倶楽部メモ(299)
平成17年11月16日〜11月22日 |
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月16日(水)09時27分35秒 |
タイトル |
【20系】牽引機 |
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青列車さま、ご指摘ありがとうございます。
EF61が20系寝台特急の先頭に立っていたとは存じませんでした。
私は、昭和38年にEF60へと一斉に切り替えられたと理解していたのですが、
SG付きでEF58の後継機種の位置付けのEF61の牽引実績があるとは意外でした。
それと20系牽引の実績、関門トンネル専用機のEF10,11,30が落ちていました。 |
投稿者 |
準急ながら |
投稿日 |
11月16日(水)21時00分58秒 |
タイトル |
EF61 |
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この当時のEF61ブルトレ運用は上りの「あさかぜ」だけだったようです。
もちろん所属は宮原区。
金星かなんか急行列車の運用で下ったようですが、
EF61のはっきりした東海道本線上の急行運用は上りの霧島しかわかりません。
きっとEF58との共通の運用が多かったのでしょうか。
どなたか、広島電化以降〜EF60500番登場までの
東海道本線上のEF61の具体的運用を詳細にご存知のかたお見えませんか? |
投稿者 |
準急ながら |
投稿日 |
11月16日(水)21時21分1秒 |
タイトル |
ちなみに |
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EF61のブルトレ牽引はEF60500登場以前のお話です。
たしか、ブルトレ増結とセノハチのことで牽引力増強の必要がありEF60にスイッチしたのでは。
EF61は牽引力不足ではねられたようです。クイル式がその当時からトラブル続きだったのかもしれません。
間違いだったらごめんなさい。 |
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月16日(水)21時47分17秒 |
タイトル |
お礼 |
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青列車様へ
確かに磐越西線専用のED77には20系客車の牽引実績は無いですね。
KC様へ
セノハチのD52の後補機、忘れていました。 |
投稿者 |
岩崎安房守義将 |
投稿日 |
11月17日(木)15時16分0秒 |
タイトル |
また余計な事を申し上げます |
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管理人様、皆様御無沙汰をしております。お元気そうで何よりでございます。
実は鉄道文化財保存、と言うカテゴリーに関して過去に幾度も「ブーム」の徴候がありました。
しかして、その中で取り上げられる「機材」は蒸気機関車・電車・電気機関車が多数で、
気動車や客車はやはり「日陰」だった事は否めません。
それでは、形として残せばそれで良いのか、と言う文化財保存共通の宿業があります。
元々は9600機かC58機で構想がスタートした「新津商工会議所計画」(これも本来はD51機が起点)は、
東北地域本社の「C58計画」と統合されてそれこそ全国のC58機の調査をしたものでしたが、
新津市内の小学校に保管されていたC57180機になり
(会津ではゴナナに猛反発したそうです。仇敵長州「C571機」と同じ機種ですからね)
・・・と言う経緯は皆様も御存知でしょう。
実は鉄文協崩壊が始まった平成元年頃から、
「市民参画・民間出資・地域主体」の市民運動的蒸気機関車列車運行システムの全国への波及を念頭に、
有識者が非公式に活動した事がありました。
小生はその末席の末席、茶坊主程度のものだったのですが・・・
その構想は「蒸気機関車と共に客車=在来型一般車の保存と付加価値の創造による
(鉄道文化財保存と地域観光活性化の融合に対する)社会的認知度の向上、とされておりました。
つまり、やはり汽車は動くものとの認識が強いなかで、人目を引く「パンダ」を幾つか並べた中で、
「動かなくても観光資源になりますよ」と言う具体例を数多く作り、行く行くは法令改正に至らしめて、
「英国型保存鉄道の実現」へ・・・と夢は壮大でした。
その一つのスタイルが「鉄道保存協会」だったのです。
ここには鉄道マニアは一切関与させず、
経営者・学者・技術者・専門家による「車両保存の技術及び情報のネットワーク」を
「ビジネスライク」に行う事で「社会的地位向上」を計ると言うものでした。
まぁ、某組織の一担当者が偏狭な考えで勝手をしまして、「ボランティアの専門家」の排除
(実は自分の「子分」達の為に他の組織を排除した)をしまして・・・
この頃鉄文協も同様崩壊を始めていましたので、「有識者の方々」は非常に嘆いていらっしゃいました。
殊に竹島RJ社長や白井大鉄副社長(当時)は「各々の役割」を強調され(第一回保存協会例会=寸又峡温泉)て、
「滅私奉公」の出来る市民の参画こそが鉄道文化に不可欠と強く私におっしゃられました事は、一生忘れられません。
ボランティアは「志願兵」の原意で、「やってやった」では義が通りません。
恩着せがましい態度では拡大・継続は困難なんですね、
ところが鉄道マニアの半数はボランティアとなるとこの態度に豹変する・・・
米山JNT事業課長(当時)も悩んでおられました。
では鉄道マニアは黙って見ていろ!と言う事では無いのです、
その精神を第一にして望めば新しい人との出会いが自分自身の成長に大きく有用なのです。
その上で「俺のこの汗が歴史を変えているんだっ!!!」と青春ドラマの様な「思い」を是非抱えて、
プライドを高く持って頂きたいのです。
極めて紳士に、極めて格好付けて。最初はフリでも良いんです、段々本当に紳士的になるものです。
最初は自分の趣味志向に合っていて、自分で無理の無い場所・内容・組織で出来る事を出来る時に・・・で良いんですね、
要は「楽しく参加」する人口の拡大こそ必要なのです。
客車、ことに在来型一般車の欠乏は趣味的分野のみならず、
地域観光活性化を真剣に考える自治体や鉄道会社にとっても大きな課題です。
しかし、1億2千の人のうち1割でも「本当に必要よね」と話題にして貰わない限り、
客車は残らない環境に今日の日本はあります。
斯く言う弊連盟でも運行用となれば「新造した模造在来型一般車」なんて茶濁しをしているのは、
「在来型一般車の保存と運行の可能性」を考えた時に法令税制上からも世論からも
かなり厳しい環境にある事を認知している為です。
ただそれを逃げ口上に「されて」客車の「殲滅」にされない様に慎重ではあります。
もっとも、車両以前に鉄道路線自体が危機的ですからね・・・
結果ウチも「先ずレールを残さねぇと客車なんぞ走れ無いベァ」と言う方針になってしまって・・・
模型趣味の方だって、ちゃんと鉄道文化財の保存活用に活躍されていますから、
是非皆様お一人でも多く、参加は勿論そんな運動がある事に「注目」して下さいませ。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
下総守こみやさん(^^) |
投稿日 |
11月17日(木)22時37分7秒 |
タイトル |
箱根に行って来ました。 |
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ラリック美術館にオリエント急行のプルマン客車が展示されています。
予約制で車内にて軽食が食べられます。
あいにく満席で遠目に見学するしかなかったのですが。
雨露が完璧にしのげての保管も悪くないような気がします。
本当は走らせて欲しいのが理想ですがこれは難しい。
雨ざらしになっている保管機やよくて屋根付き檻に入っているのは気の毒な感じです。
これから先貴重になった車両を大事に保管することが大事かもしれません。
大宮にできる新しい博物館に期待します。 |
投稿者 |
KC |
投稿日 |
11月18日(金)11時40分59秒 |
タイトル |
Re:20系客車の牽引実績のある機関車 |
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事故発生の為の臨時処置としてですが、C58も牽引していました。
有名なところでは“あけぼの”がありますが、
岡山県内山陽線での貨物列車脱線事故発生による赤穂線迂回運転においてC58が牽引しました。
(昭和37年頃、当時赤穂線は全線非電化、山陽線は広島まで電化)
151系“つばめ”“富士”“うずしお”も赤穂線内をC58で牽引されたそうです。
(当時の鉄道ピクトリアルの記事より)
その他にも調べてみれば出てくるかもしれません。 |
投稿者 |
にんにくたあ |
投稿日 |
11月19日(土)06時50分22秒 |
タイトル |
ナハフ11を作りました。 |
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夏頃この掲示板で話題にさせていただいた、ぶどう色のN客車を作りました。
キングスホビーの真鍮製キットを買い込んで、ナハフ11を組み立てました。
本当は同社の完成品をできるなら発売全形式を揃えたいのですが、何しろ一両が15,000円前後もする高価のもの。
とても薄給では続々増備とはいきません。そこで考えたのが、同社からでている真鍮製キットの組立です。
これなら製作コストをかなり抑えられると踏んだのです。
でも世の中うまい話ばかりではありませんね。
私はHOキットの組立経験はあるのですが、Nのキット組立ははじめて。
HOの組立に慣れた腕には、Nの部品の小ささに感覚がついていけませんでした。
塗装も何度もやり直し。
(HOならマスキングテープのズレも少々は気にならないのですが、Nでは少々が気になって納得できず)
おまけに老眼が進んで、インレタを貼ったときにはひどい肩こりに悩まされました。
塗装はぶどう1号にこだわりました。
何とか完成したものの塗料代を含めたコストと、費やした莫大な時間、肩こりの不快感・・・を考えると、
完成品を買ったのとどっこいどっこいかなあという感じです。
もうすぐ待望のボーナス。次はキングスの完成品を数両増備する予定です。 |
投稿者 |
急行音戸 |
投稿日 |
11月20日(日)15時05分1秒 |
タイトル |
Re:20系客車の牽引実績のある機関車 |
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急行音戸と申します。
20系牽引機ですが、59.2改正で、山陽・東海道に下山?した、
下関運転所所属のEF62は牽引したことが無いのでしょうか???
手元に資料が無いのでわかりませんが、そのような記事を拝見したことがあります。
可能性はあったと思います。 |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
11月22日(火)08時04分16秒 |
タイトル |
20系の牽引機事情 |
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昭和48年ごろにC58が「あけぼの」を牽引したのは有名な話ですが、
確か当時の20系はブレーキの関係で牽引できる機関車が限定されていたのではないでしょうか?
廃車寸前のC58がP改されていたとは思えないですし。 |
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投稿者 |
バンブー |
投稿日 |
11月22日(火)09時48分14秒 |
タイトル |
P型機? |
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この話題になった時から気になっていたのですがP型機ってEF58・EF60・EF65以外に有ったのでしたっけ? |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
11月22日(火)10時30分55秒 |
タイトル |
【20系対応】他にもあります |
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>>バンブー様
お尋ねの件、20系のAREBブレーキ対応の事でしょうか?EF70、ED75、ED76、ED73の各1000番台は該当するはずです。
DD51では500番台がそれにあたるはず(重連仕様車。MR管引き通し)。
EF80は番台区分はされていないようですが、20系牽引対応車がゆうづるなどには限定運用で当たっていたはずです。
ED78・EF71などは全車が対応できたものと思われます。
AREBブレーキが20系に装備されたのは所謂よんさんとおでの客車特急の最高速度時速110キロ化に備えたもので、
「P型」限定で110キロ運転ができるようになったものです。
それ以外の機関車では牽引できないという代物ではありません。
ただ、P型以外、MR管引き通しのないカマで牽く場合、最高時速は95キロ以下に制限されてしまいます。
初代のEF58やEF60-500、EF61の時代にはMR管の引き通しはありませんでしたが、
当時はブレーキシステムが旧型客車のそれと同じだった由。故にカマの制限は無かったのです。
>>太田様
陸羽東線の迂回「あけぼの」をエスコートしたC58にMR管は当然ながらありませんが、
C58ではどう頑張っても時速100キロ以上出して走行する事はまず不可能でしょうし、
陸羽東線の線形を考えると線内では時速85キロ以下で走ったものと思われます。
MR管がなくても支障はなかったものと思われます。
因みに、EF58の所謂P型改造は1972(昭和47)年10月改正で、
高速貨物増発のためEF65F型、PF型捻出のため、関西発着のブルトレの牽引機として、
高速貨物列車と並行ダイヤ化して、投入する際20系のブレーキ対応のため充当したもので、
ブルトレカラー時代のそれとは装備が異なります(こちらは主にカニパンスイッチ。ブレーキ系統には特段の改造はなし)。 |
投稿者 |
バンブー |
投稿日 |
11月22日(火)11時59分49秒 |
タイトル |
P型機 |
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青列車様
詳しいご解説ありがとうございます。
私の勘違いでEF60-500はP型ではないのですね。 |
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