倶楽部メモSP スハネ30と10系寝台(非冷房と冷改車)の編成について
倶楽部メモ(807) 令和2年 3月 2日〜 3月 7日
投稿者
北オク
投稿日
2020年 3月 2日(月)21時34分47秒
タイトル
スハネ30の編成について
管理人様・皆様こんばんは。お世話になります。 以前当サイトでも話題に上がっていましたが、質問させて下さい。 今月トミックスよりスハネ30・スハネフ30が発売されます。 当方所有の10系寝台(オハネフ12・スハネ16)に増結させようかと 思案中ですが、10系寝台冷改車との混結はあったのでしょうか? 例えば 冬季はまだしも夏季は非冷房のスハネ30と冷房の10系寝台冷改車が 混結になってしまいます。 10系寝台も順次冷房改造されましたが、改造は冬季に行い夏季には冷改車だけで 編成を組むなどの配慮がなされていたのでしょうか? また10系寝台(青色)の非冷房と冷改車との混結は存在したのでしょうか? ご教示よろしくお願い致します。
仙コリ
2020年 3月 3日(火)21時03分50秒
Re:スハネ30の編成について
北オク様 スハネ30・スハネフ30と10系寝台冷改車との混結編成という事で、 手持ちの資料を探してみまして、 アルモデルさん発行の「改訂版 往年の客車列車編成表」の中から 2例ほど見つける事が出来ました。 ひとつは昭和42年10月〜の急行銀河(東京−姫路 103・104列車)で スハネ30主体の編成にオハネフ12+オロネ10(2両)が連結されています。 この編成はTOMIXさんのサイトの「スハネフ30」の 紹介ページにも掲載されていましたので参考にしてください。 ただ、この編成では「所有の10系寝台に増結」といった点では オハネフ12を1両しか使用出来ないのでもう1例、 昭和43年2月の急行さぬき(東京−宇野 21・22列車)の編成が ←宇野 オユ10・スハニ35・オロネ10・スロ54・オシ16・ スハネ16・スハネ30×2両・スハネ16×5両・オハネフ12 といった編成で、北オク様所有の車両が生かせるのかなと思います。 なお、他の2点の質問についてですが、10系寝台の冷房改造時期ですが、 車歴表を見てみると特に冬季に行っているという事は無く 1年を通してまんべんなく改造されていたようです。 また、10系寝台の非冷房車と冷改車との混結編成は 見つける事が出来ませんでした。 参考になれば幸いです。
2020年 3月 4日(水)21時58分7秒
Re2スハネ30の編成について
仙コリ様 さっそくのご教示有難うございます。 10系寝台冷房改造車とスハネ30との混結は少ないながらも存在したのですね。 基本的にはスハネ30は10系寝台非冷房との編成が多かったと言う事でしょうか。 10系寝台の冷房改造時期については通年通して改造がなされていたのですね。 そう考えますと10系寝台も非冷房と冷房改造車が短い期間ではありますが 混結編成が存在したのではと思います。 編成表は代表的な編成例を掲載しますので短い期間のイレギュラー的な編成までは 掲載しないのかも知れませんね。 夏季に非冷房の寝台車と冷房の寝台車が混結されますと非冷房の乗客から文句が 出そうな気もしますが、まだまだ非冷房車が幅を効かせていた時代ですので 冷房車に乗車ならラッキー、非冷房車ならいつもと一緒みたいな感覚だったのでは ないでしょうか。
クモイ103
2020年 3月 4日(水)23時18分2秒
Re3: スハネ30の編成について
北オク様、仙コリ様 出遅れましたがコメントさせていただきます。 昭和42〜43年頃に10系のハネ車が 冷房化改造のため次々に工場入りしていた時、 スハネ30は一時的な不足分を補う予備車として使用されたと考えられます。 そこで可能性としては、10系の非冷房車・冷房車・スハネ30が入り乱れた 暫定的な編成が無かったとは言い切れません。 10系ハネの冷房化は昭和43年度末までに終了しますが、 スハネ30はその後もしばらく存続し、 ヨンサントオ改正でも少数ながら急行運用が残りました。 (「復刻版 昭和43年10月1日 国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」 2007年1月31日 ネコ・パブリッシング) その中で唯一、名古屋−長野間急行815−816レ「きそ8−7号」に、 スハネ16とスハネ30が共存しています。 ↑長野 マニ スユニ 1 スハネ30 2 スハネ16 3 オハフ 4 ナハフ 5 ナハ 6 オハ 7 オハ 8 オハフ ↓名古屋 この編成がその後も変更なく続いたとすれば、昭和44年の夏には、 同じB寝台料金で1号車と2号車の環境に雲泥の差が生じたことになりますね。 時代はもう少し下って、 昭和46(1971)年12月29日に撮影された貴重なシーンが、 鉄道ピクトリアル670(1999年6月号)P.5に掲載されています。 宇野発東京行き急行「瀬戸」の5号車ハネと6号車オシ16の間に、 増号車と思われるスハネ30が入っています。 この頃のスハネ30はもはや時代遅れの予備車であり、 年末の多客期対応で増結に駆り出されたのでしょう。 この増結車を除く所定編成のハネ車は、全て10系の冷房車だった筈です。 なお、スハネフ30は3両のみの少数形式でした。 昭和37年3月に運転が始まった急行「大和」の王寺分割和歌山市直通車という 特殊な用途に対応したものです。 しかしその本来の用途は間もなく登場するナハネフ10に置き換えられ、 スハネフ30は東海道筋に転用されますが、 緩急車として編成端部に出る機会は殆どなくなり、 多数のスハネ30の中に紛れて目立たない存在になった様です。
2020年 3月 5日(木)23時44分40秒
Re4: スハネ30の編成について
クモイ103様ご教示有難うございます。 >そこで可能性としては、10系の非冷房車・冷房車・スハネ30が入り乱れた >暫定的な編成が無かったとは言い切れません。 クモイ103様も10系寝台の非冷房・冷房改造車・スハネ30の混結は 暫定的には有り得たと言うご意見なのですね。 スハネ30まで登場すると夜行列車らしい誠にカオスな編成となりますね。 >名古屋−長野間急行815−816レ「きそ8−7号」に、 >スハネ16とスハネ30が共存しています。 これはもう究極の共存と申しましょうか、 この様な編成が夏季に運転されたら同じ寝台料金を 払いながら非冷房と冷房の乗客とではおおせの通り雲泥の差が生じてしまいます。 運転距離が短いのが救いですが、 この様な場合スハネ16も非冷房扱いで運転した方が良い気がします。 >宇野発東京行き急行「瀬戸」の5号車ハネと6号車オシ16の間に、 >増号車と思われるスハネ30が入っています。 スハネ30の特徴として細かい側窓などですぐに見分けがつきますね。 昭和46年12月ですと20系化される直前ですので、 ハネ・スハネ30・オシ16の並びは貴重な編成だと思います。 >緩急車として編成端部に出る機会は殆どなくなり、 >多数のスハネ30の中に紛れて目立たない存在になった様です。 この様な扱いはオロネフ10と似ているなと感じました。 急行「つるぎ」のB寝台はスハネ30を連ねた編成だと思いましたが、 定期運用は「つるぎ」あたりが最後となるのでしょうか。 寝台車には見えない細かい側窓や独特な屋根・車歴などスハネ30と言う車両は なかなか個性的な車両に感じます。
もの好きヲヤヂ
2020年 3月 6日(金)08時12分37秒
スハネ30の車内
この数日間で話題となっているスハネ30ですが、 初期の車両は中段寝台が20系同様の構造となっている画像を見たことがあります。 後期のものは10系と同じく背もたれ兼用のようですが、 初期若番車の車内構造の資料がほとんど見当たらず個人的な謎となっております。 どなたかご存じの方、ご教示願えませんでしょうか。
2020年 3月 6日(金)22時05分8秒
Re5: スハネ30の編成について
北オク様 > この様な場合スハネ16も非冷房扱いで運転した方が良い気がします。 そう思われる背景をお聞かせいただけませんか? 私はそうは思いません。 小学校低学年だった当時の記憶をたぐってみますと、 夏は暑いもので冷房など無くて当たり前、あったら“天の恵み”です。 “天の恵み”をわざわざ使わずに、換算0.5両の無駄な重量を運ぶことが、 公共交通機関である日本国有鉄道に許されることでしょうか。 仮にそのような思いつきが出たとしても、 社会が許さなかったのではないかと想像します。 > 定期運用は「つるぎ」あたりが最後となるのでしょうか。 スハネ30最後の定期運用は、 後年「からまつ」と命名される小樽−釧路間普通列車だったようです。 (正確な時期は手元に情報がありません) 急行運用については、これも正確な情報がないのですが、 ヨンサントオ改正時に存在した「つるぎ」を含む少数のものが、 おそらく昭和45年10月改正あたりまで続いたのかな?と思っています。
2020年 3月 7日(土)00時29分4秒
Re6: スハネ30の編成について
クモイ103様こんばんは。 >この様な場合スハネ16も非冷房扱いで運転した方が良い気がします。 そう思われる背景をお聞かせいただけませんか? この考えはクモイ103様に返信する書き込みをしていた時に ふと思った思い付きです。 私の短絡的な思い付きとご理解頂ければ幸いです。 実際はこの様な場合でもスハネ16は冷房を入れて運転しただろう と思っておりました。 せっかく冷房改造しても使わなければ意味がありません。 ただあまりにも究極すぎて前述の様な思い付きで述べてしまったと思います。 >スハネ30最後の定期運用は、 >後年「からまつ」と命名される小樽−釧路間普通列車だったようです。 北海道で何かありそうだとは思っていましたが「からまつ」でしたか。 最後が普通列車運用、スハネ30らしさを感じました。 ご教示有難うございます。
2020年 3月 7日(土)00時57分43秒
Re6: スハネ30の編成について
北オク様 冷房車と非冷房車の混結についてですが、北オク様もRe2で書かれておりますが、 昭和50年代頃までは世の中がどこでも冷房が完備されている時代ではなく、 私も通学で山手線や京浜東北線を利用していましたが 冷房車・非冷房車が混在しており(昭和57年頃でも冷房化率が70%程度) まさに冷房車であればラッキーといった感覚でした。 それが昭和40年代であれば、たとえ寝台車等であっても隣の車両が冷房車で 自車が非冷房でも「今日は運が悪い」程度の感覚であったと思われます。 (もちろんなかには怒る人もいたかもしれませんし、それが20系使用の 特急列車において冷房の故障等だったらどうだったのか?とは思いますが…) 冷房改造の過渡期には、あちこちでそのような現象は起こっていたと思いますが、 時代背景的にそれほど大きな問題にはならなかったものと推測します。
倶楽部メモ(808) 令和2年 3月 7日〜 3月 9日
竹中@ノーブルジョーカー
2020年 3月 7日(土)13時09分43秒
Re7:スハネ30の編成について
北オク様、皆様 10系寝台車の冷房改造後は、「つるぎ」や「からまつ」など一部の列車を除き スハネ30は予備車になっていたかと思います。 偶然なのかどうかわかりませんが、私は夏場の混結を見ていません。 やはり検査時期を調整して夏場のスハネ30を避けていた と考えるのが自然ではないでしょうか。 ピノチオのキットにもあり、模型界では人気のあるスハネ30形ですが、 活躍期間が短かったこともあり、実態には不明な点も多いですね。 ここはクモイ103教授の研究発表を期待してしまいます・・・ 昭和47年2月15日 上野駅 急行「天の川」 スハネ30 2128
2020年 3月 8日(日)08時42分36秒
Re: スハネ30の車内
もの好きヲヤヂ様 スハネ30の中段寝台については、 車両史編さん会の 「国鉄鋼製客車史 第3巻 スハ32形(スハ32800)の一族【下巻】」に、 昭和34年度改造車(1〜10、2101〜2111、112〜120)は 20系客車のように上部に跳ね上げる構造、 昭和35年度からは下に畳む構造になったと述べられています。 34年度改造車の室内写真もあって、 上へ畳まれた中段寝台がちょっと写っています。 ご指摘を受けて資料を読み、 3段寝台にそんなバリエーションがあったのかと改めて認識しました…
2020年 3月 8日(日)08時47分22秒
クモイ103さま
情報ありがとうございます! やはり10系との混結もあり得るとの前提もあって 同一仕様へと変更したんでしょうね。
2020年 3月 8日(日)08時56分12秒
Re8: スハネ30の編成について
竹中@ノーブルジョーカー様 深く興味を持った方にお任せいたします(笑)。 この形式の場合、定期運用だけでなく予備車的な使われ方の比重が高いですから、 それなりのアプローチ方法をご存知の方が登場して頂きたいですね… > 検査時期を調整して夏場のスハネ30を避けていた それは十分ありそうなことですね。 掲載頂いたお写真の昭和47年といえば、 国電区間の冷房化も緒についていましたから、 急行料金と寝台料金を取って夏場に非冷房では、 臨時増結でもさすがに文句が出たかもしれません。 私としては運用状況もさることながら、 個体別のリベットの残存状況などを誰かまとめてくれないかなあ。 (モデラ―はそう思うでしょ?)
ヒゲ無し雷鳥
2020年 3月 8日(日)15時56分55秒
Re9: スハネ30の編成について
御無沙汰しております。皆様の投稿を拝見して、スハネ30の保存車を求めて 仙台のガス局を訪ねたことを思い出しました。結果、お目当てのスハネ30は 解体済、一緒に保存されていた蒸気は利府の新幹線基地へ移動済でした。 ところでスハネ30が瀬戸増結車として使用された画像に関する投稿がありましたが 1971年後半の瀬戸といえば14系ハネが試用された時期でもあり、オシ16,17、ECと 使用車種が多様ですね。
2020年 3月 8日(日)18時56分45秒
Re10: スハネ30の編成について
北オク様、皆様 竹中@ノーブルジョーカーの投稿を拝見して、 10系寝台車の冷房化改造時期について再度検証してみたところ、 私の最初のレスで年間通してまんべんなくと書いてしまったのですが、 これはオハネフ12についてだけであって、 オハネ12及びスハネ16についても調べてみると、 年度末(2月〜3月)及び夏季前(5月から7月)に 多くの車両が改造されていました。 ちなみに2ケ月ごとの冷房化率(オハネ12・スハネ16・オハネフ12・13合計)を 調べてみると、 昭和41年5月末 約 5% 昭和41年7月末 約12%( 7%増) 昭和41年9月末 約14%( 2%増) 昭和41年11月末 約18%( 4%増) 昭和42年1月末 約24%( 6%増) 昭和42年3月末 約29%( 5%増) 昭和42年5月末 約34%( 5%増) 昭和42年7月末 約44%(10%増) 昭和42年9月末 約44% 昭和42年11月末 約49%( 5%増) 昭和43年1月末 約56%( 7%増) 昭和43年3月末 約69%(13%増) 昭和43年5月末 約74%( 5%増) 昭和43年7月末 約84%(10%増) 昭和43年9月末 約89%( 5%増) 昭和43年11月末 約92%( 3%増) 昭和44年1月末 約96%( 4%増) 昭和44年3月末 100%( 4%増) となっており、2月前後と6月前後の閑散期に集中的に改造して 夏季に間に合わせていたと推測出来ます。 この改造の際に予備車としてのスハネ30が投入され、 夏季には10系冷房化改造車がまとまって投入されたものかと思われます。 昭和42年の夏季については冷房化率50%以下なので、 東海道筋の列車等に優先投入されたものかと推測しますが、 詳しい事情をお知りの方がいらっしゃましたらフォローお願いします。 ちなみに前述の編成表で昭和42年10月時点で 10系冷房化改造車が所定となっている列車は 急行「安芸」(東京−広島:呉線経由) 急行「夕月」(新大阪−宮崎) 急行「玄海」(京都−長崎) 私の間違った書き込みで話をややこしくしてしまった面 もあると思われますので、申し訳ありませんでした。
2020年 3月 8日(日)23時02分3秒
Re11: スハネ30の編成について
仙コリ様、詳細なデータ整理お疲れ様です せっかくなのでグラフにしてみました。 確かに5月→7月と、43年1月→3月の傾きが大きいですね。 竹中様の言われた検査時期の調整の話は 「10系寝台車の冷房改造後」の事と思いますが、 冷房改造中の段階から、すでにその様な配慮があったのでしょう。 昭和42年10月1日現在の「主要客車列車編成順序表」の一部を コピーしてあります。(かつて神田の交通博物館でコピー可能だった時代のもの) 近畿地方から西の定期急行列車は、東京から直通のものや 山陰線、九州内を含め、全てハネは冷房車です。 ただし不定期列車には非冷房のハネ車が見られる他、 東京発の定期列車でも大阪止まりの「明星」「銀河」、 それに東海道の途中から枝線へ入っていく 「能登」「大和」「伊勢」「那智」には非冷房車が残っています。 上野から北の方はコピーしていないのでわかりません。
2020年 3月 9日(月)18時24分58秒
Re12: スハネ30の編成について
クモイ103様 冷房化進捗率のグラフ作成ありがとうございます。 グラフにすると、とてもわかりやすいですね。 また、昭和42年夏季に冷房改造車が優先投入されたと思われる路線ですが、 東海道新幹線開業の数年後なので関西発着の山陽本線筋が優先されたようですね。 さて、恒例ですが(笑)今回調べた「冷房化進捗率」と 冷房化改造時期の「10系ハネ・スハネ30使用列車の運用・編成」 についての特集ページを作成し、当サイトの「客車資料館」に掲載しました。 そこでクモイ103様にお願いがあるのですが、 このページへのクモイ103様作成のグラフの転載のご許可を頂きたいとともに、 言い回し等おかしいところがないかの添削をお願いできればと思います。 勝手なお願いですが、よろしくお願いいたします。 竹中@ノーブルジョーカー様 ついでのようで大変申し訳ありませんが、 作成した同ページに3月7日にご投稿いただいた スハネ30の写真の転載をご許可いただけると大変助かります。 よろしくお願いいたします。
倶楽部メモ(809) 令和2年 3月 9日〜 3月13日
2020年 3月 9日(月)20時34分25秒
Re13: スハネ30の編成について
仙コリ様 またまた力作を見せていただき、感服です。 グラフはどうぞご使用ください。光栄です。 ところで、昭和43年2月の「さぬき」は特定日の実編成記録ですよね? 前年10月現在の「主要客車列車編成順序表」では、 この列車のスハネは全て16ですから、 2月のスハネ30はたまたま入った予備車で、 珍しいから記録されたという可能性が考えられます。 一方その他の部分では、「所定編成」が多数を占めているようにお見受けします。 編成記録について、特に客車では意識しておかなければならない事として、 「所定編成」と「ある日の実編成記録」では 情報の意味合いが全く異なりますので、 その区別を記載されるのが望ましいと思います。 > 昭和42年夏季に冷房改造車が優先投入されたと思われる路線 確かに新幹線連絡という要因も考えられますが、もっと単純に、 暑い九州方面から順に冷房車を入れたというような話を、 むかし聞いた(読んだ?)気がします。 新幹線連絡とは関係のない「出雲」「安芸」「瀬戸」「さぬき」 も冷房化されていますし。
2020年 3月 9日(月)21時19分5秒
Re14: スハネ30の編成について
クモイ103様 早速、グラフ使用の許可をいただきまして、ありがとうございます。 また、特定日の編成のご指摘ありがとうございます。 確かに所定編成であるか、予備車を使用したイレギュラーな編成か、 は大事なことですよね。 冷房改造車の優先使用順序も納得です。 より暑い地域へ向かう列車から使用するのは、よく考えれば当然ですよね。 ご指摘の部分を訂正したものをアップさせていただきました。 これからもよろしくお願いいたします。
2020年 3月 9日(月)22時19分3秒
Re15: スハネ30の編成について
仙コリ様 クモイ103様 10系寝台車の冷房化改造時期についての再検証及び再検証結果のグラフ化 有難うございます。 大変なお手間を取らせてしまって恐縮します。大変参考になりました。 >(2月〜3月)及び夏季前(5月から7月)に多くの車両が改造されていました。 昭和41年〜43年までのほぼ同時期に 冷房進捗率が伸びているのは偶然ではなく 当時の国鉄は夏季の寝台利用者に配慮し、 この時期に出来るだけ多くの車両冷房改造したのではないかと思います。 東海道・山陽筋の夜行列車は仙コリ様ご指摘の 「安芸」「夕月」「玄海」等長距離運用が多く 寝台をはね上げてから終着駅までの時間も長くかかりますので、 冷房車が優先的に投入されたと言うご意見は私も同感です。 竹中@ノーブルジョーカー様 貴重なご体験談・ご意見・お写真の掲出、非常に参考になりました。 本件で抱えていた複数の疑問が一気に解消した気分です。 上野口のスハネ30、貴重なお写真の掲出有難うございます。 私が気になっていた側面の寝台表記もはっきりと読めます。 仙コリ様 >昭和50年代頃までは世の中がどこでも冷房が完備されている時代ではなく、 私も通学で山手線や京浜東北線を利用していましたが 冷房車・非冷房車が混在しており(昭和57年頃でも冷房化率が70%程度) まさに冷房車であればラッキーといった感覚でした。 私も全く同感です。 ただその感覚は昭和40年台の寝台車にもそのまま当てはまるのか疑問に感じ 今回皆様のご体験談・ご意見等賜りたく投稿させて頂きました。 >冷房改造の過渡期には、 あちこちでそのような現象は起こっていたと思いますが、 時代背景的に それほど大きな問題にはならなかったものと推測します。 私も過渡期や時代背景から大きな問題にはならなかっただろうと思います。 私が現代人の思考・感覚に慣れてしまったので 余計に疑問を感じてしまったのかも知れません。 今回、かなり久しぶりに当掲示板にコメントを投稿させて頂きました。 私が当掲示板に初めて投稿したのは今から20年程前の事です。 私のつたない質問にも管理人様はじめ多数の方からご意見を頂き、 嬉しかった記憶があります。 こうして皆様方とご意見のやりとりをしていると当時を思い出し、 なつかしくまた嬉しくもあります。
2020年 3月10日(火)21時05分50秒
Re16:スハネ30の編成について
仙コリ様 画像はどうぞお使いください。 よかったら今日の画像もどうぞ。 場所から団臨の留置だと思いますが1両だけスハネ30が入っていました。 昭和47年3月16日 小郡 スハネ30 2131
仙コリ@管理人
2020年 3月11日(水)01時00分38秒
Re17:スハネ30の編成について
竹中@ノーブルジョーカー様 画像の使用を快諾していただきまして、ありがとうございました。 ページの内容から運用中の画像が望ましいと思いましたので、 先の投稿の画像を使用させていただきました。 10系ハネとスハネ30の混結編成例の部分に使用させていただいたので、 スハネ30の次位(右隣)の車両について注釈を追加させていただいたのですが、 窓割りからスハネ16と判断しましたが、間違いないでしょうか?
2020年 3月11日(水)23時43分0秒
Re18:スハネ30の編成について
仙コリ様 拙い画像を採用いただきありがとうございます。 当時はまだ客車に目覚める前で記録も取っていませんが、TR47が確認できますので 隣はスハネ16ですね。
マロネロ38
2020年 3月13日(金)13時44分36秒
スハネフ301経験
クモイ103様 3月9日の「大和」ですが、昭和40年代に「大和」の王寺−東京間で 和歌山市駅発の付属編成の、スハネフ301に乗車しました。 王寺から名古屋までは先頭車で、不慣れな乗客が廊下側の窓を開けていたので、 かぶとのトンネルで煙たくて困りました。 その頃は電化区間の夜行列車にスハネ30系が多くて, 戦争前の名士列車17-18レの後身の「銀河」でスハネ30にのせられたり。 東海道本線の季節臨などは殆どスハネ30系でした。 大阪ー富山間の準急「つるぎ」も30系でした。(大阪ー高岡間が準急)
2020年 3月13日(金)22時31分6秒
Re: スハネフ301経験
マロネロ38様 いつもながら貴重なご体験のお話し、ありがとうございます。 昭和40年代と仰いましたが、その時期については疑問があります。 折角のお話しに水を差し恐縮ですが、 スハネフ301にご乗車された時期は確かでしょうか? 「大和」の和歌山市行き寝台車は、 昭和37年10月改正時の名鉄局客車運用表ではスハネフ30ですが、 営業局資料「旅客車の現状 昭和38年度末」では、ナハネフ10になっています。 加太越えの難所に挑むC57の荷を 少しでも軽くする意味があったのかもしれません。 昭和38年10月改正時の大鉄局客車編成表では、 スハネフ30は「銀河」に使用、但し当分の間スハフとなっています。 しかしその半年後となる上述「旅客車の現状」では、 「銀河」に使用中で特に注記はありませんので、 遅くともこの頃には「大和」から外れていたと考えられます。 ちなみにその後、39年10月改正時の「主要客車列車編成順序表」では 「関西第1観光号」に移っています。 「銀河」も「関西第1観光号」も、 スハネ代用ではなくスハネフとしての形式指定ですが、編成の中ほどです。 加太越え区間を含む亀山−奈良間の牽引機は、39年10月時点ではC57ですが、 40年10月にはDF50で無煙化されています。 (ディーゼル機関車でも煙は出ますが…) C57もDF50も牽引定数は変わらず、補機なしで定数一杯に近い重労働でした。 軽量のナハネフ10には潤沢な予備車がありましたから、 2ランクも重い上に予備が1両しかないスハネフ30をわざわざ持ってくる事は、 考えにくい気がします。 昭和37年3月の運転開始初日には、 和歌山市駅で盛大な出発式が催された様ですが、 スハネフ30と和歌山市駅との付き合いは、 長くて2年間程度のものだったと思われます。
倶楽部メモ(810) 令和2年 3月14日〜 4月 5日
2020年 3月14日(土)10時26分59秒
Re2: スハネフ301経験
マロネロ38様 たいへん貴重な実体験のお話ありがとうございます。 スハネ30は、やはり基本的には予備車として、 臨時運用や10系ハネの冷房化改造時期に代わり として運用されていたことが多いようですね。 クモイ103様 ご指摘の「大和」の和歌山市行き寝台車について調べてみました。 「大和」の和歌山市行き寝台車の受け持ち区は東シナであったようで、 昭和40年代には確かにナハネフ10だったようで、 資料上は所定では最後までナハネフ10であったと思われます。 ただ、先日の話題の通り「大和」の運行最終年の昭和43年は 10系ハネの冷房化進捗が著しい時期であったので、 この年の夏にはオハネフ12になっていた可能性が高いのではないか と思い資料を探してみたところ、 鉄道ピクトリアル誌の「客車急行」特集号(2016年1月号53ページ) に「大和」に連結される和歌山線の普通列車の寝台車として オハネフ12の写真がありました。 このことから、昭和43年の春頃からの最後の半年程度は、 実際には所定がオハネフ12となっていたと思われます。 一方スハネフ30についてですが、 昭和42年3月31日の配置は全3両とも東シナとなっていますが 翌年昭和43年3月31日には3両とも大ミハ配置となっているので、 「銀河」や「関西第1観光号」への運用は遅くても昭和42年度中には消滅し、 予備車となっていたと思われます。 東シナのナハネフ10を調べると昭和42年3月31日には17両ありましたが、 昭和43年3月31日には4両に激減しており(冷房化されたオハネフ12が8両配置) 昭和42年から43年にかけての冬季にナハネフ10の冷房化改造が一気に進められ、 その間の代替えとして「大和」にスハネフ30が充当された という可能性があると思われます。 もっとも、クモイ103様ご指摘の牽引定数の問題もありますので、 あくまでも可能性があるといった程度ですが、 冬季の閑散期であれば所定編成から減車する という荒業も考えれられるかなとも思います。
2020年 3月15日(日)21時26分24秒
Re3: スハネフ301経験
一昨日は、マロネロ38様に対し無遠慮な口調での投稿に及び、失礼いたしました。 > 仙コリ様 「大和」の和歌山市行き寝台車が最後にはオハネフ12になっていたという話は、 私もどこかで読んだ覚えがあります。 もとより冷房化が進捗中の過渡期のことですから、 ナハネフ10が指定されていた運用に、 途中からオハネフ12を充当するようになるのは自然なことですね。 ナハネフ10だったというのはあくまで42年10月時刻改正時点の事であり、 局報を追うことが出来れば、 あるいは「〇月×日より編成変更」といった記事が見つかるかもしれません。 そういえば、たしか10系ハネのうち 観光団体用のオハネ17 600番台とオハネフ13は、 冷房化が最後の方になったという話もあったと思います。 天下の品川客車区で定期運用に就く車両は、 早い時期に冷房化が完了していたことでしょう。 ☆ さて、スハネフ30が予備車として使用された可能性は、私も否定しません。 但し、改めて42年10月改正時の「主要客車列車編成順序表」を確認すると、 やはり牽引定数のハードルは高いです。 昭和42年10月1日現在 901-902レ「能登・大和」編成 (↑米原・名古屋・和歌山市) 1 ナハネフ10 2 オロネ10 3 オロ61 4 オハネ17 5 オハネ17 6 スハ 7 スハ 8 スハフ 9 ナハネフ10 10 ナハネフ10 11 オロネ10 12 オハネ17 13 オハ 14 スハフ (↓金沢・湊町・王寺・東京) 1-8 東4「能登」東京−金沢 現車8両 換算29.0両 9 東附4「大和」東京−和歌山市 現車1両 換算3.0両 10-14 天1「大和」東京−湊町 現車5両 換算17.5両 加太越え区間では、9-14号車の現車6両、換算20.5両です。 それに対して牽引機はDF50単機 速度は「ツE0」、問題の定数は「20」、 すなわち端数処理のルールで辛くもセーフながら、 厳密には定数オーバーの「過重労働」だったわけです。 そして、その後ハネの冷房化で 9・10・12号車の3両が1ランクずつ重くなるわけですから、 編成と速度を維持するためには、 13・14号車をナハ・ナハフに差し替えるくらいしか手がないですね。 この状況でナハネフ→オハネフの代わりにスハネフを入れるとなると、 もはや仙コリ様のおっしゃる通り、減車の荒業しか考えつきません。 以上はあくまで手元の資料からの推定であり、 実際には何らかの手段でスハネフ30が使用されることが、 「極めてレアなケースとして、無かったと言い切ることはできない」 というのが、今の私の結論です。
2020年 3月18日(水)20時21分44秒
Re4: スハネフ301経験
牽引定数の問題、よく考えたら(考えなくても) 機関車を増やせば一挙解決ですね。 加太越えと言えば、 D51が貨物列車の前後で奮闘する写真が思い浮かぶくらいなのに、 客車の事しか頭になくボケていました。失礼しました。 ただ「大和」のDF50に補機を手配できたのかは、情報がなくわかりません。
2020年 4月 5日(日)15時54分8秒
大和のスハネフ30
昭和30年代後半だったかも知れません−−−何しろ記憶が曖昧なので。 カマは湊町からC57だったのが確かです。 王寺からは先頭にスハネフが連結されました。 補機についてはD51だったのかDF50だったのか?記憶しておりません。
2020年 4月 5日(日)20時34分55秒
Re: 大和のスハネフ30
マロネロ38様 折角の思い出のお話しにケチをつけてしまい、申し訳ありません。 そもそもスハネフ30にご乗車になったというお話が貴重なもので、 それ以上の詳細についてはまた別の事柄です。 C57であれば、手元の「主要客車列車編成順序表」によれば 少なくとも40年10月改正より前という事になりますね。 加太越えは、少なくとも下り列車についてはC57単機で頑張ったようです。 それにしてもマロネロ38様は、戦前の「臨つば」といい、 貴重なご乗車の体験をお持ちですね。