倶楽部メモ(521)
平成21年 5月12日〜 5月13日 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2009年 5月12日(火)09時52分18秒 |
タイトル |
播但線 |
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▼ED76
109様:
>「姫路・寺前」は「103系」が奮闘しており、
播但線の電化が寺前で止まっているのは、以北の隧道開口部断面など、物理的事情に
加えて、姫路都市圏の旅客需要が、中央分水界を控えた寺前で一段落する事、そして、
阪神淡路大震災を教訓とする緊急代替路線確保が、加古川線電化で決着した事などが
作用した為と感じます。
播但線の花形である「はまかぜ」に、新型車導入の構想があるそうですね。いよいよ
キハ
181系も見納めかと感じる一方、このスジは、特急としてまだまだ健在なのかと
頼もしくも感じます。
播但線と言えば、1986年に廃止された「飾磨港線」も気になる存在でしたね。元々は
貨物主体だった為、姫路都市圏にもかかわらず、最晩年は単行気動車が一日二往復と
超閑散路線で、それゆえ、遠来のファンが、姫路駅での乗降箇所探しに戸惑った例も
少なくなかったとか。現在は、並行する山陽電鉄の高架化事業に供されたと聞きます。
ところで姫路市では「飾磨」「広畑」「網干」など、広域地名に「区」が用いられて、
政令指定都市と勘違いされる向きも多いそうですが「平成の大合併」の結果、かかる
事例は各地で見られる様になり、同じ兵庫県では、かの余部橋梁を擁する香美町でも、
合併前の自治体区分に基き「香住区」「村岡区」が存在します。
>
ドアが進行方向の右側(?)だけの「キハ35系」がガラガラで走っておりました。
キハ35系といえば、我が地元の関東鉄道でも、国鉄からの転入車が稼動していますが、
片側扉仕様は、竜ヶ崎線に適応可能ですね(^^)
>
久しぶりに「直流のEC」に乗りたくなった「中年客車鉄ちゃん」でありました。
札幌にも 600・750・1500V
それぞれ揃っているではありませんか。ただし、路面や
案内軌条式など「特殊仕様」ではありますが(^^) |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 5月12日(火)09時52分26秒 |
タイトル |
播但線 |
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ED76109先生:
103-1500番台に乗車されたのですか?和田山まで電化するのかと想ったら、
寺前止まり。生野トンネルの断面が播但鉄道時代の古いサイズで、掘り直し
に相当な予讃が必要だから中途半端?ですが、利用者が多い寺前までになって
いるのです。長谷−生野間にも「旧規格のトンネル」がありますし-------
「長谷」は良質な水が豊富な駅で、井戸水が冷たく美味しい(町営水道になって
からも)で有名でした。和田山に向かって左の崖から「清水が流れ落ちる音」が
ホームまで聞こえます。夏休みにでも来られるなら一列車落してでも涼んでみて
下さい。国鉄時代には構内に泉水があり、噴水が自然に吹き上がっていました。
長谷−生野間もC57時代には良い撮影場所が多くありました。但し駅付近には
食堂などはありませんから、姫路か和田山で駅弁を仕入れる必要があります。 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2009年 5月12日(火)10時01分53秒 |
タイトル |
イマの「北斗星」編成 |
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日曜日のきむたお様の「北斗星3号」北海道編成は懐かしいですね。
そう、このときはまだ定期扱いでしたから、列車番号も一桁ですよね。
いま見ると何だかとても新鮮です。
いまや一桁列車番号は気づけば「北斗星」のみ。しかも1,2だけなのですから。
今日は休みに当たりましたので、いつものように家事を済ませ散歩がてら、最寄り駅へ押さえにいきました。
ちゃんと定時に来てくれたうえにレインボー登板のオマケつきです。
5/12 2レ「北斗星」
EF81 95(レインボー・14-11土崎工)
↑カニ24 508(17-3大宮総合車セ)
11↓オハネフ25 214(19-11大宮総合車セ)
10 オロハネ24 554(18-7大宮総合車セ)
9 オロハネ25 503(19-8大宮総合車セ)
8 オロネ25 504(18-11大宮総合車セ)
7 スシ24 505(20-11大宮総合車セ)
6 スハネ25 502(20-7苗穂工)
5 オハネ25 552(19-11五稜郭車所)
4 オハネ25 566(20-6苗穂工)
3 オハネ25 564(21-3五稜郭車所)
2 オハネ25 562(20-2五稜郭車所)
1↓オハネフ25 4(20-12苗穂工)
時刻表で既報の通り、6月にオハネ25 551と552は編成から抜け、1年半ぶりの全検となります。
また、尾久持ちで18年全検の車も、オロネ25 506が検査出場を果たしたことから、順次全検と睨んでいます。
ここまで細かく記録を取っていますと、誤植があったときにさぞ怒っているのでは?と誤解されそうですが、
全くそんなことはありませんので、念のため書き添えておきます。
自分が取っていない記録というものは、本当に貴重で興味深いものです。
個室寝台が多く一見華やかなようでいて、廃止・縮小された列車からのいいとこ取り、
という内容のくだりはまさに同感で、もともとオール個室ならばそれでいいのですが、
私も半分程度が開放寝台だった編成も懐かしく、捨てがたいと感じています。
とくに東日本編成は、今度の差し替えで何番が入るか、車番記録が楽しみでした。 |
投稿者 |
竹中@ノーブルジョーカー |
投稿日 |
2009年 5月12日(火)13時32分23秒 |
タイトル |
RE:銀河のパーツ |
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>オハシ30様
亀レスですが、どなたからも書込みがありませんので・・・
軽量客車タイプの客用ドアですが、オハ35・オハフ33・スハ43・スハフ42等には基本的に使用されて
いません。
例外的に使用されたのは、スハフ42を軽量化してオハフ33に編入されたオハフ33
630、同じ頃の軽量
化更新車のスハフ42
2004・2005あたりでしょう。
この軽量客車タイプの客用ドアを積極的に使用した例は、近代化改造を受けた特ロ(スロ60・50〜53)
とその格下げ後のオハ41、近代化改造を受けたスハ44・スハフ43、オハ36・スハ40、それにスハネ30・
スハネフ30あたりで、オハ36を除けば優等車ばかりですね。
昭和48年3月19日 東大宮 (塗色はぶどう色2号です)
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投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 5月12日(火)20時34分43秒 |
タイトル |
「熊」が乗る地下鉄って? |
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失礼致します。「ED76109」でございます。
雑魚様
>札幌にも600・750・1500V
それぞれ揃っているではありませんか
確かに仰るとおりでありますが・・・(爆笑)。
「600V」は「市営市電」、「750V」は「地下鉄南北線」、そして「1500V」が「地下鉄東西線及び東豊線」。
当地の地下鉄は、車体幅は3,080oで日本最大のサイズであります。
しかし、「冷房」と「網棚」がありません。ですから、真夏は窓が全開にされ喧しい限りですし、
観光客の方が気付かずに荷物を上に上げると、「ドサッ」と荷物が頭の上から降ってきます。
ぜひ、ご注意いただきたいものです。
また、計画段階では「市電」の代替輸送機関という認識から、「駅間300m」程度の区間設定も考えられたことから、
急加速及び停止に適した「ゴムタイヤ」化が取り入れました。
結果、「JR」との相互乗り入れを困難にしている原因にもなっております。
ところで、地下鉄建設の計画が持ち上がった頃、札幌市の人口は約80万人。
当時の「建設省」が「赤字」になる予想が濃厚であったことから、
「乗客が少なくなったら、熊でも乗せるつもりか。」と市交通局に苦言を呈したところ、
担当者は「料金を払うのであれば、喜んで熊に乗ってもらう(!!)。」と切り返したという逸話が残っております。
先達の皆様方も「熊が乗る地下鉄」に御試乗下さい。
長々と失礼致しました。以上、自称「北海道観光課長」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)07時36分27秒 |
タイトル |
和田岬線の電化 |
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▼ED76
109様
確か平成13年の夏というと、ちょうど和田岬線が電化された時と記憶しておりますが・・・
記憶違いなのか、それとも電化直前の6月なのでしょうか?
これは私の推測ですが、和田岬線電化の背景を考察します。
1.鷹取工場が防災用地として神戸市に譲渡されたため、
エンジンが2両に1台しかないキハ35では網干まで自力回送が不可能。
2.キハ35が老朽化して置き換えが必要な一方で、
電化費用は新製気動車1両分で電車は余ってる103系を使えばタダ同然なので安上がり。
3.地下鉄が開業しても廃止しないという意思を明確にするため。
(地元の交通としては機能していないが、
遠方から工場に通勤するときは乗り換えが便利で定期代も安い)
ところで誰しも地元は盲点になりやすく、
国鉄全線完乗のラストが和田岬線という神戸市在住者もいました。 |
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投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)15時04分59秒 |
タイトル |
キハ35と回送,和田岬 |
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太田様
キハ35はDMH17Hx1だった筈ですが、「2両に一台」とは?キハ+キクハだったのですか?
灯台下暗しで近くですが、キハ35や36,30が嫌いで乗りにも行かずでした。あの三菱重
工従業員ラッシュに2両で180HPとは幾ら平坦線でも走れなかったと想いますが---
気動車の滞留なら網干電車区でなくても、加古川や姫路(今は太市)で検修も出来ま
すし、自力回送不可能では無かったでしょう。
それに山陽本線の和田岬支線を高架にあげると電車の方が無理が来ない理由もあったと
想います。キハ35がバテて居たのは事実ですが−−−−−。国鉄完乗ラストが和田岬
とは大金持ちで有名な元神戸市消防局長U氏の事ですか?彼はワザト地元の和田岬を
ラストにしたと直接聞きましたが------- |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)17時21分14秒 |
タイトル |
キクハ35 |
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▼マロネロ38様
あれ、和田岬線のキクハ35ってご存じなかったですか?
キハ35を和田岬線に投入する際、ホームが無い側の扉を埋めると同時に
2両のうち1両からエンジンを取り外しています。
「だだでさえ非力な車両なのに・・・」と子供心に思いましたが、
短距離のピストン輸送で高性能を要求されるわけでなく
コストを最小限にしたかったようです。
鷹取工場から専用線で和田岬線へ出て仕事して帰り、
オーバーホールも自宅でできるため外に一歩も出る必要のない毎日でしたが
鷹取工場が無くなると新快速をかわしながら本線を回送するのは性能的に無理かと。。 |
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投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)22時11分13秒 |
タイトル |
Re2:銀河のパーツ |
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竹中@ノーブルジョーカー様
オハシ30様のご質問に対する回答ありがとうございます。
書き込みを拝見して、改めて手持ちの資料を見直したところ
JTBキャンブックス「国鉄鋼製客車1」…優等車を中心に12形式12両
JTBキャンブックス「国鉄鋼製客車2」…格下げ車・事業用車3形式3両
鉄道ピクトリアル「スハ43系特集(1)」…スハフ43等3形式3両
鉄道ピクトリアル「スハ43系特集(2)」…オハ41等格下げ車を中心に3形式6両
鉄道ピクトリアル「オハ35系特集(1)」…オハ36を中心に3形式5両
鉄道ピクトリアル「オハ35系特集(2)」…オハ36が1両
以上の軽量客車以外に軽量客車タイプの客用ドアが使用されている写真が確認できました。
(なお、ほとんどの資料にオハフ33
630が掲載されております。)
これらの車両のうちオハ35・オハフ33タイプ及びスハ43・スハフ42タイプの車両となると
竹中@ノーブルジョーカー様に挙げていただいた3両の他には、オハ36・スハ40が該当する
(車体はオハ35の後期型とほぼ同型)ので、やはり「銀河のパーツ」は、これらの車両を
想定されたパーツではないかと思われます。 |
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)22時26分16秒 |
タイトル |
和田岬線のオハ64の定員は? |
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和田岬線の話題が出ていますので、便乗して皆様にお聞きしたい事があるのですが、
オハ61から和田岬線専用として改造されたオハ64についてなのですが、資料によって
定員が120名であったり150名と記載されたりしております。
これは途中で定員が変更となったのか、あるいはどちらかが間違いなのか、判断が
つきにくい状況なので、どなたか現車の情報など詳しい方がいらっしゃいましたら
ご教示いただけると助かります。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)22時48分38秒 |
タイトル |
和田岬線 |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
太田拓也様
>記憶違いなのか、それとも電化直前の6月
小生の言葉で足らずですいません。「平成13年の5月下旬」のことであります。
件の「播但線」制覇の後に「221系」に乗り込み、「兵庫」で途中下車して「和田岬線」の薄暗いホームへ。
そして、「ガラガラのキハ35」にお世話になりました。
小生、全く「電化化」の動向をつかんでいなかったことから、架線柱等の印象は皆無であります。
(完全な日没後でしたし・・・)
小生以外に、「鉄ちゃん」の姿はありませんでしたねぇ・・・。
当時は、比較的仕事の余裕があった「一学期中間考査」時期に2、3日程度の休みを使い、
幾度か「乗り鉄」をしておりました。
どういうわけか、この時期はカラッとした晴天の日が多く、この日も近畿地方は最高気温が「28℃」。
北海道仕様の小生にしてみれば「真夏」の1日でありました。
雑魚様も「神戸市営地下鉄」との件をレスされておりましたので、乗客の棲み分けが微妙なようでありますね。
長々と失礼致しました。
以上、谷村新司さんの「三都物語」を聞きながら神戸の街灯りを眺めていた「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
スイロフ |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)23時09分27秒 |
タイトル |
Re: キクハ35 |
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私が和田岬線に乗ったとき(DC化後)も、これで大丈夫かなと思いました。
乗ったのは朝の便で、満員の列車はしずしずと駅を出て緩い下り勾配〜平坦線をゆっくり走って和田岬に着きました。
「これなら大丈夫」と思ったのですが、
夕方の便は逆に満員で上り勾配を登らないといけない、というのに後で気付きました(^^;;;)。 |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2009年 5月13日(水)23時25分41秒 |
タイトル |
Re3:銀河のパーツ(開閉可能窓の事情) |
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横から失礼しますm(_
_)m。
スハフ42で開閉窓付きの扉を持ったものがいるとは存じませんでした。
竹中@ノーブルジョーカー様のご回答を拝見し、オハシ30様のご質問に迂闊にうろ覚えで回答しなくて良かったと、
胸をなで下ろしていたところです(^^;。
また、雑誌掲載写真を確認して下さった仙コリ(管理人)様にも感謝いたします。
ところで、
> 竹中@ノーブルジョーカー様に挙げていただいた3両の他には、オハ36・スハ40が該当する
(車体はオハ35の後期型とほぼ同型)
…とのご指摘の通り、オハ36・スハ40は、軽量客車タイプの客用ドアをもつのが基本です。
昭和30年代半ば、スハ42の近代化改造で生まれたオハ36は、
当時最新の新製3等客車であったナハ11に倣い、開閉窓を持つ客用ドアをつけました。
これは、冷房の無かった当時、夏場はデッキに立つ乗客がドアを開け放しにすることが多く、
安全上好ましくないため、ドアを開けなくとも風を入れられるようにする配慮だったとのことです。
スハ40はオハ36に電暖を搭載したもので、出自は同じです。
なお、オハ36でも末期には、客用ドアがHゴム固定窓のものに交換された車両がいたようですね。 |
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