はじめまして、太田拓也と申します。
昭和53年都会生まれなのでここの話題に直接縁がないのですが、昔の客車に非常に興味を持っています。
さて、空想旅行でもしようかと思ってたまたま入手した昭和42年の時刻表で
最長距離列車「富士」「高千穂」のダイヤを見て疑問を感じたことがあります。
1.下り「富士」の西鹿児島着が19時を過ぎるが、食堂車で夕食の営業をやっていたのか?
だとすれば食堂車で4回食事ができる列車ということになるが。
(昭和52年の鉄道ジャーナル列車追跡では終着直前に店じまいしていたようだが、
これは当時は18時着で下車前の食事が中途半端であるのと、
同区間の優等列車が増えて「富士」の利用客が減少したことによると思われる)
2.昔は寝台の使用時間が厳密に決められており7時を過ぎると解体されて座席車として開放されていたらしいが、
9時02分着の大分で切り離される下り「高千穂」のロネも寝台解体するのか?
車両やダイヤの資料は入手できてもこういう情報は当時の人に尋ねないとわかりません。
どなたか遅れてきた私に教えていただけないでしょうか? |