倶楽部メモ(237)
平成16年 5月25日〜 5月30日


投稿者 こう
投稿日 5月25日(火)18時46分23秒
タイトル スハフ42は・・
SLあぶくま号・・とてもいい感じですね。
欲を言えば・・欲は言ってはいけないかもしれませんが、スハフ42の赤帯はまったく受け付けませんが、
このクルマの車体色はブルーでも楽しいですよね。
実際は青と茶の混色列車が多かったですから・・
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投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月25日(火)18時50分49秒
タイトル Re:赤帯
スハ32様
高崎の旧客の赤帯の状況をご教授いただきありがとうございます。
最近、地元福島県内でたびたび旧型客車列車が運行されうれしいかぎりなのですが、
高崎の旧客のうちオハ47の2246と2266、それにスエ78の3両を実際に見たことが無かったため、
質問させていただきました。
実際に赤帯を巻いていた時期があるであろうスハフ32はともかく、スハフ42等に赤帯はやはりいただけないので、
まもなく全車が本来に近い姿に戻るのですね。

旧型客車での長大編成懐かしいですね。
東北本線での10両以上があたりまえの編成を見て育ったもので、3〜4両の編成というのは確かに短い感じがします。
とはいえ、現在の高崎の旧型客車全車をつないでも、たぶんスエ78は無理でしょうから
7両が限界というのが現実ですよね・・・

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月25日(火)21時04分59秒
タイトル RE:スハフ42は・・
こう様の仰るとおりで、実は私もずっとそう思っていました。
私の記憶(昭和50年代前半の東北本線)でも、主に青色のスハ43系列と茶色のオハ35系列が主体だったような。
もっともJR東日本としてはSLとのマッチングを主に考えている?のでしょうから、
今のJR東日本管内でのSL牽引の時代だとどうだったのでしょう?


投稿者 浪速の某
投稿日 5月25日(火)23時06分58秒
タイトル 茶客 青客 三本線
>JR東日本としてはSLとのマッチングを主に考えている?

その証拠に、現在の高タカ旧客は「三等表記入り」がスタンダード塗装のようです。
赤帯が消されるにあたり、もしやと一応期待はしてみましたが、全検明けで
三本線がくっきり入っているのを見ると、やはりスタンダードと決めているのでしょう。
赤帯が入れられる前でも三本線はありましたからねぇ。
決めているみたいですね。


投稿者 スハ32
投稿日 5月26日(水)02時38分41秒
タイトル (無題)
 三等表記は、客車全盛時代の名残なんで、まだ許せるかなと思います。
蒸気時代も末期は、等級廃止になってるので、末期の旧客レと変わりない姿だと思います。
SL末期のブームから旧客末期の姿を見てきた世代にしてみると、三等表記は違和感がありますね。
ただ今残る旧客登場時の姿を再現してるとすれば、今の姿の方がオリジナル。
文化財として考えれば、オリジナルの姿が良いのかもしれません。
なんとなくですが、JR東日本が、”汽車”が日常だった時代に拘ってる様な気がします。
 見た目的には、大井川鉄道の青・茶混色編成もいいですねぇ。
大井川鉄道もこれ以上茶色にせず青色の客車は、そのままにして欲しいものです。
 JR東日本の客車ですが、放送装置が全て電子音ハイケンス化されてたのがショックでした。
JR東日本持ちの客車では、
オルゴール版は、もう残ってないみたいです。
それでもJR東日本のイベント列車では、現役時代の様な国鉄式の案内放送なので、懐かしくなります。



投稿者 こう
投稿日 5月26日(水)10時55分44秒
タイトル 屋根布
1両1両のクルマを良くみると、車体はきれいに手入れされていますが、屋根が可哀想ですね。
コールタールを何度も塗り重ねてあって、屋根布が見えていませんね。。
1両、屋根の具合が悪いと言うのも分かるように思います。
確かに、僕が現場にいたときも屋根布の張り替えは大変でした。でも、何とか、きれいになって欲しいですね。
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投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月26日(水)18時25分53秒
タイトル Re:屋根布
昨年と今年の「あぶくま新緑号」を見比べていただくとわかりやすいと思うのですが、
全検を受けた車両は確かに車体はきれいに補修されピカピカ(すぎる?)になったのですが、
屋根は見た目つぎはぎだらけといったように見えました。
また、全検前の車両は屋根や雨どいがかなりくたびれて見えました。
工場に当時の屋根布が無いという話を聞いたこともあるので、補修・維持管理が大変なのだろうと思われますが、
せっかく車体がきれいになったので、屋根もきれいな状態に復活して欲しいものですね。


投稿者 こう
投稿日 5月27日(木)10時28分34秒
タイトル 屋根布は・・
確か・・布・・キャンパスだったかと思うのですが・・に焼けたアスファルトを一面に塗って、
上から細かな砂、小石の類を全体に均一に散らしてあったと思います。
貼るときも数人掛でコールタールを塗った屋根の上に一気に張り込んでいたように思います・・
僕の時代では外注化されていましたので直接作業をしたことはありませんが、補修はしょっちゅうしていました。
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投稿者 ストーブ列車
投稿日 5月27日(木)10時47分24秒
タイトル 観光団体列車
ストーブ列車です。
先日はニセコのオユ12の車体色について質問しましたが、その後フジモデル製のオユ12青を購入しました。
ありがとうございました。
また、過去ログで、安芸のオロネ10も帯入りのほうがふさわしいと思ったので、
帯入りのオロネ10を2両、一緒に購入しました。

今回も質問なのですが、観光団体列車用客車の帯ですが、
冷房改造後(スハネ16 600番代・オハネフ13)となった後にも残っていたのでしょうか?
あと、観光団体列車自体冷改後もあったのでしょうか?
また、帯が残っていた場合残っていた場合「安芸」のような急行に
一般車と混じって連結されていたことはあったのでしょうか?
自分で調べてもよくわからないのでご存知の方は教えてください。
情報待っています。

最後にJR東日本の旧型客車ですが、何年か前には全廃の噂があっただけに今も残っているのはうれしいですが、
できれば屋根もきれいにてスハフ42の赤帯も時代に合わないので消してほしいですね。
あと秩父鉄道のC58 363のナンバープレートも形式無しにしてほしい…。


投稿者 スハ32
投稿日 5月27日(木)16時38分55秒
タイトル (無題)
 JR東日本のHPで山形ディスティネーションキャンペーンの案内が公開されています。
蒸気列車の案内が出てますが、全て旧型客車使用です。
特に非電化区間でのD51と旧型客車の組み合わせは、非常に貴重な機会ではないでしょうか?
乗ってよし、撮ってよしですね。
6月は只見線の運行があり、久しぶりに上越線での運転もあります。
今年は、高崎の旧客大忙しの年になりますね!

SL美味しい山形号 7月1日から4日   山形ー左沢  C11+旧型客車3両
SLもがみ号    7月17日から19日 新庄ー酒田  C11+旧型客車3両
SL義経号     9月18日から20日 新庄ー小牛田 D51+旧型客車4両

投稿者 クモイ103
投稿日 5月28日(金)22時32分58秒
タイトル Re:観光団体列車
>ストーブ列車様
1.観光団体用塗色の消滅時期について
 青15号+クリーム裾帯という「観光団体専用列車用客車」の塗色は、
国鉄の塗色規程の上では、昭和39年9月26日の改正で姿を消しました。
実車も、それ以降の工場入場の際に塗り替えられたはずです。
定期運用のない車輌では、休車扱いによって検査回帰が延長される場合もありますが、
この当時、2等寝台車が作っても足りずフル運用に就いていた時代背景を考えると、
おそらく1年程度で該当全車両の裾帯が消えたのではないかと思います。
 一方、オハネ17 600番台・ナハネフ11 600番台の冷房改造は、
10系ハネの中では遅く、昭和43年度に集中して行われました。
 従って、「冷房付き・裾帯入り」の10系ハネは存在しなかったのではないかと思われます。

2.観光団体専用列車のその後について
 少なくとも昭和40年代半ばまでは、この種の列車は走っていました。
のちに一般客向けの「季節列車」を兼ねた列車設定とし、
運転日(時期)によって団体列車と一般列車を使い分ける様になっていきました。
ヨンサントオ改正時の資料を見ると、関西−九州間急行や、季節運転の「十和田」にこうした例が見られ、
時刻表上の運転日以外にも、観光団体列車として走っていたようです。
 なお、もっと初期には、団体列車でも余席があれば一般の個人客が
急行券+寝台券で乗れるという扱いが行われていたようです。


投稿者 旧保津峡駅
投稿日 5月29日(土)23時39分3秒
タイトル 塗装
はじめまして。
どこで聞けばええのかわからないので、ここで質問させてください。
84年頃の以下の客車の塗装は何色だったのか教えてください。

オハフ33 21 223 284 290 394 567
 スハ42 2103 2198
 オハ47 17
 オハ35 1028 3224
 オハ46 47 2040

大体が山陰本線で使用されていたと思います。
ご存知の方いらしっやいましたら、なにとぞご教授お願いしますm(__)m


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月30日(日)00時10分40秒
タイトル Re:塗装
旧保津峡駅様、はじめまして。

おたずねの車両について調べてみましたが、約半数の車両が当時すでに在籍していないようなので、
再度確認してみてください。

わかった範囲での車両の色と1983年当時の配置を記載しますと

茶色(ぶどう色2号)
 オハフ33 394(米ハマ) 567(福フチ)

青色(青15号)
 オハフ33 223(米トリ)
 オハ47 17(福フチ)
 オハ35 1028(福フチ)
 オハ46 47(米ハマ) 2040(米ハマ)

となっています。

参考文献:JRR国鉄気動車客車編成表83年版


投稿者 旧保津峡駅
投稿日 5月30日(日)09時44分48秒
タイトル ありがとうございます
車掌@仙コリ様、迅速な応答ありがとうございます。
前回で聞いた車両のうちスハ42はスハフ42でした。もしそちらもわかるようでしたら
重ね重ねで恐縮ですが、教えてください。
あと年代は84ではなくて82年ごろの間違いでした。すいません。


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