倶楽部メモ(304)
平成18年 1月11日〜 1月16日


投稿者 茶つばめシルバー
投稿日 1月11日(水)01時19分21秒
タイトル EF57牽引のつばめの車体標記ついて
こんばんは。
以前、つばめヘッドマークについてご質問させていただきましたシルバー改め茶つばめシルバーと申します。
過去ログにあるかもしれませんが、昭和26年10月〜昭和28年頃のEF57牽引時代の茶つばめに使用されていた
客車の車体標記(形式番号標記、所属標記、定員標記、検査標記、換算標記、等級標記等)を調べているのですが、
なかなか調べがつきません。
調査方法や参考になる書籍、文献、情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけませんでしょうか。
宜しくお願いします。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 1月11日(水)10時20分57秒
タイトル Re:EF57牽引のつばめの車体標記ついて
>茶つばめシルバー様
模型化の資料をお探しなのでしょうね。
それでしたら鉄道史資料保存会から出ている「スハ43系客車明細図」が参考になると思います。
なにしろ本職の図面なので標記の大きさや位置の寸法もあります。
昭和58年の発行で、どこでも売っているものではありませんが、なんとか入手出来るのでは?
投稿者のホームページ



投稿者 茶つばめシルバー
投稿日 1月11日(水)23時06分45秒
タイトル ありがとうございます。
 竹中@ノーブルジョーカー様
ご教示ありがとうございます。なんとか探してみます。

投稿者 雑魚
投稿日 1月12日(木)08時50分58秒
タイトル 初めまして
特急「出雲」の去就関連で、こちらの頁に辿り着きました、茨城県民の雑魚と申します。
山陰ワイド周遊券を介した旅の締め括りは、少し奮発して「出雲」が定番だった事から、
今回の措置は、事の是非はさて置き「日本海」の函館直通廃止と併せて、時代の趨勢を
感じます(さしあたり、鳥取以西の立席需要がどの様に代替されるものやら)

手土産として、地元ネタの一つである水郡線の客レを紹介させて頂きます。まず上段は
昨秋、一年振りに運転された「レトロ奥久慈」の回送です。本運用は往路が逆光気味で
復路が日没後と意外に撮りにくい代物ですが、郡山から回送された事前運用はバッチリ。
私自身、水戸市内への通学(学校の近所の旧那珂川貨物駅では、ナハフ改めナヤという
珍妙な教習車が御馴染みでした)に利用していた旧客列車を彷彿とさせますが、当時の
客車は青色でした。

下段は毎年一・二回、福島県内の団体を対象に運転される12系で、約一年前の撮影です。
上記旧客と同様、高崎所属の為、前後に水戸線経由で回送されるのも魅力です。原型を
留めている12系は、全国でもこの編成のみなのでしょうか。また、当該運用がいつまで
続くものか、気になるところです。

その他、自宅から車で一時間少々の東北線にて「北斗星」「エルム」「ゆとり」撮影に
興じるなど、形式には詳しからざるも、現在進行形で客車を追い求めています。どうぞ
よろしく御願い申し上げます。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 1月14日(土)18時14分29秒
タイトル 夏場の話ですが
大雪で苦渋の皆様お見舞い申し上げますm(_ _)mところで客車に扇風機っていつ頃とりつけられたのでしょう?
私が高校の頃(昭和60年より少し前)にはありました。



投稿者 森井 義博
投稿日 1月14日(土)20時31分1秒
タイトル Re:EF57牽引のつばめの車体標記ついて
客車の資料なら、「スハ43系客車明細図」よりも、
「鋼製客車明細図集(第二刷)」の方が新しいので見つかりやすいと思います。(1993年の発刊だと思います。)
これは、スハ32系丸屋根客車と、スハ43系切妻客車の明細図の2編を再編集したものです。



投稿者 茶つばめシルバー
投稿日 1月14日(土)23時00分48秒
タイトル ありがとうございます。
 森井様
ありがとうございます。こちらのほうも探して見ます。


投稿者 てりてり
投稿日 1月15日(日)01時08分23秒
タイトル 下総守こみやさん 様
 失礼します。
お尋ねの件ですが、もし宜しければ『北総レール倶楽部』のホームページより「鉄道死語辞典」の中の
「近代化改装客車」と言うぺージが一つのヒントになると思います。
取り急ぎまで。

投稿者 東海道線沿いの住人
投稿日 1月15日(日)22時02分13秒
タイトル 出雲号の廃止は残念ですが・・・
東海道線沿いに住む一鉄道ファンとしては、出雲号の廃止、ブルトレの衰退は非常に淋しく残念であります。
ただ、移動手段としてのブルトレが、一部区間を除きすでに競争力を失っているのは現実です。
今のブルトレもほとんどJR各社のプライドで残しているような状況と自分は感じます。
(JR内にも鉄道ファンは多いでしょうから)
やはり、旅情や雰囲気などを感じられる路線(北海道)で観光特化して行くのでしょうね。
JR各社にもブルトレを見殺しにはしないで頂きたいとは思いますがね。
今の社会の世相と同じですよな。
負け組、リストラ組は物悲しいものです。
がんばれ、長大客車編成列車。
深夜は長大貨物列車が大合唱の東海道線沿線の住民でした。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 1月15日(日)22時25分9秒
タイトル てりてり様
早速のご教授ありがとうございます。m(_ _)m
三等車の場合はどうやらこの時期みたいですね。
ただ一等二等だとこれ以前にあったような。曖昧ですが写真で見たような気がします。
車内の扇風機は鉄道死語ですか。確かに見かけなくなりましたね。
でも○成電車は今でも元気で今年も活躍することでしょう。
冬場は国鉄も私鉄もカバー掛けていて広告スポンサーは東京銀行が多かったな(^^)
東京銀行の広告に心当たりがあれば今は立派な社会の中堅だね(^^)


投稿者 雑魚
投稿日 1月15日(日)23時54分20秒
タイトル 社会的使命
> 今のブルトレもほとんどJR各社のプライドで残しているような状況

「出雲」の嚆矢は、1951年に登場した宇野発着臨時急行の併結便だそうですね。その後、
56年に急行「出雲」として独立、新幹線が岡山まで延伸された72年に特急化されました。
まさに、戦後の高度経済成長にあって、本格化しつつあった広域的な旅客需要に応えた
存在と感じます。今回の廃止決定は、その社会的な使命を全うしての勇退、と考えたい
ものですね。本当に御疲れ様でした、という印象です。



投稿者 705レ
投稿日 1月16日(月)16時11分41秒
タイトル (無題)
昔、急行だいせん5号 大阪発出雲市経由大社行き 705レ
(DD51-スユニ50-マニ50(60?)-カヤ21-ナハ21×3…ナハネ20-ナハネフ22)
の20系時代の3段寝台に乗ったことがありますが、
夜中目が覚めて最後部のナハネフ22 15から外を見ると
DD51の補機がついていた様な記憶がありますが、
1、補機はついていたのでしょうか?
2、補機がついていた区間を教えてください。



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