>シベリア鉄道
「湖上にレール」で思い出したのですが、日露戦争当時は単線で長区間行き違い設備が無かったため
日本軍が「一度列車が着たら当分補給は無い。」とタカをくくっていたところ、
一方通行で次々と列車を走らせてきたそうです。
ところで時代は下って冷戦真っ只中の昭和30年代、
東海道本線の輸送力が限界に達したため高速新線の建設に着手した…と史実にありますが、
当時の時刻表を見ると1時間に特急が3本走る現在の北陸線や鹿児島線に比べるとたいしたことの無い列車本数に見えます。
まあ当時は貨物列車が多い上に遅い2軸車中心でダイヤが作りづらかったのでしょうが、
新幹線の建設が始まった頃の時刻表(1959年7月号)をみるともっと興味深い事実が分かります。
なんと朝に東京駅を出る大阪行き列車が7時発の「第1こだま」、9時発の「つばめ」、9時30分発の「なにわ」の
たった3本しかありません。
現在の新幹線ホームの最も混む時間帯ががこんなにスカスカとは…
そんな現状で新幹線建設したら「万里の長城」言われますって。
史料が当たり前のように書いてる事も現在の視点で見るといろいろ疑問点が浮かんできます。 |