▼bell様:
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本の中でしか見たことのなかった20系寝台車、嬉しくてよく眠れなかったこと
私が20系を利用したのは、86年春の「だいせん」でした。貧乏旅行の哀しさで、山陰
ワイド周遊券による「往路タダ乗り」状態でしたが、寝台車に準じたナハ21の異様に
高い天井は、独特の雰囲気がありましたね。同年夏に訪れた九州では、20系寝台車+
12系座席車で編成された「かいもん」「日南」も「常連状態」でしたが(^^)やはり
周遊券利用の哀しさで(^^)私は専ら12系の利用でした。
これらの列車における20系運用は、宝塚〜福知山〜城崎の電化が大きな話題となった、
1986年秋の改正で消滅。イベント改造編成「ホリデー・パル」を含む不定期の運用も、
1997年に消滅しています。この時期、寝台車については「三段式→二段式」といった
居住性が主な関心事でしたが、気がつけば幼い頃からの憧憬の形式が消えていた訳で、
駅撮りで良いから、せめて写真記録を残して置くべきだったと、今も、悔やまれます。
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21時55分から寝台利用ができるようになっておりました。
現行ダイヤを重ねると「新星」入線時刻の直前に仙台を発つ「やまびこ70号」が同夜、
午前様直前に東京に到着と、隔世の感ここに極まれりですね。兄弟分の「北星」共々、
東北新幹線の開業時に廃止されましたが、従前は「プラチナ・チケット」扱いだった
羽田〜花巻の航空券が「ブリキ板」に化けた、という比喩が、当時の報道で散見され、
何とも印象的でした。 |