私が、中学・高校の頃、黒石市、青森市から弘前の学校に通っていた関係で様々な電車、客車で通学していました。
やはり客車という趣旨の元、当時の奥羽本線の話題を。
当時、青森‐弘前間は、ほとんどの列車が客車で運転されており、
私も50系、12系の普通列車、快速列車「快速岩木」で通学していました。
旧客は59年2月の改正で廃止されており、私が通う頃にはありませんでした。
機関車はED75・700に加え、酒田や長岡のEF81も運用に入っており、
事情を知らない友達は長いピンク機関車という名前で呼ばれ、
当時の地元の新聞には、新型機関車投入と宣伝されていたほどです。
それも出力が大きいので発進が今までより(ED75)荒く感じることをご了承下さい。
という当時の秋田鉄道管理局のコメントまでありました。
地方では知らないと思っていい加減なことがまかり通っていたのです。
通学には、50系よりもピッチも広く冷房もついている12系に軍配をあげたいと思います。
スハフ12もなく、静かな車内で青森市の山の中の夜の鶴ヶ坂駅で10分停車、
夏から秋にかけては虫の声が響き、冬は雪がしんしんと降り積もる。そんな時代でした。
快適な列車に身をまかす、贅沢な時が流れていました。 |