水ミトさん、再度のフォロー誠にありがとうございます。
スハ32さん、こんにちは。興味深い回答を頂き、嬉しく思っております。(^^)
●水ミトさん
>急行用は一応、35系42系43系10系だと思います。
>35系は一般型末期の越前等で運用されていましたし。
なるほど。これで少しは謎が解けていきそうです。(笑)
でもオハ35(正真正銘の直角シート)の夜行急行って、利用者からすれば不満タラタラだったんじゃないでしょうか。(^^;
>全検が大宮だったことに起因するのではと思います。
青色61形の件は以前述べて下さいましたが、こういう点は見落しがちですね。
「工場」によって一つの傾向が存在するというのは面白いと思います。
>茶色多数の臨時十和田(昭和50年代)という写真を見せてもらったこともありますので、
>35系42系43系10系なら何でも可というのが当時の感じだったのではないでしょうか
それが当時の事情だったんですね。今からでは全く想像できません。
ニス塗りの急行列車、当時の利用者はどう感じていたのでしょう。
●スハ32さん
>50年代当時は、東京近郊の旧型国電もまだ健在でした。青梅、五日市、横浜、南部線など全ての路線で茶色塗装でした。
>それを考えると客車だけでもなかった気がします。
なるほど、関東では結構遅くまで旧塗装の国電が残っていたんですね。
当時の大阪駅では、なんせ環状線の103系や新快速の117系などに隣合う形で、
茶色い客車(福知山線)が停まっていたりしたもんで・・・。(^^;;
>非電化区間などでは、油汚れなどの問題もあるので、メンテナンス面で実は茶色の方が都合が良かったそうです。
これは大きいでしょうね。改装車との区別を図ることもできますし、二重の好都合だったというわけでしょうか。
>茶色の上から青を塗ると見た目も余り良くなかったと言う事情も聞いた事があります。
>最後まで茶色が残ったのも、元の塗装に上塗りするのが面倒・・・という面もあったのではないでしょうか?
エッ?でも、ほとんどの一般型客車は元々茶色で、その上に青色が塗られたわけですよね。
塗り替えの際に「塗料さえあれば青色にできるのでは?」と考える発想って、短絡的でしょうか?(^^;;
>マニの青色も極少数存在してたはずです。
新聞輸送用のマニ37が唯一の例外でしたっけ。
ブルトレに連結するための青色でしょうか。
>末期まで旧型客車が東京発の急行に残ったのも?ですね。
東北・北海道方面は遅く(1982年)まで残っていましたね。
12系は波動輸送の任務に手一杯で、客車急行の多い上野口の定期便に回す余裕がなかったのでしょうか?
14系は14系で特急車の面目を保っていた時代でしたし・・・。
一方で、大阪発九州行きの「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」などは、昭和50年の時点で14系座席車に置き換えられていますね。
こちらは新幹線の穴埋めの役割もあるため、特別に優遇されていたのかも知れませんね。
>32系では、唯一オハフ35(TR11に振り替え)が近代化されて青色にされていますが、短命だったようです。
オハフ35というのがありましたか。本当に雑多ですね。
塗色どころか、車両形式の全貌をつかむだけでも至難の業と言えそうです。(^^;; |