倶楽部メモ(465)
平成20年10月22日〜10月25日



投稿者 雑魚
投稿日 2008年10月22日(水)11時24分10秒
タイトル 湖西線の風景/其之四
▼きむたお様:
> 931列車で岩見沢に到着、クラに引き上げるオハ51 41です。

御教示、有難うございます。改めて見ると、やはり違和感は否めませんね。この車両、
両端部のデッキ構造も、改造の対象になったのでしょうか。

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この日は和邇・蓬莱・比良・北小松・近江中庄で湖西線を撮りましたが、トリとなる
下り「トワイライト〜」を、近江中庄で狙ったのは正解でした。ここは、駅の周辺に
平坦かつ広大な田園風景が清々しく広がり、ホーム撮りでも結構な構図が得られます。
望遠を御持ちの方なら、駅から湖岸に向け 小道を 2〜3分歩けば、定点撮影で京都と
敦賀のどちら側でも、美味しい構図が得られます。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年10月22日(水)15時11分19秒
タイトル 湖西線の風景/余禄
▼bell様:
> 8002レが運転されない日は夕暮れ時にトワイライトエクスプレスがやってきます。

下り「トワイライト」を近江中庄で撮影後、移動した敦賀で「団体列車」と称する
当該編成らしきを見掛けました。今更ながら「カシオペア」と異なり、編成が複数
あるんだな〜と、妙に納得。それにしても、坂東武者には、普段は縁遠いこの列車、
今年は湖西線、千歳線、北陸線にて拝めた訳で、やれ有り難や、有り難や………

御掲出の画像は東海道線の山崎付近でしょうか。田町駅(東京寄りホーム端部)で
体得しましたが、電柱が両端のみの複々線は、曲線を上手く捉えれば、ここ一番の
迫力ある構図が得られるのですね。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年10月22日(水)15時33分16秒
タイトル 湖西線の風景/其之五
▼ED76 109
> 昭和59年の黄金週間、山陰本線の「出雲市・下関間」の鈍行列車で初体験。

そう言えば、私も益田〜下関の移動に、50系を利用しました。早春の日本海は、正に
ひねもすのたり………の趣で、ふと気づけば、ロング・シートを独占して Zzz………

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画像は、前述の近江中庄駅前から敦賀側を遠望した様子です。その後「団体列車」が
来ると判っていたら、ここで待っていたのですが、それ程に近江中庄界隈の雰囲気は
良好でした。惜しむらくは、自販機を含めて、駅周辺は飲食物の調達手段が皆無です。
駅自体は無人で、私が下車した時は、車掌の集札もありませんでしたが、ICカード
利用者が入出場の際に使う検知機だけは、しっかり設置されていました。




投稿者 bell
投稿日 2008年10月22日(水)20時48分23秒
タイトル 続 夕暮れのトワイライトエクスプレス
ED76 109様・雑魚様、こんばんは。
話題の山陰本線の50系とは出雲市発下関行829レでしょうか。
私は昭和60年の秋に全区間乗車しましたが、日本海に沈む夕日の美しさが印象に残っています。
今年の夏、再びあの光景を見ようと再訪しました。
さて、夕暮れのトワイライトエクスプレスですが、雑魚様ご指摘の通り山崎の近くです。
山間の地ですので、最近は日没が早いです。




投稿者 雪だるま
投稿日 2008年10月22日(水)21時18分5秒
タイトル 3ドア化
雑魚さま
オハ5141は車体中央にドアを取付けたので車端部はオリジナルのままで中央ドアのデッキの仕切も車端部と同じです。
戸袋窓はハメ殺しで3人がけのロングシートです。
これはクハ711の3ドア化と同じです。
モハ711-113はオールロングシート化されて731系の試作みたいでした。
乗客には不評でしたね。北海道はロングシートはなじまないです。長々とすいません。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年10月22日(水)22時21分30秒
タイトル ああ、美しき夕焼けよ・・・
 何度も失礼いたします。「ED76109」でございます。
 bell様
 >山陰本線の50系とは出雲市発下関行829レでしょうか
  まさしく、そのとおりです。
 前述しましたが、「日本海」の美しさを堪能した「山陰鈍行紀行」の掉尾を飾ってくれた列車でした。
 そして、「下関」か「門司」から「みずほ」もしくは「さくら」で帰京というのが、小生の定番でした。

 >夕暮れのトワイライトエクスプレス
 これも前述していますが、平成9年の新春に小生が乗車した「上りトワイライト」は、
強風の影響等で4時間半遅れで、夕闇迫る「大阪」に到着。
 28時間の汽車旅のラストに相応しい美しい「トワイライト」が心に残ります。

 失礼しました。また、投稿致します。以上、「道民球団」のラストゲームに、ただ「涙」の「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雪だるま
投稿日 2008年10月23日(木)08時55分43秒
タイトル 苗穂工場
けさ苗穂工場を車内から見ますと、もう使われないであろう車両置き場に
まりもなどで使っていたグレーのスハネフ14やオハネ14が3〜4両留置されておりました。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年10月23日(木)10時53分38秒
タイトル 湖西線の風景/其之六
▼bell様:
> 今年の夏、再びあの光景を見ようと再訪しました。

その頃でしたか「サザエさん」OPで、山陰線人丸駅に近い長門市油谷地区の海際の
棚田における夕景が紹介されており、これは「萌え」な光景でした(^^)

> 雑魚様ご指摘の通り、山崎の近くです。山間の地ですので、最近は日没が早いです。

西側に山を背負っているので、冬は撮影可能時間帯が限られそうですね。この区間を
通過する度、沿線の大手酒類メーカーの事業所の上階を、有料で良いから「鉄」用に
開放して貰えまいか、などと妄想するのでした(^^)

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画像は蓬莱駅です。編成美を楽しんで何ぼのブルトレ撮影にあって、この作風は少々
安直過ぎました。やはり、ロケハンの徒歩移動を億劫がっては駄目ですね(反省)




投稿者 雑魚
投稿日 2008年10月23日(木)11時14分56秒
タイトル 嵯峨野観光鉄道
▼雪だるま様:
> 北海道は、ロングシートはなじまないです。

今年夏、北海道を訪れた印象として、札幌近郊ならともかく、石狩湾岸や勇払原野を
驀進する電車が「完全横掛け」というのも、何かしっくり来ませんね。オハ5141の件、
御教示、有難うございました。

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画像は、トロッコ嵐山駅を発車直後、山陰線の下り線に進入する、嵯峨野観光鉄道の
上り便です。高速運転の電車が雁行する幹線の線路を「逆走」する形態は、旧JR線
ならではの現象ですが、全線一閉塞制にして予備編成も無い事も相まって、これだけ
観光需要が高まっても、毎時一往復運転が精々なのですね。紅葉期を控え、週末便の
指定席は既に「満員御礼」状態でしょうか。




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年10月23日(木)20時11分21秒
タイトル トワイライトな20系
 ちょっと書き込みがお留守になってしまいました。
仙コリ(管理人)様、遅まきながら、20系写真館のトップに拙作を採用して頂き光栄です。

 さて、古い写真を漁っていたら出てきました。
平成元(1989)年8月6日、京都駅で撮影した臨時特急「日本海82号」です。
今では何てことのないトワイライト色EF81ですが、
この時点では「トワイライトエクスプレス」自体が登場したてのニュースター。
私はまだ実見したことがなかったと思います。
当然専用塗色機も初遭遇と思われ、それが20系客車の先頭に立つ姿だったとは、ちょっと自慢できるかも?(笑)。
 その頃はまだ片面1線だけだった奈良線ホームから。




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年10月23日(木)20時15分44秒
タイトル トワイライトな20系-2
 前写真を撮った後、跨線橋をダッシュして東海道下りホームへ。
「日本海82号」は終着大阪へ向け、長旅の最終行程に踏み出します。




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年10月23日(木)20時20分57秒
タイトル トワイライトな20系-3
 絵入りのバックサインが入るなんて、かつて「日本海」に定期運用されていた頃には夢想だにしませんでしたね。




投稿者 bell
投稿日 2008年10月24日(金)22時25分53秒
タイトル 寝台特急 日本海
ED76 109様・雑魚様、こんばんは。
ED76 109様、やはり829レでしたか。
私の場合は下関で一泊、翌朝841レで関門トンネルをくぐるのが定番でした。
この列車、行商の方がたくさん乗っており、車内は魚のにおいが充満していました。
雑魚様が関西にいらっしゃたのは10月18日でしょうか。
当日の日本海は島本駅のそばで見送りました。




投稿者 ED76109
投稿日 2008年10月25日(土)00時18分28秒
タイトル 「レ」に乗りたいですなぁ・・・
おばんでございます。「ED76109」であります。
bell様
小生の場合は、829レからの余韻を楽しみたく、「下関」や「門司」のホームの端で、
港の灯りをボーと眺めていましたね。
特に、海を渡って「門司」から「みずほ」や「さくら」に乗るときは必ず「1号車のハネ」を予約して、
関門トンネルを挟んでの海峡の風情を堪能しておりました。
この「829レ」、47.3.15のダイヤ改正以前は「京都・下関間」を完走していた長距離鈍行で
「京都・出雲市間」が「山陰」へ、「出雲市・下関間」が「829レ」となった「強者」。
改正前に一度全区間制覇したかったですねぇ・・・。
前置きが長くなりましたが、今回は「旧客鈍行の戯言」を再々度記します。
先達の皆様方の話題にしていただければ、幸甚の限りであります。

1 昭和48年の春休み、「鉄」親父と宗谷本線の「321レ(旭川・稚内間)」を乗り鉄。
 「スハ33+スハフ33+マニ+マニ」の4両の旧客を「C55」が牽引していました。
 3月の道北はまだまだ吹雪が荒れ、乗り込んでくる乗客はあたかも「雪だるま」の形相でした。
 しかも、次第に乗客は減っていき、「抜海」を出て闇の中を走るガラガラの客車はまるで「回送列車」の様相。
 当時小学4年生の小生に、「まもなく、南稚内です。」の放送とともに見えた稚内の街灯りは、
 強烈な印象として今でも心に残ります。

2 昭和58年の黄金週間、「新津」から「郡山」まで「磐越西線の旧客鈍行」を完乗。
 阿賀野川沿いの山間の風景を堪能しながら、「会津若松」へ到着。
 機関車もDLからELに変わり、逆編成になるのに合わせて最後尾の「オハフ35」へ移動しました。
 お目当ては今は無き「中山宿のスイッチバック」。
 新緑の峠駅はのんびりとした旅情に溢れ、デッキから後ろに流れる鉄路の眺めは、
 汽車旅の楽しさを小生に味わわせてくれました。

 3 昭和60年の1月、就職関係の書類を道庁へ持参するための札幌行。
 せっかくの機会と東北新幹線を「仙台」で捨て、「青森行」の長距離鈍行に乗車。
 しかし、「オハ50のレッドトレイン仕立て」に正直がっかりしてしまいました。
 しかし、それを補って余りあったのが厳冬の「トホホセ」の車窓風景。
 「一ノ関」から雪が降り始めて、「奥中山」では完全な猛吹雪。
 全力で「青森」まで走り抜けた「ED75」は、「白い」ELに変身していました・・・。

 長々と失礼しました。また、投稿いたします。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。



 
 
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