倶楽部メモ(437)
平成20年 7月 8日〜 7月12日



投稿者 ガンバレール
投稿日 2008年 7月 8日(火)04時47分14秒
タイトル ブルートレインブーム(No1)
 毎年のように寝台特急が廃止になることを惜しみ、色鉛筆を用いて2007年に作成した作品である。

 東京駅の旧12番ホームから見た、EF66さくら号の回送列車を描いてある。
富士号がまだ西鹿児島行きで、寝台特急のテールマークがイラスト入りになった
1979年ごろを第一次ブルトレブームとすれば、
けん引機がEF65からEF66に交代し、はやぶさにロビーカーが増結された
1985年ごろを第二次ブルトレブームと考えることも出来よう。
 この作品は、国鉄改革を目前にして東海道ブルートレインが輝きだした、
第二次ブルートレインブームの一コマになる。

 80年代の小学生に流行していたスタジャンや短い半ズボン、
巨人や阪神の野球帽をかぶった少年も作画した。

投稿者のホームページ



投稿者 EF5841
投稿日 2008年 7月 8日(火)07時49分22秒
タイトル 日本一週ツアー
客船による世界一周ツアーに憧れるも、時間や懐を考えると実現しそうに無い。
せめてブルートレインによる日本一週ツアーなる物があれば参画したい。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月 8日(火)17時14分19秒
タイトル 一度是非お読みください。
「ED76109」であります。また、失礼致します。
雑魚様
>東海道線新垂井における「ミステリー列車」や「はまかぜ」姫路以東の新幹線代替を介したトリック
「西村京太郎」さんの作品ではないでしょうか。私も読みました。
しかし、生意気なことを申しますと、もう一つトリックに何かひと味足りない感じがします。
カツ丼が食べたいときに、「素麺」を出されたような感じがしました。
(「西京ファン」の皆様、ご無礼な発言をご容赦ください。)
一番のお勧めは、「鮎川哲也」さんの「黒いトランク」です。(是非、一読ください。)

>この夏休みは惜別目的の記念乗車組で、盛況かも知れませんね
小生の知り合いスジから、7月、8月の週末を中心に「はやぶさ・富士」の「寝台券」が結構売れているとのことです。
資金かつ暇のある、惜別乗車予定の方、ご注意あれ!

なお、先達の皆様はご承知おきとは存じますが、道内最後の夜行列車「まりも」号の運転が来月をもって終了致します。
小生も、「鉄」親父と「狩勝」の折に1回、単独行で急行「まりも」に2回、
そして特急「まりも」に2回お世話になりました。
もし、よろしければ先達の皆様方の道内夜行列車の思い出をお聞かせ願えれば幸いであります。

また、投稿致します。
以上、ガンバレール様の「思い出」とEF5841様の「夢」を見て、
どうしたらこの夏の「道祖神」からの誘いを我慢できるのか、真剣に悩む「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月 8日(火)18時09分35秒
タイトル 妄想列車構想
▼EF58 41様:
> 客船による世界一周ツアーに憧れるも、時間や懐を考えると実現しそうに無い。

かかる豪華クルーズに部分的ながら参加した知人の談によると、乗船時間が長いので、
船内イベント巡りが一段落した後は、ともすると「食っちゃ寝」に陥る事例が少なく
なかったそうです(^^)

> せめてブルートレインによる日本一週ツアーなる物があれば参画したい。

他愛も無い妄想ですが「富士・はやぶさ」運用終了後、当該編成を郡山工場(?)に
回送する際(場合によっては 田町車セの廃止・規模縮小に合わせたタイミングにて)
これを惜別記念列車に仕立てる様な遊び心があると、嬉しいですね。

東北縦貫線列車の折返しに供されるのか、将来の用途が気になる品川駅臨時ホームで、
最初に派手な出発式を行い、直ちに郡山を目指すのではなく、まず東海道・山陽線を
九州まで西進(いや、名古屋までは塩尻大門経由の方が良いかな)鹿児島・日豊線を
一周後は、山陰線・湖西線・北陸線・信越線・羽越線と日本海縦貫線をひたすら北上。
綾部〜敦賀は、物理的制約が無ければ、舞鶴・小浜線を経由したい処です(^^)

滝内信号所から東北線に短絡し、そのまま郡山まで北上………と思いきや、岩沼から
常磐線に寄り道。結局、首都圏まで南下して、武蔵野線経由で大宮に回りこみ、漸く
郡山を目指すという、異様に無意味かつ壮大な計画です(^^)

切符の発売は、乗車距離に応じて、全区間・長距離・中距離・短距離と分類、夫々の
発売開始日を、距離の長い方から優先的に設定します。乗車券は寝台特急券と同時の
購入を義務付ける事で「切符のみ記念購入」を排除。これで「鉄」な方々の客レへの
思い入れも判るというもので、ある意味「踏み絵列車」と申せましょう(^^)

現実にこんな列車が設定されたとしたら、本掲示板に集う皆様のうち、どれ程の方が
食指を伸ばすのでしょうね(^^)




投稿者 キハウニ
投稿日 2008年 7月 9日(水)21時57分29秒
タイトル >配置表について
>急行出雲さま
ありがとうございます。
いろいろ探って昭和33年以降なら(多少抜けはあっても)調べられることがわかり、
鉄道の本が多い図書館で調べてきました。手での写しだったので時間がかかりましたが
おかげさまでほしい情報を得ることができました。

それ以上過去については難しいですかね・・・
木製車時代までいくと配置は難しくとも、どういう形式があったか
図か写真で知りたいと思っています。おすすめの本などありましたら
また図書館で調べたいと思いますので、ご紹介お願いしたく思います。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 7月11日(金)11時39分33秒
タイトル 配置表(買収雑型)
これなら鉄道友の会が出した「車両台帳。客車篇-1」の「雑型ボギー客車
番号変遷表」昭和30年11月20日発行の巻末に当時のが掲載されています。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月11日(金)16時03分52秒
タイトル 俯瞰撮影之壱
都内での「富士/はやぶさ」撮影の新たな足場として、一般開放区画を擁する沿線の
高層ビルを調べた結果、浜松町「世界貿易センタービル」を試して見る事としました。

画像は、田町車セ→東京駅の回送便です。日没時刻との関連から、撮影可能な時期も、
残すところ、1〜2箇月でしょうか。足場となる展望室が10時開場で、惜しい話ですが、
午前の「本運用」撮影は、数分差で不可能です。という訳で、東京駅に向う寝台車を
牽引機側から俯瞰撮影したい方は、日が短くなる前に対応された方が良い様です。

画像右上のモノレール高架下で途切れているのが、かつて、築地市場や汐留貨物駅を
起終点とした東海道貨物線の、現在の終端部です。東京貨物ターミナルの北側部分に、
一定距離の引上区間を残しておけば、以北の新幹線車両基地の引込線との並行区間は、
早晩、廃止されるのではないか、とも思うのですが、どうなるでしょうね。

高層ビルが次々落成する昨今、この展望室は、高所としては然程、傑出した存在では
ありませんが、東京湾が近いので夜景は中々御薦めです。この日は平日だった事から、
かなり空いており、落ち着いた状態でゆっくり鑑賞できました。

並行する東京モノレールでは、新橋方向への延伸を前提に、JRとの交差を解消して、
新幹線の移設で捻出した浜松町駅東側の空き地に、駅を移転する計画があるそうです。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月11日(金)16時23分57秒
タイトル 俯瞰撮影之弐
こちらは、下り「本運用」を撮影したものです。この時間帯での撮影は、今月一杯が
精々かと思われますが、HMの有無にこだわらなければ、午前中の東京駅→田町車セ
回送が撮影可能です。

世界貿易センタービルの竣工は1970年。汐留貨物駅の廃止が1986年ですから、永らく
ここからヤードが俯瞰できた訳ですね。どの様な眺めだったか、興味深いところです。
数年後には、新幹線と「ゆりかもめ」に挟まれた空き地に、東京モノレールが割って
入るのでしょうか。




投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月11日(金)18時24分13秒
タイトル 夏の汽車旅
 またまた失礼致します。「ED75109」です。
仕事を終えてから、放課後に皆様方の書き込むを読むことが日課となっています。様々なお話、本当に楽しみです。
 さて、今回は、小生の夏の汽車旅(古い小ネタ)について「戯言」を述べさせていただきます。
先達の皆様の話題ネタにしていただければ、幸い至極であります。

1 昭和45年の盛夏、家族で、内房の館山に海水浴へ行った記憶があります。
 早朝6時過ぎの新宿駅は、房総方面行きの列車を待つ「黒山の人だかり」状態でした。
 小生が「すわれるのかなぁ。」と子供心に心配していると、
 「101系仕立て」の「館山行臨時快速(快速電車だったと思うのですが)」がホームに入線。
 「鉄」親父の「乗るぞ!」の一言で乗り込み全員が座れましたが、
 冷房もない「通勤電車」を海水浴客の人たちは嫌ったのか発車まで「ガラガラ」。
 おかげで窓を全開にして、館山までの約2時間半を東京湾と房総半島の山々からの涼風を浴びて
 「クモハ101」の旅を楽しみました。
 (ちなみに帰路も同様の「101系」。確か「保田」で積み残し客を残して発車した記憶があります。)

2 昭和49年の8月初旬、夏の高校野球を観戦するために、
 開会式の前日に「鉄」親父と当時21時発の最終の新幹線「こだま」名古屋行に飛び乗りました。
 名古屋駅の熱帯夜のホームで「あさかぜ」や「瀬戸」などのブルートレイン群を眺めた後、
 午前2時過ぎに大阪行急行「ちくま」がEF64に牽引されて入線。
 最前部の「スハフ42」に乗り込み、EF58の後部を眺めながら大阪へ向かいました。
 琵琶湖の夜明けの美しさに思わず感動した記憶があります。

3 昭和52年の8月末、高校受験のための夏期講習会、中休みが一日だけありました。
 とにかく旧客の鈍行に乗りたい一心で小遣いを注ぎ込み、上野5時55分発の「仙台行」で常磐線を一路北へ。
 途中で上り「上野行」旧客に間に合う「日立木」まで乗車。ホームで田圃の中に遠ざかる列車を見送りました。
 のんびりとした小駅の田園風景と赤い「ED75」の甲高いホイッスル、
 そして雄大な太平洋と遙かなる阿武隈の山並み・・。
 日帰りでしたが、常磐線の旧客鈍行を堪能できた旅でした。

 また、投稿致します。以上、「学校祭」準備で生徒たちと「大工仕事」に勤しむ「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月11日(金)19時13分58秒
タイトル 烏山線に関する残念な御知らせ
▼ED76 109様
>「101系仕立て」の「館山行臨時快速 (快速電車だったと思うのですが)」

総武線では、東京〜錦糸町が開通した1972年、錦糸町〜津田沼を複々線化、快速線と
緩行線を分離し、快速運用に 113系を導入しました。それ以前の総武線快速といえば、
緩行線と同じ「カナリア色」101系が毎時 1〜2本、中野〜成田・木更津で運転された
程度でしたが(両国の折り返しで、非電化区間に直通する「快速」客車便が存在した
可能性も考えられますが、詳細は不明です)まさか、海水浴臨にまで動員されたとは、
驚きですね。

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ようやく「駅から時刻表」今月更新分がアップされ、さっそく烏山線の項を調べると、
残念ながら「山上げ祭り」に関連した、12系による客車運用は無さそうです。通常は
烏山線内のみの運転となる、331・345・330・344Dが、祭りに掛かる週末のみ、9331・
9345・9330・9344Dとして、宇都宮に直通するに留まっています。

以前、車両の老朽化に伴う高崎12系の趨勢を案じる御意見を拝見しましたが、恒例の
矢祭町の関連と思われる水郡線運用も今年は無く「夢空間」「ゆとり」が引退した折、
かかる状況を見ると、いよいよ進退極まったかと、あれこれ勘繰ってしまいそうです。

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画像は、田町駅から「富士/はやぶさ」の上り本運用です。先日紹介した大宮駅での
事例とは異なり、東海道線の 185系は、意地悪な事はしませんでした(^^)




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 7月11日(金)19時57分56秒
タイトル 木製車時代からのおすすめ本
キハウニ様
木製車時代までのどういう形式があったか図か写真で知ることが出来る書籍となると、
やはり代表的な書籍は「写真で見る客車の90年 日本の客車」でしょうね。
日本の鉄道創業期の2軸客車から20系客車まで、約590枚の写真で紹介されています。
いまや幻の書籍といえるほど入手困難な書籍ですが、鉄道の本が多い図書館であれば
置いてある可能性もあると思いますし、今年末頃に復刻されるという話もあります。

また同様の資料としまして、交通博物館発行の「国鉄80年記念写真集・車両の80年」
も、客車以外にも機関車等を含めて多数の写真が掲載されています。

これらを含め、客車関係の参考書籍を「客車書籍資料館」として当サイトに掲載して
おりますので、参考にしてください。
投稿者のホームページ



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 7月11日(金)23時52分35秒
タイトル あれから10年
みなさまこんばんは。
先日、カレンダーを見て思い出しましたが、浜田まで行く定期客車列車がなくなって10年が経つんですね・・・。

1998年7月9日 東京発浜田行き 1001レ 出雲1号
EF65 1105↑(京都まで)
DD51 1189(京都から)
カニ24 110
オロネ25 7
オハネ25 144
オハネ25 214(東京→浜田:乗車)
オハネフ25 204
オシ24 701
オハネ25 225
オハネ25 217
オハネフ25 126
オハネ25 141
オハネ25 226
オハネフ25 128


*オロネのみ銀帯、他は金帯。

↓写真は波根−久手を行く上記列車。
出雲市でオシより後ろを切り離し、身軽になった姿で非電化の山陰本線を進みます。
車掌室より許可を得て撮影。今じゃこんなことはさせてもらえないでしょうね・・・。
10年の時を経て公開させていただきます。m(__)m




投稿者 きむたお
投稿日 2008年 7月12日(土)00時16分42秒
タイトル 出雲市回転車
引き続き。
客車列車に限らず、長距離列車の減少で旅客需要に応じて付属編成を増解結するシーンも少なくなったような気がします・・・。
一昔前のブルートレインを名乗る書籍では「熊本回転車」、「大分回転車」と云った表現をよく目にしたものです。
「出雲」の場合はかつての「はやぶさ」や「富士」とはその「回転」の事情も異なりますが、やはり連結/開放シーンは興味深く、
普段、客車区とかでしか見られない中間の妻面が見られることも嬉しいものでした。
今時の臨時列車で目障りな赤い反射板も好ましく思われる光景であります。

1998年7月10日、1001レ、出雲市発車。オハネフ25 204よりオシ24 701を望みます。
オシのおでこ(?)についたアンテナが模型マニア(自分のことです)の心をくすぐります。(^^;)




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月12日(土)13時38分25秒
タイトル 昼寝やら 回転やら
▼きむたお様:
> 浜田まで行く定期客車列車がなくなって10年が経つんですね…。

浜田撤退は「サンライズ」導入と同時でしたね。鉄道部の側線を擁する浜田駅構内は、
石見地方の中心都市に相応しい風格が感じられ「出雲」直通も頷けましたが、自治体
人口は「平成の大合併」を経て六万人という規模ですから、元々、首都圏を志向する
石見地方の旅客需要が多かったというよりは、県都松江〜石見地方のローカル需要を、
鳥取県内分と併せて「ヒルネ客」として集約した側面が少なくなかった様に感じます。

浜田道が全通した1991年には、広島〜浜田で、高速バス「いさりび号」が運行を開始。
主たる旅客導線は、浜田撤退の数年前から、バスに移行したものと思われます。一方、
1975年、山峡部の未開通区間を高規格線で貫いた三江線は、当初想定されたであろう
陰陽連絡機能も覚束ず、前年、やはり山峡を高規格で貫いて全通した予土線に(最終
未開通区間の両端が、実は同じ水系に属する意外性を含めて)通じるものを感じます。

> ブルートレインを名乗る書籍では「熊本回転車」「大分回転車」と云った表現

以前、従来の「北斗」需要を集約する意味で「北斗星」の道内区間(函館回転)にて
座席車を連結した件について、言及しました。これも変則的な「回転」と言えますが、
その後、調べて見ると、これはスハフ14が一両のみで、しかも繁忙期限定だそうです。



 
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