倶楽部メモ(186)
平成15年 1月22日〜 1月27日


投稿者 もん
投稿日 1月22日(水)12時30分09秒
タイトル ありがとうございました
まろねふ様
いつもご教示いただき感謝しております。運用まで教えていただきありがとうございました。
文献は交通科学博物館で閲覧することにします。
825レは福荷だったんですね。83年頃、マニ50が旧客と50系に挟まれた形で走っていたのが懐かしいです。
下関口ではオハニ36等編成の中間に荷物車が連結されたものがあり楽しかったですよ。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 1月22日(水)21時01分51秒
タイトル Re2:福荷・広荷について

山陰本線西部の福荷・広荷について、すでにまろねふ様から昭和55年運用のご教示がありましたが、
参考までに少し後の昭和58年6月1日の運用を調べてみました。
(参考文献:JRR国鉄客車ガイド)

福荷1 主にマニ50
   福知山→敦賀(939レ)
【翌】敦賀→福知山(934レ)、福知山→京都(836レ)
【翌】京都→浜田(833レ)
【翌】浜田→益田(823レ)、益田→下関(825レ)
【翌】下関→門司(631レ)、門司→福知山(824レ)

広荷12 主にマニ50
   下関→益田(830レ)
【翌】益田→浜田(524レ)、浜田→福知山(544レ)、福知山→京都(838レ)
【翌】京都→福知山(837レ)、福知山→豊岡(525レ)
【翌】豊岡→下関(831レ)

と、広荷12運用は小変更程度ですが、福荷1運用は福知山線での運用がなくなる等、
少し運用が縮小されているようです。

ところで、まろねふ様ご教示の福荷1運用に835レが2回出てくるのですが、
このような運用があったのでしょうか?


投稿者 EF58 29
投稿日 1月23日(木)09時16分40秒
タイトル 2両の福荷1

  車掌@仙コリ 様
  お久しぶりです。
 >ところで、まろねふ様ご教示の福荷1運用に835レが2回出てくるのですが、
このような運用が あったのでしょうか?

  記録によれば835レには機次位に2両の福荷1が連結されており、「あった」と判断します。
 (弊サイトー普通列車ー山陰線のページ)
  このような例は他にも東海道荷36レの大荷34(受持:京都)にもあり、運用表上はAとBの
 符号をつけていました。(現車には「大荷34」表示のみ)
  福荷1についても連結位置を明確にするため、運用表上はAかBの符号の類がついていたもの
 と推察されます。(例 福荷1(A)ー最前、福荷1(B)ー福荷1(A)後)
  さて、まろねふ様、「広鉄局客車運用表」ではどう表示されているのでしょうか。

投稿者のホームページ


投稿者 もん
投稿日 1月23日(木)12時24分33秒
タイトル ありがとうございました
車掌@仙コリ様
EF58 29様
追加のご教示ありがとうございました。大変参考になります。


投稿者 103列車機関士
投稿日 1月23日(木)19時42分52秒
タイトル ナハネ10の近代化改装

車掌様、もん様
ありがとうございます。スハ33Wルーフ、長谷川の製品にあるとは知りませんでした。
エッチングキットとGM客車を使う事を考えれば安く済みます。

今日はイエロトレインのマロネロ38がうまく組めたので機嫌がいいのです!
利尻、やっと製作開始しました。ナハネ10 506を組むのに
ピクトリアルの特集を読んで500番台には送風機カバーがないことを知りました。
危なくつける所でした、ナハネフ10にならなかった3両のナハネ10500番台
も昭和39年度に近代化され洗面所の高窓化など実施された、と、ありました、
ナハネ10もこの時青15号になったのだと思います。気になるのが洗面所窓についてなんですが
どう解釈したらよいのでしょう?
トイレのまどがオハネ12やスハネ16みたいに細長いHゴム窓になったという事なんでしょうか?
ご教授おねがいいたします。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 1月23日(木)21時43分03秒
タイトル Re:2両の福荷1
EF58 29様
2両の福荷1について、詳しいご解説ありがとうございます。
早速EF58 29様のサイトを拝見させていただきました。
また、該当する昭和55年のJRRの編成表でも確認しましたが、
確かに836レ・922レには福フチのマニ60が1両連結されているのに対して、
835レには福フチのマニ60が2両連結されていましたので、
間違いなく福荷1運用には835レが2回入っていたようです。
連結される各列車の時刻を調べると、1度目の835レ(浜田まで連結)前の836レの京都着が17:50、
2度目の835レ(福知山まで連結)前の922レの京都着が22:14ですので、
まず1度目の福荷1を含む編成を組成し、その前位に2度目の福荷1を連結したのだと思いますが、
現場の方は大変だったものと思います。
車両の運用については勉強不足でして、大変勉強になりました。ありがとうございました。


投稿者 まろねふ
投稿日 1月23日(木)22時45分01秒
タイトル Re:福荷1は

みなさん、こんばんわ。

>EF58 29さま
広鉄局客車運用表では特にA・B等と運用は区分されておりません。
この資料では広鉄管内発着及び通過列車以外の列車に関しては編成順序も記載がありません。
私の推察ですが、運用7日目の835レ連結車は回送扱いではなかったのでしょうか。
回送であったなら特に区別する必要がないと思うのですが…
私の見た記憶では835レのマニはいつも電気が点いていなかったので荷扱いしていたかどうかも疑問ですが…

話は変わりますが、EF5829さまのHPの荷物車の写真が大変参考になりました。
特に下関区の青塗りマニ36の写真は大変参考になりました。

>車掌@仙コリさま
山陰には福荷1のようなダブル運用はいくつかあったようです。
RJ誌183の記述の中に、米子区の米附1運用が831レの豊岡〜鳥取間で、
浜田区の米9運用が米子〜鳥取間でそれぞれダブル運用であったとの事です。
小学生の頃、親を迎えに駅に行った時に見た客車(米9の運用始めの列車)が
一週間近く経った朝に見る(米9運用終わり)のかがいつも不思議に思っておりました。
実はとんでもない広域運用であった事をこの雑誌で知りました…


投稿者 もん
投稿日 1月24日(金)22時05分12秒
タイトル 荷物車の連結位置について
皆様こんばんは
福荷・広荷の件は大変お世話になりました。
これらの荷物車も列車によっては、スユニ(大郵・米郵)との編成がありましたよね。
やはり原則として荷物車が下り側(機関車次位)に連結されていたのでしょうか。
823レや831レ等は途中で切り離されているようですが、
過去の時刻表をみると途中切り離しがあるさんべ5号ではスユニの方が下り側であったりしています。
823レや831レもスユニが連結された列車ですが、原則どおり荷物車が下り側だったのでしょうか。
当時の運用は奥が深いものですね。


投稿者 もん
投稿日 1月24日(金)22時20分28秒
タイトル 昭和33年客車配置表
たびたびすみません。
以前話題になった昭和33年客車配置表(モア様発刊)を遅ればせながら私も地元の模型店で入手しました。
オークションで高値で取り扱われていたようですが、探せばまだあるんですね。
それとも再刊されたんでしょうか。


投稿者 KAKUTA@劇団
投稿日 1月25日(土)04時19分49秒
タイトル 突然失礼いたします
初めて書き込みます。
私共、小劇場を中心に公演活動をしております、劇団KAKUTA(カクタ)と申します。
今度1月30日より、寝台列車を舞台にした芝居を上演します。
戯曲を書く際、こちらのHPを何度も覗かせていただき、勝手ながらいろいろと勉強させていただきました。
「こんな夜行列車ないよ」と言うくらい、強引な部分もありますが、
夜行列車への憧れや旅の楽しさが詰まった作品に仕上がっていると思います。
列車や旅が好きな方に是非観ていただきたいと思い、僭越ながら書き込ませていただきました。
お時間有りましたら是非観にいらして下さい!
詳細はこちらへ>http://homepage2.nifty.com/kakutaweb/kutibiru/info.html
投稿者のホームページ


投稿者 まろねふ
投稿日 1月25日(土)22時31分02秒
タイトル 連結位置

みなさま、こんばんわ。

>もんさま
荷物車が下り側にあるとは限りませんよ。
先にお話しましたJRR刊“国鉄客車ガイド”を見る機会がありましたら運用表から編成順位がわかります。
特に説明書きがあるわけではありませんが、向かって左側からが前位側です。

話が変わりますが、山陰線のスユニ50は所属区によって向きが違っていました。
つまり、米郵1運用が下り側に郵便室が、大郵111,113運用が上り側が郵便室です。
“山陰”号は上下列車でスユニの運用が違うので微妙に雰囲気が違います…


投稿者 もん
投稿日 1月26日(日)07時45分18秒
タイトル 連結位置
皆様こんにちは
まろねふ様、ありがとうございました。勉強不足でした。
地元で見ることができた列車がその順番でしたので・・・。
ところで、国鉄客車ガイドですが、県内図書館の在書検索システムで検索してみたところ、
隣の市の公立図書館が83年版を在書していることが判明し、早速閲覧してきました。
探してみればあるものですね。
利用者カードがあれば貸出可でしたが、司書の方に申し出れば著作権の範囲内で
コピーサービスを受けることもできます。交通費と時間のことを考えると有意義な一日でした。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 1月27日(月)00時19分41秒
タイトル Re:ナハネ10の近代化改装

103列車機関士様
ナハネ10の近代化改装についてですが、なかなか難しいらしくレスがつきませんね。
当時の写真があればはっきりするので、私もいろいろ調べたのですが発見できませんでした。
そこで図面を検証しますと、ピクトリアルの特集には洗面所の高窓化との記述がありますが、
これはトイレの窓でしょうね。洗面所の窓には変化が見受けられません。
図面上では10系寝台車の近代化後のトイレ窓はすべて高窓(Hゴム支持小型?)となっているようです
ので、ナハネ10の近代化改装後についても同様であると考えるのが妥当ではないかと思います。
実車について詳しい事がわかる方がいらっしゃいましたら、ぜひ書き込みをお願いいたします。

参考文献:客車形式図面集 昭和40年代・昭和50年代(ジェイズ)


投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 1月27日(月)13時16分38秒
タイトル ナハネ10の便所窓について

103列車機関士様。車掌@仙コリ様。

ピクトリアルの記事について話題になっていますね。
執筆者の勝村さんに確認する必要がありますが、私は「洗面所窓」は「便所窓」の書き間違い
ではないかと推測します。
その根拠ですが、P51のオハネ12の解説では「便所窓」と書かれていること、私の知る限り
では洗面所の窓を改造した話は聞いたことがない、ことによります。
一方、便所窓が改造されなかった車も存在します。
私が確認したのはオハネ1262・オハネ12502・オハネフ12503の3両です。

投稿者のホームページ



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