倶楽部メモ(327)
平成18年 6月 7日〜 6月19日


投稿者 EF5841
投稿日 6月 7日(水)23時08分25秒
タイトル 転換式背もたれ
>シートが向かい合わせにされていて背もたれの後ろは死角
スハフ43のことかと思いますが、オリジナルではありません。
1位側に固定されているのが正規です。
ただし、スハニ35は3位側。
テーブルは、背もたれの背後に設置されているのが本等の姿です。



投稿者 クモハユニE231
投稿日 6月 8日(木)06時54分18秒
タイトル 「ホ」について
クモイ103様、車掌@仙コリ様
ありがとうございました。
6月4日に大井川鉄道に言ってきました。旧客の7両編成は今となってはすごいと思わざるを得ません。
当日はJR東海のさわやかウオーキング(金谷駅コース)があり臨時SL列車が運転されました。
指定席の空き席がウオーキングの参加者の席となり、最近ではお目にかかれない旧客の立席状態が出現しました。



投稿者 DD5433
投稿日 6月 8日(木)09時47分47秒
タイトル スユニ50のブレーキについて
いつも楽しく拝見させていただいております。
現在スユニ50を作成中ですが、ブレーキの構造が分からず困っております。
スユニ50はスハ43系の下回りを使用しており台車もTR47を使っておりますが、ブレーキもそのままでしょうか?
ご存知の方がおられましたらご教授願います。

投稿者 スハ32
投稿日 6月 8日(木)10時32分29秒
タイトル 烏山駅について
雑魚様 烏山駅ですが、女房の出身地なので、少々詳しいです。
まず気動車化されてから奥の側線が使用されていたかどうかですが、80年代後半
から90年代にかけては、まだ使用されていたそうです。女房によりますと、
気動車が奥に置かれてて、たまにタイフォンを鳴らしてたそうです。4年前は、
レールが繋がってたのですが、2〜3年前に構内部分を少々残して撤去されて
しまいました。廃線跡部分は、何とか辿れます。
実は、この側線かなり長いのですが、どうやら戦前に付近にあった弾薬庫への
積み出しに使用されていた可能性があります。昔の地図を見ると判りますね。
更に、水郡線、真岡線との接続を予定されていた為、終着駅というより、途中駅の
雰囲気になったようです。今は海外に滞在してるので、残念ながら今回の客車列車
には乗れないのですが、どなたか乗られましたら是非レポートして頂きたいですね。


投稿者 雑魚
投稿日 6月 8日(木)11時34分1秒
タイトル 東野鉄道
> 女房によりますと、気動車が奥に置かれてて、たまにタイフォンを鳴らしてた

駅舎北側の貨物側線関連に留まらず、気動車の出入りがあったのは興味深いですね。

> 2〜3年前に構内部分を少々残して撤去されてしまいました。

………という事は、私が紹介申し上げた「縮小後」の引上線区間が、更に「削られた」
事になるのでしょうか。あまり削り過ぎると機廻し自体が出来なくなりますが(^^)

> 戦前に付近にあった弾薬庫への積み出しに使用されていた可能性があります。

金井町踏切以北の区間は、私が初めて訪れた80年代後半当時は、空地の片隅で、特に
車止めらしきも無く、線路が「何となく」途切れていた印象でしたね。画像に看板が
映っているスーパーの建設に合わせて、線路が撤去された様なタイミングでしたっけ。

> 更に、水郡線、真岡線との接続を予定されていた為、

水郡線接続というと、常陸大子延伸ですかね。その構想の名残りと思しきJRバスも、
旧馬頭町の中心部から先の区間(県境の山越え)は数年前に廃止されてしまいました。
真岡線は、茂木駅から茂木町河井地区まで隧道を含む未成線がありますが、河井から
烏山までの那珂川渓谷の急峻振りを考えると、1966年に御前山から撤退した茨鉄線に
繋げる意図があった様に見受けられます。

烏山線の「見合い相手」として、地形的には東野鉄道が有力だった様にも感じますね。
黒羽−那須小川の延長は、烏山線開業の翌年の1924年でした(ただし、1939年に廃止)
この路線も、常陸大子への延伸構想があった様ですが、当時の土木技術を考えた場合、
県境の山越えという物理的な課題を、どの様に想定していたものか、腕組みものです。

貨物営業が少なからずあった為か、記録写真を見るとSLが散見され、箱型のDLも
存在した様ですね。客レの有無が気になります。画像は、乃木神社前停留所の跡です。
廃線本体の自転車道と線路が微妙にずれており、この線路は単なるダミーか、または
交換駅の名残りか、謎ですね。

色々と御教示を頂きまして、有難うございました。



投稿者 岩崎安房
投稿日 6月 9日(金)10時18分28秒
タイトル 烏山臨通客の話題
 管理人様、皆様御無沙汰しております。
 流石雑魚様、小生も当該臨通客の話題をお知らせ致しますべく訪ねさせて頂いた次第ですが、
烏山線は通過となる途中駅構内有効長から機関車1+客車5が精一杯だそうです。
 実は機関車や客車と共に、路線自体が客車列車運転不可となっている「限定線」が急速に拡大しております。
 例えば総武本線御茶ノ水〜両国間や京葉線東京〜新木場間(但しプッシュプルの場合は除かれる様子です)、
ATC区間は旅客営業での機関車牽引列車が設定出来ません。
 また受け持ちの区所で機関車運転免許を持つ方も激減しており、今回はまさに「最後の機会」です。
但し今後「受け」が良ければ定型便となる可能性も・・・
 上野駅に出入りする列車で最短は烏山発着の団臨でキハ58・28の3Bと言うのがありましたが、
私共企画のわたらせエクスプレス(1992年3月29日・在来型一般車3B)と遅延して
単独運転となった戸狩スキー(12系3B)に比べれば堂々5B!
 全席指定ですが快速列車です、時にDEの引く客車を味わうにはお手頃かも知れません。
 一方で、東海旅客鉄道がオハフ46を用途廃止した様子ですが、解体なんてしてませんよね・・・
今日貴重な客車です、必死に探している会社もありますから是非有効利用されれば、と深く願うばかりです。
投稿者のホームページ




投稿者 雑魚
投稿日 6月 9日(金)12時57分21秒
タイトル 入線制限
> 烏山線は通過となる途中駅構内有効長から機関車 1+客車 5が精一杯だそうです。

………という事は、中間車一両を抜いて、組成し直すのでしょうか?

> 路線自体が客車列車運転不可となっている「限定線」が、急速に拡大しております。

地元に近い水郡線の常陸太田支線も、1983年のCTC化までは、毎朝一往復、旧客が
設定されており、通学路の陸橋から眺めていたものです。当時の常陸太田駅は、側線
数本に引上線が数十m延びており、現在の雰囲気と比べると隔世の観甚だしいですね。
こうした盲腸線の例は、枚挙に暇がありません。

画像は、二年前の水郡線での一コマです。一両分、烏山線に勝った感じですね(^^)



投稿者 きむたお
投稿日 6月12日(月)07時33分47秒
タイトル 中央線客車列車
みなさま、ご無沙汰しております。

さて、6/10・11に中央線、塩尻〜辰野〜岡谷にて運転された客車列車に乗車してきましたので編成などを記しておきます。

6/10「たつのぴっかり2・3・4号」
6/11「くりちゃん2・3・4・5・6号」
↑岡谷方
EF64 1001
スハフ42 2137
・オハ47 2261
・オハ47 2246
・スハフ32 2357
EF64 41

辰野駅・小野駅の開業100周年を祝うイベントでした。
6/10は辰野、6/11は小野にてそれぞれ駅前でお祭りが開催されました。
列車名が面白いのですが、「ぴっかり」は辰野の蛍、「くりちゃん」は小野の枝垂れ栗からの命名だそうです。

乗車区間が短かったのですが、設定本数が多かったため連結された全車両に乗車できたのと共に、
停車時間を多く取った設定で正味乗車時間はたっぷり取れまして、
往年の客車鈍行の「バカ停」のようにのんびりとした客車列車の旅を味わうことができました。
もちろん、車内の観察をする機会にも恵まれ、
オハ47やスハフ42の座席のつくりが1台1台異なることなどを再確認してまいりました。

列車編成は前後をEF64に固められ、電気機関車好きな人には嬉しい編成だったようですが、
私のような客車命で後打ち撮影で絵にならないのは残念でした。
もっとも、おかげで乗車に専念できまして、
これはあいにくの雨混じりの曇り空と共に結果としては良かったと思っております。


投稿者 雑魚
投稿日 6月12日(月)09時33分54秒
タイトル 中央線旧線
> 塩尻〜辰野〜岡谷にて運転された客車列車

善知鳥峠を越える旧客列車ですか、良い雰囲気ですね。かつては善光寺平を俯瞰する
篠ノ井線よろしく、スイッチ・バック信号所での退避が、絵になった事と拝察します。
塩尻大門信号所(旧塩尻駅)は供されたのでしょうか。

この峠は太平洋側と日本海側を分かつ中央分水界の一端ですが、天竜川水系に属する
小野駅の周辺が塩尻市と辰野町に跨っているのは、地図好きには気になる存在ですね。

松本方面から飯田線に繋ぐ場合でも、岡谷経由が一般的となった現在、辰野−塩尻は
信濃川島駅・小野駅での乗降需要の為だけに存在している様な印象が強いと感じます。
今回の様なイベント運転には最適な路線だけに、余計な心配をしてしまいますね。


投稿者 樹木希林
投稿日 6月15日(木)21時40分16秒
タイトル 中央線爆走快速
中央線を塩尻から名古屋まで爆走する快速があったと思うのです。
今でもあるのでしょうか?


投稿者 雑魚
投稿日 6月16日(金)15時59分13秒
タイトル プッシュ ・プル 運転
「烏山山上げ祭り号」に関連し、別掲示板で、烏山沿線在住という方から伺った処に
よりますと、数年前に入線した臨時客レは、DE10のプッシュ・プル運転だそうです。
当掲示板でスハ32様が言及された烏山駅の状況も勘案すると、撮影の際は、そうした
前提で臨んだ方が良いのかな、などと感じています。

後追い撮影も可なら、東北線の鬼怒川橋梁で、こうした構図を狙うのもアリですかね。
烏山線に並行する県道のバイパスも整備された事ですし、宝積寺の停車時間次第では、
追い駆け撮影が効くかも知れません。飽くまで、安全運転が大前提ですけどね(以前、
SL撮影で追い駆けに熱くなるあまり、速度違反で検挙された「武勇伝」を吹聴する
御仁に会った事がありますが、決して好印象は持てませんでした)

今週末は鹿島線「あやめ祭り」の誘惑もあるし、事前ロケハンにはいつ行ける事やら。


投稿者 急行音戸
投稿日 6月18日(日)23時24分56秒
タイトル マニ30
みなさま こんばんわ、急行音戸です。
先日発売された、Nゲージのマニ30のセットを手に入れました。といっても現実はまだ手元に無いのですが・・・
どなたかマニ30の運用、どのような列車に併結されてたとか・・・・
茶色のマニ30は銀河に併結・・と言う文献を読んだことありますが、
青色のマニ30は、RF誌の荷物列車特集の最初の方のページに荷物列車の後部に連結された姿が見れます。
やはり模型のように、高速貨物に併結されてたのでしょうか?JR化後も、JR貨物に属してたようですが・・
RF誌で、保存されたマニ30の小特集を立ち読みで見ましたが、
どのような運用があったのか、どの方面に運用されてたのか?
ご存知の方いらっしゃいませんか?よろしくお願いいたします。
過去ログを見たのですが、見当たりませんでした。


投稿者 桜島・高千穂
投稿日 6月19日(月)09時39分56秒
タイトル 上り 急行ニセコ 根室発-函館行
はじめまして。
昔北海道を旅していたころ、急行ニセコ(確か2号?)根室発-函館行というキハ56型の列車が有りました。
当時車両運用にはあまり関心が無かったのですが、
今から考えると、この列車「燃料」はどうしていたのかな?と、ふと素朴な疑問がわきました。
私の薄い知識に「客扱い中には給油はしない」というのがあり、
という事はあの距離を途中給油なしで走破出来たのだろうか?
そんなにデカイタンクがついていたのか?疑問が膨らむばかりです。
当時この列車は、根室→釧路が季節臨時で釧路からは毎日走っていました。
釧路までは確かキハ+キロ+キハの三両編成で、釧路で本編成に連結されたはずです。
どなたかご存知でしたら、お教えいただけるとこのモヤモヤが解消できるのですが。。。
この話は、以前どこかのページで皆さんに伺いたくて投稿したことがあるのですが、
うかつにもそのページがどこかわからなくなってしまいました。
このページを見つけ、再度質問しました。
もし同じ投稿がありましたら、教えていただけるとうれしいです。
宜しくお願いします。m(_ _)m


投稿者 雑魚
投稿日 6月19日(月)14時08分1秒
タイトル 燃料の心配
> 急行 桜島・高千穂様

改めて言及されると、確かに深甚な謎ですが、往年の函館発着の優等列車を見渡すと、
特急「おおぞら」釧路行、特急「おおとり」網走行、急行「宗谷」稚内行などがあり、
何れも気動車仕様ゆえ、然るべき容量が確保されていたのではないか、と思われます。

函館直通「おおぞら」ですが、1985年に利用した時は札幌−千歳空港(現南千歳)が
重複運転で、千歳空港には一運用で二度停車する変則仕様でした。時間はあるものの
金に乏しい我々「ワイド周遊券」族は、札幌から函館や釧路に移動する際、一度目の
停車時に千歳空港から乗車し、札幌到着時の入替えで席を確保する技を多用しました。

当時の急行「ニセコ」は、函館−小樽−札幌に一日一往復運転される14系客レ編成で、
特急「北海」共々、数少ない「山線」の優等便でした。登坂緩和の為、大沼−森では、
上り便に限り渡島砂原を迂回していました。冬季、羊蹄山を絡めた「ニセコ」撮りは、
当時の我々の憧憬でしたっけ。

上り便の渡島砂原迂回は、現行の急行「はまなす」も同様ですが、ダイヤ改正の度に
去就や異種置換が取沙汰される中、いつまで現行仕様を維持してくれるのか、非常に
気になる存在です。この迂回経路、貨物列車はどの様な事になっているのでしょうか。

ちなみに、1990年に釜石線で急行「陸中」が、昨年に北上線で普通列車が、それぞれ
事前の給油忘れから立往生する珍事がありましたが、後者は 2mにも及ぶ豪雪地帯で、
乗客の健康に大きく作用しかねない側面があり、これを契機に、燃料切れ警告機器が
設置される事となりました。

同じ1990年には、米国J.F.K.国際空港で、悪天候に伴う空中待機の末、着陸試行時の
燃料切れで、アビアンカ航空(コロンビア)が墜落しました。1996年にハイジャック
されたエチオピア航空機がインド洋に墜落した事件は、決定的瞬間のニュース映像で
御記憶の方も多いと思います。鉄道とは次元が異なる話ですが、何にしても、燃料で
やきもきする事態は避けたいものですね。

以上、ドライブ中に「うっかりガス欠」で家族の大顰蹙を買った事がある雑魚でした。


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