▼クモイ 103様:
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その日1日だけトンネルと併存して運航されたのを最後に
この日は、鉄道で函館に向かい、連絡船で青森に戻る手合が多かったと記憶します。
三月下旬と、北国はまだまだ冷えるこの時期、徹夜待ちを厭わなかった「一番乗り
狙い」の行列がTVで紹介され、正に「鉄魂」を見る思いでした(^^)
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同年
4月10日の瀬戸大橋開通に伴い
これを受け「一本列島」を標榜した記念オレンジ・カードが多々販売されましたね。
私も、東京駅地下「JR北海道プラザ」や、丸の内にあるJR四国の事務所などで、
度々、物色したものでした。
海峡線開業直後の
3月20日から大橋開通までの一箇月弱、本四備讃線は、茶屋町〜
児島で暫定開業しましたが、これは「瀬戸大橋博」の観客輸送に対応する為でした。
上記「青函博」ともども、博覧会興行が何かと持て囃された時代でした。その一方、
拠点性を喪失した宇野駅は、その後の移転再編で、実に簡便化されたのですね。
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妄想序でに「保存候補地」として、地元・鹿島鉄道跡も挙げて置きます(^^)現在、
小川高校下以遠の線路撤去は進んでいない様で(鉾田駅跡は、車両の留置状況から、
記念公園の整備が予想されます)線路が湖岸に最接近する画像(桃浦手前)付近の
線路を恒久保存し、往年の「パンダ号」風味を演出するのは
如何でしょうか(^^)
そういえば「パンダ号」牽引に供され、ここ数年間、常陸小川駅に放置されていた、
あの「カバさん」は、その後、どうなったのやら?
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