あれは昭和57年初夏の頃だったと思います。中学3年の修学旅行は3泊4日の北海道でした。
内陸盆地から生徒・指導先生含めて500人の大所帯はどのようにして移動したのでしょうか?
東根には山形空港が存在しますが、
当時はYS11とB737が巾を利かせていたされてローカル空港でしたし、ここは鉄道のサイトなので・・・
答えは山形発青森行きの急行こまくさでした。
通常6両編成に6両増結で12両編成で7時間位かけて青森までたどり着き、青函連絡船で函館に到着して初日は終了です。
今なら仙山線で仙台に出て、はやてに乗り換え八戸に行き、
白鳥に乗り換えて函館に着くのが陸路で一番早いのでしょうけど、乗換えが不便です。
ミニ新幹線の開発の影響で、奥羽本線のあちこちが線路巾が違って
直通運転ができなくなっているのは悲しい現実なんでしょうか?
こま切れで東北の市部が分断されているのはいたし方ないような気がします。
陸羽東線経由になったり、上越線経由にになりながら命をつないでる
寝台特急あけぼのには何としても生き延びて欲しいものです。
昭和57年と言えば東北新幹線開業の年でダイヤ改正も大規模でした。
ローカル線に及ぼす影響が甚大であるとは
まだ気がつかなかった年頃で・・・3に続く |