倶楽部メモ(333)
平成18年 8月 5日〜 8月 9日


投稿者 にんにくたあ
投稿日 8月 5日(土)14時48分41秒
タイトル 佐久間レールパークにて
みなさま、こんにちは。
暑中お見舞い申し上げます。
久しぶりに投稿させていただきます。

さて、先日佐久間レールパークに行って来ました。
10時過ぎから、11時半頃にかけて
屋外は私の貸し切りとなり、撮影し放題でした。
あっいう間に飯田線の発車時刻となり、
展示館など十分見ることができないうちに、現場を離れなければならなくなりました。
いつか仕切直しに出かけたいと思います。

私の一番の訪問目的は旧型客車の見学でした。

特にマイネ40とオロネ10。
どちらも美しく保存されていましたが
車内の公開はされていなくて残念でした。
特にマイネ40の車内は一度この目で見てみたいのですが。

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投稿者 バンブー
投稿日 8月 5日(土)17時59分58秒
タイトル 東京駅での機回しについて
東京駅での機回しについてお伺いしたいのですが、昔はきちんと機回し線が存在していましたが、
新幹線ホーム増設により機回し線が消滅し、寝台列車は玉突き運用?でやりくりしていましたが、
客車列車が2往復のみとなってしまった現在はどのような運用になっているのでしょうか?
想像するに各列車とも本務機が単機で先行して待機し、入線用の機関車が牽引して東京駅まで運んで切り離し、
本務機が連結して発車、入線用の機関車が単機で回送という運用になっているのでしょうか?
東京駅における客車運用の最もネックになっている部分だと思われるのですが、
なぜ尾久−上野駅間のような推進回送はできないのでしょうか?
素朴な疑問ですが、ご教授していただければ幸いです。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 8月 5日(土)22時45分10秒
タイトル Re:東京駅での機回しについて
>バンブー様
お察しの通り、2往復となった現在は段落とし運用はなくなりました。
1レ「富士・はやぶさ」の回送は本務機EF66を後部にぶらさげたままEF65の1000が牽引するプッシュプルです。
「銀河」は従来通り神田方に引き上げて機回ししています。(段落とし運用は出雲で終了していました)

平成18年7月30日 回1レ 田町(EF66が見えませんが・・・)

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投稿者 バンブー
投稿日 8月 6日(日)01時23分43秒
タイトル Re2:東京駅での機回しについて
>竹中@ノーブルジョーカー様
ご教授ありがとうございました。
プッシュプルは想像していませんでした。
もしかしたら以前から1レはこのような運用だったのでしょうか?
どうせならば、そのまま品川までプッシュプルで運行
品川で停車しEF65を開放したほうがより効率的な気もしますが。
「銀河」については従来通りとの事なので、この1列車だけのために単機回送が2回発生しているのですね。


投稿者 雑魚
投稿日 8月 6日(日)10時04分2秒
タイトル Re 3 : 東京駅での機回しについて
昨年九月に見物した「富士/はやぶさ」の場合、10番線到着後、切り離した牽引機を
神田側に引上げ 9番線経由で品川側に付け替える、という作業を既に行っていました。
それにしても、東京発着の客レが定期で二往復のみとなった現在、神田側の引上線の
使用頻度は、かなり小さくなっているのでしょうかね。



投稿者 バンブー
投稿日 8月 6日(日)17時22分16秒
タイトル Re4:東京駅での機回しについて
雑魚様
ご教授ありがとうございます。
またまた私の勘違いだったようで、9番線等を使用した機回し作業をしていたのですね。
てっきり段落とし運用と同じく本務機は先に来て有楽町側の引き上げ線で待機しているものと思っていました。
現在の「銀河」は10番線経由?の機回しで、
下り列車に関しては単機回送は1レの入線用EF65の引き上げ時のみという事ですね。
お騒がせして大変申し訳ありませんでした。



投稿者 てりてり
投稿日 8月 6日(日)22時11分34秒
タイトル 東京駅機回しについて 雑感
お邪魔します。確か東北新幹線の東京駅乗り入れ工事関係で、大きくホームの位置がずれましたね。
特に中央線のホーム新設、という芸当?は「ヨクゾここまで考えたものよ」と感心するばかりです。
その結果、東京駅と上野駅を結ぶ在来線の回送連絡線がちょん切られたままです。
以前新幹線を乗り越える形で連絡線を復活するとの話を聞いた事があります。
 もしそれが実施されたら、今まで品川で行われてきた夜行列車の業務を尾久に集約でき、
また機関車も付け替える事が無いと考えた事があります。
恐らくは、機関車列車の重さに耐えられるだけの設計を成されるのでしょうが、
それまでに東京駅発着の関西九州方面の夜行列車はどうなっているのでしょうか?
「富士・はやぶさ」「サンライズ瀬戸・出雲」「銀河」「ムーンライトながら」のみとなり、
機関車牽引が2本である現状では首を捻るばかりです。それでは。


投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 8月 6日(日)23時46分55秒
タイトル Re5:東京駅での機回しについて
 2レ「富士・はやぶさ」になって以来、東京駅では見ていなかったので、あえて上りの話を書かなかったのですが、
表現が適切でなく申し訳なかったです。
 また、下り「銀河」はホームでの機回しではありません。
品川からの回送は9番線(だったと思います)を通過して編成ごと神田方へ引き上げ、
引き上げ線で機回しを行ったあと、神田方より9番線に入線します。
こちらも表現が不足して誤解を与えてしまいました。申し訳ないです。
 さて、「下り列車を品川に停車させEF65を開放」というプランですが、
品川駅の東海道下り本線から入区するには、本線上をバックする必要があります。
1)いったん川崎方へ進み、バックして臨時ホーム経由で入区。
2)新橋方へバックし、旧東京機関区裏あたりから入区。
のどちらかとなり、列車間隔が詰まっている18時代を考慮すると現実的ではないかと思います。
 また、品川・東京間の推進運転ですが、尾久・上野間が複々線なのに対してこちらは複線です。
足の遅い推進運転を18時代に運転するのは無理があるでしょう。
 なお、あまり知られていないようですが、カートレインの浜松町・品川間の回送では
上記(2)の方法がとられていました。
1)浜松町で機回しした回送列車は新幹線の下をくぐり東海道下りへ渡り、品川では東海道下り副本線に停車。
2)品川駅から下り線を推進で東京機関区裏あたりまで進み、品川客車区へ入区。
品川駅には東京側に出発信号機がちゃんとありました。
しかし、新幹線の下をくぐるルートは新幹線の品川駅建設で消滅しています。

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投稿者 クモイ103
投稿日 8月 7日(月)00時51分19秒
タイトル Re6:東京駅での機回しについて
 ご無沙汰しております。
 尾久−上野駅間のような推進回送がなぜ品川−東京間でできないのか? については、
竹中@ノーブルジョーカー様が述べられた通り、複線のみで線路容量に余裕がない事が最大の理由でしょう。
私はもう一つ、「ノウハウの蓄積がない」ことを挙げてみたいと思います。

(1)線路容量の問題
(竹中様のレスで十分でしょうけど、すでに書いちゃったので許して下さい(^^;)

 上野口の推進回送の内容については、過去ログ「倶楽部メモ(157)」をご参照下さい。
結局、上野−尾久間のような工夫をしてもなお、推進回送列車の最高運転速度は45km/hです。

 上野駅の場合、高架ホームからの線路と地平ホームからの線路がすぐには一緒にならず、
尾久操車場への分岐点である井堀信号場まで複々線で並行しており、
しかも井堀信号場は理想的な立体交差の線路配置になっています。
このため、例えば「高架ホームから発車する旅客列車」と「地平ホームから発車する尾久操行き回送列車」は
競合せず同時に運転することができます。
逆の組み合わせも同様であり、このおかげで、上野−尾久間には多くの回送列車を設定できる線路容量があるのです。

 一方、東京口はと見れば違いは明らかですね。
単純な複線しかない東京−品川操車場間、しかも競合する距離は、上野−井堀間の3km台より長い約5kmあります
(営業キロでなく実際に分岐する転轍機までの距離)。
旅客列車の間を縫って、ここに最高速度45km/hの回送列車を設定するというのは、
私が担当者だったらぜったい渋ります(笑)。

(2)ノウハウの問題
 上野−尾久間の推進回送については、過去に雑誌の特集記事になったこともあり、
通称“ラッパ屋”と機関車乗務員との息の合った運転操作が大切と聞いています。
総括制御のない重連機関車の乗務にも通じる「匠の世界」があるのでしょうね。

 私事ですが、装置産業に身を置いていると、現場というものは長年やってるベテラン社員の「暗黙知」に支えられている、
ということがよくわかります。
ひところ、誰がやっても同じ仕事ができるように仕事をマニュアル化(明文化)
せよというかけ声が流行った時代がありましたが、一過性でしたね。
それよりも、ベテランがどのように状況判断し仕事を進めているのか、
その「経験値」を「伝承」することの大切さに、ようやく多くの人が気付いてきているように思います。

 話を戻しましょう。仮に東京−品川操間に定期の推進回送列車を運転するなら、それに特化したノウハウが必要でしょう。
それは、“尾久のラッパ屋”の経験者を連れて来ればすむという問題ではありません。
東京−品川間には東京−品川間特有の問題が必ずあるからです。
 そんなノウハウが無くても推進運転のできる新型車両を作ればいいじゃないか…という考えも浮かびますが、
そこを突き詰めていくと、話の前提である「客車列車」の「推進回送」から脱線してしまいますよね(笑)。
そこまでは言わない、あくまで「客車」の範疇で井川線のような運転台付きを…と言うならば、
そのためだけの機器を車両に搭載するメリットがあるか?
 また、その機器の開発に投資するメリットは? と考えると、素人目にもあまりメリットなさそうに思えます。

 会社事業の投資は、お金だけでなく、人の配置や教育・訓練なども総合的に考えなければなりません。
新線の開業なら十分な準備期間をとって訓練運転できますし、
将来有望な事業であれば十分な投資をしてでもそういう問題は積極的に解決するでしょう。
現に、D51の乗務員の養成には、かなりの投資をしているのですから。
 しかし、「東京−品川間で推進回送を行う」という案件は、
事業者にとっては投資するだけの魅力はないのではないか、と思います。


投稿者 三田一郎
投稿日 8月 7日(月)14時22分54秒
タイトル はじめまして
みなさまはじめまして。旧型客車にいれこんでいます。もうほとんど過去のものだけに、かえってしのばれます。

さてピクトリアル誌バックナンバーで、ようやく並ロがわかってきたところです。
なかなか見栄えがありますね。オロ36などじつによい物。スロハ32、オロ34、あこがれます。

またスハ32がTR10に履き換えたオハ56など実車がどの程度動いていたものでしょうか。
いきなりディープですが、オハフ36とともに「廃車前提」の交換だったようで実働について知りたいのです。
結果的に「超古典車」なのでむしょうに興味を覚えています。

小生磐越西線のローカル鈍行でオハ61、スハ32,33、オハ35に乗って以来、客車マニアで、
この夏も大井川鉄道に行くことにしています。オハ35なりオハフ33なりがくればよいのですが。
運用は前日発表の由。電車改造に当たらないように祈っています。
それにしても常磐鈍行の懐かしさ!いずれまた参ります。


投稿者 雑魚
投稿日 8月 7日(月)18時20分21秒
タイトル 心の旅
> それにしても常磐鈍行の懐かしさ!

常磐・水戸・水郡各線で旧客が定期仕業の最晩年だった頃、通学で水戸駅を利用して
いましたので、特に長編成の常磐線便は思い入れがあります。当時、仙台に直通する
普通列車は旧客のみで(四ツ倉以遠は急行の間合運用を除き、普通電車の大半が旧客)
発車する際、連結部分のジョイント音が、機関車から後方に連鎖する風情は、独特の
雰囲気がありました。当時人気を博した「銀河鉄道 999」のラスト・シーンごっこに
興じる悪友もいましたね(^^)朝夕一度ずつ、上記三路線の旧客列車が一堂に会する
場面も印象的でした。なお、添付画像は、常磐線における「奥久慈レトロ」回送です。

以前「オルビス化粧品」のCMでの描写が、話題となりましたが「チューリップ」が
登場する麒麟麦酒のCMも少し気になっています。一度観ただけで記憶が曖昧ですが、
寝台特急と思しき列車の後追いシーンと、どこぞの貨物駅跡らしきが映っていました。
詳細を御存知の方がいらっしゃいましたら、御教示下さい。

あのヒット曲「心の旅」が発表されてから既に30年以上経つのですね。最初聴いた時
冒頭の「♪あゝだから今夜だけは……」を「♪朝から今夜だけは……」と聞き違えた
御馬鹿小僧の雑魚でした(^^)当時「天才バカボン」の「心のボス」登場シーンでも
同歌の引用がありましたっけ………嗚呼、懐かしい………


投稿者 ホエ7030
投稿日 8月 9日(水)14時42分40秒
タイトル 懐かしき常磐線の旧客
皆さま、こんにちは。以前から貴ホームページ&当掲示板を拝見させていただいていましたが、
ついに雑魚様の「心の旅」に触発され、筆をとって(キーを叩いて)しまいました。
 私は、幸いにも常磐線の客車列車全盛時代に6年間も水戸に汽車通学することができ、
その後も学生時代の一時期を除いて今日まで常磐沿線で暮らして来ましたので、常磐線には深い思い入れがあります。
しかも、汽車通開始と鉄道のことが分かり始めたのが同時期であり、
非常に強い関心を持って列車・車両を観察して来ましたので、たくさんの思い出があります。
 雑魚様は、「常磐・水戸・水郡各線で旧客が定期仕業の最晩年だった頃」とのことですが、
私はそれよりずっと以前のことで、汽車通の6年間のうちに、快速気動車格上げによる準急「ときわ」の新設、
「はつかり」の新設及びDC化、勝田電化などを見てきました。
高校は水戸駅構内を見下ろせる所にありました(雑魚様と同じかナ?)ので、授業中もついつい眺めてしまっていました。
 最初は、10系客車が量産に入って間もない頃ですから、普通列車は全て旧型客車による編成で、
水戸線列車の下り方端には木製のオハフ28300が最後の活躍をしていたほどです。
水戸を通る常磐線普通列車は水ミト(付属は水タラあり)と東ヲク(→オク)の受け持ちで、
スハ32系(W屋根車も)、オハ35系、鋼体化改造車が主流を占めていましたが、
後にスハ43系も見られるようになりました。
たまには他区の客車が組み込まれてくることもあり、高ミヤのオハ34(スハネ改)、盛アホのオハ31、
高タカのスハニ35(茶)、東シナのスハ33(軍用復旧)やマハ29159などを見かけたことがありました。
冬季には、北海道から二重窓車がアルバイトに来ていましたので、これらを見つけて乗るのを楽しみにしていたものです。
お下がりのスハ44などによる「はつかり」の登場も、
一方では「あさかぜ」の20系置き換えと同時期であったにもかかわらず、とても嬉しく、美しく感じたものでした。
 牽引は、DF90を除いて大形蒸機のオンパレードで、どの列車も堂々たる長編成。
通勤と通学が重なる朝のラッシュ時にはデッキにぶら下がることもしばしばでしたが、
ブドー色の車体、ニス塗りの木目、軸距2450ミリ台車が刻むジョイント音など、
旧形客車のあの重々しい雰囲気は忘れることができません。
 雑魚様が撮られた旧客の返却回送列車は全車ブドー色の編成で、客車列車全盛時代の姿を思い起こさせてくれます。
こういう姿は、もうイベントでしか見られなくなってしまいましたが、
せめて模型の世界で復活させようと、キットの山を眺めながら夢を見ているところです。


投稿者 雑魚
投稿日 8月 9日(水)15時45分58秒
タイトル 我が在学時代
> 高校は水戸駅構内を見下ろせる所にありました(雑魚様と同じかナ?)ので、

画像の学校ですが………どうやら、先輩に当たる方の様ですね。六年間、汽車通学と
いう事は、あの優秀な F中学ないしI中学の御出身と拝察申し上げます(平身低頭)

> 快速気動車格上げによる準急「ときわ」の新設「はつかり」の新設及びDC化、
> 勝田電化などを見てきました。

正に躍進の時代を目の当たりにされていたのですね。という事は、学校下の茨城交通
水浜線の軌道も、旅客鉄道のみならず先輩方(親父殿を含む)の「脱出経路」として
機能していた時代でしょうか(^^)私の在学中も那珂川貨物駅や常磐倉庫の専用線は
辛うじて健在でしたが、そちらの時代ですと、水浜線から渡り線を介して常磐倉庫に
貨物列車が直通していた様で、都合五系統の線路に囲まれた校地は正に趣味の聖地と
言えそうですね。

当初は「はつかり、事故ばっかり」などと揶揄された「ブルドック」の雄姿を御覧に
なっていたのも、羨ましい話です。あのデザインは、今日もなお遜色を感じさせない
美しさを感じますが、残念ながら現役の稼動シーンを見た事がありません。

> 雑魚様が撮られた旧客の返却回送列車は全車ブドー色の編成で、

私が利用していた頃は青色で統一されていましたので、その意味ではリアリティーに
欠けるかも知れませんが、そこまで求めるのは贅沢な話ですね。その当時、水郡線の
常陸太田支線にも朝方一往復の客レ設定がありましたが、編成長の関係上、常陸津田・
後台・中菅谷・南酒出・谷河原は、通過扱いでした。その為、水戸の街を間近に望む
常陸津田駅の利用者は、ダイヤの都合上、一旦下菅谷に引き返してから、この客レで
水戸に通勤・通学するという、現在では到底考えられない珍事があった様です。なお、
夕方の下り二本を纏めて回送する朝の常陸大子発便は、中舟生や野上原など、停留所
規格の駅をことごとく通過していました。

纏まりの無い話で、失礼申し上げました。


投稿者 客車男
投稿日 8月 9日(水)18時31分46秒
タイトル 熊本のカニについて
九州新幹線開通(2004.3)以前の、「なは」用のカニ24が鹿児島所属であった時代に、
カニ24−18(←鹿児島所属でしたよね)が2003年には「はやぶさ」で使用されていたとはどういうことでしょうか?
「はやぶさ」は熊本所属のカニ24−3、6、7、9、15で運転されていたはずなのですが・・・。
どなた様かご教示いただければ幸いです。


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