倶楽部メモ(379)
平成19年 8月29日〜 9月 7日



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 8月29日(水)18時25分0秒
タイトル ありがとうございます
ぱわつよ様、赤羽駅でのレポート大変参考になりました。どうもありがとうございます。
昨年は確か20時30分ころ尾久を出庫していたようにおもいます。
赤羽21時15分頃ならば上野21時05分発となり、昨年と同じ20時30分頃尾久出庫だったのだと推測されます。
来年も設定あるかはわかりませんが、メモにとっておき、活用しようとおもいます。
肝心の「あけぼの」ですが気がかりなことに、向こう1ヶ月も増結計画が全くなく、しばらくは8両で走るようです。
9月中旬の連休は「銀河」の増結計画があるにも関わらず。
地味ながら元気な印象が強かった「あけぼの」ですが、やはり乗客減少は続いているのでしょうか。
ちなみに昨夜の「あけぼの」は相変わらず金、白の帯色混在ですが、
よく見ると3号車のみ25形で、残る車両は24形で組成されており、形式面で見るとなかなか純度(?)が高い編成でした。
画一的でややつまらない印象がある14,24系も、客車そのものが貴重になったいま、
見直してみると新たな発見があるかとおもいます。青森車しかり、宮原のオハネフの帯の回し方しかり。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 8月30日(木)10時35分46秒
タイトル 御礼
管理人様
早速のご回答ありがとうございますm(_ _)m
機会を見て訪れたいと思います。
廃線になった後バスで訪問しました。
バス停からトボトボ歩くと見覚えのある屋根が(^^)保存状態は良い方でした。
地元の皆様が手入れなさっているのでしょう感謝であります。
新車を買った友人がドライブに行きたがっているのでどうやって口説こうかな(^^)
それまで近所に出来た喜多方らーめんのお店でがまん(><)



投稿者 客車が好き!
投稿日 2007年 8月31日(金)15時31分27秒
タイトル
(無題)
 日活のアクション映画には国鉄時代の客車列車がよくでてきます。
まず、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズ
「電光石火の男」「不敵に笑う男」の冒頭は列車の中、「抜き打ちの竜」の冒頭は操車場。
「明日なき男」は岐阜駅頭。
そして「紅の拳銃」のラストの車内シーンは涙もの。
渡哲也の「東京流れ者」は蒸気機関車が客車を牽引すろ遠景、米坂線の列車交換。
旧客車に会いたいときはこれらの映画を見ます。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 8月31日(金)18時21分26秒
タイトル D50の磐越西線
 このところ話題尽きぬ磐越西線ですが、私にとって、磐越西線と聞くと真っ先に浮かんでくるのは、
大好きなD50が牽引する列車の姿です。
初めて磐越西線の列車に乗ったのは中3の夏に猪苗代で宿泊学習があった際で、牽引機はもちろんD50。
次は、高校の地理研の調査旅行で新潟方面に向かう際で、
郡山〜会津若松はD50牽引、会津若松〜新潟はC51牽引でした。
 この2回とも、走行中の列車の窓から前方を撮ったり、途中で交換した列車を数枚撮った程度でしたが、
磐越西線の列車を撮ろうと思って出かけたのはS40年の夏の1回のみです。
それも、国立磐梯青年の家で合宿があった際に、朝早く家を出て、夕方の集合時刻までの時間を利用したものでした。
 当時、郡山〜会津若松間にはまだD50が健在で、その他D51,D60,DF50などが活躍していました。
この合宿の期間中に、打合せのため猪苗代〜郡山間を2往復する機会があり、
郡山でスハ50やスユニ30、ED71の列車(マユ33組込み)などを撮りましたが、
今思うと、中山宿の風景を撮らなかったことが残念でなりません。

 画像は、猪苗代を発車した225レ(コリ→ワカ) D50377(磐) S40.8.17




投稿者 仙コリ@車掌
投稿日 2007年 9月 1日(土)00時03分5秒
タイトル Re:D50の磐越西線
ホエ7030様
貴重な画像ありがとうございました。
撮影された日にはかろうじて生まれている年代の私にとっては磐越西線の機関車といえばED77なのですが…

私の最も古い鉄道の記憶は、熱塩加納の母親の実家に行った帰り、国道49号線で渋滞中の車中から見た、
中山宿近辺のトンネルを抜け、上り勾配を驀進してくる蒸気機関車牽引の貨物列車だったりします。
その蒸気機関車を勝手にD51と思い込んでいましたが、D50だった可能性もあるのでしょうか?

当時小学校低学年で、まだ鉄道好きは目覚めていなかった(自覚したのは中学校に入った頃です)のですが、
考えてみれば私の人生で最も古い鮮明な記憶ですので、それが最初のきっかけだったのかとも思います。

郡山でスハ50やスユニ30・マユ33…もう少し早く生まれていればと本当に思ってしまいます。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 9月 1日(土)14時41分56秒
タイトル 磐越西線 回顧ネタ
▼ホエ7030様:
> 画像は、猪苗代を発車した 225レ(コリ→ワカ)

非電化時代の磐越西線の紹介写真では定番構図ですね。架線や柱が無いと、これ程に
開放的な印象を受けるものですね。

1965年というと、上野〜郡山で山形発着編成と多層建を組むキハ80系「やまばと」が
運転を開始した年で、行先を区別する為「会津やまばと」とも称されました。三年後、
いわゆる「ヨンサントオ」改正では 485系特急「あいづ」に移行。キハ80系の運用は
僅かな期間のみ見られた貴重な代物でしたが、こちらは御覧になられたでしょうか?

磐越西線は、改正の前年に郡山〜喜多方が一括電化されていますが、方向転換を伴う
会津若松は、広域拠点都市の中心という事もあり(かつては、福島県域最大の人口を
誇った模様)列車の運行系統上も、当時から大きな結節点となっていたと思われます。

子供の頃、仙台発着「まつしま」と多層建を組んだ「ばんだい」に乗った印象として、
電車便(当時、電車は特急・急行に限られたと記憶します)の喜多方直通枠は決して
大きくなく、案外、喜多方駅から引込線が延びていた昭和電工の貨物輸送が、電化の
主たる動機か、とも感じますが、これとて会津若松でエンド交換の手間を要しますね。
現在、会津若松〜喜多方の定期電車便は一日四往復です。

上記「ばんだい」は上り便の利用でしたが、郡山手前では、合流する東北線の線路に、
併結相手の「まつしま」が待機していた光景が何か印象的でした。この逢瀬川橋梁は、
仙台以南の複線化が完了した1967年以降も、青森信号所よろしく、なぜか「スポット
単線区間」で残っていました。上記便の待機は、その辺の事情もあるのかも?

往年の磐越西線の名(迷)列車といえば、多層建の極みを尽くした「いなわしろ」が
挙げられますね。自身が会津・只見線に跨った分割仕様で、新潟発着の「あがの」や
磐越東線の「いわき」を含めると編成内容は実に複雑怪奇で、乗客自身、乗車部位の
確認に一苦労する、ある意味「ミステリー列車」状態だった様です(^^)



投稿者 ビギナー
投稿日 2007年 9月 1日(土)23時10分13秒
タイトル 質問・旧型客車の座席番号
どなたか詳しい方、教えていただけませんか?
高崎の旧型客車の座席番(A、B、C、D)の、窓側・通路側の番号を知りたいのですが・・・

すみません。場違いな質問でしたら、ご指摘があれば削除します。



投稿者 仙コリ@車掌
投稿日 2007年 9月 2日(日)10時32分8秒
タイトル 旧型客車の座席番号について
ビギナー様
座席番号について詳しくはないのですが…
旧型客車に限らず、ボックスシートの車両の座席はA・B席とC・D席が向かい合わせになり、
A席とD席が窓側となります。
車両全体でみると、1Aと2Aの席が車両の端の席となります。
具体的に簡略図で書きますと

窓側
 2A 2D|4A 4D| 〜
 2B 2C|4B 4C| 〜
通路側
 1B 1C|3B 3C| 〜
 1A 1D|3A 3D| 〜
窓側

といった具合になります。

1Aと2Aの位置関係は上図のような配置が一般的ですが、逆になっている車両もあるようです。
(高崎の車両にも存在します)
このあたりの事情はわかりませんので、どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらフォローして
いただけると助かります。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 9月 2日(日)18時41分45秒
タイトル 磐越西線のDF50
>管理人様、雑魚様

 猪苗代発車のD50にコメントをいただき、ありがとうございます。
何の変哲もない列車風景ですが、D50大好きの私にとっては、何度見ても懐かしさがこみ上げてきます。
今思うと、もっと何回も通えばよかったと思いますが、残念ながら、貧乏学生の身分ではなかなかかなわない時代でした。
 この列車を撮った時は、他にもD51やD60の旅客、貨物のほか、
ヘッドマークを付けたDC準急「いわしろ」なども撮りましたが、
思いがけなくDF50牽引の急行を撮ることができました。
 郡山には、1962年の9〜10月にかけてDF50が3両(564〜566)新製配置になり、
およそ5年後の67年7月と9月に米子に転出して行きました。
運用の実態は分かりませんが、磐越西線で活躍する姿の写真を
ほとんど見かけないような気がしますのでご紹介したいと思います。

 2410レ・第2ばんだい(会津若松→上野。郡山から410レ・ざおう2号に併結)
 DF50565(郡) S40.8.17 猪苗代〜川桁




投稿者 ビギナー
投稿日 2007年 9月 3日(月)20時29分8秒
タイトル 仙コリ@車掌様 ありがとうございます
ご教示いただき、本当にありがとうございます。
参考になりました。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 9月 5日(水)13時57分59秒
タイトル 箱型 DL
▼ホエ7030様:

DF50は、磐越西線でも活躍していたのですね。この機関車は、最晩年の活動域から
四国固有の形式という印象が強いのですが、私が四国を初めて訪れたのは、同形式が
完全撤退した直後の1984年。その様な訳で、山陰方面で活躍したDD54と共に、実際
目にする事も無く消えて行った「幻の箱型DL」という趣です。

同形式を画像検索すると茶色塗装も存在した様ですが、ホエ7030様が目撃されたのは、
通常の赤色塗装でしょうか。色合いから「ブルトレ」ないし12・14系の牽引も、絵に
なりそうですが、かかる組み合わせが 実際に行われたのは、日豊線における「富士」
ないし「彗星」くらいかな。

現存の箱型DLというと、除雪車にも供され、最近では「ばんえつ物語」用の12系を
牽引したDD53が連想されます。形式から、DD54の方が後発という事になりますが、
DD53の製造(僅か三両のみ)が1965年、DD54の量産がその翌年との事。DD53は
除雪の際、飛ばした雪が沿線の民家を損壊する程の高出力が仇となり、量産するには
至らなかったのだとか(^^)

暖冬気味の昨今、この磐越西線を含め、除雪車の出番も相当減っているのでしょうね。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 9月 5日(水)16時10分9秒
タイトル ボックス 仕様の 指定席
▼管理人様:
> 旧型客車に限らず、ボックスシートの車両の座席は A・B席と C・D席が
> 向かい合わせになり、A席と D席が窓側となります。

かつて通学で旧客に乗る度、かかる席番の表示を見て、指定席を設定する様な事例が
想定されるのだろうか、と感じたものでした。現在、一般乗合において、ボックス席
仕様の座席指定というと、SLやトロッコ列車のほか「あいづライナー」代走版など、
583系 運用便が挙げられますが(急行「きたぐに」ハザは全車自由席)定期便ですと、
ちょっと思い当たりませんね。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 9月 7日(金)12時00分43秒
タイトル Re:箱型DL
 皆さま、台風による影響はいかがでしょうか。
今日上野に帰ってくる「夢空間」の走行写真が撮れなくなったことも残念ですが、
我家ではカーポート屋根の波板が2枚も吹き飛ばされてしまいました。
幸いにも割れず、隣と3軒先のお宅から回収できましたので、暴風雨が収まったら復元しなければなりません。
今春の強風の際には見ている前で瓦が飛ばされ、災害続きでショックです。

>雑魚 様

 私は、箱型DLは結構好きです。
常磐沿線の私にとっては、何と言っても馴染み深いのはDF90ですが、
DF50も、奥羽線や山陰線、四国などで僅かながら走行写真や形式写真を撮る機会に恵まれました。
他に、見たり撮ったりできたのはDD53(観光バスの窓から貨物列車走行中)、
DD54(停車中の列車と形式写真)、DF91(形式写真)、
DF93(借入れ前の展示、電車の窓から総武線の貨物および勝田〜水戸工場間社員通勤列車牽引)などです。

 DF50は、落成時はすべてブドー色だと思います。
DLの塗色が朱色とグレイに白線になったのは、多分1963年度後半か64年度あたりからだったと記憶しています。
私が猪苗代で撮ったDF50は、この新塗色になっていました。

 DF50は水戸工場でも製造されましたので、落成出場時に勝田駅や水戸機関区に居るところを何度も目撃しましたが、
私にとって忘れられないのは、DF50の落成直後の、国鉄への引渡し試運転に乗せてもらったことです。
もう40年以上も前のことで時効でしょうが、父の知り合いの国鉄の監督官(試運転に立会う立場の方)の計らいで、
水戸〜土浦を往復しました。
乗り心地がまるで電車みたいに非常に良く、途中で軸受けの温度を測ったり、加速性能を調べたりしていたのを覚えています。
職員が何人も乗っていましたが、ある機関士が、ノッチをいきなり最高レベルまでもって行ったらすごい加速でしたが、
先輩格の職員に「飛びノッチをやっては駄目だよ」と叱られていました。
この時初めて、閉塞信号機の番号が第4閉塞、第3閉塞・・・・と言うように逆の順番になっていることを知りました。

 現在では考えられないようなことですが、水戸駅構内入換えの8620に30分間も乗せてもらったこともありました。
(どこかに掴っていないと振り落とされそうな乗り心地でした。)
 長万部でニセコの前補機になるC62を撮っていたとき、機関士に「築港まで乗って行け」と誘われたこともありました。

 ↓ 432レ DF901+マヌ3429 S37.11.20 小木津〜日立




投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 9月 7日(金)13時07分45秒
タイトル 訂正です
 DF90のお供の暖房車の番号は、3429ではなく3423です。お詫びして訂正いたします。
 この暖房車の所属は「水ミト」のはずですが、相当長い期間「東オク」のままになっていました。
(最後まで書き換えられかったかどうかは不明)
 しかも、「東マヌ」「オク3423」と読めるような標記の仕方でした。



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから