スハ32様、123レの情報をありがとうございました みなさまの情報で本当に賢くなります
ところで私の旧客デビウは1971年夏の急行(桜島・高千穂)でした
全区間完乗と言えば自慢できるのですが、静岡〜浜松間の短い乗車でした
子ども心にこの列車は同じ急行でも(東海)より格上であることはわかりました
当時の(桜島・高千穂)はブルーの10系主体の編成で、時たまそこにスハ43が混じることがありました
受け持ちはシナだったと思います
サボは紺地に白文字で「西鹿児島行き」と入っているところに何とも風格がありました
グリーン車はオロ11で、桜島編成・高千穂編成にそれぞれ一両連結されていました
屋根が平べったくて、窓の大きなこの客車はとてもスマートでいつか乗りたいと思いつつとうとう機会を逸してしまいました
いつ見かけてもがらがらでした
そして食堂車も連結されていました 食堂車は桜島編成についていたと思います
名車オシ16でこちらも昼下がりがらがらで走っていました
食堂車のおかげで車内販売もありました
ナハ11の座席に腰をかけ、窓をいっぱいに開けて、車販のアイスクリームを食べたことを今でも覚えています
旧客の魅力の一つに、窓を全開できることにあると思います
夏の旅で窓を全開する爽快さは、エアコンつきの車両では味わえない贅沢さです
うちに帰って髪の毛を洗うと鉄臭い列車のにおいがしました
(桜島・高千穂)は東海道新幹線開業から11年もたった、1975年まで走り続けました完乗できなかったのが悔やまれます |