倶楽部メモ(298)
平成17年11月15日〜11月16日 |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
11月15日(火)01時50分32秒 |
タイトル |
【長距離】主体は急行・普通だった時代 |
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お邪魔しますm(_
_)m
>>下総守こみやさん(^^)様
>>それにして当時高級だったとは言えロザハザでの旅行はちょっと勘弁。一昔前の総武横須賀グリーンで長崎まで(^^;
確かに今日の目で見るとご指摘の通り、いかに我ら「鉄」もの、わけても客レ大好き族と雖も、
たじろぎを覚えなくも無い行程ですが(^^); 当時あのシートなら文句も無かったでしょうね。
まだ航空機の利用は極々限られた人のものでしたし、ハザと雖も特別急行列車を利用できるのは比較的裕福な階層でしょう。
一般庶民は良くて急行、場合によっては長距離普通列車(鈍行列車)での行程です。
ロネロザハネはプラチナチケット。勢い、ボックスシートで24時間…てなことに。
多少の速度を犠牲にしてでも、定数一杯に編成を伸ばしても、定員の多いハザ車を多めに入れても、
それでも全員が着席できるまで用意できない(座席定員をはるかに超える利用客)のが実情。
通路やデッキに新聞紙を敷きごろ寝して…なんて経験は団塊の世代以上の方々はおそらくご経験のことと思います。
それでも定期急行なら10系、43系。
悪くてもオハ35系(含:スハ42・オハ36・スハ40)ですが、臨時急行や普通列車になるとスハ32ならまだまし、
下手すりゃ板張り背ずりの60系客車(但しオハニ36、オロ61、スロ62、オロフ61、スロフ62は除外)ってなこともありました。
因みに私は1974年8月に徳山〜京都間急行日南1号、1982年9月に出雲市〜京都間で普通「山陰」号で、
前車はオハ47、後車はスハフ42で一晩過ごした事があります。
しかし前者は中学時代、後者は大学時代、生意気盛りのガキ、若造時代の話で中年街道も半ばまで来た現在、
同じことができるか?と言われると多少不安がなくもないです(やってみたいのはやまやまなのですが)(^^);
これ以外の座席夜行体験は、大学時代14系ハザで徳山〜新大阪間(阿蘇)、
東京〜京都間(銀河51号。因みにこの時のカマはEF5861!)、
就職して30代になった頃の富山〜上野間(能登。ストッパー改良型のオク車)、
そして、165系引退直前の370M(大垣〜東京間。この時はサロ利用)です。 |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
11月15日(火)01時57分34秒 |
タイトル |
【20系座席車】区間利用対策? |
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連続投稿失礼致しますm(_
_)m
さて、登場当時の20系客車に座席車があった件ですが、
これは当時、全車寝台編成というものに自信が無かった事、深夜に於いても案外区間利用があった事、
長距離列車だけに末端区間では昼行列車としての性格も生じた事などがあったのではないでしょうか?
今では夜行列車の設定の無い路線でも、20系登場当時は夜行列車の走っていた路線は多々在りました。
今のように自動車も高規格道路網も普及していなかった当時のこと、
夜間でも案外短距離中距離利用は少なくなかったのではないでしょうか? |
投稿者 |
下総守こみやさん(^^) |
投稿日 |
11月15日(火)05時03分21秒 |
タイトル |
20系座席車 |
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私のイメージとしては寝台にアブレた人が利用のような気が(^^;座席車の方が定員が多いし。
うちの親父が長崎出張の際行きは雲仙のハザ帰りは取引先のはからいでさくらだったみたいです。
取引先に頼まなきゃいけないほどのプラチナチケットだったのは確かです。
私も越前とかのハザで一夜を。佐渡やばんだいの夜行にも乗ったのは高校の頃。
あの時代の思い出を掘り返していただいた青列車さんに感謝しますm(_ _)m |
投稿者 |
KC |
投稿日 |
11月15日(火)11時20分7秒 |
タイトル |
さくら 特殊編成 |
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さくらに関する編成で特殊なものがありましたのでご紹介します。
昭和37年1月7日さくら編成
EF5892+ナハネ1066+ナハネ1094+ナハネ1098+オハネ1713
+オハネ1719+スハネ3063+ナハフ204+ナハ201+ナハネ2053
+ナハネ2064+ナシ2053+ナロ2054+ナロネ222+カニ222
山陽線宇部駅での事故の影響で発生した、10系客車と20系客車の混結編成です。 |
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月15日(火)12時02分45秒 |
タイトル |
早速のご回答ありがとうございました。 |
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EF6480様、
クモイ103様、下総守こみやさん様、仙コリ様、KC様
早速のご回答ありがとうございました。
昭和34年のデビューから昭和36年7月までの博多〜長崎間をC57が牽引し
た時代の床下、台車が灰色の頃の編成をNゲージで再現したかったので、
ARC編成室をいつも参考にしているのですが、今回の「さくら」の
編成は他資料と比較して矛盾があったので質問させていただきました。
あと資料に当たっていないのですが、「さくら」の電源車はデビュー時は
通常カニ21、まれにマニ20、昭和35年7月の「はやぶさ」の20系化と
EF58ブルトレ専用機投入時からは「あさかぜ」の電源車はカニ21、「さ
くら」はカニ22、「はやぶさ」はマニ20で、編成全体の床下と台車が
灰色だったようですね(1回目全検時の昭和37〜39年にかけて床下と台車
が黒に塗り替えられたみたいです。)。
マニ20 昭和33年 3両新製(あさかぜ用)
カニ21 昭和34年 3両新製(さくら用)
カニ22 昭和35年 3両新製(はやぶさ用) |
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月15日(火)12時20分21秒 |
タイトル |
20系客車の牽引実績のある機関車 |
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連続投稿ですいません。
20系客車の牽引実績のある機関車って本当に多いような気がします。
SLではC11、C57、C58?、C59〜C62、D51?、EF58、EF59、EF60、EF64、EF65、EF66、EF67?、ED70〜78、EF70、EF71、
DD50(米原田村)、DD51、DD54、DE10、DF50くらいだと思いますが、牽引実績のない機関車の方が少ない位だと思います。
KATOの20系客車の再生産とC62のリニューアルが楽しみですが、いつになることやら |
投稿者 |
EF5841 |
投稿日 |
11月15日(火)12時48分56秒 |
タイトル |
「あさかぜ」のハザ |
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「あさかぜ」のハザ 利用 寝台あぶれというよりは、ナロを含めて、中京、京阪神地区の日着利用を見込んだものです。
今は死語となりましたが、この地区の有効利用時間帯 最後が「あさかぜ」でした。 |
投稿者 |
よし |
投稿日 |
11月15日(火)18時11分12秒 |
タイトル |
倉吉線客車について |
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廃線直前の一月ごろに倉吉線に乗りに行った時、
オハフ33+スハフ42の列車に乗った記憶があり、確か車両の色が青+茶だったと思うのですが、
どちらがどちらの色か長年思い出せずにいましたので今回投稿させていただきました。
どなたかご存知の方おられますでしょうか? |
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
11月15日(火)19時06分54秒 |
タイトル |
Re:倉吉線客車について |
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廃止直前の倉吉線の客車は米子客貨車区〔米ヨナ〕の車両が使用されていたようなので、
手持ちの資料から廃止1年前の米子客貨車区所属のオハフ33とスハフ42の色を調べてみると
スハフ42は所属4両すべてが青色だったようなので、青色だったのはスハフ42であったと思われます。
ちなみにオハフ33については所属15両中、青色が9両・茶色が6両だったようです。
なお、晩年の倉吉線の列車走行音と写真を当サイト「客車列車の旅」の「サウンドコレクション」
「田ノ上コレクション」に掲載しておりますので、ぜひお楽しみ下さい。
参考文献 ジェー・アール・アール 国鉄気動車客車編成表 83年版
ジェー・アール・アール 国鉄気動車客車情報 84年版 |
投稿者 |
よし |
投稿日 |
11月15日(火)21時46分12秒 |
タイトル |
ありがとうございました |
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早速のお返事ありがとうございました。
長年気になっていましたが、どうやって調べたらよいか分からず困っておりましたもので・・・。
書籍に載っているものは廃線よりも前のもので廃線直前のものが見あたらなかったので本当に嬉しく思います。
また何かありましたらよろしくお願いいたします。 |
投稿者 |
ストーブ列車 |
投稿日 |
11月15日(火)22時18分32秒 |
タイトル |
20系座席車とその時代 |
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昔の鉄道ファンの回想録を見ていると、「ビジネスマンが名古屋でずいぶん降りていった」
という一文があることから座席車は区間利用者も結構あったみたいです。
ナハ21を除く20系座席車が活躍していた時代は「東海道本線」が輝いていた古きよき時代の
話ですね。
昼は151系パーラーカー、夜は20系ルーメットが華でしたね。
パーラーカーは非常に残念なことに保存車0ですが、ルーメットは狩勝にいるナロネ22が
「旧狩勝線を楽しむ会」によって手入れがされているので末永く保存してほしいですね。 |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
11月16日(水)00時04分18秒 |
タイトル |
【20系】牽引機 |
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お邪魔しますm(_
_)m
>>yuki様
横レス失礼します。20系特急の牽引機には、EF61も入れてやってください。
実際茶色塗装時代に「あさかぜ」をヘッドマークも凛々しくエスコートする姿の写真が文献等に紹介されています。
未確認情報で恐縮ですが、試験的に?ブルトレ塗装にされたEF61も存在したとの事。
但し広島工場での試験塗装との事で、現車は工場内に保管され(一般公開時にはお披露目された由)、
実際にその姿で本線上を「列車」として走った事はないようですが…
ところで、ED77の牽引実績はあったのでしょうか?
実質的に磐越西線専用機だったと認識しておりますが、
磐越西線には定期列車での20系客車の運転例は寡聞にして存じませんが、
或いは?列車番号6000〜7000台、または8000〜9000台として運転された事があったのでしょうか?
些細な事で恐縮ですが、ふと気になりましたので出て参りましたm(_
_)m |
投稿者 |
吊り掛け丼 |
投稿日 |
11月16日(水)02時26分59秒 |
タイトル |
ブルトレ塗装のEF61 |
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突然失礼致します。青列車様の61ブルトレ塗装の件、大変興味をそそられました。
果たして、58のブルトレ塗装なのか、はたまた60や65のパターンなのか、知りたい所です。
以前、某鉄道雑誌の連載の中で、余剰になった61の蒸気発生装置を撤去して、
そのスペースに回生制動装置を搭載し、上越方面に転用する計画が有ったとか無かったとか。
前面に庇を付け、ブルトレ色になって、颯爽と特急貨物の先頭に立つ61を勝手に想像してニンマリしていたのを思い出し、
不運の釜に花道をと、模型の世界で実現してみたくなりました。 |
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