倶楽部メモ(320)
平成18年 4月20日〜 4月25日


投稿者 うめ さん
投稿日 4月20日(木)20時31分37秒
タイトル SLやまぐち号
4月23日に仲良し3家族 総勢10人で SLやまぐち号で 新山口〜津和野を往復で
乗りにいきますよ 行きは3号車 帰りは1号車(展望車)です 小学校低学年の子供達も
今から楽しみみたいですよ ただ今の子供達に 蒸気機関車だよ と話しても なにそれ!!!だって 
煙の出る汽車だよ と話をすると  トーマス???だって 知らないんだよね、、、
で思わず トーマスの本物だよ と説明しましたが 今の子供達にしてみれば
 汽車 自体も知らないみたいで 電車 しか知らないんですね さみしいな!!!
でも 写真をたくさん撮って 後日 投稿しますよ



投稿者 雑魚
投稿日 4月21日(金)08時10分54秒
タイトル SL もおか
> 今の子供達にしてみれば 汽車自体も知らないみたいで

自宅から真岡鉄道の茂木駅が比較的近く、宇都宮への移動中に一瞥する場合も含め、
子供達は蒸機の何たるか承知しています。下り便が茂木駅に到着した後、機回しや
方向転換など、何度か見物しました。しかし、転車台の稼動中に「乙女の祈り」が
流れる感覚はどうも………(^^)

画像は、茂木市街北側の城址高台から俯瞰した、茂木駅の様子です。丁度、蒸機が
転線中ですね。右下端に僅かに見える築堤は、延長線として整備されるも、結局は
線路が敷かれることは無かった未成線で、この直ぐ近所には、旧国道を跨ぐ陸橋も
設置されていました。

画面奥で右側にカーブすると、那珂川支流の逆川河川敷に、親水公園が整備されて
います。茂木の中心街に甚大な被害を招来した、1986年の中型台風の直撃を契機に
整備されたもので、現在はちょっとした、SLの撮影名所になっています。



投稿者 うめ さん
投稿日 4月21日(金)21時14分37秒
タイトル 蒸気機関車
無くなりましたね 今では全国で 観光列車だけで走ってるみたいですね
私の記憶では 昭和40年くらいまでは 広島〜糸崎間で走っていたような気がしますが
その地方で色々だとは思いますがね、、、 雑魚さまのお住まいは宇都宮近辺でしょうか?
私は 福岡におります 真岡? もおか と読むのですか?勉強不足ですみません。
先日は 広島〜東京まで はやぶさ に乗りましたが 下の子供が また寝台車に乗りたいとのことでしたよ 
結構気に入ったみたいですね 寝台車を探検で 前から後ろまで歩かされましたけどね、、、


投稿者 急行 まつしま
投稿日 4月22日(土)08時25分58秒
タイトル 蒸気機関車と言えば・・・・・
皆様、ごぶさたしております。急行 まつしま でございます。
以前「オハネ 15 34」の件で投稿させていただいて以来の投稿です。

蒸気機関車と言えば、今年のお正月に大井川鉄道に行ってきました。
乗車の際は、何か遊園地の乗り物にでも乗るかのような雰囲気で
子供より、大人の方が興奮していたようで、とある親子連れの方は
お母さんが子供に「ほら、SLやで 梅小路のとはちがうんやで」と。
さらに「ほら、よく見とくんやで、梅小路よりいっぱい走るんやで」
しかし、子供は平然。車両到着時に子供が「ドアはあいているんだー」と

蒸気機関車・汽車とはうめ さん様 雑魚様の仰るとうりいまの子供には
解らない存在なのでしょうかね。
ちなみに、下車時に大人の人がドアの前に立ち開くのを待っていて、
「自動じゃないんだ・・・」と大人も客車の事を知らないようで・・・。

私も、33年ぶりに汽車に乗車することが出来、その時もC11(日中線)
で懐かしく思えました。


投稿者 雑魚
投稿日 4月22日(土)08時29分46秒
タイトル 私は茨城県民です
> 昭和40年くらいまでは 広島〜糸崎間で走っていたような気がしますが

当時の糸崎といえば、正に鉄道の街でしたね。三原市の中心でもない駅が、この様に
拠点性を持ち得たのは比較的珍しいと感じます。2000年に新大阪−博多で運転された
復活版「はと」も、同駅で運転停車していましたね。昭和40年代といえば、私の場合、
常磐炭坑の専用線で現役稼動する蒸機(形式不詳)を時々眺めていました。

> 雑魚さまのお住まいは宇都宮近辺でしょうか?

水戸近郊です。茂木までは最速40分程度で到達可能なので、真岡鉄道は馴染みが深い
存在なのです。街の規模は水戸より宇都宮の方が大きく(福岡には到底及びませんが)
ここ一番の買い物で遠征する事も度々です。こうした事情もあり、宇都宮市の北側で
東北線を撮る事が多いのですが、早起きせずに撮れる「エルム」(上り便)も最近は
運転頻度が小さくなりましたねぇ。

> 真岡? もおか と読むのですか?

然様です。これを「まおか」と読むと、旧樺太(サハリン)における、ホルムスクの
旧称になりますので、御注意を。



投稿者 雑魚
投稿日 4月22日(土)18時03分1秒
タイトル 扉の開閉方法
>「自動じゃないんだ…」と大人も客車の事を知らないようで…。

一時期、通学に利用していた水郡線は、完全自動の急行型気動車、開ける時は手動の
近郊型気動車(キハ40系は扉がやたら重かったですね)ボタン開閉時の通勤型気動車、
そして、走行中も開閉が自由な旧型客車と、かなり無秩序な状態でしたね(ちなみに
旧客を下車しようとしたら、ホームから外れて体が宙に舞った事があります)その為、
操作法が判らない御年寄りが、目的駅で危うく下車し損ねかけた事もありましたっけ。

当時の事を考えると、現在の軽快型車両とは天地ほどの差がありますが、更に新型の
気動車が水郡線に導入されるとの事。となると、いよいよ烏山線のキハ40も、配転で
引退でしょうか。



投稿者 うめ さん
投稿日 4月22日(土)21時07分23秒
タイトル 有難うございます
雑魚様 急行 まつしま様 さっそくのご回答有難うございます。その当時の蒸気機関車は
途中の 瀬野駅で後押し蒸気機関車をつけて 一番勾配の険しい 瀬野〜八本松の間を走っておりましたね。
確か蒸気機関車の2重連だったような気がしますが、、、
その後の電化ののちも 瀬野〜八本松間では 後押し電気機関車の2重連をよく見かけましたね 
今思えば写真にでも残しておけば良かったですね、、、
当時はそれが生活の一部で当たり前の感覚でしたからなんら気にもとめていなかったのですが、、、
八本松で役目を終えた 後押し は4〜5両がまとまって 瀬野駅に引き返しておりましたよ


投稿者 雑魚
投稿日 4月23日(日)02時07分28秒
タイトル セノハチ
> 一番勾配の険しい瀬野〜八本松の間を走っておりましたね。

峠としての「セノハチ」は、海田を河口とする瀬野川と、三原を囲うとする沼田川の
分水界に伴うものですが、東広島市の中心地である西条と同じ盆地に位置する新幹線
東広島駅に近い三永水源池は、広(呉市)を河口とする広大川の水系にあって呉市の
水瓶として機能している点が興味深いですね。機関車の補助が必要な難所があるなら、
海運の要衝として古くから栄えた呉を本線経由地とした方が、という気も致しますね。

セノハチでは、中国よろしく、走行中の開放もあったと聞いた事がありますが、実際
どの様な感じだったのでしょうか


投稿者 急行音戸
投稿日 4月23日(日)11時17分12秒
タイトル セノハチ走行開放
>セノハチでは、中国よろしく、走行中の開放もあったと聞いた事がありますが、実際
どの様な感じだったのでしょうか

雑魚様
セノハチの走行開放、私も実物は見たことありません。
昔、西村京太郎の推理小説をドラマ化したものに登場し、
EF58牽引の14系ハザ(急行くにさき・阿蘇・雲仙・西海のどれか)をEF61-200が走行開放するシーンがあり、
犯人が、補機のデッキを使い、被害者の遺体?を列車内から運び出すトリック・・・だったと記憶しています。
また下記URL『DD51’BBS』さまに走行開放の模様が収録されています。
走行開放ならずとも、EF67の補機を従え、長編成で登坂する姿は圧巻です。

http://www.kitanet.ne.jp/~t-uchida/dd51/

海運の要衝として古くから栄えた呉を本線経由地とした方が、という気も致しますね。

>私も同感です。急行音戸、特急安芸も呉線経由でしたね。
戦時中は海軍の鎮守府のあった、呉を通過する際は、憲兵隊が乗車し、
海側の日よけを軍事機密上、すべて降ろしたそうです。
ちなみに山陽本線 小月〜長府間?も同じように日よけを降ろしたそうです(祖父談)


投稿者 雑魚
投稿日 4月23日(日)14時26分59秒
タイトル
> 私も同感です。急行音戸、特急安芸も呉線経由でしたね。

当時、物資輸送の要だった国鉄幹線は、軍事上の観点から、標的となり易い海岸線を
避けて設置される場合もあった、とは聞きます。糸崎−広島の経路選定に当たっては、
建設費用を抑える為の短距離経路を選定した事情もある様ですね。

一方の呉線も、呉市の要衝性から早期より本線級規格で整備されていますが、須波−
忠海の海岸地形を概観すると、高速運転を行う複線区間を確保するには、少しキツい
印象を受けます。その分、車窓風景はピカイチゆえ、ロング・シート車主体の運用は
少々勿体無いですね。広島−呉の快速運用では、歯車比の関係ゆえか、モーター音が
やたら煩いし………(^^)

> 海側の日よけを軍事機密上、すべて降ろしたそうです。

線路との位置関係から考えて、岩国に設置された旧海軍航空隊基地(現岩国基地)の
前後においても、同様の措置が採られたと思われます。その岩国に分校が設置された
海兵学校(本校・江田島)は、ある意味で、帝大以上の難関だったそうですね。

私の母校の卒業名簿を見ると、陸士や海兵に進学した事例が散見され、うち御一方は
遠縁に当たる方で、御遺族は今なお「金曜カレー」を食する事が間々あると聞きます。
やはり鎮守府が置かれた横須賀が「カレーの街」を擁するのも、こうした背景ゆえの
産物なのでしょうね。さて、大湊・舞鶴・呉・佐世保の状況や如何に?

以前、広島市電を乗り潰した時、かつて海兵学校の予備門的な位置づけだった老舗の
名門私立高校の系列中学生を見かけましたが、海軍風のボタン無し詰襟姿だったのが
印象的でしたね(現在は改められたそうです)

なお、うめさんが言及された「機関車トーマス」作中でも「ゴードンの丘」において
かかる走行中の開放があります(^^)一方、登坂中の補機が脱落、追い着こうと焦り、
速度が鈍っていた本編成に追突して、大事故を招来してしまう場面もありましたっけ。

あの作品、鉱山におけるインクライン軌道の描写など、子供向けとは決して侮れない、
緻密な考察が窺えます。一方、トーマスの台詞を聴くと「アンパンマン」を連想して
しまうのですね。何しろ、声の出演(個人的には、レオタード姿での美術品泥棒役が、
最も萌えでした)が同一人物なもので(^^)

「今日こそ、おまえを脱線させてやるぞ。は〜ひふへほ〜」
「う〜ん、力が出ない………ワムおじさん、代えのカマを早く!」
「おのれ、レオ・レンジャーめ。今に思い知らせてくれる」(グモラー)

………おや、作品が変わっている(^^)そう言えば、新作の「軌道刑事ツクバン」が
リリース配信されて一箇月になりますな。未だ聴いていませんが(^^)


投稿者 うめ さん
投稿日 4月24日(月)19時55分57秒
タイトル SLやまぐち号のお詫び、、、
昨日(23日)の朝早くに出発準備を終えて 家族4人いざ出発、、、
新山口までは 自家用車で高速を快適に、、、途中 めかりパーキングエリヤで休憩 3家族の写真をとるよ
ところが あれ〜カメラがない ママ知らない?
あ!玄関まで肩にかかえて 靴を履くときに下駄箱の上に置いたままでした 
結局 写真は バカチョンカメラで写しただけでした
皆さん本当にゴメンナサイ。SLやまぐち号は C−57が牽引し DD55が2両目で補助をしておりましたよ 
ま!C-57では力不足でしょうね 
でも 子供達も大喜びで 新山口では蒸気機関車の前では 順番で記念撮影を 
大人も子供もこぞってしておりました 
客車は 12系を改良した オハとオハフの701、702、703、は確認しましたがあとの2両は未確認です 
さすがに途中では カメラマンの人たちが いたるところで SLの写真を撮影されておられましたね 
人気の高さを証明していましたね。あの煙の匂いに懐かしい
ものを感じましたね トンネルも幾つかあり 最後尾(1号車)の展望車(オープン)は
トンネルでは煙だらけで 我が家の子供達も 体中にススをつけて 真っ黒になり 家内から怒られていましたが 
一番前から後ろまで 何往復して楽しんでいましたね 約2時間かけてのSLの旅でした、、、
津和野 観光し帰りは 暴睡状態で目が覚めると 新山口でした
帰りは 1時間40分でしたね 写真の投稿が出来なくてごめんなさい 今度はカメラも
必ず持って行きます。


投稿者 うめ さん
投稿日 4月24日(月)20時03分6秒
タイトル 追伸
津和野駅の横に あの有名な D 51(でごいち)が展示してありました C57に比べると
長くてデカクテ これが あの でごいち かと関心しました 力強さを感じました
私たちが見てる時に たぶん D-51の機関士さんだった人でしょうね いろいろと説明を
されていましたよ 元機関士さんみたいな人たちは 関西からの旅行者でしたがね


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 4月25日(火)00時08分32秒
タイトル トーマスが出たら
私としてはヒカリアンがいいな(^^)山本元帥が戦死してご遺骨を横須賀線で。
トンネルに入ると他人から見えないので皆代わる代わるに抱いたという本の一節を思い出しました。


投稿者 雑魚
投稿日 4月25日(火)09時05分12秒
タイトル ひかりあん
うめさん、カメラを忘れたのは痛かったですね。個人的には「SLやまぐち」が
津和野で折り返すのは、少し勿体無いですね。どうせなら、益田まで往復すれば
良いのに、とも感じます(需要が無いかな?)

> 私としてはヒカリアンがいいな(^^)

旅客運用中にあの様な変形されたら、乗客は、たまったものではありません(^^)
なお「ひかりあん」と聞くと一瞬「光庵=そば屋、または光餡=和菓子か?」と
食い意地が張った雑魚でした。

画像は、以前言及した親水公園を通過する「SLもおか」です。バイパス開通で
こうした構図が確保できる様になりました。



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