連投で失礼致します。「ED76109」であります。
まず、北海道の地名に係る「道教委資料」は、「言語学大辞典」(三省堂編 昭和63年編)を
主要出典としておりますことを加筆させていただきます。
マロネロ38様
>京阪神間の「急行電車」は・・・
小生が必死に「鉄」勉した内容に基づき、「蟷螂の一刀(!)」をお話させて下さい。
昭和25年10月1日、「52系」は「阪和線」の特急電車に転用されております。
この際の塗装は、青の濃淡、「阪和特急色」と呼ばれたマルーンとクリーム色、及び茶色という3種類が存在しました。
「52系」の前頭部は、4組の板ガラス窓を円周上に配置したものであり、
床下のスカートとともに、「マロネロ38様」が以前に述べられておりました、
「ドイツ帝国鉄道(DRG)のフリーゲンダー・ハンブルガー(Fliegender Hamburger)」
に大いに影響されたスタイルに基づき、設計されています。
その後、「阪和線」が乗客数の急増に伴い、3ドア化が要請されたことから、「飯田線」に転用が決定されました。
小生が初めて「飯田線」を制覇した昭和56年、
「平岡」で件の「京阪・阪神間のスピード・サービス競争」を闘った「52系」に遭遇。
美しき流線型に素直に感動した記憶があります。
参考 沢柳健一「旧型国電50年
I・II」JTB編
(平成14年)他
>高校野球の時に「甲子園口」に臨時停車しましたが・・・
実は、小生の母校が「西東京大会」を制覇し、夏2度出場しております。
平成3年の夏、延長戦の末にサヨナラ負けしたショックから、
蝉時雨を浴びながら「甲子園球場」から「甲子園口」まで、黄昏の中を歩きました。
しかし、「浜風」が心地良く「甲子園口」に辿り着いた時は、何か爽やかな感動を憶えました。
(「鉄」ネタでなく、失礼致しました。)
連投失礼致しました。
以上、後輩の「アメリカ帰りの二塁手」が「千葉のライバルチーム」に入団してしまった
「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |