倶楽部メモ(120)
平成13年12月 6日〜12月12日


投稿者 ぷりる
投稿日 12月 6日(木)01時51分32秒
タイトル Re:かもめ」のオシ17
本文

車掌様、情報ありがとうございます。
かもめ用に2輌あり、それも1959年7月からオシ17だったのですね。
私は5-8,10がが東シナ、9が門タケにいるものだと思っておりました。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
(意外にも、かもめ+オシ17の写真が少なく、悩んでいました)

編成から車番を推測するのもこれまた楽し・・・ですね。
もちろん正解が分った時が最高に嬉しいのですが(笑)


投稿者 オハ35@ノーブルジョー
投稿日 12月 6日(木)13時52分39秒
タイトル 下関あさかぜ 2
本文

みずほ様。

お役に立てたようで幸いです。
この記録は、私が自分で記録したものです。
ノーブルジョーカーのHPでもほんの一部を紹介しています。おいおい増やしていく
つもりですが、見やすい整理法で行き詰まっているのが現状です。

さて、ナハネフ22の500番台ですが、見た目には新製車と差はなかったと記憶しています。
念のため、鉄道ピクトリアル444号で確認しましたが、台車と床下機器を再用し車体は
新製したと書いてありましたので、間違いないでしょう。


投稿者 みずほ
投稿日 12月 6日(木)21時38分14秒
タイトル 20系下関あさかぜ
本文

ノーブルジョーカー様。
ナハネフ22の件、御回答ありがとうございます。
20系は座席車から寝台車への改造もあったりして、奥が深いですね。
20系客車の履歴については、先日、古本屋で購入した鉄道ファン誌201号に詳細に掲載されており、重宝しています。

ともあれ、これで手持ちのHOゲージ20系客車に、満足の行く車両番号インレタを貼ることができます。

ぷりる様
>編成から車番を推測するのもこれまた楽し・・・ですね。
>もちろん正解が分った時が最高に嬉しいのですが(笑)

私も今、編成記録を御教示いただき最高に嬉しいです!


投稿者 キサハ34
投稿日 12月 6日(木)22時27分05秒
タイトル 20系客車
本文

▼みずほ様

2年越しの願いかなってよかったですね(^^)!私もその気持ち、よ〜く分かりますよ!

さて、明日はいよいよNのほうの20系客車が地元で入荷です。
みずほ様のように16番の迫力は無いですが、同社のNも良いですよ!
#コスト的には同額で3編成は揃えられますね(^^;;
私はこれまでに(リニューアル後の製品で)S40の「あさかぜ」、S39の「みずほ」をそろえましたが
この度の再生産で現在収集途中のS47頃のDF50牽引「富士」、S42のEF65P牽引「はやぶさ」を
再現しようと思っております。
20系客車は活躍期間が長く、活躍範囲が広く、また、形式も多彩であり、
牽引機との組み合わせを含めると本当に模型運転を楽しめる車両ですね。

ところで、S42の「はやぶさ」ですが、ナロ20組み込みでかつナハネフ22連結の編成が
本当に実在したのでしょうか?
手許の資料には載っているのですがその他の資料では該当時期の編成が見受けられないため
今一信憑性に欠けるのです・・・。


投稿者 クモイ103
投稿日 12月 7日(金)22時52分49秒
タイトル 「かもめ」のオシ17
本文  出張で2日間掲示板を見られなかったので、得意分野(?)なのに遅レスとなってしまいました。
 最近あまりお出ましにならない大キトさんの絶大なご支援のおかげで、
昭和30年代半ばの食堂車の動向は、かなり詳細に判明しております。
 ご質問の「かもめ」用オシ17ですが、車掌@仙コリさんの仰る通り、
5と6が東シナより門タケに転属して充当されました。
しかしながら、当然2両では予備車がないのと、当時オシ17の冷房装置が不調で、
旧型のマシ29や49を動員して、何とか運転を確保していたということです。
門タケのオシ17はしばらく2両体制でしたが、昭和35年になってオシ17 15が加わり、
36−10白紙改正のDC化まで3両が使われたようです。
 なお、私のわかる範囲で、昭和35年6月改正後のオシ17の使用状況をまとめてみます
(一部推測を含んでいますのでご了承下さい)。
仙セン 2051 2052 2053 2054 2055 「吾妻」「松島」
東オク 11 12 13 「はつかり」
東シナ 7 8 9 10 「はやぶさ」(→7/21から「高千穂」)
門タケ 5 6 15 「かもめ」
鹿カコ 1 2 3 4 14 「霧島」
 ちなみに、その後翌昭和36年3月にかけて、オシ17の残る25までの全車が出そろいました。
もっと詳しい話は、必要に応じてまたの機会に・・・


投稿者 ぷりる
投稿日 12月 8日(土)16時04分29秒
タイトル Re:「かもめ」のオシ17
本文

クモイ103さま、はじめまして。

>門タケ 5 6 15 「かもめ」
15も「かもめ」用だったのですね。
予備車はマシ49かと思っていました。
ご教示ありがとうございます!!
(模型の車番、早速貼り替えました(笑))


投稿者 みずほ
投稿日 12月 8日(土)20時10分26秒
タイトル 20系客車
本文

キサハ34様、こんばんは。
Nの20系客車、いよいよ発売ですね。
実は私も欲しいな〜と思っていますが、本年は16番一筋で行く予定なので、見送ります。
Nのほうは多彩な車種が発売されており、新幹線博多開業前の3年間、豪華編成を誇った博多あさかぜも組めますね。
16番のほうでもせめてナロネ22くらい追加発売されたらいいな、と思います。
25形化直前の博多あさかぜの編成(こちらは雑誌にも編成記録が掲載されていたようですね)が組めますから。

さて、ノーブルジョーカーの竹中様からご紹介いただいた編成記録ですが、
2種類あるのでどちらにしようかな〜と悩んでしまいまして、
最初に決めたものではなく昭和52年2月25日のほうを採用させていただこうかと思っています。
理由は、昭和45年に下関、広島に新製配置された車両を中心に編成が組まれているからです。
どれにしようかなと悩むのも、また1つの楽しみですね。
フル編成化間近の583系も、まだ車番が入っていません。


投稿者 みずほ
投稿日 12月10日(月)09時22分56秒
タイトル 16番20系客車の方向幕
本文 20系あさかぜの編成記録を入手し、ほっと一息ついている今日この頃ですが・・・
次なる課題は、方向幕の入手です。
KATOの16番20系客車には、「東京ー下関」「東京ー広島」の方向幕は付属していません。
他メーカーから発売されているのをご存知の方はおられませんか。


投稿者 akira
投稿日 12月10日(月)15時27分31秒
タイトル ありがとうございます
本文

>クモイ103さん&今泉さん
 情報、ありがとうございます。
>クモイ103さん
 ワタシも東武のりょうもう車両には乗ったことがありますが、あのシール(?)の状態はヒサンですね。
かと言って外側につけるのもナンセンスですしね。
いっそのこと、窓ガラスを全部液晶テレビにするってのはどうです?(爆)
 地下鉄だったら景色も無いしいいかな、なんて。これこそ費用がかさみそうですけど。。。
>今泉さん
 確かに液晶に電流を流して色をつけることはできますよね。
電子ペーパとかと同じ原理だったと思います。

これからも宜しくお願いします。


投稿者 メロン
投稿日 12月10日(月)20時41分42秒
タイトル 「アンチクライマー」とは?
本文

客車用語で「アンチクライマー」というのがあると思いますが、
これは何のことでしょうか? そもそもこれは、和製英語ですか?

「クライマー」というのは何となくわかりますが、「アンチ」ってのがよく分からない・・。

登らせないための道具・・? 
とすると、弥生時代の高床式倉庫についていた、ネズミ返しみたいなものでしょうか。まさか・・。


投稿者 がばちょ
投稿日 12月10日(月)20時47分26秒
タイトル はじめまして
本文 初めまして。ヤフーからここへ来ました。
今度銀河に乗ろうと思うので、検索してたら引っかかり、しばらくはまってしまいました。
このぺーじをみて福知山線の旧型客車を思い出しました。
まだ小学生だったのですが、近代的な阪急宝塚駅と国鉄宝塚駅とのギャップが印象的です。
ドア(扉)が手動で、列車が動いてるにもかかわらず、降りてくる大人の姿をみて、憧れたものです。
しかも動いてる途中もドアが開いていて、車両をわたるのが怖かったのを思い出しました。
ほんの15.6年ほど前の話ですが、大阪近郊でも、こんなのどかな時代があったことを懐かしく感じています。


投稿者 キサハ34
投稿日 12月10日(月)22時04分16秒
タイトル Re:アンチクライマー
本文

▼メロン様

これは文字通り、「車両同士のせり上がりを防ぐものです」って言っても分からないですね(^^;

モノはご存知の通り、昭和一桁の頃までの客車妻面下部についている、あの鋼製のフィンのようなものです。

これは車両同士がぶつかった際に台枠の端部に設けたこのアンチクライマーによって、台枠端部同士が噛み合い、
車体上部の破壊を防ぐものです。
おそらく、当時木製車が主流だった頃、頑丈な台枠がせりあがると車体は簡単に潰れてしまうため、設けられたものでしょう。
ところで、近年のJR東日本の近郊型、急行型の電車、気動車で前面強化改造を受けた先頭車にも付いていますが、
あれはどういった意味なのでしょうかねぇ?


投稿者 クモイ103
投稿日 12月12日(水)00時09分06秒
タイトル Re2:アンチクライマー
本文

 JR東日本のアンチクライマーは、ひとえに「踏切事故対策」です。
 209系電車の運転席背後の仕切に、非常救出用の扉が付けられているのは、
同系の開発中にたまたま起きた、総武本線(でしたっけ?あいまいですみません)の踏切での
衝突による電車運転士死亡事故がきっかけだったという話を聞いたことがあります。
また、E217系とE231系近郊バージョンの運転席後方には余裕のスペースがありますが、
これも衝突対策で、そこが食い込む事によって、運転席は潰れないで済むように
配慮されているとの事です。
 ことほど左様に、JR東日本は踏切事故から乗務員を守ることに気を遣っており、
既存車両へのアンチクライマー取り付けも、その一環と位置づけられるものでしょう。

 そう言えば、むかし、自動車王国愛知県を走る名鉄パノラマカーの前頭部は、
ダンプとぶつかっても勝てる構造になっているという噂がありました。
確かに7000系の先頭部は、見るからに頑丈そうですね。


投稿者 メロン
投稿日 12月12日(水)07時17分58秒
タイトル Re:アンチクライマー
本文

>モノはご存知の通り、昭和一桁の頃までの客車妻面下部についている、
>あの鋼製のフィンのようなものです。

ありがとうございました。ようやく納得が行きました。
オハ31やスハ32の古い写真をみると、妻にヒレヒレがあるのが
確認できました。あれが隣同士で噛み合えば、なるほど、と思います。

ただ、木造車には同様のヒレヒレ状のものはないようなんですが。
代わりに、軸箱みたいなのが妻の梁の両端に一つずつついていますが、
あれがそうなのでしょうか。オハ35の初期のものにもあるようです。
しかし、電気の管みたいのがあの近くから出ているので、
どうも違うようにも思いますが。

なぜ木造車にはヒレヒレがないのか、依然よくわからないのでした。



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