセイ川の支流)を舟で下った方が、手っ取り早そうですね。
当該流域の地形は、空撮図を見る限り、鉄道建設には不向きという印象です。川幅が
かなり広がった処で、行く手を急に堰で阻まれ、その先にイルクーツクの街が現れる
地勢は、なかなか劇的ですね。

エニセイ川を延々と下った先、北極海経由の貨物船が発着する港町ドゥディンカから
ノリリスク(中学生の頃、シベリア開発の拠点として、社会科の授業で習った記憶が
あります)まで、シベリア鉄道から完全に孤立した「世界最北の鉄道」があるそうで、
学校教材の地図帳に僅かに記された鉄道路線の表記に、憧憬を覚えたものです。但し、
ドゥディンカもノリリスクも、資源開発事業の為か、今世紀に入って「閉鎖都市」に
指定され、件の鉄道は謎のベールに隠されてしまいました。

> バイカル環状鉄道気動車(リゾートしらかみ?)

モスクワ界隈で見られる都市近郊型電車(エレクトリーチカ)と同様の面構えですね。
いかにも「東西冷戦時代」を象徴する様な、深緑色基調の旧型編成とは大きく異なる
この作風は、近年の経済成長期の産物だそうで、こんな処にも時代の変遷を感じます。

> 同鉄道SLと観光塗装の東独製客車

モノクロなら、湯口徹さんの写真集からの抜粋と称しても、通用しそうですね(^^)

> バイカル湖畔の俯瞰(噴火湾沿い室蘭本線?)

いやいや、これは見事な構図です。電化されている為、ED76 109様の十八番である
不知火海沿岸の鹿児島線を行く「JR貨物色」ED76 牽引「トワイライト Exp.」の
下り「はやぶさ」または「なは」という処でしょうか(^^)もっとも、鹿児島線改め
肥薩おれんじ鉄道の当該区間は単線仕様ですが。

欧州への国際便を利用した際、バイカル湖の眺めを期して「進行方向左側窓際席」を
確保したのですが………世の中、そうそう甘くありませんでした(^^)さて、画像は
一体、何川だらう………?




投稿者 ED76109
投稿日 2009年10月11日(日)08時19分17秒
タイトル 「薩摩おれんじ鉄道」ですね
 おはようございます。風邪で体調が最悪である「ED76109」であります。

 雑魚様及びユーラシア鉄道様
 >不知火海沿岸の鹿児島線を行く「JR貨物色」ED76牽引「トワイライト Exp.」の
  下り「はやぶさ」または「なは」という処でしょうか

 「上田浦」での交換風景(山に沿った不知火海にある小駅)が気に入って、
何度か訪れた小生のセピア色の「駅」であります。
前述しましたが、昭和46年の盛夏に「ED76牽引の出水行の旧客鈍行」が
「東京行上り桜島」と交換した風景が今でも心に残ります。
蝉時雨と波の音しか聞こえない「オハフ」に乗っていた小生の前を、
海岸線をカーヴしてきた「桜島」がED76に牽引されて上りフォームを通過・・・。
そして、甲高いホイッスルとともに海岸線のカーヴに消えていきました。
その後、「はやぶさ」・「桜島」や「なは」等で再訪しましたが、
「山陰本線」や「常磐線」と並ぶ美しき「青松白砂」は天下一品。
しかし、現在は「九州新幹線」の陰で「薩摩おれんじ鉄道」として「第3セクター」化されております。
今年の夏に「JR九州」が「24系ブルトレ」の復活運転をしていますが、
当然「富士」仕立てで「門司港・西鹿児島(敢えてです)」を走行。
まあ、こちらはこちらで「宗太郎」や「青井岳」越えの名所の連続でしょうが・・・。
「マロネロ38様」ではありませんが、どうにかならなかったのかなぁ〜といった思いにとらわれております。

 長々と失礼いたしました。
以上、「鉄道の日記念の『札ナホ』開放」も「道民球団の最終戦」も自宅で我慢することとなった
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年10月11日(日)14時08分6秒
タイトル トカホセ往来時代
ED76109先生:
早々と風引きですか?お大事に。
戦後昼間に「つばめ」に乗ったのは3回で一回は名古屋迄でした。急行は「雲仙」の
オロ35近代化改造車に大阪→東京。
出張や個撮影人旅行も会社が終わってからでしたから専ら夜行で、「銀河」が好きで
したが仲仲ハネが取れないので数回乗車でした,最後は20系時代のラスト近く。
「出雲」の大阪増結や「あかつき」,「スバル」等々の臨時が取れたら、臨時急行は
大概スハネ30で、どうしても取れなくて「大和」に湊町乗車で王寺から和歌山線から
来るスハネフ301なんて貴重なのに乗車した事もあります。ほかに「瀬戸」の1-2号とか-

区間乗車は「阿蘇」、「なにわ」、「西海」、「霧島」,「桜島 高千穂」,「東海」
等々。
それに先生が行かれる鹿児島本線「しろやま」のはハネが取れなくて大阪→伊集院間
オロネ10の上段であの独特の「フラフラ揺れ」を体験したりでした。
ロネに乗ると地方新聞の朝刊を呉れる事がありましたね。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年10月12日(月)00時41分28秒
タイトル 「ゴハチ」牽引の旧客急行の思ひ出
 2度目の登場で失礼致します。「ED76109」であります。

 マロネロ38様

 時節柄、「マロネロ38様」もご自愛下さいませ。
また、小生にとっては憧憬でしかない「お話」をいつもありがとうございます。
「鉄」親父の口癖ではないですが、「ゴハチ」牽引の「トカホセ急行」に乗車できたことは
貴重かつ「客車ファン」として誇りに思うことであります。
久しぶりに「戯言」調で思ひ出を述べさせていただきます。

 1 昭和45年の春休み、「鉄」親父と「中央西線のD51旧客乗り鉄」で「銀河51号」に乗車しました。
この日の東京は夕刻から豪雨のような土砂降りでしたが、
「東京駅のフォーム」で出会った「EF58」は小学生だった小生にも鮮烈な印象を残しました。
「神田方」から現れた「ブルーのスハ系旧客」の先頭に立っていた「ゴハチ」は雨滴でずぶ濡れ。
しかし、モーターの轟音も逞しく、車体から滝のように流れ落ちる滴が明りに反射して
光るブルーの車体は、遥か「大阪」までの鉄路を委ねるには眩しい限り。
「交流機」や「DL」とは趣きの異なる柔らかいホイッスルの響きが、今も小生の脳裏にあります。

 2 昭和49年の夏休み、「鉄」親父と「高校野球見物」の往路、
「名古屋」から「臨時ちくま」で「大阪」までお世話になったことがあります。
「EF64」が切り離されて先頭に立つのは、当然の如く「ゴハチ」のブルー機。
恰も「ユーラシア鉄道様」のお写真の如くに、「スハフの先頭デッキ」から「ゴハチの後部」を眺めての
「大阪」までの約3時間の旅。
揺れるデッキで「長野車掌区(?)のカレチさん」の隣で見守られながら、
旧客レの振動を体感した記憶は、今は遠い思ひ出であります。

 3 昭和50年の正月、「浜松」から「品川」まで「上り桜島・高千穂」の「チョイ乗り」を経験しました。
2カ月後には引退してしまうことから「お別れ乗車」のつもりでしたが、
当時小学6年生の小生にしてみれば、なけなしの「お年玉」をはたいてできるギリギリのこと。
しかし、最後尾の「スハフのボックス」を一人で占領して、気分だけは「西鹿児島からの一人旅(生意気なガキですね)」。
そして、終着近くの「大船」を出てカーヴを切って走る先頭に見えたのは、「下関」から牽引してきた「EF58」です。
冬の夕日に照らされた雄姿には、子供心にも旅愁を感じさせる「トカホセの原風景」がありました。

 長々と失礼致しました。以上、「旧客レの思ひ出」に浸るばかりの「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年10月12日(月)15時21分5秒
タイトル 昭和30年の急行列車
ED76109先生:
先生が見られたら「ウワーッ」!!で前原国土交通大臣が見たら羨ましがる様なのを
今管理人さん宛に投函してきた所です。戦前から「ローカル急行のぴか一」と言われた
401-402レの戦後版で401-402レ時代の生き残りスハニ32が先頭に連結されています。
管理人さんがアップして下さったらご感想をお願いします。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年10月14日(水)23時21分30秒
タイトル 昭和30年の急行列車画像
マロネロ38様から画像が届きましたので、代理アップさせていただきます。

昭和30年8月に撮影された、大阪経由時代・大社行の急行701レ「いずも」
牽引機は福知山区のC57128(重油併燃)
撮影地は福知山線・中山寺−宝塚間




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年10月15日(木)10時50分31秒
タイトル 急行701レ「出雲」
当時の時刻表が無いので編成の解説はお持ちの方にお願いしますが、「瀬戸」併結
時代と想います。実は大阪駅で入れ替えを見たのですが、半世紀以上前の記憶なの
であやふやです。
1)C57が「出雲」基本編成を牽いて大阪駅4番ホームに到着。
2)C57+スハニ32がホーム先端の切り欠き部分に移動。
3)3番に 「瀬戸」到着。
4)スハフ42とスハ43,スロ53が切り離されてC59かC62が入れ替えで4番の
  オロ35以下の基本編成に連結。
5)C59かC62が3番へ戻り「瀬戸」に連結。
6)C57+スハニ32が4番へ戻り先頭車オロ35に連結。
こんな入れ替え状況だったと想います。
当日始めてスロ53を見たのでそちらに気をとられていたので,ざっとこんな記憶です。
スハニ32は戦前の「大社急行」(ローカル急行のぴか一といわれた、停車駅が少なくて
速かった)401-402レ時代にも使用されていました。
------------------------------------------------------------
401-402レ時代の停車駅:大阪‐三田‐福知山‐和田山‐豊岡‐城崎‐鳥取‐上井
〔現倉吉)‐米子‐松江‐出雲今市(出雲市)‐大社。
上り402レは下り401レと離合の為「荒島」停車。

ED76109先生やPCファンの方々がこの写真にご満足下されば幸いですが。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年10月15日(木)22時09分1秒
タイトル 「貴婦人」が牽引する急行への憧憬
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様

 小生には、憧憬でしかあり得なかった「C57牽引の旧客急行」には感動の一言であります。
関係サイト等を確認しましたところ、以下のようであります。

 戦前、「大阪・大社」間に運転されていた「急行列車」が、
昭和22年に6月に「昼行準急列車」として運行を復活致しました。
しかし、この時点では「いずも(出雲)」の愛称はなかったようであります。
その後、同26年の11月に急行に格上げされて、「いずも」の列車愛称を与えられるとともに、
編成の一部が「大阪」から「東京・ 宇野」間急行「せと」に併結が開始され、「東京・大社」間の運転となりました。
さらに、同29年からは「大阪」から「浜田」発着の編成の連結が開始されたようであります。
(「出雲市・浜田」間は快速)
  「福知山線経由のいずも(出雲)」は、鉄道物のミステリー作家「鮎川哲也」氏が、
「急行出雲」という「車両の増結に係るトリック」をテーマとした短編推理小説として、
また、「松本清張」氏の名作「砂の器」で「今西警部補が亀嵩行」の際の乗車列車として、
昭和30年代に取り上げており、名作の舞台としても有名であります。
「東京」からほぼ1日かがりで「浜田」まで辿る、夢のような列車。
小生は、昭和55年の春に「いなば」で「東京・米子」に乗車した程度で、
「出雲」を冠した列車には乗車経験はありませんでした。
 そういえば、「マロネロ様」は当地でも「準急石北」の前身列車で「C57牽引の旧客列車」にご乗車とのこと。
まさしく「鉄道黄金時代」のお話、感動しながら拝見させていただきました。ありがとうございました。

 長々と失礼致しました。以上、「旧客レの思ひ出」が走馬灯の如くに蘇ってきた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年10月15日(木)22時43分16秒
タイトル Re: 急行701レ「出雲」
マロネロ38様

見事な編成写真を見せて頂き、ありがとうございます。
宝塚の手前でこの風景とは、やはり時代を感じます。

ちょうど昭和30年8月の時刻表復刻版を持っていますので、早速編成図を確認しましたが、正に写真の通りでした。
1両目ハニ(スハニ32)は号車番号が無く、2両目ハ(スハフ42)が1号車で以下8号車までの9両編成。
図の脇に「1,2,3号…東京−大社 以外は…大阪−浜田」という注釈があります。

ちなみに運転時刻は、東京発22:30、大阪着9:30/発9:50、宝塚発10:20、大社着18:35、
出雲今市で分かれた一方の浜田着は20:16でした。
なお、「せと」の大阪発は9:40なので、マロネロ38様が解説して下さった大阪駅での入れ換え作業中、
3)から5)までの所要時間は10分以内だったことになりますね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年10月16日(金)15時10分17秒
タイトル 急行「出雲」
ED76109先生
クモイ103さん
拙昨に過分なご評価光栄に存じます。
C55-C57は煙モクモクよりも、薄い煙をたなびかせて走っている姿が一番美しいと
想います。
大阪駅での入れ替えは慌しいものでした、「瀬戸」は機関車が再び連結されるとすぐに
発車して行きました。
当時大社へはハx2+スロ53が行き、スハニ32+オロ35----が浜田行きだったので
すね。
大社へ行くオロ35の客はこの区間指定券無しでスロ53に乗れた???
戦後準急で復活した時は酷いものでした。オハ二30+オロ31+ハは種々雑多で、
滅茶苦茶なのは、スロハ32x2それもローハ+ローハの真中にハが入るなど、どちらか
を転車台で転換してロ側同士連結したら良いのに-----でした。

「石北」の前身は例の「インチキ準急」で網走からC58、遠軽からD51、旭川からC57
だったと想います。
岩見沢で室蘭本線に乗り換えました。W屋根のスロハフ30.


 
 
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