倶楽部メモ(21)
平成11年 9月21日〜 9月24日


投稿者 旅助
投稿日 09月21日(火)21時18分29秒
タイトル 録音の苦労は?
夜行列車の音取りで、窓からマイクを出して録音したら、風切り音に邪魔されて、
夜行の鈍行の走行音が気に入って、部屋でも聞けたらと思って採りに行った記憶があります、
出入台付近で録音したら連結器近くでガチャガチャだけでした、
今は夜行(客車)列車の雰囲気を持つ列車が少なくなりましたが、走行音を録音するのに最適な場所とは一体どこだったんでしょうか、
私は人の声が入るのを覚悟で網棚の上が一番良かったような気がしますが、
それとて20数年前の事、しかしここで聞けば答えが判るような!
録音で一番苦労された点は何処でしたか教えて下さい。


投稿者 peer
投稿日 09月21日(火)21時43分41秒
タイトル 「だいせん」乗ってきます
「だいせん」が12月で廃止になるとの噂を聞きました。
その下準備なのか、10月から座席車のみの2両編成になるとか。(本当でしょうか?)
仕事が休めそうなので乗ってきます。
9/29、4号車3Cに座っています。
見かけたら声かけてください。

投稿者 大和路環状線
投稿日 09月21日(火)23時28分50秒
タイトル 旧客の茶塗装にお礼(その2)
水ミトさん、再度のフォロー誠にありがとうございます。
スハ32さん、こんにちは。興味深い回答を頂き、嬉しく思っております。(^^)

●水ミトさん
>急行用は一応、35系42系43系10系だと思います。
>35系は一般型末期の越前等で運用されていましたし。
なるほど。これで少しは謎が解けていきそうです。(笑)
でもオハ35(正真正銘の直角シート)の夜行急行って、利用者からすれば不満タラタラだったんじゃないでしょうか。(^^;

>全検が大宮だったことに起因するのではと思います。
青色61形の件は以前述べて下さいましたが、こういう点は見落しがちですね。
「工場」によって一つの傾向が存在するというのは面白いと思います。

>茶色多数の臨時十和田(昭和50年代)という写真を見せてもらったこともありますので、
>35系42系43系10系なら何でも可というのが当時の感じだったのではないでしょうか
それが当時の事情だったんですね。今からでは全く想像できません。
ニス塗りの急行列車、当時の利用者はどう感じていたのでしょう。

●スハ32さん
>50年代当時は、東京近郊の旧型国電もまだ健在でした。青梅、五日市、横浜、南部線など全ての路線で茶色塗装でした。
>それを考えると客車だけでもなかった気がします。
なるほど、関東では結構遅くまで旧塗装の国電が残っていたんですね。
当時の大阪駅では、なんせ環状線の103系や新快速の117系などに隣合う形で、
茶色い客車(福知山線)が停まっていたりしたもんで・・・。(^^;;

>非電化区間などでは、油汚れなどの問題もあるので、メンテナンス面で実は茶色の方が都合が良かったそうです。
これは大きいでしょうね。改装車との区別を図ることもできますし、二重の好都合だったというわけでしょうか。

>茶色の上から青を塗ると見た目も余り良くなかったと言う事情も聞いた事があります。
>最後まで茶色が残ったのも、元の塗装に上塗りするのが面倒・・・という面もあったのではないでしょうか?
エッ?でも、ほとんどの一般型客車は元々茶色で、その上に青色が塗られたわけですよね。
塗り替えの際に「塗料さえあれば青色にできるのでは?」と考える発想って、短絡的でしょうか?(^^;;

>マニの青色も極少数存在してたはずです。
新聞輸送用のマニ37が唯一の例外でしたっけ。
ブルトレに連結するための青色でしょうか。

>末期まで旧型客車が東京発の急行に残ったのも?ですね。
東北・北海道方面は遅く(1982年)まで残っていましたね。
12系は波動輸送の任務に手一杯で、客車急行の多い上野口の定期便に回す余裕がなかったのでしょうか?
14系は14系で特急車の面目を保っていた時代でしたし・・・。

一方で、大阪発九州行きの「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」などは、昭和50年の時点で14系座席車に置き換えられていますね。
こちらは新幹線の穴埋めの役割もあるため、特別に優遇されていたのかも知れませんね。

>32系では、唯一オハフ35(TR11に振り替え)が近代化されて青色にされていますが、短命だったようです。
オハフ35というのがありましたか。本当に雑多ですね。
塗色どころか、車両形式の全貌をつかむだけでも至難の業と言えそうです。(^^;;


投稿者 客貨区
投稿日 09月22日(水)02時16分36秒
タイトル 四国の旧客
このページを見て客車好きの虫が騒いだので投稿させていただきます。

車体や車内のお話が出ておりますが、思い出話をさせて下さい。

まず車体の塗装ですが、四国では43,44系ともに全て青色
35系はオハ35は青のみで、オハフ33は、半々くらい。
41,61系は全て茶色でした。

私の知っている限りでは、ニス塗りは全て茶色だったようです。
唯一、オハフ61−20は、ニス塗りの車内をライトグレー一色で塗りたくった変な車両でした。

四国では近代化改造はきっちり青で塗り分けていたと思います。

ただ、旧客末期頃の記憶とデータしか残っていないので調査漏れがあったら勘弁してください。


投稿者 ほくほく
投稿日 09月22日(水)21時26分34秒
タイトル 常磐線の思い出
はじめまして。皆さんのように客車の知識など詳しくないですが書き込みします。
私は子供の頃、客車列車に乗る(見る)機会は殆どありませんでした。
しかし、小学生の頃(S55年頃)のある日、友達と松戸(だったかな?)で上野行きの電車を待っていたところ、
普通客車列車(上野行き)が到着しました。
しかし、まだ子供だった私たちは見慣れないその列車に乗る事ができませんでした。
特別料金などなしに乗ることのできる列車かどうか判断できなかったのです。
今考えると本当にもったいない事をしたと思いますが、当時はまだ(かなり少数だったのでしょうが)
普通客車列車が常磐線にも残っていたのですね。
原ノ町とか平(いわき)あたりから来た列車だったのでしょうか?
それとも臨時だったのでしょうか?
ちなみにその客車は青い色で、乗車口のドアがなかったように記憶してますが、なにぶん子供の頃の記憶なのではっきり覚えてません。
ドアがないなんてS55年頃にそんな古い?客車を使ってるわけないですかね?
つまらん書き込みですいません。それでは。


投稿者 スハ32
投稿日 09月23日(木)15時29分00秒
タイトル 旧客時代の夜行&急行
>>茶色多数の臨時十和田(昭和50年代)という写真を見せてもらったこともありますので、
>>35系42系43系10系なら何でも可というのが当時の感じだったのではないでしょうか
> それが当時の事情だったんですね。今からでは全く想像できません。
> ニス塗りの急行列車、当時の利用者はどう感じていたのでしょう。
急行ではないですが、夜行の山陰に乗ったとき茶色ニス塗りのスハ42に当たったことがあります。
他は、青のスハ43、オハ47だったと思いますが、意外とこの車両に人気が集まってました。
スハ42は、台車がウィングバネ初期のTR40で乗り心地は良いのですが、座席は、オハ35と同じです。
夜行の場合、ニス塗りの車両の方が、暗くて寝やすいと言う人もいました。
また一般客でも既に茶色の客車は、珍しくなってきていたので、色々と鉄道ファンに質問してましたね。
当時夜の上野駅地上ホームは、東北夜行急行が絶えず発着してました。
東北夜行急行に乗る人は、旅行者以外はベテランの人が多く、ホームでの列車待ちの風景は独特のものがありました。
確かに茶色の客車が混じる事もありましたが、当時出稼ぎで来ている人などには、故郷へ向かう列車が来た・・
という印象をうけていたのではないでしょうか?

当時を振り返ると、座席の10系は、意外と早くに急行から撤退してました。
理由は、隙間風だったと思います。
皮肉にも軽量化のせいで、各所の痛みが早く、置換えたはずの43系に起きかえられる結果になったようです。
10系は、山陰地方で最後まで残り、首都圏や東北地方からは、早くに消えています。
八甲田も旧型客車末期には、10系は全て43系に戻されました。
旧型客車急行末期の写真に寝台車以外の10系の姿は、見る事が無かったと思います。

ニス塗りではなかったのですが、中央夜行、及び急行で旧型客車が遅くまで残っていました。
これは、山男の間では、「旧型客車の方が寝やすい」というのが一般的だったからそうです。
電車化が決まったときには、大規模な反対運動(しかも鉄道ファンではない登山家から)が起きて、
東京では大きく新聞報道までされました。
登山家の間では、旧型客車の山岳夜行は長い間愛されて利用されていました。
新聞記事の中では、山へ行く独特の雰囲気が無くなってしまったと言う声が大きかったと報じられてたようです。
最終列車は、垂れ幕まで登場したそうです。
固い座席といっても、12系165系も大差は無いですし、慣れた人は殆ど床で寝てました。
(私も夜行では好んで床を選ぶことが多かったです。)
エンジンもモーターも無い客車は静かで寝やすい、という意見がおおかったそうです。
その後臨時でしばらく残り、最後は品川客車区の43系客車が中心だったと思います。
(実家が山手線沿線だったので、良く回送列車を見ました。)
急行列車で印象に残っているのは、C57(だったと思います。)の引く急行ちくまときそです。
どちらもスハ43に乗りました。SLの引く客車急行に乗った最後の機会だったと思います。
C57の汽笛と旧型客車独特のジョイント音は、今となっては2度と味わうことの出来ない贅沢だったのかもしれないですね。
昭和40年代の後半、SL末期の頃(中央西線SL引退間近)だったと思います。
まだ小学校低学年でした。

変わったところでは、冬のスキー臨時客車急行ですね。寄せ集めでしたが、43系が中心でした。
牽引は、EF58でした。スキー急行は混雑が激しかったのですが、
旧型客車は、デッキが手動なので、運転停車の駅からもスキーヤーが乗り降りしてました。
当時のスキー臨時急行は、115系まで借り出されてました。
急行指定券払って115系は、さすがに遠慮したかったですね。

                   スハ32


投稿者 水ミト
投稿日 09月23日(木)17時48分26秒
タイトル 10系座席
こんにちは。10系座席の急行ですが、私の印象ではS5310改正位まで、頻繁に使われていた印象ですが、実際どうなんでしょう?
大阪−九州急行とかは、10系多かったですよね。

東北で10系座席がなくなったのって、S55だと思いましたが。

それと、常磐上野口普通客車列車は、S5711改正まで残っていましたので、ほくほく さんの記憶は正しい物です。
違うかな?



投稿者 たけP
投稿日 09月23日(木)19時32分03秒
タイトル さらば「客車 だいせん」
はじめまして。
10月ダイヤ改正で気動車化される「客車 だいせん」に別れを告げるべく、昨夜サヨナラ乗車してまいりました。
やはりと言うべきか、利用状況は悪く(自分の乗車した2号車の上段は利用がゼロ、下段も2、3空きがありました。)、
今改正で気動車として生き残ったとしても、いずれ廃止の運命をたどるのではないかと思わざるを得ませんでした。
しかし、私のほかに何人かいたサヨナラ乗車組の想いに、力走で応えてくれ、
自分にとって今迄で一番思い出に残る夜行列車の旅となりました。

最後の出発まであと僅か。
サヨナラ乗車される方々、思いで深い旅となるようこころからお祈りしております。

 さらば!! 客車 だいせん号


投稿者 ほくほく
投稿日 09月24日(金)00時00分26秒
タイトル 記憶は正しかったのですね!
水ミトさん、レスありがとうございました。

>それと、常磐上野口普通客車列車は、S5711改正まで残っていましたので、ほくほく さんの記憶は正しい物です。

そうですか。東北新幹線開業と同時に消えてしまったのですね。
実は今日、東京の神保町の本屋でS51年の時刻表を立ち読みしました。
そこには確かに上野〜仙台の普通客車列車がありました。
そんな古き良き時代にタイムスリップしたくなりました(笑)。

ちなみに別の本屋で「汽車旅 2000」という雑誌を見ていたらP107ページに久大本線の「客車鈍行列車」の事がカラーで載ってました。
もし、本屋で見つけられましたら見てみて下さい。

あと、話は変わりますがS33年の「渇き」(山本富士子さん主演)という映画を何年か前に夜中の放送で見ました。
その映画のラストシーンに東京23:35発大阪行き普通客車列車が出てきます。
おそらく今の大垣夜行(ムーンライトながら)の前身だったのでしょう。
その列車は茶色で出入口のドアなし、15番線発車で、停車駅は新橋、品川、横浜、大船
小田原、湯河原、熱海、三島、沼津、静岡、掛川から各駅停車とアナウンスしてました。
車内でのシーンが多かったので興味深く見れました。
それを見ていて、せめて今の大垣夜行の臨時版だけでも客車に戻してくれないかなと、思ってしまいました(笑)。
私は同じ客車列車でも「普通」列車が好きなので、そんな列車が復活してくれれば本当に嬉しいと思っています。無理か?(笑)


投稿者 大和路環状線
投稿日 09月24日(金)05時03分47秒
タイトル 旧客の茶塗装にお礼(その3)&諸々
懐かしネタ花盛りですね。
大昔(?)の旧型客車の香りが一気に蘇り、酔ってしまっている大和路環状線です。
長文になってしまいましたが、どうかお許しを。m(..)m

●客貨車区さん
>四国では43,44系ともに全て青色35系はオハ35は青のみで、オハフ33は、半々くらい。
>41,61系は全て茶色でした。
44系というのが何とも言えませんね。
末期の四国オハ35は、緩急車(オハフ33)に比べると極端に在籍数が少なかったようなので、たまたま青色だけになったわけでしょうか。

>知っている限りでは、ニス塗りは全て茶色だったようです。
>唯一、オハフ61−20は、ニス塗りの車内をライトグレー一色で塗りたくった変な車両でした。
そういうオハフ61も初耳です。
勿論背ずりモケットは無しだと思いますが、ちょっと違和感が・・・(^^;
(やはり「断片情報」が貴重ですね。ありがとうございます。)

>四国では近代化改造はきっちり青で塗り分けていたと思います。
そういう地域も確かにあるというのは興味深く感じております。

●スハ32さん
>夜行の山陰に乗ったとき茶色ニス塗りのスハ42
確か出雲区(米イモ)の客車でしたね。
残念ながら私は乗れませんでしたが、深夜の餘部鉄橋などは100%「999号」の世界でしょうか?

>夜行の場合、ニス塗りの車両の方が、暗くて寝やすいと言う人もいました。
なるほど、そういう好都合もあるんですね。
「暗い」という点では、私が函館本線41レ(昭和60年)で乗ったスハフ42 2245は
白熱灯の上、使用灯半減でしたのでぐっすり熟睡できたと記憶しています。
(長万部発車時の引出しショックで目を覚ましたくらいです。)

>当時出稼ぎで来ている人などには、故郷へ向かう列車が来た・・という印象をうけていたのではないでしょうか?
現在から予測する以上に、そういった面があったのでしょうか。
旧客時代の「津軽」や「八甲田」に並々ならね思いを持っている方って、おそらく大勢いらっしゃるんでしょうね。

>皮肉にも軽量化のせいで、各所の痛みが早く、置換えたはずの43系に起きかえられる結果になったようです。
10系って外観はイケるんですが、車内がなんとなく安っぽいですね。
TR-50台車の走りって、いかがなもんでしょう。
私も43系の方が出来の良い車両のように感じます。(重いですが・・・)

>旧型客車の山岳夜行
利用者にとって何が本当に快適なのかを考えさせられるお話です。
夜行列車は私も客車が最適だと思いますが、年々夜行列車の存在基盤が崩れつつあるようなので、
やはり昼間主体の車両体制(EC・DC化)は仕方ないのでしょうね。
私もよく115系山岳夜行の床で寝ましたが、モーターや3ドア開閉の音が気になりますので、お話は実感としてよく伝わってきます。

>デッキが手動なので、運転停車の駅からもスキーヤーが乗り降りしてました。
それって、ありですか?(笑)

●水ミトさん
>大阪−九州急行とかは、10系多かったですよね。
新幹線博多開業(昭和50年)までは10系の天下でしたね。
先日も書きましたが、その後一気に14系へグレードアップです。

●たけPさん
>サヨナラ乗車組の想いに、力走で応えてくれ、自分にとって今迄で一番思い出に残る夜行列車の旅となりました。
さすがDD51の走りは違いますね。
優等列車と思えないゆったりとした、それでいて力強い「だいせん」の走りが私も大好きです。

●ほくほくさん
>上野〜仙台の普通客車列車
水ミトさんの仰る通り、1982年までありましたね。
同時期の上野口では高崎行2321レというのも残っていたそうですが・・・。
去年発刊された『懐かしの国鉄列車PARTI・1980〜83』(鉄道ジャーナル別冊)なんてどうでしょう。
上野発仙台行客車列車(常磐線)の追跡ルポが載っています。
私もそれを読み、客車10両に郵便車が付く威容、大都会を走る姿に圧倒されました。
すごいの一言。(他に「鳥海」(旧客急行)や「津軽」「おが」などの客車追跡も載っています。)

>その列車は茶色で出入口のドアなし(爆笑)
確かに全部「自由ドア」なので、開いたまま走っていましたけど。(^^;


投稿者 車掌
投稿日 09月24日(金)12時35分53秒
タイトル RE:録音の苦労は?
旅助さん、はじめまして。
録音で一番苦労した点ですか。
私にとっても15年以上昔の話なので、詳しくは覚えていないのですが....。

>夜行列車の音取りで、窓からマイクを出して録音したら、風切り音に邪魔されて
鉄道の音に限らず、生録にとって最も大敵なのは風ですね。
マイクの構造そのものが風に弱いので、よほど風がない日か、しっかりしたウインドスクリーン(風防)を使う等しないと、風の音には悩まされますね。
特に走行音の場合は、マイクを外に出すのはもちろんマイクのそばの窓を開けるのも録音に影響が出てしまうと思います。

>出入台付近で録音したら連結器近くでガチャガチャだけでした
出入台(デッキ)付近は、走行中はよほど混んでいない限り人がいないので、純粋な走行音が録音できるポイントですが、
確かに連結器の音や連結面からの風の進入、更に空間が狭いので反響音でやたらうるさい状況になってしまうので、
実際に録音するとなると難しい面があると思います。

>走行音を録音するのに最適な場所とは一体どこだったんでしょうか
これは難しい問題で、録音する人の主観によって変わるのではないかと思います。
乗客の声等が入らないような純粋な走行音を録音するには、やはりデッキ部分が最適ではないかと思いますが、
前述のような問題点もありますので....。
私の場合は、列車の走行音としてだけではなく、車内アナウンスや車内の雰囲気など旅の記録的な意味合いで録音していましたので、
客室?内の自分の座っている場所(窓辺のテーブルの上に置いていたような....)で録音していました。
答えになっていないようですいませんが、私の場合に限って言えば、すいている車内が最適であったと思います。


投稿者 ころすけ
投稿日 09月24日(金)20時41分03秒
タイトル RE:録音の苦労は?
旅助さん、車掌さん、はじめまして。ころすけと申します。

私は25年程前に、当時普及しかけのラジカセでSLの車上録音にトライしていました。
夜行列車の音取りとは多少性格が違いますが、昔話を。

>窓からマイクを出して録音したら、風切り音に邪魔されて

SLの場合、車外にマイクを出さないとクリアな音が録れないので風音には本当に苦労しました。
「使い古しのストッキングをグルグル巻くとよい」なんていう記事が雑誌に載っていて標準装備していました。
これ地上ではかなり効果が有りましたが、車上では多少良いかな、という程度でした。
今のマイクにはこんな必要はないのでしょうが、当時は有り合わせのもので工夫していました。

客室窓からとかデッキのドアを開けて(旧客だけに出来る技)とか、オハフ61の車掌室の窓から、とかいろいろやりましたが、
発車直後はまあまあイケルのですが、車速がちょっと乗ってくるとゴーゴーと風の音ばかり。なかなかうまく行きません。
それでも峠では車速が落ちるので今聞いても部分的にはそこそこ楽しめますけど(ただし人に聞かせられる物ではないですが)。

一番良かったのはC11が逆行で引く機関車直後のデッキの連結面(ドアなし)で、
手の届きそうな所にシリンダーや煙突があるので実に歯切れの良い音が録れました。
しかもここは風が直接は当たらないので、風音から開放されます。
ところが悲しいかな、汽笛が入ると、余り近すぎてひずみどころか無音状態に
(私の使っていたラジカセは入力レベルを自動で調整してくれたのですが、許容範囲を超えてしまい完全に絞り切られてしまったのです)。
このテープは今聞いてもくやしい思いをします。
汽笛さえうまく録れていれば最高なのに...
結局、あちらを立てればこちらが立たず、という感じですね。

そう言えば「逆行C11+旧客」は今でも大井川でトライする事が出来るのですね。
最新の機器でトライしたらどうなるのか試してみたい気もします。
うまく録音された方もいらっしゃるかと思います。

「夜行列車の音取り」から離れてしまい、余り参考にならない話で失礼しました。
投稿者のホームページ

投稿者 車掌
投稿日 09月24日(金)20時58分53秒
タイトル RE: 急行かいもん
だいぶ以前にあった、☆☆☆提督さんからの、急行かいもんの編成についての質問なのですが、
>かいもんは1993(平成5)年3月16日で運転を終了してしまったのですが、
>このときの編成をジェー・アール・アール編集・発行のJR気動車客車編成表93年度版で見つけました。
>が、おそらく誤植ではないかと思われる部分を発見しました。
>記載によると最終日の上り・かいもん(102〜1120)の編成は1号車から順に
>スハフ12 50
>スハフ12 61
>オハ12 222
>スハフ12 61
>オハ12 59
>オハネ25 182
>オハネフ25 110
>となっています。
>なぜかスハフ12 61が2両も連結されています。
>実際の編成はどうだったのでしょうか?
という内容で、そのときは単なる番号の誤植であると思ったのですが、92年版以前の編成表を見ると、急行「かいもん」の編成は
スハフ12・オハフ13・オハ12・スハフ12・オハ12・オハネ25・オハネフ25
となっているので、2両目のスハフ12 61というのがオハフ13 61の間違いではないかと思います。
念のため93年版の車両配置を見てみるとオハフ13 61が当時「かいもん」の所属であった
鹿児島運転所【鹿カコ】に配属されているので間違いないと思います。


投稿者 大和路環状線
投稿日 09月24日(金)21時52分42秒
タイトル Re録音の苦労は?
全くの「音鉄素人」ですが、客レで私が気を遣うのは次の点でしょうか。
(いずれも基本的なことで非常に恐縮しています。)

・ホームでの録音は跨線橋の階段下のスペースが結構使えます。
 風の通り道に なりにくいと思われます。
・車内録音は機関車の次位の車両が最適。(もちろん)
・冷房シーズンは原則として車内での録音を避ける。
・12系・14系のスハフ(ディーゼル発電機搭載車)車内は極力避ける。
 駅の放送も、この車両のそばではほとんど聴き取れない。
・室内ドアに近い席や、旅行客のそばには近寄らない(特に良く喋るグループ)。
 逆にコトバに関心がある場合は、方言が聞けそうな人にネライを定めるのも良いですね。
 (2人組ぐらいが無難。また、地方の高校生は元気が良すぎるので使えぬ。)
・折角の夜行列車でも芸のない、或いは小声の車掌氏に遭遇する場合も多いです。
 スピーカー下の座席を確保し、場合によって放送は網棚付近で録音する。
・車掌室もポイント。発車ごとに機関士と列車番号を喚呼し合う無線交信が何よりの良い記録になります。

実際乗車する場合には矛盾し合う項目もありますが、自分なりの狙いを事前にしっかり定めて対処することが大切なように思います。



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