倶楽部メモ(505)
平成21年 3月29日〜 3月31日



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月29日(日)09時31分27秒
タイトル スロ346=網干事故車?
ED76109先生
網干事故は私もスロ346(W屋根)をそうではないか?と想って居ましたがどうやら
そうらしいですね?116レは下関−京都で区間快速になる列車で乗車率が高かったから
20m車で「ロ」は割と良い車が使用されており、私が事故復旧直後に岡山−明石間
乗車した時もオロ36かオロ40でした。(岡山から満員=尤も休日でしたが)
追突した8レは呉線経由の各等急行でしたが(海軍御用達)?満洲から「のぞみ」
8レ-関釜連絡船8便が連絡する主要列車でした、信号無視とはあの当時でも相当問題
になりました。(新聞に色々書いてあったのを拾い読みしました)
内側線と外側線は急行電車が下駄電を追い抜くためにそうして居たのでしたが、列車
は大体下駄電の先行で外側線でした。
戦後「さくら」が東京−大阪間で復活(2度目の臨時列車運転)の時に上りが大阪
から内側電車線を使用していました。
戦後の「富士」の西明石事故は、線路工事の為に上り「富士」を下り本線通過に非常
渡りで転線させるのに,機関士が飲酒運転で速度超過になり先頭車が下りホームに
衝突したのです。日本は曲線が多くて「オーバーハングが長い」為にそうなったと
有名鉄道ファン氏の発言もありましたが--------。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月29日(日)10時31分42秒
タイトル 尼崎港支線
▼マロネロ38様:
> 現地での通称は「尼港(あまこう)線」で、金楽寺線とは言いませんでした。

然様でしたか。在京時代の職場で、同支線が話題になった際、尼崎の電話市外局番が
大阪同様「06」である事が自慢だった塚口出身の同僚(但し「鉄」に非ず)が「ああ、
そら『金楽寺線』の事やな」と話していたので、以降、その様に解釈しておりました。
ちなみに「尼港」の字面のみ見ると、ロシア沿海州の港湾都市「ニコラエフスク」と
勘違いしそうです(^^)

支線廃止後も、尼崎駅のすぐ西側で東海道線を跨ぐ高架橋は、暫く残っていましたね。
なお、福知山線では、1986年の宝塚電化に先立ち、1956年に塚口まで電化との記録が
あります。これは、尼崎港支線絡みの貨物便を、電機牽引で塚口に直通させる必要が
あった為ではないかと想像しますが、如何でしょうか。

> 東海道本線上下間に無理やり島式ホームを造ったので急カーブになったのです。

尼崎駅では元々、福知山線が東海道線を挟むホーム配置だった為、立川西方における
青梅線よろしく、下り線のみ大きく弧を描いて東海道線を跨いでいましたね。東西線
直通対応に際した尼崎〜塚口の線路配置は、かなり大規模に変更された訳ですね。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2009年 3月29日(日)10時47分8秒
タイトル Re尼崎港支線
>>雑魚様
塚口電化は東海道全線電化に伴うダイヤ改正時に
EL牽引となったつばめ、はとの編成転換用かと思います。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月29日(日)11時06分52秒
タイトル 塚口電化
▼ヒゲ無し雷鳥様:
> 東海道全線電化に伴うダイヤ改正時にEL牽引となったつばめ、はとの編成転換用

御教示、有難うございます。塚口駅まで引き上げて機回しを行う感覚ですかね。宮原
操車場は、西回り回送線を含めて、戦前には整備されていますが、当時の東海道線の
運行事情から、宮原では捌き切れない状況にあったのか、とも思えます。はてさて?



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月29日(日)11時34分39秒
タイトル 「マイテ」の転換のためではありませんか?
  連投失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >塚口駅まで引き上げて機回しを行う感覚

 確か、最後尾の「展望車(マイテ)」の方向転換のために、福知山線の「塚口」まで電化されたのではないでしょうか。
「PCはと・つぱめ」は、必ず最後尾が「イテ」となるために用意された「三角線」の一部のはずであります。
 東京口では、「山手貨物線の大崎」と「品鶴貨物線の合流点(信号所名を失念。う〜ん・・・)」
による「三角線」が構成され、それぞれ「東シナ」と「大ミハ」に回送されていたのではなかったでしょうか。

 マロネロ38様
 >列車は大体下駄電の先行で外側線でした

 確か、幼い頃実家にあった「鉄道写真集」の一冊に、著名な鉄道写真家である「西尾氏」による
戦前の「京阪間の急行電車」の写真を見た記憶が・・・。
恐らく、「立花」付近で撮影されたものでしょうが、モノクロであるがために
スピード感が鮮明であったことが強い印象として残っております。

 失礼致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月29日(日)14時33分30秒
タイトル 平面交叉
▼ED76 109様:
> 最後尾の「展望車 (マイテ)」の方向転換のため

………肝心の片端展望車の存在を失念していました(汗)すると、大阪で降車終了後、
塚口で機回し・エンド交換を行い、尼崎→宮原→大阪とスルー運転、大阪に戻り再び
機回しという段取りでしょうか。

塚口電化が、当該列車の回送線を確保するだけの為となると、大阪到着後、スルーで
宮原に入り、東海道線京都方面の適当な場所でエンド交換を行う可能性にも鑑みた時、
プッシュ・プル方式で機回しを省略出来たとしても、東海道線には、エンド交換用の
中線の余裕が全く無かった、という事情も窺えそうですね。

他方、当時の福知山線は、どちらかと言えば、畿内〜山陰の幹線としての性格が強く、
宝塚以南の大都市近郊需要は、並行する阪急宝塚線に任せるなど「棲み分け」傾向が
あった様に感じられ、それならば尚更、塚口駅に白羽の矢が立った必然性も頷けます。
現代の感覚なら、非電化区間をDLで補完する処ですが、当時、国鉄のDLといえば、
DD11の一次車が漸く数両、導入された程度だったのですね。

ともあれ、本番の旅客輸送を外れた区間で運用の都合から態々、部分電化を行う辺り、
当時の展望室つき特急の格の高さを象徴していたという事なのでしょう。

>「山手貨物線の大崎」と「品鶴貨物線の合流点 (信号所名を失念。う〜ん…)」

東急大井町線下神明駅の傍にある蛇窪信号所の事でしょうか。現在は、大崎駅構内の
扱いだそうです。品川駅、大崎駅双方への線路が平面分岐している事から、湘南新宿
ラインの拡充に伴い、池袋方面行と、横須賀線の横浜方面行が相互干渉し、ダイヤの
隘路になりつつある為、上り線のみ、蛇窪から大崎まで、ストレートに抜ける仕様に
切り替える旨の構想がある様です。

複線同士の平面分岐は、首都圏ですと京王線の調布駅で見られ、やはりダイヤ構成上、
隘路と目されますね。一方、京阪電鉄の浜大津駅の場合は、京津線、石山坂本線共に
同一の島式ホームに集約している為、利用者にとっては全方向の乗換えが容易という
利点もあります。

塩尻や倉敷では、夫々、松本寄り、岡山寄りで「事前仕分」が行われ、前者は完全な
平面交叉ですが、大都市圏に比べ、列車本数が遥かに少ない状況の下、乗換え需要を
考慮した接続待ち合わせを考えると、大した問題ではないのかも知れません。後者は、
確か倉敷翠松高校の辺りに、立体交差があった様な………



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月29日(日)19時35分56秒
タイトル 1,3レ大阪方方向転換。
雑魚様:
大阪到着後塚口迄回送し機関車をイテ側に連結して塚本西方から貨物線経由で
宮原に入れます。そうするとスハニが大阪向きになります。翌日2,4レで先頭に機関車
を連結して回送線経由で塚本−大阪へ入れます。電化は確かに「つばめ」、「はと」
の方向転換の為でした。一度大阪市の地図を見てください。
以上地元ファンからのお知らせです。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 3月29日(日)23時42分13秒
タイトル 三角線
特急「つばめ」「はと」等の方向転換についてですが、ほとんどの方はご存知だとは思いますが、
最後尾が展望車となるようにするのはもちろん、当時の特急列車用三等車(スハ44・スハフ43・
スハニ35等)は一方向固定の座席であり、また展望車・二等車から三等車を通らずに食堂車に移動
できるようにするというルールがあったため、編成ごと方向転換する必要があった為です。
その方向転換の為に利用したのが三角線であり、大阪方ではマロネロ38様の書き込みの通りであり、
東京方では東京駅で編成の最後尾に機関車を連結し(本務機だったのか入換機だったのかは不明)
品川経由で大崎まで行き、大崎から推進運転で山手貨物線に入り蛇窪信号所まで進行し、そこから
順方向に進行し品川客車区に入庫するといった手順で編成全体の方向を変えていました。
といったように文章で書いてもわかりにくいと思いますので、近日中にサイト本体にて図解で説明
するページを作成しようと考えています。
図解といっても専用のソフトもありませんし絵心もないので簡単なものになってしまうと思いますが
公開まで少々お待ちください。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月30日(月)09時39分24秒
タイトル 方向転換
▼管理人様:
> 一方向固定の座席(中略)展望車・二等車から三等車を通らずに食堂車に移動

改めて伺うと、実に多くの制約があったのですね。東京方での方向転換に用いた山手
貨物線については、品鶴線との分岐が完全平面仕様で残る一方、湘南新宿ラインへの
合流は、大崎駅の先、五反田寄りとなっており、現在では、再現を試みても、面倒な
事になりそうです。

その一方、頭端式構造の上野駅では、かかる「面倒な」編成が発着する事例は、全く
無かったのでしょうか。もっともそれ以前、今でもブルトレ回送に残る推進運転から
窺うに、客レ最盛期の尾久基地との往来は、かなり煩雑な手間隙を介した事でしょう。
更に歴史を遡り、常磐線列車が田端で方向転換していた時代となれば………



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 3月30日(月)10時30分24秒
タイトル 特急列車の方向転換
雑魚様

当時の特急列車は、展望車が無い編成でも基本的にスハ44等を使用していた関係で、全ての列車で
方向転換を必要としていましたので、上野駅付近でも方向転換がありました。

当時の特急列車の終端付近での方向転換に使用した三角線を含む経路は

「つばめ」「はと」
 東京  東京−品川−大崎−蛇窪(信)−品川−東京
 大阪  大阪−塚本−尼崎−塚口−尼崎−宮原−塚本−大阪

「かもめ」
 京都  京都−梅小路(貨)−丹波口−京都
 博多  博多−吉塚−香椎−酒殿−志免−吉塚−竹下−博多

「はつかり」
 上野  上野−尾久−田端−三河島−隅田川(貨)−三河島−日暮里−上野
 青森  青森−滝内(信)−青森操−青森

となっていたようです。
これら全て文章ではわかりにくいので図示しようと思いますが、少々時間をください。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月30日(月)13時25分36秒
タイトル 三角線 (「みすみせん」 に非ず)
▼管理人様:
> 大阪−塚本−尼崎−塚口−尼崎−宮原−塚本−大阪

宮原→大阪は塚本側を経由したのですね。あえて宮原でエンド交換した理由としては、
塚口から推進運転だったか、或いは、宮原から新大阪駅を掠めて梅田方向に合流する
回送線の整備時期が介在した、という処でしょうか。

> 博多−吉塚−香椎−酒殿−志免−吉塚−竹下−博多

酒殿〜志免は貨物線ですね。そういえば、香椎線と勝田線の宇美駅は、別々の場所に
ありましたっけ。九州随一の都市である福岡の郊外にあって、勝田線の廃止は永らく
疑問でしたが、改めて調べると、当時の国鉄が一日数往復体制のまま、利便性向上に
消極的だった事情があるのですね。何と勿体無い………

なお、勝田線の「御手洗駅」は、漫画「ト○レット博士」を愛読していた頃、噴飯の
対象でしたが(^^)この言葉、本来は寺社仏閣の手水舎を意味し、姓の場合は帯刀を
認められた神職という、由緒ある家柄を意味するも事もあると知って、猛省三昧。

> 上野−尾久−田端−三河島−隅田川 (貨)−三河島−日暮里−上野

現在、上野から田端操車場にスルー進入は可能か、と思えば、尾久基地西端の線路を
折り返すと、操車場に通じる渡り線が一本、存在するのですね。途中には一般道との
平面交叉があり、踏切の使用頻度や通過列車の陣容が興味深い処で「グーグル」空撮
映像では、渡り線の近所で「能登」ボンネット編成が、明瞭に視認できます。

> 青森−滝内 (信)−青森操−青森

新幹線の新青森延伸予定が来年に迫りましたね。更に新函館への延伸時期によっては、
青森駅でのエンド交換と比べ、最大で十分程度の速達もあり得るであろう、奥羽線〜
津軽線のスルー運行が取り沙汰されるかも知れません。それなら「はまなす」の客車
仕様存置も多少は永らえますが、沿線の市街化状況を見ると、地下線を設けない限り、
短絡線設置は無理でしょうかねぇ。

何れにしても、早速の御教示、誠に有難うございました。厚く御礼を申し上げます。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 3月30日(月)22時47分29秒
タイトル 特急列車の方向転換のページ追加
先日から話題になっておりました昼行客車特急列車の編成方向転換について、文章だけではわかりにくい
面があると思いましたので、「客車列車の旅」サイト本体に簡単な図解での解説ページを掲載しました。
(トップページから「客車資料館」→「客車特急列車編成方向転換」とお進み下さい)

線形や駅等の配置は出来るだけ正確に作成したつもりですが、該当する路線だけの掲載とした点など
わかりにくい点がございましたら訂正いたしますので、訂正案等を書き込みいただけると助かります。
とりあえず東京近辺と大阪近辺だけ先行して掲載しましたが、他の区間も随時掲載する予定ですので、
もう少々お待ちいただけると幸いです。
投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月31日(火)01時12分22秒
タイトル 春ですねぇ・・・
 当地は夜半から「雪模様」であります。「ED76109」でございます。

 「PCはと・つばめ」の転換話をお伺いしていて、小学生の頃に「RF」のリバイバル特集で見た
「塚口」の「EF58」の姿を想い出しました。
「PCかもめ」や「PCはつかり」も楽しみであります。
さて、今回は「春の汽車旅」について「戯言」を述べさせていただきます。
いつものとおり、先達の皆様方の話題に取り上げていただけるのであれば、幸甚の限りでございます。

 1 昭和50年の3月、中学入学前の春休み1日を「EC急行みさき3号」で過ごしたことが。
昼過ぎの「新宿」を出発して、「蘇我」から一路「外房線」を南へ。
しかし、当日は季節はずれの暖かい1日であり、「東海色の窓」を全開にして
東京湾の磯沿いの風景を十二分に満喫しました。
「内房線」に乗り入れる「安房鴨川」で、初老のカレチさん(確か千葉車掌区?)に
「五反田」までの「乗車券と急行券」をお願いしたところ、
「これからは『東京山手線内発着』のキップを買えば、安く乗れるよ。」と小生にレクチャーを・・・。
夕焼けの「両国」の列車線ホームでお礼を述べた小生に、「今度は学割で乗りなさい。」と一言。
やさしく声をかけてくれたカレチさんの想い出が心に残っております。

 2 昭和52年の春、「水郡支線」と「日立電鉄」制覇のために「ECもりおか1号」に「水戸」まで乗車。
大混雑の車内は東北弁が飛び交っており、乗客の大部分は「仙台以北」に行くものと、小生は思い込んでおりました。
しかし、「盛岡車掌区のカレチ」さんの検札に耳を傾けていると、「土浦」や「水戸」、「平」までの近距離客がほとんど。
確かに「ECはつかり」や「ECやまびこ」なら6時間程度で到着するのですから、
「盛岡」まで約8時間を要する「もりおか」に乗る客は・・・と納得しました。
しかし、現在は新幹線で約2時間半。
「常磐線」を走る「EC長距離急行」も現在では皆無とあっては、まさしく「昭和は遠くなりにけり」であります。

 3 昭和57年の黄金週間、北の大地に渡って旧客鈍行三昧の旅を堪能しておりました。
「函館」までの帰路は、御用達の「42レ」。
「山線」の隘路は5月としてはまだまだ残雪が深く、特に「上目名」は、遅き春の訪れを告げる雪解け水が流れ、
1メートルもあろうかという雪に覆われた「冬風景」でありました。
しかし、ホームで見送る助役さんは微動だにせずに列車を注視。
ポイントを渡り、最後尾のデッキから眺めた、春遠き雪山の彼方に消える助役さんの姿は、
今では味わうことができない「旧客鈍行の醍醐味」を感じさせてくれました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月31日(火)09時17分37秒
タイトル 常陸太田駅
▼ED76 109様:
>「土浦」や「水戸」「平」までの近距離客がほとんど。

所属が「水カツ」と思しき 453系の編成は「ときわ」と共通運用の為か、勝田で数両
段落ちがありましたからねぇ。この「もりおか」が運転された 1982年まで「ひたち」
仙台直通便は一日一往復で、高崎線は素より、磐越西線や奥羽線の直通便が輻輳する
東北線の線路容量の問題があるにせよ、常磐線縦貫に関しては「急行>特急」という
風格すら感じられました。

かかる経緯もあってか、私の出身校では仙台への進学例が伝統的に多かったのですが、
私の世代になると、仙台口の常磐線優等列車の陣容が今ひとつで「受験の際、急行に
乗った積もりが、気がついたら、途中から鈍行に化けていた」とは、友人の弁でした。

>「水郡支線」と「日立電鉄」制覇のために

渋滞の名所だった駅前の変則五叉路を挟んで、JR駅と電鉄駅が相対する常陸太田は、
農村育ちの私には、ハイカラに映ったものですが(^^)その後、踏切を除き、電鉄の
線路と電柱は全て撤去され、特に常陸太田市域は田園地帯が殆どでしたから、架線が
無くなると、かくも空が広く感じられるものかと、感慨を覚えた次第です。

水郡線駅にしても、かつては貨物取扱があった為、側線群が広がり、1983年のCTC
導入までは朝に一往復、旧客便も運転されるなど(ホーム有効長の関係で、常陸津田・
後台・中菅谷・南酒出・谷河原が通過という快速仕様と記憶します)風格が感じられ、
引上区間に労働総合庁舎が建てられ、側線が全て撤去され、一面一線構造となった今、
昔日の栄光、今いずこ、ですね。

>「常磐線」を走る「EC長距離急行」も現在では皆無とあっては、

そもそも「富士・はやぶさ」廃止の陰で目立たずも「つやま」快速格下げで、昼行の
定期急行が消滅しましたからねぇ。残る夜行三系統の何れも、新幹線延伸で何らかの
影響を受けそうなスジばかりですし………

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画像は、日立電鉄の常北太田〜小沢にあった里川橋梁の跡、撤去作業直前の様子です。




 
 
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