惜別「あかつき」

 「あかつき」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正にて関西-九州間初の寝台特急として誕生しました。

 登場時は新大阪-西鹿児島・長崎間で運転され、その後、関西と西鹿児島・熊本・長崎・佐世保を結ぶ
寝台特急として順調に発展し、昭和49年4月改正においては7往復とまでなりました。

 この時点で、車両は20系・14系・24系・24系25形と当時の寝台特急用車両のすべてが投入されていました。

 昭和50年3月ダイヤ改正(山陽新幹線博多開業)に鹿児島本線行きの系統は「明星」「なは」として分離し、
「あかつき」は、長崎・佐世保方面行きのみに整理され
3往復となりました。

 その後、使用車両が14系15形のみに変更、1往復まで削減、個室B寝台車の連結と変遷し、
平成12年3月には「彗星」との併結化により、短編成化・佐世保編成廃止となり、
平成17年10月に併結相手を「なは」に変えて最後を迎えることとなりました。

撮影・画像提供:クモイ103様  平成2(1990)年3月31日 肥前山口駅 佐世保編成

撮影・画像提供:クモイ103様  平成2(1990)年3月31日 肥前山口にて

撮影・画像提供:元広島市民様 平成13年年2月27日 摂津富田にて

撮影・画像提供:オハネフ12-2018”山陰”様  珍しいEF65PF牽引の「なは・あかつき」

撮影・画像提供:元広島市民様  平成20年2月

撮影・画像提供:元広島市民様  平成20年2月

撮影・画像提供:元広島市民様  平成20年2月 長崎

撮影・画像提供:オハネフ12-2018”山陰”様  平成20年2月 肥前浜でのバルブ画像

撮影・画像提供:bell様  平成20年3月15日 島本−山崎間「堂の後踏切」
上り最終列車

撮影・画像提供:クモイ103様
平成2(1990)年3月30日
大阪駅発車案内表示

撮影・画像提供:オハネフ12-2018”山陰”様
撮影・画像提供:オハネフ12-2018”山陰”様  平成20年2月 長崎駅


歴史
昭和33年10月 1日 東京~大阪の不定期急行列車として運転開始
昭和34年 9月22日 定期寝台列車化
昭和39年10月 1日 急行「あかつき」廃止
昭和40年10月 1日 新大阪~西鹿児島・長崎の寝台特急となる(20系)
昭和43年10月 1日 増発(新大阪~西鹿児島・佐世保)により2往復化(20系)
昭和47年 3月15日 増発(新大阪~熊本・長崎)により3往復化(20系)
昭和47年10月 2日 2往復を14系化 増発(新大阪~熊本)計4往復
昭和48年10月 1日 20系1往復・14系3往復・24系2往復の6往復化
昭和49年 4月25日 20系1往復・14系3往復・24系1往復・24系25形2往復
計7往復化
昭和50年 3月10日 新大阪~長崎・佐世保・熊本に統一
14系2往復・24系25形1往復
昭和53年10月 2日 全列車を14系15形化
2往復(新大阪~長崎・佐世保)に削減
昭和59年 2月 1日 明星を併結
昭和61年11月 1日 1往復に削減 座席車連結
平成 2年 3月10日 座席車をレガートシート化
平成 3年 3月16日 京都~長崎・佐世保に延長
平成 4年 4月25日 1人用個室B寝台「ソロ」連結
平成10年10月 3日 1人用個室A寝台「シングルDX」連結
1・2人用個室B寝台「シングルツイン・ツイン」連結
(旧「出雲3・2号」連結車の転用)
平成12年 3月11日 「彗星」併結化・佐世保編成廃止
平成17年10月 1日 「彗星」廃止に伴い「なは」と併結化
平成20年 3月15日 ダイヤ改正にて廃止


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