倶楽部メモ(65)
平成12年10月16日〜10月19日


投稿者 急行安芸
投稿日 10月16日(月)13時11分42秒
タイトル 北斗星などの回送について
本文 こんにちは、
上野着の北斗星などの上りブルトレが、尾久に回送されるルートをご存知ですか?
また尾久到着後にはホームから見える留置線に一旦入るのですか?
ご存知の方宜しくお願いします。


投稿者 やまだ
投稿日 10月16日(月)23時37分20秒
タイトル 推進回送
本文

 みなさん、こんばんは。

 急行安芸 様
 
 お尋ねの北斗星の回送ですが、上野と尾久の間に「井堀信号所」と言う尾久操車場への分岐点が
あり(西日暮里の近く、田端−隅田川の貨物線をオ−バ−クロスするあたりです。)、本線を走行
してきた回送列車はここから回送線へ進入して、左手に田端機関区の機留線が見えたらすぐに尾久
客車区の入・出区線(待機線)へ進入して停止します。

 ここでEF81を切り離し、入れ換え機のDE10が付いて赤羽方へ引き上げます。 この際
洗車機での洗車を行った上、故障車や検査周期の来ている車の差し替えを行いますが、これらの
入れ換え作業はホ−ム横でも少し離れた所で行うのでホ−ムからでは少し距離が有ります・・・
ただし試客や回送、マヤ検といった臨時?はホ−ム横の線路に待機している他、東大宮への電車の
回送待ちや、訓練車や新製車の教習時の留置場所はだいたいこのホ−ムのすぐ横です。 


投稿者 元総武・今スカ線沿線住人
投稿日 10月17日(火)13時09分45秒
タイトル 推進回送 その2
本文

急行安芸 様 こん**は

やまだ様のカキコに追記させて戴きます。

井堀信号所は田端駅下車、大宮方の跨線橋を渡りきり、ひたすら東側へ歩くこと5分、
本線をアンダーパスする道路を踏切でクロスしています。
この踏切で推進回送をじっくり目の当たりに見ることが出来ます。
昔は、ここにいると朝方、夜行・寝台列車が続々と入庫してきて飽きないものでした。
機関車の運転士が窓から顔を出して運転しているので、いかにも推進運転という
ショットが狙えるところです。


投稿者 やまだ
投稿日 10月18日(水)03時42分50秒
タイトル 改造オハフの車掌窓について・・・
本文

 皆様こんばんは。

 皆様から頂いた情報の数々や、鉄道各誌の他、伊藤様、多度津の住民様のホ−ムペ−ジから
改造オハフ・スハフの車掌窓について次のことが判りました・・・

 まずはじめに窓枠が元の客室窓と同寸のモノは私の身近な所である尾久、水戸に所属する車両
以外では北海道を除いて見かけることはまず無い点から両区の保守を担当する大宮工場独特の
モノではないかと推測して緩急車改造を担当した工場と施工車両そして施工時期を照らし会わせ
を行いました。

 すると、私が知る水戸に居た車掌窓が大窓のオハフ46−2003、2013,2016は
全て大宮工場において緩急車化改造がS41年からS42年にかけて行われている事がわかり
ました。 逆に、小窓に施工された車両の所属や施工工場、時期を調べると改造時期的には開
きは無いが、施工工場が小倉、長野、後藤に及ぶ事や、資料を見る限り各工場ともに小窓に施工
されている事も判りました。 
 
 この他に同じ方法でオハフ45−100、200、スハフ42−400を調査したところ全て
の改造を大宮が受け持ったスハフ42−400では全て車掌窓が大窓のままである事、オハフ45
−100でも大宮担当の2101〜2106は車掌窓が元の窓枠のままであり、その反対に小窓
に改造されている車両はやはり小倉、後藤によるもので、改造時期も同時期のモノでした。

 このように昭和40年〜42年、49年あたりに行われた緩急車化改造で大宮だけが元の客室
の窓枠を利用していた事が推測されるのですが、しかしオハフ45−200だけはどうしてか
他の施工工場である小倉と同様に小窓に改造されて40年〜41年に竣工しています。
他の改造車と同じ時期の施工なのに一体どうしてなのでしょうか?


投稿者 やまだ
投稿日 10月18日(水)19時20分21秒
タイトル 佐貫のオハフ46−2016についてお願いします。
本文

 皆様こんばんは。 話が古いので恐縮ですが・・・

 瑞貴様へ
私が以前、書き込みを致しました佐貫駅前で利用されているオハフ46−2016についてドアの
危険防止ステッカ−の話題で瑞貴様からレスを頂いていたのですが、丁度その頃、しばらくの間
留守にしていましてつい見落としてしまい失礼いたしました。

たいぶ遅くなってしまい大変申し訳無いのですが、このオハフ46のドア形態と便・洗窓の形態
についてお手数ですがご教授頂けないでしょうか?どうぞよろしくお願い致します。


投稿者 水ミト
投稿日 10月18日(水)22時36分30秒
タイトル 再び車掌室窓
本文

そもそも小型化落とし込み方式だと、車体内部への水進入により、車体腐食がでます。
そこらを考慮したのでしょうか?

するとオハ35の緩急車改造も同条件ですので、調べてみる価値はありそうですね。
たしか番台が2区分ありましたよね? 

それと佐貫のオハフ46−2016のドア形態と便・洗窓の形態。
たしか瑞貴様がご報告されていたと思いますが...


投稿者 水ミト
投稿日 10月18日(水)22時42分05秒
タイトル 皇室客車の色
本文

こんにちは。

今度模型で皇室客車を作るのですが、判らないことが一つだけあります。
旧1号2号編成の御料車と供奉車の色についてです。
新一号は御料車と供奉車の色は同一ですが、戦後の旧1号2号編成の御料車と供奉車は
同一だったのでしょうか? もしご覧になられた経験のある方いらっしゃいましたら、
ご自身の印象で構いません。同じだったとか違ったとか、ごの場をおかりしまして御教示
いただければと思います。宜しくお願いいたします。

カラーだと以前とれいん誌に発表されていましたが、その他のカラー資料はあるのでしょうか?



投稿者 やまだ
投稿日 10月19日(木)01時11分32秒
タイトル すみません頭が混乱していて・・・
本文

度々すみません。

 瑞貴様、水ミト様ヘ
このところ卒論で忙しくて、すっかり瑞貴様より頂いた佐貫のオハフ46の情報の件を忘れて
いました・・・自分自身お礼のReをしていながら・・・全く何をやっているのか・・・
大変失礼いたしました。 (今回、情報を紙と図面にファイリングするのを怠った為にうっかり
忘れてしまったようです・・・)謹んでお詫び申し上げます・・・ 

 水ミト様、小型の落とし込み式窓の件ですが、やはり雨水ですかね?
すると、大宮工場では昭和41年頃から落とし込み式の窓への改造は見送られるようになったと
いう事になるのでしょうか? 興味深いですね。 そしてオハフ33の車掌窓についても何か判
ると良いですね。 ただ、35系はまとまった資料が無いのと私自身の研究不足からいまいち
番台区分や改造その他の施工工場が判らず、大変苦労しそうです・・・

それでは失礼致します。 


投稿者 急行安芸
投稿日 10月19日(木)12時26分59秒
タイトル 推進回送お礼+新たな質問!
本文

やまだ様、元総武・今スカ線沿線住人様
上野着ブルトレの回送情報有難うございます。
週末にでも行ってみようと思います。

ところで工場入出場の回送・試運転列車(客車の)
の運行を知りたいのですが皆様ご存知有りませんか?
以前に大宮と高崎でマニ50を控え車としたオロネ25
やスハフ14を目撃したのですが、スジなどご存知でしたら
教えてください。よろしくお願いします。


投稿者 急行安芸
投稿日 10月19日(木)12時35分06秒
タイトル マニ30について
本文 度々失礼します。
現金輸送用客車のマニ30型は、いまでも走っているのでしょうか?
やはり現金を積みこんでいる関係上、運用などは明らかに
されていませんが、一度撮って見たい客車です。
一説によると貨物列車に繋がれて走っているとも聞きます。
運用・撮影可能な駅・その他目撃情報などございましたら
お願いします。


投稿者 水ミト
投稿日 10月19日(木)17時42分00秒
タイトル マニ30は...
本文

マニ30は走ってます。某貨物駅にいるのですが、
居たり居なかったりしてます。

けど「運用・撮影可能な駅」情報は、やばくないですか?
情報の取り扱い注意だと思います。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 10月19日(木)20時33分12秒
タイトル RE:マニ30は...
本文 急行安芸さん、水ミトさん、こん**は。
マニ30ってまだ存在していたのですね。
最近の配置表では見かけなかったので、いつのまにか廃車になったものと思っていたのですが、
よく考えれば日本銀行所有車の為JRの配置表には載っていなかったのですね。
ところで現存するマニ30は、まさか元マニ34(昭和23年製造)ではなく、昭和53年製造の2007〜ですよね?
何両残っているか等詳しくお知りの方がいましたら、教えていただけるとうれしく思いますので、よろしくお願いします。


投稿者 伊藤正宏
投稿日 10月19日(木)22時32分26秒
タイトル マニ30形について
本文

 皆さん、こんばんは。

 マニ30形ですが全車6両とも現存していると思います。
取り扱い注意の形式ですので所属など余り書けないですが、差し障りない程度でしたら弊サイトで紹介しております。
「荷物車」のコーナーにありますのでご覧になって下さい。

投稿者のホームページ


投稿者 やまだ
投稿日 10月19日(木)23時47分06秒
タイトル 日銀券輸送列車について・・・
本文

 皆様こんばんは。

 マニ30が話題になっていますね・・・実は私は数年前に大学の授業で三重野 元日銀総裁に
一年間、教鞭を執って頂いていた事がありまして、そのときに日銀の組織機構とともに現金輸送
列車についてなぜ未だに列車による輸送を行っているのか窺った事があります。
 なんでも、組織機構では日銀本店に輸送部という他の支店営業部などの主だった部署とは大きく
異なる専門部署があり、ここが日本各地の支店への現金輸送を担っているそうです。
 業務内容の特殊性の為か他の部署とは人事交流が無いらしく、日銀内部でもかなり変わっている
ところのようです・・・
 そして、なぜ列車による輸送かというとやはり定時であること、自動車輸送より危険が少ない
(事故・事件の両面で)、現金に付いて警備出来ること、他の物流商品と異なり計画輸送による
決まった輸送であることや、緊急性をともなう輸送ではないこと、そして何よりも昔からの慣習と
いうのが今なお鉄道輸送である事の最大の理由のようです。 ただ、モノがモノだけに総裁も良く
知らないことが多い部署であることは確かなようです・・・

 運用範囲は北は札幌から南は福岡・高松で、荷レ無き現在は高速貨物にくっついています。
その運用や連結位置は日によりまちまちで撮影は至難の業だと思いますので狙う(なんかやばい)
のではなく、貨物列車を撮っていたらたまたま撮れた程度に考えた方がよいかもしれません・・・
私の経験では大宮に1ヶ月貨物を撮りに行けば撮れるかな?・・・といった感じです。



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