失礼致します。「ED76109」であります。
当地は今週、初雪の便りもあり、いよいよ「冬」の到来間近です。
冬の汽車旅の想い出は、客車の床下からたち上がるスチーム暖房の蒸気。独特の風情がありました・・・。
今回は、小生が乗り損ねた列車の「戯言」を記してみます。
いつものように先達の皆様方の話題にしていただければ、幸甚の限りであります。
1 九州の大動脈の一つである「鹿児島本線」。
「はやぶさ」、「桜島」等でお世話になった鉄路ですが、
どういうわけか「鳥栖・西鹿児島間」を走っていた「長距離鈍行」には乗ることができませんでした。
おそらく「ED76」がのんびりと旧客のお伴をしながら、
古戦場の「田原坂」や天草の島影が望めた「有明海」を眺めながらの汽車旅だったのでしょうね。
約8時間の鈍行紀行は、小生にとってはちょうど「手頃」な旅だったのですが、
山陰や東北に目が行っているうちに、鬼籍入りしてしまいました・・・。
2 上野発着の旧客鈍行が姿を消して、もう25年以上経過しています。
昭和45年頃、小学生だった小生が乗りたかったのは、「上野・青森間」を結んでいた「長距離鈍行」。
「上野」を22時頃発車して、「青森」に翌日の22時前に到着した「奥羽本線経由」の「青森行」と、
「青森」を10時前後に発車して「上野」に翌日の6時前に到着した「常磐線経由」の「上野行」。
往年の夜汽車体験ができたこれらの列車、「EF57」や「DD51」、「ED75」などの汽笛を聞きながら
是非一度乗りたかったですね・・・。
3 「EF58」が牽引する鈍行が、美しい海岸線を走っていた「紀勢本線」。
夜行鈍行の「はやたま」が走っていたことでも有名でした。
昭和51年の夏休み、「鉄」親父と「乗り鉄」したのですが、
「高校野球」観戦の帰路のため「DC仕立ての紀州」で「天王寺・名古屋間」を完乗。
その「紀州」の車中から、「名古屋」や「亀山」から「和歌山市行」の「長距離鈍行」を途中駅の列車交換で見るたび、
「あっちに乗りたかったのに・・」と溜息をついておりました・・・。
上記列車に「乗り鉄」した先達の方々の想い出等、是非伺いたいものです。
長々と失礼しました。以上、昭和の鉄路を懐かしく思い返している「中年客車鉄ちゃん」でした。 |