▼ED76 109様:
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下り最終の「とかち」で「新狩勝隧道」から「新得」に下ってくる町の夜景
新得の灯火群がどれほどの規模かは判りませんが、篠ノ井線から俯瞰する善光寺平の
夜景の如き良景を連想します。道内ですと、先日利用した「北斗星」が、大沼界隈の
高原から函館平野に下る途中で遠望された灯火群も、なかなか良かったですね。
>「原野」と「乳牛」しかなく、隣家が牧草地を隔てて「2q」離れていても、
正に、標津線の車窓風景そのものですね。なお、我が地元にも、隣家が
1〜2km
離れ、
朝刊が届くのが昼前という山間部の出身ゆえ、街中に下宿していた同窓生がいました。
1970年代までは、非電化の世帯も僅かながら残っていましたねぇ。
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道東や道北はこのような所が多く「簡易軌道」の役割が改めて理解できます。
軌道敷設の根拠法令が「地方鉄道」や「軌道法」ではなく「道路の代替」ですからね。
それにしても、勾配の克服を考えれば道路の方が融通が効くかと思いますが、道東の
湿地ないし泥炭地では、軌道の方が敷設が容易だったのでしょうか。
>「僻地だけど釧路までは車で1時間だから。」と件の同僚が話したことがあります。
大学時代、レンタ・カーで、三日かけて道東を一周した経験から申せば、その感覚は
理解出来ますが、免許を得て日が浅かった私は、台詞のみ「サーキットの狼」ごっこ
あるいは「マッド・マックス」ごっこに興じるのが精々でした(^^)
そんなドライブの最中、標茶の街を通過中、軌道らしきを一瞬横切るも、既に夕刻で、
投宿先の到着時刻も気になったので、そのまま通過してしまいました。今頃になって、
勿体無い事をしたと悔やまれます。 |