倶楽部メモ(78)
平成13年 3月 2日〜 3月 5日


投稿者 伊藤正宏
投稿日 3月 2日(金)12時03分20秒
タイトル 郵政省所有の郵便車
本文

 メロンさん、皆さん、こんにちは。

 当時の郵便車には郵政省所有の郵便車とそれ以外の郵便車がありましたので、
「郵便ポスト」の有無の基準はその辺りにあったのではないでしょうか。
一連の明かり窓がある普通のタイプの郵便車のほとんどは郵政省所有でしたが、
郵便荷物合造車や一部の護送用郵便車は国鉄所有でした(所有云々の記述は
弊サイトにありますのでご覧になって下さい←不完全ですが)。
 以上は推測です。

投稿者のホームページ


投稿者 水ミト
投稿日 3月 2日(金)13時25分37秒
タイトル 行灯
本文

>どれも大小(長短)の二つの口が開いているように写真からは見えるのです

たしか上が行灯で「郵便差出口」とか書いてあって、下が差込口ではありませんでしたっけ?
あと「郵便ポスト」の有無の基準ですが、列車内で郵便局扱い、つまり消印が押せる車両に
付けることが可能だったと思うのですが、ちがいましたっけ?

オユ10も初期車にはついていました。
その他の窓を塞いでつくった差込口は、戦前製客車で戦後に差込口設置の命令がされたため
の処置です。


投稿者 C63
投稿日 3月 2日(金)20時18分20秒
タイトル キオスクでの切手販売
本文 キオスクはかなり古い時代に
いろいろなものの販売権を取得していたのではないでしょうか。
規制緩和前の酒類の販売は、かなり厳しい免許制でしたが、
キオスクではかなり広範囲で販売していました。
切手類も同様ではないでしょうか。
私自身どこかのキオスクで切手を買った記憶があります。
というよりも、現在ではキオスクでの切手販売はないのですか?


投稿者 メロン
投稿日 3月 3日(土)06時46分40秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

どうも皆さんご回答ありがとうございます。

>伊藤さん

どうも、こんにちは。
伊藤さんのページは毎週チェックさせて頂いております (_ _)

> 当時の郵便車には郵政省所有の郵便車とそれ以外の郵便車がありましたので、
> 「郵便ポスト」の有無の基準はその辺りにあったのではないでしょうか。
「サイドビューJNR-PC」に、マユ35の側面写真が載っており、
そこに「総勢15両で、郵便車としては珍しく、国鉄の所有車となって
いた。」との記述がありました。しかし、窓が埋められた形で、件の郵便
差入口が見えます。ただし、マユ35はそれ以前にマユ34を名乗っていた
そうで、伊藤さんのページによりますと、マユ34自体は逓信省所有だった
とのこと。さらに大キトさんのページの現役時代のマユ34の写真によると、
ポストはあるようです。すると、この場合は、・・・?

なお同書にスユ37の側面写真があり、郵政省所有のようですが、
これにはなぜか差入口が見えません。(その前身であるオユ36には、
あったようですが。)
とすると、どういうことでしょうか・・?

オユ36の一部がスユ37に改造編入されたのが、昭和29〜30年で、
スユ42の最新タイプが製造されたのも、同じ昭和29〜30年。
前者にはポストが無く(?)、後者にはある。
なぜでしょうか?

>水ミトさん

> たしか上が行灯で「郵便差出口」とか書いてあって、下が差込口では
> ありませんでしたっけ?
言われてみれば、長い方の四角形は、やや白みがかっているように
見えるのがありました。行灯で、光っているためでしょうか。
どなたか、この差込口のアップ写真を写された方、おられないで
しょうか。

> あと「郵便ポスト」の有無の基準ですが、列車内で郵便局扱い、つまり
> 消印が押せる車両に付けることが可能だったと思うのですが、
http://www2u.biglobe.ne.jp/~h_abe/
というページに、末期の頃の鉄道郵便局について整理して書かれて
いました。これだと、オハユニ61もスユ16も「便」が違うのみで、
特に区別無いようにも見えます。(どちらもポストがありませんが)
全盛期の頃はどうだったのか、全く分かりません。

> オユ10も初期車にはついていました。
これは、もしかすると側面の通風グリルのことでしょうか? (_ _)
ポストのついたやつも、あったのでしょうか。

> その他の窓を塞いでつくった差込口は、戦前製客車で戦後に差込口
> 設置の命令がされたための処置です。
命令で、導入した。しかし徐々に実状に合わなくなってきた
ので、ある時期以降、廃止した。ということでしょうか・・

>C63さん

> というよりも、現在ではキオスクでの切手販売はないのですか?
さあ。最近キオスクでは、「なとり」の素昆布を買った
記憶しかありません・・


投稿者 伊藤正宏
投稿日 3月 3日(土)11時53分14秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

 皆さん、こんにちは。

> メロンさん、
 先ほどの書き込みは会社の昼休みに書き込みでしたので、帰宅後郵便車に関する本を
読み返しましたが、「郵便ポスト」の有無の基準はよく分かりませんでした。
手持ちの雑誌の中で郵便車に関する記述があるのは以下の通りでした。
 とれいん 1982.11(No.95) 郵便車特集
 とれいん 1997. 9(No.273)
 鉄道ピクトリアル 1987. 2(No.475) 郵便車特集
 鉄道ピクトリアル 1999. 6(No.670) 10系客車特集
 100年の国鉄車両(2)
 鋼製客車形式図集
など

> なお同書にスユ37の側面写真があり、郵政省所有のようですが、
> これにはなぜか差入口が見えません。(その前身であるオユ36には、
> あったようですが。)

 前身のオユ36形は登場時には1扉(荷物扉)だったものを後に2扉化していますが、
2扉化後の写真には既に「郵便ポスト」が存在していません。
いずれにしてもオユ36、スユ37、オユ40、スユ40形は荷物扉が増えたり、移動したりした中で
「郵便ポスト」の設置場所がなくなってしまったのではないでしょうか。

 オユ10形には「郵便ポスト」は無いような気がします。
100年の国鉄車両(2)に登場直後の写真がありますが、それらしいモノはありませんでした。

投稿者のホームページ


投稿者 水ミト
投稿日 3月 3日(土)17時57分33秒
タイトル お詫び等
本文

>オユ10形には「郵便ポスト」は無いような気がします。

調べたらありませんでした。
どうもスユ42のルーバー+郵便口をオユ10と勘違いしていたようです。
ご迷惑お掛けいたしました。


投稿者 瑞貴
投稿日 3月 3日(土)22時05分22秒
タイトル Re.運輸省銘板の件
本文

 牟田口様
 
 返事が遅くなってすみません。
 
 オハフ332625のドアですが、私の撮った写真の角度が悪くてトイレの隣のドアしかわかりません。
そのドアですが、木製高窓タイプの1枚窓です。

 運輸省銘板の件ですが、いま昔に撮影した写真の整理をしていまして
(フィルムスキャナーで画像をパソコンに取り込んでいます)、そのついでにチェックをしておきます。
ただ、銘板がきれいに写っている写真はあまりないと思うので、ちょっと期待薄ですが・・・。

 あと旧客末期(S57頃)に上野に来ていたオハフ33で思い出したことがあります。
当時常磐線上野口には旧客(すべて43系)による3往復の客車列車が残っていました。
その受け持ちは本来尾久区なのですが、末期には検切れによる廃車が多かったせいか、
近くの客車区から旧客を借り入れていました。
確認したのは品川、水戸、高崎の各区で、なかには1編成の中にこれらの4区の車両が
入っている編成もありました。
そのなかで高崎から借り入れた車両のなかに、オハフ332246がありました。
すべて43系(荷物・郵便車を除く)で統一されている中に、1両だけ丸
屋根・リベット付のこの車両が混ざっていると非常に目立ち、通学時によくこの車両をえらんで
乗っていました。
いつまで活躍しているのかなと思っていましたが、結局旧客最終日まで上野−仙台間を
往復していました。

 しかしあれからもう20年近くたつのですね。なにかまだつい最近のような気もしますが・・。


投稿者 水ミト
投稿日 3月 4日(日)01時26分38秒
タイトル 知らなかった...
本文

>旧客最終日まで上野−仙台間を往復していました。

調べたところ、

11/13 426レ 平 →上野
11/14 223レ 上野→仙台
11/14 425レ 上野→平
11/14 424レ 
11/14 422レ 浪江→上野

の編成表にはオハフ332625は連結されていませんでした。
上記はすべて43系です(荷郵は除いて)。
常磐上野口最終日にオハフ33がいたとは知らなかったので驚きです。
越前でしたら来てたとは思いますが。

オハフ33で急行料金を取っていたと思うと、隔世の感があります。


投稿者 メロン
投稿日 3月 4日(日)09時50分19秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

>伊藤さん
> とれいん 1982.11(No.95) 郵便車特集
> とれいん 1997. 9(No.273)
> 鉄道ピクトリアル 1987. 2(No.475) 郵便車特集
> 鉄道ピクトリアル 1999. 6(No.670) 10系客車特集
>100年の国鉄車両(2)
> 鋼製客車形式図集
どうも色々教えて頂き、ありがとうございます。
持ってないのも結構あるので、入手せねば・・

> いずれにしてもオユ36、スユ37、オユ40、スユ40形は荷物扉が
> 増えたり、移動したりした中で「郵便ポスト」の設置場所がなくなって
> しまったのではないでしょうか。
なるほど、ありそうな話です・・。
ということは、オリジナルのオユ40は、ポスト有り(窓埋めタイプ?)でしょうか。

混乱してきたので、いろいろな情報の寄せ集めですが、整理してみました。
●=ポスト有り(シルの下)、○=ポスト有り(窓のところ)、×=なし

オユ36以前(おおむね)・・・・・・・・    ○
オユ36製造・・・・・・・・・・昭和24年    ○   日本車輌
オユ60製造・・・・・・・・・・昭和25年    ○   新潟鉄工
オユ40製造・・・・・・・・・・昭和26年    ?   近畿車輛
オユ61 1,2製造・・・・・・・・昭和27年    ●   新潟鉄工
スユ41製造・・・・・・・・・・昭和27年    ●   日本車輌
スユ42製造・・・・・・・・・・昭和28〜30年  ●   日本車輌
オユ36が二扉化・・・・・・・・昭和30年    ×   大船工
オユ60がオユ61 3,4に編入・・・昭和30年    ?   新潟鉄工
オユ36がスユ37に改番・・・・・昭和30年    ×   ?
オユ40がスユ40に改番・・・・・昭和31年    ×   日本車輌
オユ10製造開始・・・・・・・・昭和32年    ×   汽車製造ほか
オユ61 1,2前側荷物扉改造・・・昭和40年    ?   小倉工

↑違っているところがあるかもわかりません。
ご指摘頂けると幸いです。

ついでに、私の前・前々発言の訂正です。
1.出していただいた、とれいん 1982.11(No.95)に、オユ36 1 の写真があり、
その差入口付近を見ると、うっすら窓を埋めたらしい形跡が見えました。
なので、「オユ36に窓を埋めた形跡はない」は違うようです。

2.大キトさんの頁のマユ34の画像は、丸屋根のマユ34で、
マユ35となったものとは別のようです。
ゆえに、この部分は特に意味がありませんでした。
以上、失礼しました。

>水ミトさん
> ご迷惑お掛けいたしました。
いえとんでもない、色々ご教示頂きありがとうございました。

これからも是非教えて下さい。(_ _)


投稿者 伊藤正宏
投稿日 3月 4日(日)14時01分30秒
タイトル 郵便差入口
本文

 メロンさん、こんにちは。

 参考文献の追加です。
 とれいん 1996. 4(No.256) 小荷物列車の車輛たち(総覧編)

 ところで「郵便ポスト」の有無ですが、
オユ40形(1)--------有
スユ40形(2002)-----無
オユ61形(3,4) -----無  が、昭和30年頃の写真から分かりました。

 改造前のオユ36形(1扉時代)の郵便ポストは埋められたに設けられているのではなく、
車体幕板に設けれられているようです。
オユ36形(1扉時代)とオユ60形(1扉時代)は全く同一車体で、いずれも形式図上では
窓は当初から無いようです。
 オユ61 1,2(前側荷物扉改造後)とオユ61 3,4(旧オユ60)は、いずれも形式図上では
郵便ポストは無いようです。
実車の写真は見たことがありませんが、鉄道ピクトリアルの次(次々)月号が
鋼体化客車特集ですので、もしかしたら写真が見られるかも知れません。

 以上です。これ以上のネタはありませんので、諸先輩方のフォローがあればと期待しております。

 只今、華やかさが無く地味な活躍を続けてきた14系寝台車を弊サイトでアップできるように
整理中です。今日の夕方にでも更新できればと思っています。
郵便車も14系寝台車のように資料がたくさんあれば整理しやすいのになぁ〜と思っています。
それでも、14系寝台車はバリエーションが多くて困ります。
あの雑多な24系はどうやって整理しようか、、、

投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月 4日(日)14時18分05秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

メロンさん、こんにちは。
郵便差入口についてですが、私も詳しくはない(というよりも実物を見たことがない・・)
のですが、とりあえず手持ちの図面・写真等を調べてみましたので書き出してみます。

(1)窓埋め込みタイプ
  マユ32・マユ33・マユ34・マユ35・オユ36・スユ72

(2)ヘッダーとシルの間にあるタイプ
  オユ36・オユ60・オユニ70

(3)シルの下にあるタイプ
  オユ40・スユ41・スユ42・オユ61
  スユニ30・オユニ71・スユニ72・マユニ78
  オハユニ61・スハユニ62・オハユニ71

といったところで、それ以外の形式では確認することが出来ませんでした。
参考になるかどうかわかりませんが。(よけい混乱する?・・・)

それよりも、本当に使用した方がどのくらいいるのでしょうね?
たくさんの場所にポストがあるのは、たしかに大変便利ですが、相手が列車なだけに
場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれてしまう時間があるわけですよね・・・


投稿者 水ミト
投稿日 3月 4日(日)21時18分25秒
タイトル
本文

>相手が列車なだけに場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれてしまう時間があるわけですよね

昭和25年10月の時刻表を見たところ、郵便車連結列車の印がありました。
交通事情が悪い地域では、列車の定時性が郵便に役立っていたのかもしれません。


投稿者 伊藤正宏
投稿日 3月 4日(日)21時24分00秒
タイトル 14系寝台車
本文

 メロンさん、皆さん、こんにちは。

 郵便車については分からないことが多く、また手元にもあまり資料になる雑誌が少ないので、
鉄道ピクトリアルの次(次々)月号が発売されて60系の郵便車のことが少し分かったら弊サイト
でも内容を補充していきたいと思います。元々 私が郵便車について興味を持ったのは模型化する
ネタとしてが始まりだったのですが、徐々に形式写真へシフトするに従って資料の少なさを痛感
しました。

 ところで、この週末に頭を悩ませていた「14系寝台車」の整理が一時終了して、弊サイトの更新が
終わりましたので宣伝させていただきます。今まで公開してきた形式はある程度「型にはまった」
形式だったので説明がある程度しやすかったのですが、14系〜24系客車はJR化後のバリエーション
があまりにも多く、鉄道ピクトリアルの特集号以降も動きがあったので整理するのに苦労しました。
 皆さん、よろしかったらご覧になって下さい。 ←宣伝モードですみません

投稿者のホームページ

投稿者 メロン
投稿日 3月 5日(月)06時57分19秒
タイトル ありがとうございました
本文

皆さんご回答ありがとうございます。
全くの暗闇状態だったところに一筋の光明が見いだせたようで、
嬉しいやら恥ずかしいやらで、やや紅潮気味です・・

>伊藤さん
> オユ40形(1)--------有
> スユ40形(2002)-----無
> オユ61形(3,4) -----無  が、昭和30年頃の写真から分かりました。
どうも重ね重ねありがとうございます。
とれいん 1982.11(No.95)のオユ40 1 の写真、どうも窓が怪しく
写っていてはっきりしないと思っていたのですが、実は、シルの下、
形式表記の斜め上の出っ張りがそうでしたか。。お墨付きを頂けると
非常にスッキリしました。(色々ご指摘いただく度に「言われてみれば、
なるほど・・」を連発するのは辛いものがありますが。)

オユ61 3,4 、無かったんでしたか。私まだ3,4は写真も見たことが
ないので、是非、その来るべき鉄道ピクトリアルに、期待したい
と思います。

>  改造前のオユ36形(1扉時代)の郵便ポストは埋められたに設けられて
> いるのではなく、車体幕板に設けれられているようです。オユ36形
> (1扉時代)とオユ60形(1扉時代)は全く同一車体で、いずれも
> 形式図上では窓は当初から無いようです。

ご指摘ありがとうございます。埋めずに、最初からあったわけですね。
これがオユ40からシルの下に移動した。腰の曲がったおばあさん
対策だろうか?と目下想像中です。

> 元々 私が郵便車について興味を持ったのは模型化するネタとしてが
> 始まりだったのですが、徐々に形式写真へシフトするに従って資料の
> 少なさを痛感しました。
やっぱり、こういう話題に載って下さる方は、大なり小なり
模型に通じておられる・・。

> 皆さん、よろしかったらご覧になって下さい。 
是非おじゃまさせて頂きます・・

>車掌@仙コリさん
分類表、どうもありがとうございます。
お陰様で、かなり分かりやすくなりました。

> (1)窓埋め込みタイプ
> マユ32・マユ33・マユ34・マユ35・オユ36・スユ72

古い形式は、やはりこのタイプが多いようですね。
前出のとれいん 1982.11(No.95)を見たところ、スユ30 16
と、マユ31 1 が載っていてやはりこのタイプのようです。
さらに、駄目押し決勝打として、大キトさんの頁の、奥野氏撮影の、
ナユニ16265。・・・ありました(一番左端の窓)。
木造車まであったとは・・!

> (2)ヘッダーとシルの間にあるタイプ
> オユ36・オユ60・オユニ70
オユニ70も、でしたか・・。

> (3)シルの下にあるタイプ
> オユ40・スユ41・スユ42・オユ61
> スユニ30・オユニ71・スユニ72・マユニ78
> オハユニ61・スハユニ62・オハユニ71
合造車もあったんですねぇ。それ以上に、戦前製の客車にも
このタイプのものが設けられていたというのが意外でした。
「シル下郵便差入口=新しい形式のみ」とは限らないようですね。
スユニ30など、穴を開けて改造したということでしょうか。
ちなみに、夢中になって調べていったら、

スユニ30 22 ・・・・シル下
(豊永氏撮影、昭和40年、大キトさんの頁にて拝見)
スユニ30 20 ・・・・窓埋め込みタイプ
(里見氏撮影、昭和38年、北総レールクラブさんにて拝見)

で、同型式でも2通りあるらしい・・ことがわかりました。
ここまで来ると、一寸、分類そのものが危うくなりそうで、
恐いのですが。

オハユニ61も、あったんですねぇ。参りました。
ただ、後期車は・・・(うーむ)。

> 相手が列車なだけに場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれて
> しまう時間があるわけですよね・・・
本当に、逆方面の列車に載せられた場合、いつの時点で降ろされる
のでしょう。もし大量に郵便物があって、区分けするのに手間取ったら、
終着まで行ってしまうのか・・。1960年の急行「西海」は東京---->
佐世保で、スユ42をつないでいたそうですが、北海道へ宛てた手紙が、
佐世保まで行ってしまったら・・。

>水ミトさん
> 昭和25年10月の時刻表を見たところ、郵便車連結列車の印がありました。
全国津々浦々、を走り回っていたのでしょうか。
それほどの活躍がありながら、なかなかその全貌を
現在知り得ないのが口惜しいところです。


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