倶楽部メモ(387)
平成19年10月 9日〜10月15日



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月 9日(火)16時58分52秒
タイトル 上下線の離合区間
▼理左衛門(バロン)様
> やはり物足りない…。高崎の全車連結して欲しかったです。

気動車を増結して 80年代よろしく「なつかしの奥羽線」でも演出しましょうか(^^)
そう言えば、当該編成の客車は旧型と50系、何れが使われたか、改めて思い起こすと、
記憶が曖昧ですね。

御掲出の画像は、郡山から本宮にかけての辺りでしょうか。郡山〜福島では、単線を
複線に改める際、ともすれば一元的な平坦地が続くと思われがちな中通地区にあって、
実は河岸段丘の趣が多々窺える阿武隈川沿いの地形を反映してか、少なからぬ箇所で
上下線が微妙に離れる事になった様で、撮影の足場には事欠かない印象ですね。

その最たる例が、金谷川前後の離合区間ですが、ETCを搭載していない我が貧乏車、
通称「クラッシュひたち」では(^^)松川のスマートI.C.が使えず、矢吹から遥々と
追いかけた臨時客レを、二本松〜松川の国道四号線の渋滞から、僅差で逃したという
痛恨事もございました。

常磐線で上下線の離合区間といえば、我孫子〜天王台と友部〜内原くらいのものです。
何れも間に車両基地を挟む事情によるもので、地形的制約に基く東北線のそれは少々
憧憬の対象ですね。

松川といえば、川俣線跡に並行した事業所専用線の入替機は、まだ「健在」かな?




投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年10月 9日(火)21時03分9秒
タイトル (無題)
雑魚様
この写真の撮影場所は、日和田駅の手前、旧4号線の陸橋からです。私しかいませんでした。
わたしが子供の頃は、東北本線の普通列車は10両前後の長大編成で、茶色・青混ざり43系と35系が半々ぐらいでした。
新幹線開業から電車化までの間は、全て5両単位に組みなおされ、かつ殆ど青い43系ばかりになり、5連か10連になりました。

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月12日(金)16時13分44秒
タイトル 夢空間
▼理左衛門(バロン)様
> この写真の撮影場所は、日和田駅の手前、旧4号線の陸橋からです。

日和田でしたか。あの辺りは在来線のみならず、新幹線もやや掘割気味で、磐越道を
通過する際、つい見逃しがちですね。

> 新幹線開業から電車化までの間は、全て 5両単位に組みなおされ、

特急・急行の削減・廃止でダイヤに余裕が出来た分、フリークェンシー・サービスに
移行したという事でしょうかね。常磐線も、特急が30分間隔で雁行する水戸以南では、
できれば「新在分離」が望ましいと感じます。その発想の延長で、特急のみ、TXに
誘導できないかという意見もあったとか(^^)

ようやく「トレイン・クルーズ」運用の「夢空間」を常磐線で捉える事が出来ました。
場所は御馴染み、内原〜赤塚「かたくり橋」です。たまには、もう少し趣向を変えて、
あちこち試したいところですが、10両以上の編成ともなると、安全策を取り、開けた
地形で狙う事になる為、どうしても場所が限定されがちです。

背後には、大型SCがあり、それに合わせて四方に通じる道路も整備されているので、
週末の「家族サービス」との整合性に鑑みても、何かと便利な場所なのです(^^)




投稿者 仙コリ@車掌(管理人)
投稿日 2007年10月13日(土)10時09分37秒
タイトル Re:保存客車近況
きむたお様
保存客車の情報ありがとうございました。
また、旅行に行っていたため遅レスとなってしまい申し訳ありません。

富山のオハフ45 2021が解体ですか。
富山のみならず北陸地方の保存客車が少なくなりましたね。
もっとも全国的に、ここ数年、食堂等に利用されていた車両の利用停止・解体が進んでいるようで、
旧客全廃から二十数年、車両としてメンテナンスされていない車両は、構造物としての限界を
迎えているのかもしれません。

いま現存している保存車両達には出来るだけ長くがんばってほしいところですね。

今後も保存客車情報をいただけると助かりますので、よろしくお願いいたします。
投稿者のホームページ



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年10月13日(土)22時01分5秒
タイトル なにやら不穏なうわさが...
せっかく気候がよくなってきたところに何やら不穏な噂が舞い込んできました...。
08年3月15日改正で「日本海」1往復、「なは/あかつき」「銀河」廃止か?というものです。
「銀河」については8月発売の鉄道誌2誌がそれを匂わせる特集の組み方をしたので、覚悟はしていましたが、
08年春ダイヤで夜行に大ナタが振るわれる可能性大、というのは本当のようです...。
騒ぎになる前に乗っておきたいものですが、連休がなかなか巡ってきにくい職種のため、
サテどうしたものかと、思案しております。
「北斗星」でさえ、以前ほどの活気が見られず、どうなってしまうのか不安になってきます。



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年10月14日(日)20時59分47秒
タイトル 鉄道博物館オープン
 本日オープンの鉄道博物館、早速行ってきました!
 私的に最大の収穫は、図書室がしっかりあるのを確認できたこと。
交通博物館にあったのと同じく閉架式で、当然ながら(?)広くてきれいになってます。
これでまた、鉄道公報や客車運用表、編成表などが調査できます(^^)。
 画像は、これも私的に外せない、「上野駅」のシーンです。
これ以外にも、意外なところで思わずニンマリのマニアックな趣向が見られますよ。
 今日は昼前から入場を打ち切る程の大盛況でしたが、まあ逃げるもんじゃありませんので、
皆さんこれからゆっくりお出でになってみて下さい。お勧めです!




投稿者 赤まんと
投稿日 2007年10月14日(日)21時09分55秒
タイトル やはりすごい反響ですね
クモイ103様。
さっそく行動されたそうで、図書室の存在はかなり気になっていましたので、編成記録を調べたい私には朗報でした。
4日間フォークリフト免許取得講習を受けており、客車から離れた生活でした。
東武50000に初めて乗ったのと、初日の自動改札トラブルに遭遇したのが鉄道との接点というお寒い日々でした。
まあ、その間に来春の夜行削減ニュースが飛び込んできたのですが...。
火曜日発売のマイクロエース「ゆうづる」セットに手を出そうか思案中の私です...。
「あいづ」はなんといってもクロ481の印象がとても強く、子供心にも凄みを感じていました。
タイフォンを鳴らしたときのあのシャッターの動きまで、
あの驚きから27年経ちますがありありまぶたの裏によみがえります。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月14日(日)21時59分34秒
タイトル ブルトレの去就
▼赤まんと様:
> 08年3月15日改正で「日本海」1往復「なは/あかつき」「銀河」廃止か?

具体的な是々非々は、公式に去就が発表された後にするとして、このところ鉄道誌の
特集内容を概観すると、確かに、かかる事態を示唆しているフシがある様に感じます。

赤まんと様が指摘された「噂」の出所にもよりますが「富士/はやぶさ」を差置いて、
運行時刻が概ね夜行便の有効時間帯に収まっていると見られる「なは/あかつき」が
取り沙汰されるのは意外でしたね。むしろ、下りは18〜11時台、上りは16〜09時台と、
寝台需要を完全に逸脱した時間帯にまで、運転時刻が及んでいる東京発着便の方こそ、
詮索の対象になり易いと感じていました。

下り「富士/はやぶさ」が東京を発つ 18:03以降、新幹線の博多行や航空機の大分行
および熊本行が、各々二便ずつ(新幹線の一本は、新大阪乗継による)ありますから、
それでなくとも、就寝するにはあまりにも早い18時台から寝台車を利用しているのは、
我々「鉄」を含む「物見遊山的な動機」を持つ行楽層などに限られるでしょう。

「なは/あかつき」の場合、九州での主たる乗降需要が博多なのか、それともやはり
熊本・長崎に直通してこそ意味があるのか、その辺を基準に逆算し、新幹線乗継割を
適用する事で「富士/はやぶさ」を集約する余地は無いのか、とも感じます。

以前より、列車の運行区間とは無関係の「なは」を名乗り続ける事に某かの違和感が
ありましたが、その辺りを巡る改称論も、存廃自体が取り沙汰される様では、もはや
意味を成さないかも知れませんね。

また「日本海」については、主な利用区間が畿内〜酒田・秋田・青森として、むしろ
今まで、二往復体制を維持する程の需要が、年間通してあったのか、と感じています。
現在、国際会議の場では「日本海」の呼称の妥当性が議論されているそうで、日本の
立場を明確にする意味から「日本海」の愛称自体は、末永く使われるかも知れません。

>「北斗星」でさえ、以前ほどの活気が見られず、どうなってしまうのか不安

青函隧道が開通した時点で既に、首都圏〜道央の旅客の九割が航空機利用でしたから、
元々「北斗星」は移動する事自体を楽しむ動機付けが宿命付けられていたと思います。
それなら「カシオペア」を編成増備の上、少なくとも隔日以上の運転頻度を確保の上、
従前の「北斗星」は繁忙期の波動輸送用とした方が、機能分担が明確かも知れません。

個人的に、現行の二往復体制のうち、一往復分は遠からず、何らかの変更があるかと
予想します。その場合、私個人の都合から、四号のスジは、現行通り残して欲しいと
切に希望するのでした。ちなみに、東北線沿線では水戸から最も近い宝積寺〜氏家を、
その四号が通過するのは 9:40頃。この時間なら、休日でも起床できます(^^)




投稿者 サボ好き
投稿日 2007年10月14日(日)22時01分38秒
タイトル 急行大和の件です。
 みなさん、はじめまして。旧型客車とサボが大好きな者です。
過去の記事の中で急行大和の和歌山市行編成のことを読ませて頂きました。
クモイ103様が大変お詳しく解説されておられ、お手持ちの資料も相当なご様子でしたので
クモイ103様にもおうかがいしたいと思います。
 急行大和の湊町行き編成は天王寺鉄道管理局竜華客車区持ちで、
和歌山市行の1両は東京南鉄道管理局品川客車区持ちの運用とおっしゃておられました。
そうしますと、掲示する行き先サボや愛称板も和歌山市行の車両には、天鉄局所属のものは装着されず、
行き先板は○東、愛称板は○品となっていたのでしょうか。
思い出の箱という鉄道写真を集められたホームページで
和歌山市駅で撮影された急行大和の寝台車の写真が掲載されています。
急行の愛称板が装着されているのはわかるのですが、○品のものか○天のものか読み取れません。
そしてこの写真は、昭和43年度のもので、使用されているナハネフ10には東シナ標記が見られます。
クモイ103様のお話では、和歌山市行きの設定は昭和37年3月からとあり、
お手持ちの資料からは昭和37年10月からの編成表を抜粋して掲載されておられました。(倶楽部メモ295)
 さて、空白の昭和37年3月から9月までの間もやはり和歌山市行きの車両は、東京南鉄道管理局持ちだったのでしょうか。
私の手持ちの資料に東京行×和歌山市行○天和(天王寺鉄道管理局和歌山市駅所属を意味する)なるサボがあります。
書体からは、昭和30年から昭和38年頃に製作されたものですが、サボと客車運用が同一という前提で推測すれば、
昭和37年3月から9月までは天王寺鉄道管理局が和歌山市行車両を調達していたことになるのでしょうか。
一般的には車両運用とサボ運用は同じ管理局内になると思われますのでこのように推測しているわけです。
 これまで私は、○東(東京駅所属)の和歌山市行×東京行の行き先サボ、
○品(品川客車区所属)大和の愛称板は見たことがありません。
湊町行×東京行○天湊の昭和30年代の行き先サボも実は見たことがありません。
昭和30年代の大和○天湊、やまと○天湊、大和○名(名古屋回転車)の愛称板と
昭和40年代の大和○天の愛称板と湊町行×東京行○天湊の昭和40年代の行き先サボは見たことがありますし、
昭和20年代の湊町行×東京行○天湊とやまと○天湊も確認しています。
驚くことには大和○天亀が存在し、すなわち、亀山駅または亀山客車区でも
大和の車両運用を持ったことがあるというものです。
亀山持ちの大和運用なんて本当にあったのでしょうか。
 行き先板、愛称板と客車運用との関係、天鉄局は和歌山市行き大和の車両を持たなかったのか
(素直に考えると東京南鉄道管理局よりも天鉄局、和歌山市の方が東京行き運用を持ちたがったように思えますが。)、
おわかりになれば教えて頂けませんでしょうか。サボが大好きなので、本当に悩んでおります。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月14日(日)22時03分51秒
タイトル せっかくの機会なのに ……
▼クモイ 103様:
> 皆さんこれからゆっくりお出でになってみて下さい。お勧めです!

来週の火曜日、さいたま新都心に出張があります(嬉)……え、休館日?(号泣)



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年10月14日(日)23時59分29秒
タイトル Re:急行大和の件です。
サボ好き様、はじめまして。
 私はサボのことは詳しくないのですが、サボに限らず、座席カバーやゴミ箱など車両の付属品には、
それぞれ独自の運用があると思っていました。
そうでなくとも、客車の運用は時として多くの局にまたがる複雑な行程となる場合もあります。
サボの担当を1局のみに限定していては、やって行けない様な気もするのですが…
 この点、詳しい方がおられましたらフォローお願いしますm(_ _)m。



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年10月15日(月)00時01分36秒
タイトル Re:せっかくの機会なのに ……
雑魚様、鉄道博物館公式サイトによると
> 2007年12月28日までは無休です。
とのことですよ。

http://www.railway-museum.jp/top.html



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年10月15日(月)13時15分27秒
タイトル 残念ながら...
公式発表まで、と迷ったのですが思わず投稿してしまいましたが、雑魚様、ほぼ確定事項のようです...。
関係者と接触のある人間からの情報ですので。
06年3月の「出雲」廃止公式ニュースはたしか前年11月半ばころだったと記憶しています。
完全確定となると、西日本は定期ブルトレから完全に手を引いてしまう気ではないでしょうか。
話は変わりますが「北斗星4号」は地元尾久を11時13分ころ通過し、編成記録を押さえやすく重宝なのですが、
いかんせん遅れることも結構多いのです。
宝積寺付近はまだ定時なのでしょうか?近所の模型屋さんでたまたまコンテナ好きなお客さんが
店主と話しこんでいるのを聞いたのですが、何でも、前を走る貨物に遅れが出ると一発でパア、なのだそうです。
貨物も遅れの修復不可能、つられて後続の「北斗星4号」も遅れる仕組みなようです。
真実は知りませんが、雪の季節でなくても、穏やかに晴れた日でも、休日でも遅れるときは遅れてやってきます。
15分程度のこともあれば、90分以上遅れることもあり、全く意識せず線路際を通っていると、
13時近くに通過してゆくこともしばしばです。
尾久へ「北斗星」撮影に来られる方は、重々注意を。
上野ならばアナウンスが流れるので、上野で張るのが無難だとおもいます。
いよいよブルトレは限られたものしか残らなくなり、96年2月から定期的に3300本以上続いた私の編成記録も
終末に近づいてきたようです。客車が減ってゆく...。
旅情を感ずる客車がなくなってゆくのは実に寂しいことです。
速くて便利なことだけが鉄道の価値ではないだろうに、とおもいますが、
感傷だけではどうにもならないことなのでしょう。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月15日(月)18時27分50秒
タイトル 「北斗星」 の保険体制
▼クモイ 103様
> 鉄道博物館公式サイトによると「2007年12月28日までは無休です」とのことですよ。

あ、それは良かった(安堵)よ〜し、今夜は前祝で取って置きの吟醸酒を開けますか。

▼赤まんと様:
> 関係者と接触のある人間からの情報ですので。

JRに関係する知人から、ガセを掴まされた事がある身としては(^^)一縷の望みを
なおも託したい処ですが、まあ、需要あって何ぼですから、無くなるなら無くなるで
仕方ない事なのでしょう。これが事実とすれば、繁忙期の波動輸送体制はどうなるか、
そちらも気になる処です。もっとも、繁忙期の為だけに客車を温存するのは非効率?

> 宝積寺付近はまだ定時なのでしょうか?

日頃の行いが非常に良い私の場合(^^)件の定番地で「スカ」を食らう確率は恐らく
一割以下でしょう。一方、厳寒期に 4号を撮りに行った処、大幅遅延の 2号と併せて、
殆ど雁行状態にて通過という、利用者にとっては忌々しくも、撮る側には都合の良い
事例もありました。

私が撮りに行くのは、殆ど週末に限られる為、仮に「北斗星」がスカでも、国鉄色の
485系快速「フェアーウェイ」や、115系の長大編成(既に廃止)など「保険」も多く、
旧上河内町域の羽黒山から日光連山を眺めれば、溜飲も下がるのでした。

本日、岩手山で初冠雪が観測されたそうですが、雪の季節になると、これまた定番の
足場ですが、松川〜金谷川の上り線高架区間で、吾妻連峰を背景に撮影したいですね。
この処 583系の「会津ライナー」運用が断続的に続いている事にも鑑み、郡山在住の
管理人様(理左衛門様も?)が、本当に羨ましく思われます。

583系といえば「SL 会津秋まつり」を撮りに行った際、DJ誌の調達が間に合わず、
午後の上り「会津ライナー」に当該車の運用が入る事を知らぬ侭、裏磐梯ドライブに
現を抜かしてしまい、今頃になって痛恨の極みという次第です。嗚呼、下手こいた〜
………でも、そんなの関係ねぇ!! チントンシャンテントン(^^)



 
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