倶楽部メモ(318)
平成18年 4月 5日〜 4月12日 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
4月 5日(水)15時38分54秒 |
タイトル |
足尾駅の謎 |
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写真記録を整理していたところ、この様な画像が出て来ました。2001年の秋に訪れた
足尾駅構内の様子です。JR東日本から購入した「やすらぎ」の先頭展望車、および
中間車の計三両が「サロン・ド・わたらせ」用として抜かれた後、部品捻出用として
放置されたものの様で、この当時、外見上の劣化は認められませんでしたが、現在は
どうなっているのでしょうね。そもそも、この標準塗装の12系は何なのでしょうか?
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投稿者 |
いちろう |
投稿日 |
4月 5日(水)15時55分22秒 |
タイトル |
並ロ座席の色 |
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いつも楽しく拝見しております。
皆様にご教授いただきたいのですが、
最近鉄道ピクトリアル誌グリーン車特集を読んでいましたところ並ロ特集の旅行記の中に気になる点がありました。
オロ40の座席が赤色に張り替えられたという記述があるのですが、
実際青色から赤色への張替えというのはどのような過程で行われたのでしょうか?
当然擦り切れたら適時張り替えるのでしょうが、1、2等級制になった以降の張替え等は赤色に変更されていたのでしょうか?
私は並ロは最後まで青色系だったものと思っておりましたのでちょっと混乱してしまいました。
客車ではありませんがキロ25のシートも赤色との記述がありますがこちらも格下げまで青色だと思っておりました。
また、シートカバーもいろいろな種類があるようですがこの辺りが系統的にわかる資料等、なにかいいものはないでしょうか?
あちこちできる限り調べては見たのですがよくわかるものが見つかりませんでした。
ぜひご教授いただきたくお願い致します。 |
投稿者 |
さだお |
投稿日 |
4月 5日(水)23時21分42秒 |
タイトル |
客車の向き |
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クモイ103様。倶楽部メモ、拝見しました。
規定があったのですね。
しかし、雑誌掲載写真のなかに、規定と合致しない向きの
ものが見受けられるようで、これについては、過去のメモでも
答えが出ていないんですね。
規定は、あくまでも、規定であって、例外もあったということなのでしょうか?
また、標記についてですが、標記規定改定に伴い、車体側面
左下に移ったとのお答えをいただきましたが、青大将客車の写真を見ますと
妻面に記されていますよね。
これだと、規定に反する位置であると思うのですが、特急であるが故に
特別扱いだったのでしょうか?
ご存知の方、何卒、お知恵をお貸し下さいませ。 |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
4月 6日(木)00時01分20秒 |
タイトル |
【客車の向き】予備車次第? |
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お邪魔しますm(_
_)m
横レスですが…
>>さだお様
ご指摘の客車の向きについては、原則は規定に沿って編成組成されます。
過去ログにも諸賢のご発言があります。さだお様もお読みになっておられる事と存じます。
ですが、「例外の無い原則は無い」のもまた、世の常であります(笑)。
20系や12系以降の客車なら、編成の向きには留意が必要ですが、
それ以前の世代の一般型客車に於いては、何をどっち向きにつなごうが、
それこそ最後尾が緩急車で無くっても、後部標識を掲げておけば、走る上ではノープロブレム。
運用の都合で向きが変わって戻ってきたものをばらして繋ぎ替えたとしても、
幌もブレーキ配管も暖房引き通し(蒸気も電気も)も繋ぎ合わせるのに支障はありません。
唯一問題になるのは座席指定の席番が逆転する程度です。
今日では、編成単位で管理されるようですが(特に電車などはそれが顕著です)、
一般型客車は1両単位で管理されていましたので、
特急はいざ知らず、急行以下の列車の編成は、検査周期との兼ね合いか?しばしば編成組換えが行われていました。
当時の夜行急行など、10系寝台車のデッキの位置が統一されている列車のほうが稀有でしたし、
スハフ42・オハフ45・ナハフ10・ナハフ11など、
折角後位側に妻窓を持っているにもかかわらず、トイレ側が編成端になることもしばしばありました。
予備車をかき集めて臨時列車・団体専用列車などを仕立てることも珍しいことではなく、
怪しげ?なルートを通って戻ってきた時には編成の向きが逆転する事もあり得ましょう。
しかし前述の通り、向きが変わっても走るに影響ないものをわざわざ手間隙掛けて向きを直す事もなく、
そのまま編成に組み込まれてしまった結果、変則的な組成となってしまったのでは?
また、所属標記の妻面記載は、ご推察通りおそらく特急用車輛ということで特別視されたものと思われます。
電車・気動車に於いても特急型車輛は妻面にあります。
もっとも、青大将客車がきっかけで151系以降妻面記載が引き継がれたのかも知れませんね(^^);
ご期待に沿えるようなレスに出来ずに恐縮至極m(_ _)m |
投稿者 |
EF5841 |
投稿日 |
4月 6日(木)18時47分44秒 |
タイトル |
客車の向き余談 |
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客車の向きは クモイ教授も述べられているように、確かに日々の運用により例外はあるものの、
優等列車に関する限りはかなり守られていました。
以前、書き込みましたが、湘南列車の場合、例外はありませんでした。
なぜなら、電機暖房のジャンパー線が山側に引き通されていたためです。
このため、沼津電化時点では電機機関車も向きが固定されていました。
具体的にはEF57,EF56,EF53以前の東海道に使用されて電機は2エンド山側にジャンパー栓がありました。
EF55の場合は方向転換するため2エンドの両側にジャンパー栓が設けられていました。 |
投稿者 |
さだお |
投稿日 |
4月 7日(金)00時51分59秒 |
タイトル |
お答えありがとうございます |
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客車の向きに関しまして、明快なお答え、ありがとうございました。
運用上、問題がないものを、わざわざ、手間をかけてまで直さなかった。
昔のことですから、アバウトな部分も多分にあったのかもしれませんね。
私が心配したのは、駅で並んで乗車する人たちのことです。
せっかく、一番乗り〜、と思っていたら、出入り口が逆向きで
一番最後に乗るハメに〜。なんて人がいたのかなあ、なんて考えました。 |
投稿者 |
バンブー |
投稿日 |
4月 7日(金)08時03分37秒 |
タイトル |
客車の向き |
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当時の片出入り口の車両は大半が座席指定もしくは車両指定であったと思いますし、
優等車両に乗車出来た階級の方々は先を争って乗車するような事はなかったのではないかと思います。 |
投稿者 |
さだお |
投稿日 |
4月 7日(金)22時38分50秒 |
タイトル |
ごもっとも |
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バンブー様。ごもっともなご意見、恐縮です。
しかし、日本人って、縁起かつぎで、1番のりが好きな人なんか
いそうな気がしました。
先を争そわないまでも、乗車時の不便は、大なり小なりありそうではありませんか?
乗車方法についてですが、私の記憶では、ホームにワイヤーが張られていて
列車名がかかれたプレートが吊るされていませんでしたか?
それを目印に並んだ記憶があります。 |
投稿者 |
岩崎安房守義将 |
投稿日 |
4月 9日(日)02時28分57秒 |
タイトル |
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管理人様、皆様、如何お過ごしでございましょうか。
さて、3月30日、鹿島鉄道株式会社が国土交通大臣に廃止届を提出し、来春には廃止の動きがでました。
密かに客車を持って来て・・・なんて考えていたら・・・
現在、JRとの軌道接続は切断されていて、輸送が容易では無いのですが、
せめてもう一度蒸機と在来型一般車を転がしてみたかったものです。(軌道構造からC12機なら・・・)
こうなると非力な貧乏特定非営利活動法人、ああっ貧乏が憎いっ!
全国的に色々無くなる中で、どうしても1/1の世界での活動が求められる公益事業、レールが無くなる事が一番辛いです。
道があれば、そこに価値創造の華もあります。しかし、一度閉ざされた道を構築する事は難儀です。
このままですと、蒸機どころか客車どころか、鉄道そのものが「過去のもの」になる危険があります。
危倶は確実に恐怖へと、そんな寒い春です。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
4月10日(月)11時12分54秒 |
タイトル |
鹿島鉄道 |
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鉄道そのものが「過去のもの」になる危険があります。
霞ヶ浦湖畔に旧型車と、趣味の視点ではこの上ない至宝である一方、肝心の親会社の
関東鉄道における、TX開業後の苦境振り(特に高速バス需要の激減)を勘案すると、
財政状況を踏まえた公的助成の是非など、我々、茨城県税を納めている立場としては、
世知辛くも………という事になりそうです。
元々は鹿嶋方面を目指す筈が鉾田終着となるなど、本来の旅客需要との整合性ないし、
常陸小川・玉造町における合併状況(共に自治体の中心域ではなくなりました)など
地勢的な環境を考えた時、今回は凌げたとしても、存続に足る需要を確保できるのか、
正直、腕組みモノです。
鹿島鉄道といえば、上野動物園の遠足集約臨として12系で運転された「パンダ号」が
懐かしいですね。常陸小川駅で保存されている「カバさん」も牽引した事があるとか。
この週末は、桜花との組合せを狙っての三脚組の方も多々、遠征された事でしょうね。
折しも「サザエさん」新OPでは、船岡城址公園から俯瞰する東北線が登場しました。
さて、この画像ですが、果たして「客レ」と言えるのでしょうか………(^^)
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投稿者 |
103列車機関士 |
投稿日 |
4月10日(月)20時36分33秒 |
タイトル |
あれから・・・ |
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みなさま今日は!
スユニ50のついた「はやたま」をやろうとスユニ50を作り始めました!
1983年の天リウの配置表を見てふと思ったのですが、
オハ50 280 281
オハフ50 62 413 414 415 416
と微妙な数の50系が居ますね、これはどの列車に使われていたのでしょうか?
もしかして和歌山線用ですか?
竜華はホントに興味が尽きませんです |
投稿者 |
車掌@仙コリ |
投稿日 |
4月11日(火)19時50分5秒 |
タイトル |
天リウの50系 |
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103列車機関士様
天リウの50系について調べてみました。(1983年時点)
ご推測の通り、和歌山線の王寺〜和歌山市間で運用されていたようです。
〔天2〕運用として、朝の422レ(和歌山→王寺)夜の421レ(王寺→和歌山市)に
座席車5両編成(オハフ50・オハ50・オハフ50・オハ50・オハフ50)+スユニ50(和歌山側)
の6両編成で運用されていたようです。(牽引機はDE10)
私は竜華とはまったく縁がなかったのですが、本当に興味深い客貨車区だったようですね。
参考文献:国鉄気動車客車編成表83年版・国鉄客車ガイド(ともにジェー・アール・アール) |
投稿者 |
オハネフ12-2018”山陰” |
投稿日 |
4月12日(水)00時38分2秒 |
タイトル |
天リウの50系 |
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車掌@仙コリ様、103列車機関士様
地元での天リウの50系の話題がありましたのでカキコいたします。
当時は、和歌山線唯一の客車でもあり、運行時間に合わせ大回り乗車の時に乗車した記憶があります。
朝と夕方の運用であった為、422レの乗車のみ体験しています。
当時は旧客(山陰地区)がまだ現役で運用されていた事もあり50系には余り興味も無く
移動にただ使っただけと今思えば、もっと写真等に記録しておけばと残念に思います。
実際、撮影記録も無く唯一、車内補充券を購入したに過ぎません。(廃止が決まってからの乗車だったかも?)
参考まで1983.6月の時刻表より主な駅の時刻
421レ
王寺17:56高田18:17-17五条19:04-06橋本19:36粉川20:15和歌山20:49和歌山市21:16
422レ
和歌山6:53粉川7:29橋本8:11五条8:27-8:29高田9:11-11王寺9:31
両列車共に五条-和歌山間は快速運転となっています。
参考文献:日本交通公社1983年6月時刻表より |
投稿者 |
オハネフ12-2018”山陰” |
投稿日 |
4月12日(水)00時46分38秒 |
タイトル |
天リウの50系 |
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連投ですみません。和歌山線422レ車内補充券がありました。
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