>伊藤さん
> スユニ30形は1〜20がオリジナルで、21、22はスユ30形からの改造車と
> なっています。元々経歴が違う両者ですのでポストの位置が違うのでは
> ないでしょうか。
> また、里見さんが昭和38年に撮影されたスユニ30 20の25年後の姿を
> 私も撮影しております(救援車スエ30形に改造されていますが)。
> 救援車に改造された後の姿は弊サイトにありますが、ポストの形跡は
> 無いみたいです。
ご回答ありがとうございます。
いやはや、恐れ入りました (_ _)
早速、そのスユニ30 25改、スエ30 60 の画像を拝見しました。
ちょうど里見氏の画像とは向きが反対ですが、仮にどちらの側のポスト
も線対称にして同位置にあったとすると、その箇所が再び透明の窓ガラス
が入っていますね。
ここから推すに、「窓埋め込みタイプ」の郵便差入口は、通常の窓ガラス
と同じように窓枠にはめ込んであるだけで、取り外しは比較的容易なの
だろうか・・・などと想像されます。果たしてどうだったのでしょう。
ついでに、車掌@仙コリさん調べで、マユニ78・スユニ72などにはポストが
あるのに、なぜ、同じ合造車のスユニ60・スユニ61には無かった?のか、
も気になっていました。
伊藤さんの同ページに、スユニ60・スユニ61についての記述があったので
拝見しましたが、まず、スユニ61の方は、改造され始めたのが昭和40年以降で、
オユ10の製造開始よりもずっと後なので、なるほど最初から設けられなかった
のかな、とも思えます。
ところが、スユニ60は昭和29〜30年で、ちょうど、スユ42が製造されていた
時期と重なります。同じ昭和30年でも、スユ37などは無かったので、昭和30年
という年がかなり際どい線に思えてならないのですが、それなら、昭和29年ごろに
作られた最初期のスユニ60はどうなんだ!・・という疑問が当然に沸き
起こってきます。
しかし、今のところ、そのようなスユニ60は見受けられず。
オハユニ61も、後期車にはどうも無いものがある?(それとも、あったけれども
時代が下って外されてしまっただけか?)ようで、製造時期などとの関係が
やはり気になるところです。
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