倶楽部メモ(372)
平成19年 7月19日〜 7月29日



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 7月19日(木)20時29分16秒
タイトル 日が経つにつれ...
みなさまこんにちは。中越沖地震の被害状況をテレビで観るたび、その深刻さにただただ、唖然とするばかりです。
今日は夜勤から帰って初めて青海川駅の被災状況を観ました。
通勤のたびにホームのテロップで、夜行列車運休の報を目にしますが、
この状況では、ほんとうに復旧の目処は立っておりませんという、駅の案内が重く感じられます。
昨日の朝、仕事帰りに上野地平ホームに下りてみましたら、当然、「あけぼの」は到着しておらず、
話によると2時間あまり遅れ、9:03頃到着予定とのことでした。
「MAXたにがわ」2本に振り替え措置が取られたとのことで、合わせて90人程が降りてこられますと駅員の話。
夏休みまえの平日にも関わらず、100人程度は乗っていたことになり、来週からは2両とはいえ増結計画があり、
貴重なかきいれ時を前にしての今回の災害は、夜行だけでなくもちろん、地元の方、
でかける計画を立てていた多くの方にはまことに気の毒におもいます。
長期運休を余儀なくされた「北陸」はまだ出発収容線に入ったままで、
今日は週末動くであろう、「夢空間」編成と並んで休んでいました。
このまま運休が続くと、洗浄線に留置になるとおもわれます。
夜行列車がどんどん減り、尾久もずいぶん寂しくなりました。広い敷地がもったいなくおもえます。
いずれ再開発で縮小されてしまうのではないでしょうか...。E231やE531がやたら目立ちます。



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年 7月22日(日)10時38分35秒
タイトル 「大鉄道博覧会」
 いつも総武線の車内から見上げるだけだった「江戸東京博物館」に、初めて行ってきました。
両国駅のすぐ近く、国技館のとなりにそびえる巨大空中要塞(笑)のようなアレです。
 お目当てはもちろん、すでに一部で話題になっている標記の特別展です。
製造から100年経過した今も厳しいボイラーテストをパスして走行可能な日本最古の“現役”SL「下工弁慶号」や、
ずらり並んだ300両の歴史的な鉄道車両の模型などなど、盛りだくさんの展示で楽しめました。

 私的にツボだったのは、旅客車の神様・星晃氏のインタビュービデオと、青大将の展望デッキのモックアップ。
欲を言えば、内部に豪華なソファを置いてほしかった気もしますが、そうすると座り込む人がいて困るでしょうね。
 「かつぎ屋さんの荷物」が置いてあってその重さを体験できるところは、
「船の科学館」の青函連絡船大雪丸にもありましたが、この江戸東京博物館では、
常設展示でも江戸時代の千両箱などの重さを体感できるコーナーがありますので、その流れなのでしょう。
ちなみに私は、千両箱は持てたけれど、かつぎ屋さんの荷物はふらついてダメでした(^^;。

 「大鉄道博覧会」は夏休み一杯開催されているようなので、皆さんも一度お出でになってはいかがでしょうか。
料金は、「大鉄道博覧会」だけを見るには一般1300円、「常設展示」との共通券は1520円(常設展示のみは600円)です。

江戸東京博物館HP:http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/




投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 7月23日(月)11時55分22秒
タイトル 元鉄道小僧日記(東京編3)
昨日、社用で東日暮里のマンション建設計画地に現地調査に行った帰りに
日暮里から京浜東北線で赤羽に戻るのはもったいないと思い、わざわざ上野まで出て宇都宮線に乗車し、
正午ころ尾久駅ホームから車両基地を眺めていました。
既に7/31まで運休が決まった北陸と能登が寂しそうにならんでいました。
北斗星をクリーンデッキに運び終えた基地の主役のDE10もいつもより心なしか暇そうです。
赤羽まで戻ったら3-4番ホームの大宮よりに鉄道小僧達が4名ほど陣取っていたので何かと思ったら12:15分頃、
EF65(もしかして64)に牽引された臨時列車ゆとりがホーム通過とは思えない高速で走り去って行きました。
先日まで駅構内に「急行しらゆき」のイベント告知のポスターが張っていたりしましたが、
ターミナル駅故、人込が多いとつい、まじまじと見つめたりシャッター切るのもためらってしまいます。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月23日(月)18時01分6秒
タイトル 「北陸」 雑考
▼赤まんと様:
> 客車ファン垂涎の環境に住む赤まんとと申します。

茨城県は那珂川で釣り上げられた雑魚と申します。尾久とは、なかなか結構な場所に
御住まいですね。私はかつて王子の近所で北区民を装っていましたが、王子〜尾久は
距離こそ近いものの、往来が面倒な位置関係だった為、今にして思えば誠に勿体ない
限りですが、都電荒川線にばかり、気を取られていました。

> でかける計画を立てていた多くの方にはまことに気の毒におもいます。

「ぶる〜とれいんにのってみたい」という我が稚魚共のリクエストもあり「北陸」で
久々に金沢でも行こうか、などと計画を立てていた矢先の事でした。報道映像で見る
青海川駅は相当のダメージを受けた様ですが、被災された方には御見舞いを、そして
犠牲になった方には御悔みを、衷心より申し上げる処です。

北越急行では早々に運転を再開した様ですが「北陸」や「能登」の経路に充てるには、
物理的に困難が伴うのでしょうか。夏休みという一大行楽期にあって少しでも復旧が
早まる事を願うばかりですが、現時点では、再開時期の目処すら立っていないのかな。

それにしても「銀河」の東京〜大阪は別格として、総延長 500km余と、寝台需要には
やや短い距離で、しかも急行が全区間を補完する「北陸」が今日なお、定期便として
健在なのは意外な気もします。東京からは「直接」到達できない線形の産物ですかね。

いずれ「あかつき」よろしく「北陸」に14系ハザを組込み「能登」の需要を集約する
措置もあるかな、と想像しますが、そもそも、こうした運用に回せる14系座席車自体、
JR東日本は皆無、JR西日本でも下手すると一編成のみ?………いや、それ以前に、
2014年に北陸新幹線が全通すれば、並行在来線の処遇にも鑑みて、夜行便の存続自体、
危ういですね(その時「北陸線特急御用達」の北越急行の趨勢やいかに?)

▼岩崎安房守義将様:
> DD51機牽引 … と言うだけで何か特別です(笑)

今年も同様の陣容と拝察しますが、週間天気予報を見ると運転日は両日とも曇天とか。
ちとがっかり。9336レと9343レの合間は、留置中の(宇都宮駅構内?)12系を撮るか、
それとも「SLもおか 2号」を狙うか(昨年は重連でした)色々と迷っています。

▼ぱわつよ様:
> 先日まで駅構内に「急行しらゆき」のイベント告知のポスターが張っていたり

「しらゆき」と言えば、後年「白鳥」に発展解消した金沢〜青森の気動車急行ですね。
新津の二両編成を以て、直江津〜酒田で再現運転されたと聞きますが、この陣容なら、
越後線経由で「ひめかわ」を演出した方が、現実味があった様に感じます。所属する
車両区の管轄域から申せば「あがの」も良いですね。




投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 7月23日(月)20時46分23秒
タイトル 「北陸」気の毒ですね。
雑魚様初めまして。王子にかつてお住まいだったとは...。
自転車か原付でもあれば尾久との行き来はさほど骨ではないと思うのですが、
たしかに位置関係はやや、微妙な感じはします。
繁華街がなく、わが地元田端、尾久、王子近辺はまこと住みやすい環境としみじみ思います。
最近はこぎれいなマンションも多く建ち始め、各ターミナルへのアクセスのよさが評価されだしたこともあってか、
家賃相場は上がり気味です。自宅の正面にマンションが建ち、居間の窓から列車を眺められなくなり、8年が経ちます。
前置きが長すぎましたが、「北陸」は数年前にやっと粗悪塗料を使いきったこと、ここ最近全検時期にあたったことで、
比較的きれいなのが救いです。
運用から外れてふた月ほど経つオハネ14 82が6年半ぶりの全検入場中では?と推測しています。
おおよそ6〜7年周期で全検にあたっており、大半は04年以降の全検、洗車もきちんと行っている様子。
少なくとも名門のはずの京都に籍をおく「あかつき」用14系のように、埃と排気ガスで煤け、
窓という窓は汚れで曇った状態ではありません。
昨年9月に大阪で編成記録取った際、汚いなあと思いオロネ14の妻面チェックしたところ、
全検から半年しか経っていないのには呆れたものです。
「銀河」「あけぼの」もよく見にいきますが、わりと手入れはされているように思えます。
とくに「あけぼの」は内装も明るい色調で、こちらも05年あたりから全検ラッシュできれいな車が多く、
乗客も週末を中心にゴロンとシートからぞろぞろ降りてきます。
まだ雑誌で紹介されていないようですが、昨年12月全検出場したオハネフ24 22を皮切りに、
以降全検にあたったオハネフの車掌室屋根上に、防護無線アンテナのようなものが設置されています。
「日本海2,3号」の運用にも入るかと思います。
残念ながら、もはや遊んでいる車を夜行の座席車に有効活用、という段階ではないようで、
とにかく残しておくだけで保守に手間、お金がかかり、老朽化も進んでいるため即、廃車、
というのが現実になってしまっています。
雑誌記事に幾度も書かれているとおり、惜しいと思うなら実際に乗り、撮り、記録を残し、記憶に焼き付ける、
後世に語り継ぐ、というのが、我々にできる最も有効な手立てとの印象を強く受けます。
「北陸」は私も乗ったことがありません。
現在使われている車両の大半は、向日町に新製配置され、関西ブルトレ運用〜「日本海」という
とんでもないロングラン運用をこなしたグループです。
スハネフ14 20、27を除き来年で尾久の地に異動して30年になります。
スハネフ14 20,27はかつて品川で九州ブルトレに活躍していたのが、国鉄末期に尾久にやってきたものです。
車齢35年。塗装はきれいですがさすがに近くで眺めると、外板が波打ち、疲れがありありわかりますね。
きちんと手入れしてきた現場の方々には頭が下がります。
機会ありましたら、都電9000形にも会いにきてあげてください。
以上、元 魚屋の、赤まんとでした。



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 7月23日(月)21時04分30秒
タイトル ニアミスしております
連続の投稿失礼いたします...。
私は今日は休みだったため、ぱわつよ様が尾久ホームから基地構内を眺めておられるちょうどその時間帯に、
自転車で駅前から線路沿いを通っていました。
サイクリングも趣味のひとつなので、天気さえもてば、川を渡り遠く蕨方面まで飛ばしたりしているのです。
小雨が時々降るような天候のため、今日は近場ばかり走り回っていましたが...。
午後、回送線の踏み切りを通ったところ、親子で高そうな機材を構えて何やら待っている様子。
ハテ今日は「カシオペア」は来ないし、「北斗星1号」回送までは1時間半くらいあるし...ジョイフルトレインかな?
くらいにとらえていたのですが。なんと、上野にE655がやってきたようで、ハハア、狙いはソレだったかと。
好きな方には甚だ申し訳ないのですが、どうも私はE655系が次世代のお召し列車だとは納得しかねるところがあります。
もう少しなんとかならなかったのでしょうか。
お召し車は鎌倉、ほかは尾久配置だとの噂をききました。
客車区ではなくなり、羽を休める車両も、お召しも電車になるなど、
時代の流れで仕方ないと、わかってはいても何か寂しいものを感じます。
DE10、たしかに地震以降、さらに働く時間短くなり、今日のような曇天模様ではことさら寂しく映りますね。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 7月24日(火)09時29分14秒
タイトル 元鉄道小僧日記(東京編4)
赤まんと様はじめまして。
先週の日曜日に2回目の成人式を向かえたぱわつよでございます。
幼少〜思春期を裏東北(青森・秋田・山形)で過ごし、王子に本社がある二流工務店に勤務して十余年。
四半世紀に渡って封印されていた鉄道魂ですが、ひょんなことからこのラビリンスに迷い込み覚醒させられ
3月あたりから知識も無いのに昔の記憶だけで書き込みさせていただいております。
ここに活動されている方たちは、知識・見識の深さは勿論、行動力も並外れていて、
私の貧相で曖昧な書き込みに対しても事細かに解説していただいたりして
穴だらけのジグソーパズルを埋めていただいているような感じです。
普段平日は赤羽駅の7-8番線しか使用していませんが、日曜日などは上野方面で地味に北斗星を見たりしています。
赤まんと様が生息している尾久駅はほとんど通過するだけですが、
停車時には必ず新幹線高架橋の方に夢空間が停車していないかチェックし、
停まっていたら内心「ラッキー」と小さな幸せを喜んでいます。
そういえばつい最近、次世代お召し列車が公開されましたね。
新聞記事だったのでどんな意匠か詳しくは見えませんでした。
皇室専用車(センチュリーロイヤル)も新型になりましたが、一点物という性質故、メーカーが威信と名誉をかけて
世に送り出してるので一般人が中に入って触れられる機会は無いと思いますが、興味は尽きません。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 7月24日(火)09時41分7秒
タイトル 補足・・・
連続投稿すみません。
ちょうどgooニュースに新型お召し列車の記事が掲載されており、ツアーなど一般向けにも使用され、
皇室利用時は前後に菊の紋章を付けて運行されるみたいです。
一般人が乗る機会が無いなど早とちりしてしまい申し訳ないです。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月27日(金)16時50分18秒
タイトル 明日は烏山♪
▼赤まんと様:
> 繁華街がなく、わが地元田端、尾久、王子近辺はまこと住みやすい環境

そうですね。王子の場合、昼は音無川の親水公園や飛鳥山公園で呆け、夜は王子駅の
ガード下の定食屋や飲み屋に入り浸る快適な日々でした(^^)当時、同僚の持ち歌を
横取りする形で、自分のレパートリーに加えたカラオケ曲は数知れず………(^^)

尾久というのは不思議な駅ですね。都区内にありながら、緩行線はこの辺りに限って
別の場所を通過する為「中電」しか停まらず、ひとたび乗ったら次は上野か赤羽まで
連れて行かれてしまう。こうした使い勝手の悪さゆえに、尾久駅なら自宅至近なれど、
わざわざ田端駅まで歩いていた知人がいましたっけ。

あの辺りは、山手貨物線や三河島に至る田端貨物線との交錯振りも萌えですね。以前、
この三角線を使って、常磐線の臨時「ひたち」が新宿まで乗り入れた事がありました。
王子駅付近で進行方向を改めた事と思いますが、こうしたマイナー経路好きとしては、
乗って置くべきだったかと、些か悔やまれます。

かかる「マイナー志向」で印象深いのが、以前にも言及しましたが、1989年の横浜博
開催に合わせて、新宿〜桜木町で運転された「サロンExp.東京」による快速「サロン
横浜博」でした。山手貨物線から蛇窪信号所経由で品鶴線に入る経路は、現在でこそ
湘南新宿ラインで御馴染みですが、当時は新鮮でした。そして、真骨頂と言うべきが、
鶴見〜桜木町の高島貨物線で、地下化される以前の高島町貨物駅は懐かしい存在です。

同じ頃、立川や大宮から舞浜に直通する臨時快速にも乗りましたが、友人に至っては、
何かの企画列車で府中本町〜新川崎の武蔵野貨物線を試乗しており、臍を噛んだ次第。

> 残しておくだけで保守に手間、お金がかかり、老朽化も進んでいるため即、廃車

だったら、最初から造らなきゃ良いのに………という訳にも行かないのでしょうかね。
数年前の春、先輩の12系を差し置いてJR東日本で「先立った」14系座席車の場合は、
老朽化以前の問題として、用途上の融通が効かない側面があった様子ですね。かつて
ワイド周遊券の旅では、東北や北海道にて散々「世話になった」車両だけに、せめて
一編成くらい残して置けば、高崎の12系と同様「人気者」になったかと悔やまれます。

高崎の12系といえば、明日はいよいよ「烏山山上げ祭」運用ですね。昨年の教訓から
軽自動車で行こうと思います。明日の那須烏山市および高根沢町では、午前中に少し
晴れる程度で、あとは生憎の曇天だそうですが、どうか、通過時だけは晴れます様に。
その様な訳で、首尾良く撮れたらこちらに画像アップ致しますので、乞わない御期待。

> 元 魚屋の、赤まんとでした。

おお、それは御世話になります(^^)



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 7月27日(金)23時44分59秒
タイトル <北陸>の旅
金沢に雪が降ったよと名古屋に赴任している友人から電話が。
雪の兼六園を見学したいと思っていた私にはかっこうのエサでした。
名古屋で待ち合わせして<しらさぎ>で金沢入りしたのですが小雨で雪は無し(;.;)
結局おみやげを買ったりして男二人で寂しく過ごしました。
ちなみにその時買った九谷焼のご飯茶碗は今も健在です(^^)
夕方になりしらさぎに乗る友人を見送った後さてどうしよう。やっぱり|居酒屋|^;) 
だんだんとお客が少なくなり従業員はトランプで遊ぶ始末。
お客さん一緒にやりませんかの言葉に乗り結局<北陸>の発車直前までになりました(^^;
寝台車ではもう酩酊状態で上野まで意識不明(^^)

山あげ祭号切符取れませんでした。妖怪雨フラシがいないので良い写真が撮れるでしょう(^^)  
私は会社で妖怪雨フラシと呼ばれています。そういえば水戸観梅も・・・



投稿者 仙コリ
投稿日 2007年 7月28日(土)22時12分35秒
タイトル 本日の磐越西線
本日は烏山「山上げ祭号」の運転日だったようですが、天候はどうだったでしょうか?
私の地元の磐越西線でも「SL磐梯会津路号」の運転日だったので、撮影してまいりました。
今日は天気が良かったのですが、夕方になると急激に曇ってきまして、雨もパラパラと降り始め…
列車の通過時刻に近づいた頃なんとか雨は止みましたが、当然おもいっきり曇天でした。
本日は「SL磐梯会津路号」の他、特急「あいづ」運転に伴う快速「あいづライナー」の583系代走などもありましたので、
1時間程度の間に、12系・485系・583系・719系と、磐越西線としては多種多様な車両が走りました。
曇天ゆえ(いえ、私の撮影技術ゆえ…)あまり良い画像ではありませんが、本日17:45頃から18:35頃に、
磐越西線安子ヶ島駅−喜久田駅間で撮影した列車達です。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月29日(日)00時06分36秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 01
> 磐越西線としては多種多様な車両が走りました。

おお、数年前に旧塩川町域で「白虎」「ホリデーあいづ」「SLばんえつ物語」など
纏めて撮った時の感動の再来ですね。郡山市域ですと、私は、磐梯熱海温泉の東側の
国道49号線新旧分岐点の辺りから郡山方向を俯瞰するのが撮影の定番です。

> 烏山「山上げ祭号」の運転日だったようですが、天候はどうだったでしょうか?

御覧の通り、自称「妖怪雨フラシ」の方がいらっしゃらなかった為か(失礼)午後の
一時期を除いて、概ね好天でした。これは宝積寺分岐後の掘割を抜けた直後の様子で、
太陽光線も考慮すれば、本来は線路の南側から撮るのが定石なのですが、あまりにも
三脚組の放列が凄まじかったので、少々妥協しました(根性無し)

明日は曇り時々雨だそうで、さてどうしたものか?




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月29日(日)00時12分16秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 02
ありゃりゃ?………この構図は昨年なら足回りが見えた筈だけど?………
雑草繁茂の生命力とは、つくづく侮れませんね。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月29日(日)00時22分9秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 03
盲腸線の終着駅での機回しというのは、萌えるものですね。




 
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