2003年12月・鉄道ピクトリアル「鉄道友の会50周年記念号」に詳しく載っており
現在も入手可能なのですが・・・・・その供述に寄れば、
総武本線・成田線では昭和35年3月当時、「千キウ」にダブルルーフの
オロハ30 22・23・30が配属されていた模様です。
もっともサービスは「極めて劣悪」だったらしく、わざわざ高い運賃を払うものなど皆無だったようですが・・・・。
その後オロハ30はオハ26に格下げされ、
32系のスロハ31 5(この車だけダブルルーフ)・28・29に置き換えられていました。
一等車連結廃止の直前には35系のスロハ32 71が加わっていたようです。
当時の編成例は
昭和36年10月1日銚子発両国行き326レ
C58101[岩]
+
オハフ61 147
オハ61 46
オハ60 143
オハ60 45
オハ60 192
オハ60 38
オハ60 194
スロハ31 29
マユニ78 23
なる編成だったようです。
また、気動車化当時は「キユニ」が存在しなかったためC12(後に8620、DD13に代わる)+ワキ+ユニの編成で
2往復の郵便荷物列車が出現しました。
千葉鉄道管理局昭和30年3月発行の「小口貨物列車時刻表」によれば
両国3時35分発の151レ・10時30分発の153レがあり
本千葉で東西に分割併合してそれぞれ房総半島を一周、安房鴨川と本千葉で列車番号を変更、
252レは13時37分、254レは21時46分に両国に帰着しました。
この通称「ワキ列車」は昭和40年10月1日ダイヤ改正まで運行、
以降の仕事は「千チハ」配置のキユニ11 1・2、キユニ191〜4に引き継がれました。
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