皆様こんばんは。
皆様から頂いた情報の数々や、鉄道各誌の他、伊藤様、多度津の住民様のホ−ムペ−ジから
改造オハフ・スハフの車掌窓について次のことが判りました・・・
まずはじめに窓枠が元の客室窓と同寸のモノは私の身近な所である尾久、水戸に所属する車両
以外では北海道を除いて見かけることはまず無い点から両区の保守を担当する大宮工場独特の
モノではないかと推測して緩急車改造を担当した工場と施工車両そして施工時期を照らし会わせ
を行いました。
すると、私が知る水戸に居た車掌窓が大窓のオハフ46−2003、2013,2016は
全て大宮工場において緩急車化改造がS41年からS42年にかけて行われている事がわかり
ました。 逆に、小窓に施工された車両の所属や施工工場、時期を調べると改造時期的には開
きは無いが、施工工場が小倉、長野、後藤に及ぶ事や、資料を見る限り各工場ともに小窓に施工
されている事も判りました。
この他に同じ方法でオハフ45−100、200、スハフ42−400を調査したところ全て
の改造を大宮が受け持ったスハフ42−400では全て車掌窓が大窓のままである事、オハフ45
−100でも大宮担当の2101〜2106は車掌窓が元の窓枠のままであり、その反対に小窓
に改造されている車両はやはり小倉、後藤によるもので、改造時期も同時期のモノでした。
このように昭和40年〜42年、49年あたりに行われた緩急車化改造で大宮だけが元の客室
の窓枠を利用していた事が推測されるのですが、しかしオハフ45−200だけはどうしてか
他の施工工場である小倉と同様に小窓に改造されて40年〜41年に竣工しています。
他の改造車と同じ時期の施工なのに一体どうしてなのでしょうか?
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