>マロネロ38様
興安丸、徳寿丸を撮影されたのですか。一度写真を拝見したいものです。
鉄道連絡船の歴史については、以前気合いを入れて文献を漁ったことがあり、
座学に過ぎませんが、関釜連絡船のその後についても興味を持っております。
戦火をくぐって生き延びながら台風で座礁し解体の憂き目にあった金剛丸、
それをしのぐ大型優秀船として期待されながら実力を発揮しきれず日本海の藻屑と消えた天山丸と崑崙丸、
そして本来の用途よりも戦後の引き揚げ船として有名になった興安丸、
などなど、いずれもそれだけで本が書けそうな激動の物語で、興安丸については本当に本が出ていますね。
徳寿丸は、洞爺丸台風後のピンチランナーとして青函航路に就航した点でも興味深いです。
連絡船の歴史にはまっていた頃は、単に興味の対象にするだけの立場に一抹の後ろめたさを感じ、
下関の崑崙丸や函館の洞爺丸他の慰霊碑にお参りしたものです。
また今でも、交通博物館に行けば、2階の連絡船コーナーをまず一巡してから4階の図書室に向かいます。
博物館移転の話が出ていますが、連絡船関係の資料は引き継がれるのか心配です。
景福丸ホテルの存在は、仕事で函館に行く機会の多かった父から聞いています。
今は長崎で大雪丸がホテルになっており、開業後すぐ泊まりに行きました。
船ちゃんモードですみません。みなさん、連絡船の歴史を紐解くのもまた格別ですよ。
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