倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

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マイシ37900の1次改造について


倶楽部メモ(796) 平成30年10月 3日〜10月 9日


投稿者

jfs

投稿日

2018年10月 3日(水)22時28分20秒

タイトル

マイシ37900について

ご無沙汰しておりますjfsです。
さて、またしても疑問点が発覚したのですが、
今回はW屋根客車では最も好みの部類に属す
マイシ37900に関してです。


私の所有する形式図によると、製造当初のマイシ37900は
一等室の窓は4個で定員が10名だったはずです。
この客車、例のキングズホビーのキットを所有しておりますが
(まだ組んでいません)、
そのキングズホビーのキットや図面、四鉄局のサイトの写真、
その他多くの文献の記事ではその姿がスロシ37950と全く同じ側面のようで、
一等室の窓は5個で定員が13名となっています。

信頼すべき情報では昭和5年に製造後1次改造で喫煙室や乗務員室を撤去し
一等室と食堂エリアを拡張したとあります。
この時に一等室の定員が13名になったとのことですが、
この改造はいつ行われたのでしょう?
各種文献には昭和10年にマロシに改装されたとの記述はありますが、
1次改造のことは全く載っていません。

この1次改造というのは、窓割りをいじるような大改造だったのでしょうか?
スロシ37950と同じ窓割りにするにはかなり大がかりだと思うのですが
この辺の詳しい事情ご存じならお教え願います。

またこの客車製造年が昭和6年と記載のある文献もありますが、これも謎です。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年10月 5日(金)20時09分13秒

タイトル

Re: マイシ37900について

jfs 様

こんにちは。
マイシ37900において製造後に改造で定員が変わったとのお話、私は初耳です。
その情報源をご教示頂く事はできませんか?



改めて手元にある情報を繰ってみました。

(1)復刻版「日本の客車」
P.122に掲載されたマイシ37903の写真では、1等室の窓は5個です。
所属標記が配属略号の「門」だけで常備駅を示すカナが記されていないことから、
これは落成当初の公式写真と考えられます。

(2)車両史編さん会「スハ32形(スハ32600)の一族(上巻)」
P.151に掲載された形式図VC0418でも、
1等室の窓は5個で、喫煙室・乗務員室はありません。
定員は一等室13人、食堂18人との注記があります。
図面の右下隅にある変更履歴の最初の項目は昭和5年10月28日付けなので、
少なくともそれ以前に作成された図面であることが判ります。
何らかの改造後であるという様な記載は見当たりません。

ここまでは同車が新製当初からこの姿だったという情報ばかりです。
ところが一つ引っ掛かる記事がありました。

(3)鉄道ファン連載記事「国鉄鋼製客車7」(1962年11月号)
マイシ37900形の項目には、食堂の定員12人、
1等室の定員は10人との記載があります。
「専務車掌室と喫煙室は食堂と1等室の間にあり喫煙室は2人掛で,
 そのわきに手洗器が取付けられています.」とも述べられています。
さらに次のマロシ37950形の項目には次の記述があります。
「マイシ37900形の給仕室と喫煙室を取り除き,
 この部分まで食堂室を広くしたため定員は6人増加し18人となりました.
 マイシ37900形よりも調理室は小さく
 3620mmと1090mm小さくなっています.」

まさに jfs 様が紹介された情報と同じですね。

ところが(3)の記事に添付されたマイシ37900形の実車写真は、
1等室窓が5個見える前述の(1)と同一と思われる写真です。
「写真:国鉄提供」との注記があることから、
やはり落成時の公式写真なのでしょう。



以上、矛盾する2つの情報があるわけですが、
私は今のところ次の様に推測しています。
すなわち、マイシ37900形の計画段階で給仕室と喫煙室の設置が検討され、
形式図も描かれた。
しかし何らかの理由でそれが取り止められ、
改めて新形式図が起こされ、実車が製造された。
ところが実現しなかった旧形式図が残っていて、
情報が独り歩きしてしまった…?

給仕室と喫煙室のある形式図を見ていないのではっきりした事は言えませんが、
仮に当初それらが設けられその後撤去されたなら、
窓配置に名残が残るのではないでしょうか。

ということで、現時点で私の考えは以上のようなものです。




投稿者

仙コリ

投稿日

2018年10月 5日(金)23時01分6秒

タイトル

Re2:マイシ37900について

jfs 様
クモイ103 様

マイシ37900について調べてみましたが、
クモイ103様が書かれておられるとおり
非常に難題でほとんどお手上げ状態なのですが、
調べた範囲で一等室の定員10名との記述については

クモイ103様も書かれている 鉄道ファン連載記事「国鉄鋼製客車7」
に記述があり、昭和10年に後藤工場と小倉工場でマロシに改造とあるので、
改造されていたとすると、この昭和10年の改造という可能性があるのか
と思います。

また、鉄道ピクトリアル No.856(2011年11月号)合造車特集に
記述と形式図の掲載があり、ここに掲載されている形式図が一等室の窓が4個で
「専務車掌室と喫煙室は食堂と1等室の間にあり」
という状態の図面となっており、
同様に昭和10年にマロシに改造とあります。


ただし、手持ちのVC図面(VC 0418:もちろん複写ですが)を見ると、
クモイ103様も書かれているとおり、一等室の窓は5個の状態
(一等室の定員13名)となっていまして、
図面の日付は昭和5年5月29日となっており、
その後昭和5年から6年にかけて3回の変更点が記載されているのに、
定員の変更を伴うような改造歴は記載されておりませんので、
製造当初の図面であると思われます。
また、VC 0418より若番の図面についても、
前年の昭和4年4月以降欠番もありません。

という状態で、私もクモイ103様の推測を支持しますが、
一等室の窓が4個の謎の図面が存在するのは事実ですし、
一等室の定員10名と記載された文献も多数存在するので、どちらが正しいのか…

どなたか詳しいことをお知りでしたらご教授いただければ幸いです。




投稿者

仙コリ

投稿日

2018年10月 6日(土)07時53分43秒

タイトル

Re3:マイシ37900について

自己レスで失礼します。

クモイ103様が書かれている「1等室の窓は5個」の写真が、
間違いなく一等の白帯の時代の写真なので、
マロシに格下げされたときに改造されたものではないのは明白なので、
先の書き込みの昭和10年の格下げ時の改造の可能性はありませんでした。

調べれば調べるほど各種文献に矛盾があり混乱してしまいますが、
引き続き調査してみます。




投稿者

仙コリ

投稿日

2018年10月 6日(土)12時21分31秒

タイトル

Re4:マイシ37900について

マイシ37900について、本当に改造された可能性があるのかを検証するために、
2つの図面から窓割図を作成してみました。

並べてみますと、一等座席部分の窓だけではなく、
全体的に窓割がまるで違う状態となっているので、
このような大規模な改造が行われた可能性は非常に低いのではないかと思います。

よって、クモイ103様の推測のとおり、
当初予定された図面と実際に製造された図面が異なっていて、
実車は最初から一等座席定員13名の状態で竣工されたのではないか
と思うのですが、真相は…




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年10月 7日(日)08時28分21秒

タイトル

Re5: マイシ37900について

仙コリ様

鉄道ピクトリアルの記事を踏まえた考察と、
図面の模写まで示して頂きありがとうございます。
当該の号は私も持っていましたが、段ボール箱に入ったまま忘れていました
(情けない)。

ご紹介の記事は故・岡田誠一氏によるものですね。
(氏が他界されて5年が過ぎました。早いものです…)
確かに「専務車掌室と喫煙室は食堂と1等室の間に」ある配置で、
しかも公式のVC0418とは全体的に異なる窓配置ですね。
部分的な手直しで上図が下図に“化ける”ことはまず考えられず、
もし改造されたのだとしたら、上回りを一から作り直したとしか思えません。

岡田氏が所蔵されていた膨大な資料の中には、本案件ではありませんが
公式に出る前の担当者の私案のような図面まで含まれていたのを
私も見たことがあります。

当該図面の出どころもわかりませんし、
岡田氏がどのような経緯でこの図面をピクトリアルの記事に引用されたのか
もわかりませんが、
少なくとも岡田氏ほどの研究者が紹介されているのですから、
何らかの事情で国鉄内部にあったものである可能性が高いですね。

“謎の”図面をよく見ると、調理室は同時代の全室食堂車マシ37740に
ほぼ近い広さです。
その後の“実際の”図面VC0418ではそれよりだいぶ狭くなっていることからも、
なんだか“検討段階の図面”という匂いがするのですが、
おっしゃる通り真相は謎ですね。




投稿者

jfs

投稿日

2018年10月 7日(日)17時30分54秒

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Re6: マイシ37900について

仙コリ様
クモイ103 様
その後昔の書物など引っ張り出し、色々調べましたが、文献や図面においては、
初期案の物も散見しましたが、写真はやはり全て一次改造案の物でした。

やはりこれは初期案では定員が少なすぎるので、
乗務員室や喫煙室を廃止して製造したと考えるべきでしょうね。
いずれにせよ初期案から一次改造案に実際に改造するのは
鋼体自体を作り替える必要があるので、
そのような事を行った可能性は限りなく0に近いと思います。

その後のスロシ37950も同じ窓配置なので、
これで一応のスタイルが出来たのではないでしょうか。

それとあと一つ不可解なのは1位側のデッキの扉が扉の形のまま、
塞がれている理由が不明です。
後年スハシ38になった時にはデッキ自体が無くなっていますが、
なぜ製造時に扉を残したのかも不明です。

添付のイラストは娘に依頼して図面から作成させた、2種類のマイシ37900です。

いずれにせよ我々の生まれる前の車両、
見たことも乗ったことも無い客車ではありますが、
客車の世界は奥深くそれを色々調べることは楽しみでもあります。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年10月 9日(火)20時09分21秒

タイトル

Re7: マイシ37900について

jfs 様

形式図からこれほどのリアルな図を描き起こされるとは、
お嬢さんも只者ではありませんね。
“幻の”初期案は、一部のディープなモデラ―に良からぬ(笑)
刺激を与えそうです…

> 1位側のデッキの扉が扉の形のまま、塞がれている理由が不明

この世代(いわゆるスハ32系の二重屋根車)までの食堂車は、
車端部にデッキが無くても一見デッキ風に
ダミーの扉をつけた形で製造されました。
スシ37740(前書き込みで誤ってマシと書いてしまいました。
失礼しました)も、またスロシ37950の食堂側も同様です。
当時の客車デザイン上の「こだわり」だったのかもしれません。

外観上も側板が延長されて完全な「デッキ無し」になったのは、
丸屋根の世代(スシ37800、スロシ38000)からでした。

二重屋根の食堂車で車端部の側板が延長されたのは後年の改造によるもので、
おそらく戦後に空気調和装置が搭載されて配電盤スペースが必要になった
スシ37740改めスシ37の一部(後のマシ29 1〜4)が
最初だったのではないでしょうか。

マシ29 1〜4では“デッキ”部分に平らな一枚板を貼り付けただけで、
いかにも戦後混乱期に乏しい資材をやりくりして改造した様な印象でしたが、
後にはシル・ヘッダーまでついて新製当初からの側板の様に
美しく仕上げられた車両も登場しました。
改造時期や担当工場などによって細部は異なるのではないかと思います。



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