倶楽部メモ(26)
平成11年11月 4日〜11月10日



投稿者 九州総局長
投稿日 11月04日(木)00時01分18秒
タイトル 大変おひさしぶりですが、九大本線の客レについて
本文 ごぶさたしております、九州総局長です。
本日、久大本線の豊後森駅にて今月1日より発売の”さよならDE10”のオレンジカードを
購入に行った際、確認した話ですが、このオレカの趣旨が12月4日のダイヤ改正でとうとう、
久大本線より客車列車が気動車列車に置き換えになるので発売だということが判明しました。
詳しい話は聞けなかったのですが、少なくとも久留米鉄道事業部である鳥栖、久留米方には
客車列車がなくなることはまちがいないとみてよいでしょう。
と、なると大分方ですが、今のところ確認とれてません。
しかし、熊本方の豊肥本線電化で気動車に余剰が出ているはずですから、
おそらくは12月3日が最終日となるのではないでしょうか?
ちなみに12月4日の改正はJRグループ全体での改正で九州寝台では
さくらの佐世保編成の廃止、その結果さくら+はやぶさによる運転(鳥栖で分割)があります。
しかし、これって以前のみずほですよね。名前だけ消えて、列車が残る?
変な話です。
さらに、来年3月のダイヤ改正では大阪発の九州寝台の整理があり、
あかつき+彗星による運転(門司で分割)が予定されています。
空いたスジはみんな貨物列車になるのかな?
以上です。
それではまた。


投稿者 大和路環状線
投稿日 11月05日(金)04時02分19秒
タイトル Re:寝台付き普通列車
本文 昨日、帰宅途中に天王寺駅に寄ったのですが、阪和線用9番線(降車専用)の
ホーム地面に目を凝らすと「23:00」という字の跡形がはっきりと読み取れました。
そうなんです。昭和61年まで活躍していた924レ(「はやたま」)の乗車位置です。
当時の竜華区(現・久宝寺駅前)からの回送が渡り線を用いて這い上がっていたことから、
南端の9番線という異様なホームが乗り場だったわけですが、まさにその時の名残。
これはさすがに感動しました〜。(^^)

●AK1219さん
>これは31年11月号の時点で寝台車が連結されています。運転区間は大阪−大社
>間ということでまさに今の「だいせん」の前身ですね。

補足を有り難うございます。ちゃんと時刻表に乗っていて、一安心。(^^)
調べてみると、このスジは夜行普通列車として戦前から続いているようです。
「だいせん」が客レの歴史に終止符を打ち、気動車短編成となった現在。
今後の動向が非常に気になってきますね。

>39年9月号では大阪−浜田・大社間の列車となっており、寝台車の連結区間は
>大阪−出雲市間となっています。42年9月号の時点では、急行化され急行「おき」
>となっています。

この時期の大阪〜山陰急行の愛称の推移は非常に複雑ですね。
詳細は伯備線経由の急行との対比が必要になるのですが、今回話題にしている
福知山線経由の夜行に限って整理しますと、
・昭和39年10月 普通列車から急行「しまね」に格上げ
・昭和40年10月 急行「おき」に改称
・昭和43年10月(昼行ともに)急行「だいせん」に改称
といった感じです。
AK1219さんが見つけて下さった39年のダイヤは、普通夜行としての最後の姿となるようですね。

●平松真一さん(はじめまして)
>参考までに、1983年4月1日「南紀」か「はやたま」の編成を。

資料提供、有り難うございます。ハネが2両も付いていたのは贅沢ですね。
私はこの頃小学生だったのですが、専ら「福フチ」にハマっていた為、
比較的近場ながら末期の天リウ・天カメはほとんど見てません。(残念)

が、座席車の方は「オハフ33が、43系ハ車を挟む(4両編成)」という例が
一般的だったようですね(間違っていたらごめんなさい)。
中には「オハフ33・4両フル編成」という凄まじいのもあったようで・・・。(^^;
編成表にありますが、切妻のオハフ33がそこそこ在籍していたのは(私的には)意外でした。


投稿者 AK1219
投稿日 11月07日(日)15時51分40秒
タイトル 昭和31年11月の寝台車連結列車
本文 昭和31年11月時刻表をせっかく引っ張り出したので、
同月現在の寝台車連結列車の状況を調べてみました。(定期に限る。)(※は列車名再掲)
○急行(33往復中24往復に連結)
2等寝台連結
 A2等  きりしま(東京−博多−鹿児島)の東京−博多間
      早鞆(東京−呉−博多)
      銀河(東京−神戸)
      彗星(東京−大阪)
      西海(東京−佐世保)の大阪−博多間 以上B2等と合造のマロネ40
      筑紫(東京−鹿児島)の東京−博多間 B2等と合造(車種不明マロネ40?)
      十和田(東京−平−青森)      A2等単独の車両
 B2等 ※きりしま(東京−博多−鹿児島)の東京−博多間
     ※西海(東京−佐世保)の大阪−博多間 以上A2等と合造のマロネ40のみ
     ※筑紫(東京−鹿児島)の東京−博多間 A2等と合造(車種不明マロネ40?)のみ
     ※銀河(東京−神戸)
     ※彗星(東京−大阪)         以上マロネ40とマロネ41
     ※早鞆(東京−呉−博多)  マロネ40とB2等単独車両(東京−大阪:車種不明マロネ41?)
      月光(東京−大阪)         マロネ41のみ

 C2等 ※きりしま(東京−博多−鹿児島)の東京−博多間 マロネ38
     ※早鞆(東京−呉−博多)       マロネ38とマロネ29
     ※銀河(東京−神戸)
     ※彗星(東京−大阪)         
     ※月光(東京−大阪)         マロネ39又はスロネ30
     ※西海(東京−佐世保)
     ※十和田(東京−平−青森)
      阿蘇(東京−直方−熊本)
      雲仙(東京−長崎)
      安芸(東京−呉−広島)
      北陸(上野−長岡−大阪)の上野−金沢間
      鳥海(上野−山形−秋田)
      きたかみ(上野−平−青森)
      北斗(上野−平−青森)
      まりも(函館−小樽−釧路)の函館−釧路間 以上マロネ29
     ※筑紫(東京−鹿児島)
      日本海(大阪−富山−青森)の大阪−富山間 以上車種不明(マロネロ??)
      たかちほ(東京−都城)
      大和(東京−湊町)
      伊勢(東京−鳥羽)の東京−名古屋間 以上車種不明(マロネ??)
3等寝台連結
      以上の列車(「たかちほ」「十和田」を除く。「早鞆」は東京−大阪間)のほか、
      げんかい(東京−博多)
      明星(東京−大阪)
      せと(東京−宇野)
      天草(京都−熊本)
○準急(38往復中7往復に連結)
2等寝台連結
 AC2等 信越線309・310レ(上野−長野−(普通)−新潟)の上野−直江津間 車種不明(AC合造)
 C2等  上越線709・710レ(上野−水上−新潟)          マロネ29
      東北・常磐線209・210レ(上野−平−青森)の上野−仙台間 車種不明
      函館・石北線505・506レ(小樽−(普通)札幌−北見−(普通)−網走)の札幌−旭川間
      及び旭川で分割併合する宗谷線普通列車305・306レ(旭川−稚内)
                                   車種不明(マロネロ??)
3等寝台連結
      ※信越線309・310レ(上野−長野−(普通)−新潟)の上野−直江津間 
      ※上越線709・710レ(上野−水上−新潟)          
      ※東北・常磐線209・210レ(上野−平−青森)の上野−盛岡間 
      ※函館・石北線505・506レ(小樽−(普通)札幌−北見−(普通)−網走)
       中央東線807・810レ(名古屋−長野)
       アルプス(新宿−松本−(普通)−長野)
       函館・石北線509・510レ(函館−小樽−北見−(普通)−網走) 以上車種不明
○普通(上掲の準急くずれの4往復を除き1往復)
       福知山・山陰線711・712レ(大阪−大社) 車種不明

以上32往復64本(厳密には宗谷線普通列車305・306レを別カウントすると66本?)
の列車に寝台車が連結されていたことになります。

現在の寝台車連結列車が40本弱、急行列車が60本強でうち寝台車連結のものが
6本であることを考えると隔世の感があります。


投稿者 AK1219
投稿日 11月07日(日)16時05分40秒
タイトル 昭和31年11月の寝台車連結列車(2)
本文 容量オーバーのため続きです。

当時の2等寝台はABCの3クラス制で料金も違っているのですが、
どういった基準で区分されていたのでしょうか。やはり寝台の幅でしょうか。
昭和42年ではAB2クラスと個室、私が現実に経験している昭和50年代は
クラス区分なし+個室という変遷を経て現在の個室の差別化を中心とした
百花繚乱の時代になっているようですが。
当時は2等車にもほとんどの急行には特別2等車というものが連結されており、
またローカル線の普通車にも2等車が連結されているものがあるなど、
今の普通車/グリーン車という感覚ではよく理解できないことが多いので
このあたりも含めて事情がよくおわかりの方に教えていただければ幸いなのですが。
(旧型客車ファンの方にはあたりまえの話なのかもしれませんが、
私は寝台車といえば10系と20系後期以降のものしか見たことがなく、
客車グリーン車も14系しか見たことがないので感覚的によくわからないのです。)


投稿者 大和路環状線
投稿日 11月07日(日)18時50分04秒
タイトル 寝台車のランク
本文 当時の1等寝台車がの料金が高すぎて利用率が低かったことが原因となっているようです。
昭和30年、マイネ40の2人用特別コンパートメント(1等)を「A2等」に、
マイネ40・41の1等寝台(開放式)を「B2等」に、
そして従来の2等寝台車が「C2等」といった形で再編されたそうです。
つまり、A2等とB2等は1等車のお下がりというわけです。

その後、国鉄では昭和35年に二等級制(2等→1等、3等→2等)を導入。
その時のランク付けを基準にどんな車両が対応するかですが、以下がその具体例です。

A1等……ナロネ20
AB1等……ナロネ22、マロネ40
B1等……ナロネ21、ナロネ10
C1等……マロネ29
C1等&2等……ナロハネ10
2等……ナハネ10

あと、普通列車用の2等車は4人掛けのボックスか、転クロです。
これに関しては、その当時の事情に詳しくありませんので、どなたかフォローをお願いします。

<参考文献>
種村直樹著『遥かなる汽車旅』(日本交通公社)


投稿者 急行比叡
投稿日 11月08日(月)03時29分59秒
タイトル スハ43とその他の客車の組方について
本文 久久に投稿させていただきます。
Nゲージの模型で、43系客車とスハ32のシングルルーフの車や、
オハ35の戦前型などを組み合わせて遊びたいのですが、
1950年代に東海道線の各停などでこのような編成例は存在したのでしょうか。
また、東京大阪間など、長距離の各停には、
スロ53などの2等車は組み込まれていたのでしょうか。


投稿者 水ミト
投稿日 11月08日(月)09時29分35秒
タイトル 普通列車用の2等車
本文 4人掛けのボックス、転クロ。

並ロと特ロって言ってませんでしたっけ?
例えばオロ40とオロ35の組み合わせみたいな。

普通列車のロは並ロの方が多かったんじゃないかなぁと<曖昧モード


投稿者 客車好き人間
投稿日 11月08日(月)12時52分36秒
タイトル 飯田町駅跡地に立って
本文 1ヶ月ほど前に、仕事で東京コンファレンスセンターに行った。
駅を降りたあと、道がわからずあちこち歩きまわったが、何のことはない、
JR貨物の本社があるビルだった。
ここは飯田町駅の跡地で、以前は客貨車区もあり中央東線の客操であった。
私の母は松本の出身で、私もキハ58や従来客車の準急、急行、普通に何十回も乗った。
母は松本電鉄に勤めていたので、信濃境までは無料で国鉄に乗れたそうである
(実際は新宿まで乗れたらしい)。
さて私はJR東、東海、西はあまり好きではない。
赤字部分は他の4社に押しつけ、国労組合員は雇わずそれでいて新規採用し、
何より客車を冷遇するからである。
一方JR貨物は好きな会社だが、ビルを見て考えが変わった。
そもそも国鉄は現場の職員と、管理局や本社のエリートが違いすぎてあのようなことになった。
JR貨物が置かれている現状を考えるとき、あのような立派なビルに本社があっていいのだろうか。
佐倉機関区の隣か南松本駅の構内に移転したほうが良い。


投稿者 大和路環状線
投稿日 11月08日(月)14時26分36秒
タイトル 特ロ・並ロと東海道本線
本文 急行比叡さん、水ミトさん、こんにちは。

>並ロと特ロって言ってませんでしたっけ?

そのようですね。
「特ロ」はリクライニングシート使用で、特別料金を必要とするものです。
(昭和25年登場のスロ60(特急用)・スロ51(急行用)が最初。)
急行列車では特ロと並ロの併結例も多かったようです。
「形式」的に見ますと、

・並ロ……オロ40、オロフ33(戦後しばらくの「へいわ」「つばめ」)
     オロ35、オロフ32、オロ31、スロハ38、スロハ32、等々
・特ロ……スロ60
     43系(スロ51〜54、スロフ51〜53、マロ55)
     10系(ナロ10、オロ11)

ただ、「並ロ」については(私にとって)謎だらけで、かなり強い関心があります。
後々、3等(2等?)車に格下げとなった連中もいるようですが、
いつ頃まで普通列車で活躍していたのでしょうね。
そういった車種に思いを巡らせてみると、末期まで残った旧型客車は
意外とバリエーションに乏しかったと言えるかも知れません。

>普通列車のロは並ロの方が多かったんじゃないかなぁと

手持ちの編成表(少ないですが)を見ている限り、1950(昭和25)年代の特ロは
基本的に優等列車専門ではないかと思います。急行比叡さんご指摘のスロ53などは、
急行用とは言いながら「つばめ」「はと」でも使用された車両ですから・・・。

ただ、東京〜大阪間の普通客車列車は昭和43年10月改正まで存在していまして、
その頃になると、スハ32・オハ35等の雑多な客車と荷物車(2両)の中に、
スロ51が1両連結されていたようです。
(→『人気列車全国大追跡(RJ別冊・16)』)


投稿者 水ミト
投稿日 11月08日(月)16時33分57秒
タイトル 並ロ
本文 こんにちは。
並ロですが、昭和40年3月及び昭和40年10月の改正時に大量に格下げ(ロ→ハ)されています。
昭和40年3月 対象 オロ36 オロ41 スロハ32
昭和40年10月対象 オロ35 オロ40 オロ42 スロ43 オロフ32 オロフ33 スロハ32

昭和40年10月以降、残っている並ロは、オロ35が6両、オロ40が21両、スロ43が15両、
オロフ32が2両、オロフ33が2両、スロフ34が2両、スロフ43が4両、スロハ32が7両となっていると、
資料に書いてありました。

次に配置表によると、昭和42年3月31日現在で、スロハ32が4両に減少しています。
この4両のうち3両が紀伊田辺、1両が竜華に在籍しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ところでオロ35って並ロだったんですね。
座席がクロスシートでなかったので特ロと勘違いしていました。失礼いたしました。
で、写真を見ると、転換クロスかもしれませんが、実際はどうだったのでしょうか??

それと並ロの座席の雰囲気が味わえる客車、現存&車籍も残って活躍しています。

それは...供奉車 340 461の二等車部分です。
でも、これは乗れないですね(笑)

ということで、実際乗れる(座れる)可能性があるのは、大宮工場保管の供奉車344となります。
でも、これなかなか出てきません。確か平成6年か7年の大宮工場公開の後は
去年の平成10年で、今年も期待して見に行ったのですが、出てませんでした。
平成10年の時は体験乗車と言うことで、気軽にみれませんでした。
ということで何年越しになるかはわかりませんが、
気長に待てば二等座席に座ることができると思います。

※電車の二等座席でかまわないなら、どっかに廃車体があったと思うのですが。
※交通博物館にも、座席だけはありませんでしたっけ?


投稿者 AK1219
投稿日 11月08日(月)23時38分31秒
タイトル ABC2等寝台・特ロ・並ロ(御礼)
本文 こんにちは。
ABC2等寝台や特別2等の感じがだいたいわかってきました。ありがとうございます。
今風にいえば、
A2等がシングルDX・ツインDX
B2等が普通のA寝台
C2等はB2等の古いもの
特ロは(今でいえば)普通のグリーン車
並ロは新快速並の転換クロスシート
といったイメージでしょうか。
歴史風にいえば、さしずめ昔の貧富の差があった時代の名残の種別
→大衆化を反映した種別の簡素化
→バブルを経てその辺の若者でも乗れるようになったデラックス車両の出現
ということでしょうか。
大和路環状線さんのおっしゃるとおり、末期まで残った旧型客車は客車全盛期と比較すれば
バリエーションに乏しかったということでしょうね。


投稿者 AK1219
投稿日 11月09日(火)00時04分40秒
タイトル 久大線客レ
本文 某掲示板の情報によれば、大分口も含めて全廃とのことです。
来週のダイヤ情報の発売時にははっきりするでしょうが。


投稿者 奥山 道紀
投稿日 11月10日(水)16時13分03秒
タイトル 三菱大夕張鉄道「スハニ6」他客車補修資金寄付のお願い。
本文 「三菱大夕張鉄道保存会」では、夕張市のまちづくり市民組織「シューパロ塾」と共に、
大夕張地区の歴史を語る貴重な遺産であり、北海道の「炭鉱」と「鉄道」の歴史を語る
遺産として「南大夕張駅跡の客車・石炭貨車」等を後世に残そうと7月の発足以来、
「廃線跡巡り」「屋根の補修」「模型運転会」「署名集め」等の活動を展開して来ました。
今後も行政への働きかけと共に、自分等で出来る補修活動を展開する予定ですが、
そのため広く寄付をお願いしすることになりました。
金額は限定しませんが3.000円以上の寄付をしていただいた方には当会特製の
「レシート・カード」を発行します。

【寄付の場合】
郵便局より事務局までご送金ください。まことに申し訳ありませんが、
送金手数料もご負担願います。

【口座番号】 02750−1−27955

【口座名称】 三菱大夕張鉄道保存会事務局

【送金手数料】

●郵便口座を持っていない方
 通常送金1万円以下
 窓口   70円
 ATM  60円
 電信  210円

●郵便口座を持っている方(口座間の振替)
 通常振替  15円
 電信振替 140円

※なお、送金の際に通信欄等に「寄付」の旨記入するか、振込人の名前等に、
「寄付」と付け加えるようにお願いいたします。

「金券」での寄付も受け付けます。その場合は事務局・今井までご一報下さい。
(この場合は額面6.000円以上でレシート・カードを発行します)

事務局長 今井 一郎  E-mail ichiro16@alles.or.jp

同時に「保存会会員」も募集しています。詳しくは下記で紹介しています。

署名は「電子署名」を含め、3千通を超えました。ご協力ありがとうございました。
投稿者のホームページ


投稿者 ☆☆☆提督
投稿日 11月10日(水)16時43分49秒
タイトル 「ながさき」の編成
本文 ごぶさたしています、☆☆☆提督です。
先日は急行「かいもん」の解答、ありがとうございました。

今回は寝台付き客車列車「ながさき」の編成例を・・・

↑長崎
マニ36 62  (長崎〜門司港 門モシ)
オユ10 1002

オハネ12 29 (長崎〜門司港 門サキ)
ナハフ11 17
オハ46 670
オハ47 37
ナハフ10 2003

スハフ42 301(佐世保〜門司港 門モシ 佐世保〜早岐・逆順)
オハフ45 22
↓門司港

牽引機は
ED76 36(佐世保〜門司港)
DD51 736(長崎〜早岐)

寝台車はオハネフ12が連結されていたこともありました。

「ながさき」は私が小学生のときに廃止になったのですが(年がばれる・・・)
廃止直前に門司駅で撮影した時にはオハネフ12でした。



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