倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

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白帯車の記憶・連合軍専用客車の帯色


倶楽部メモ(791) 平成30年 7月10日〜 7月16日


投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月10日(火)14時14分7秒

タイトル

客車の等級帯

いつも楽しく拝見しております。
過去の掲示板の記事についても、知らぬことが多々あり、大変役に立っております。
さて、かねがね私が疑問に思っていることに客車の等級帯の問題があります。
ご承知のように戦後連合軍が優等客車を接収し、その客車に白帯を配したため、
一等車が復活した時には等級帯がクリーム色になったとのことです。
マイネ40などは登場時にこの色だったようですが、
他の旧型一等寝台車や展望車やスイ38なども
全てクリーム色の帯になったのでしょうか。
また占領軍の接収が解除になり客車が返還された以後に、
白帯は復活したのでしょうか?

青大将化直前の展望車はクリーム帯との話も聞きますが、
そうなると戦後の一等車には白帯はなかったのでしょうか?

実は幼少の頃(昭和30-31年ごろ)家族旅行に車窓で白帯車を見つけ一等車! 
と叫んだ記憶があるのです。

どなたか詳細をご存知の方お教えください。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年 7月11日(水)22時46分4秒

タイトル

Re: 客車の等級帯

jfs様、はじめまして。

昭和30-31年ごろに白帯車を目撃されたとの事お話しには興味を惹かれます。
その状況を詳しくお話し頂く事はできませんか?

現時点で私の認識は以下の通りです。

戦後の1等車の等級帯がクリーム色になった理由は
連合軍専用車と区別するためでしたから、
マイテでもマイネフでもとにかく全てが対象だったはずです。
昭和27年の講和条約発効に伴い連合軍専用車は無くなった
(「駐留軍貸渡車」に移行)のでその理由は消滅したわけですが、
クリーム帯はそのままでした。
そこまで手が回らなかったのでしょうか。
星晃氏の著述によれば、昭和31年の“青大将”登場まで
1等車の帯はクリーム色だったということです。
また昭和33年に作成された国鉄内部文書「国鉄車両関係色見本台帳」でも、
「クリーム色2号」の「おもな使用箇所」の中に
「1等車帯色」が記載されています。
昭和34年の「車両塗色及び標記方式規程」では1等車の帯は「白」とされています。
ただし当時在籍した1等車の大部分は等級帯のない青大将で、
帯のあるぶどう色だったのは定期運用のないマイテ39 11とマイフ97 1だけでした。
この2両が白帯になったという話は聞いたことがありません。

結論として、戦後1等車の白帯は無かった可能性が高い…
ということになるのですが、
jfs様の目撃情報次第では、見解を改めなければならないかもしれません。




投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月13日(金)01時26分3秒

タイトル

白帯車の記憶

拝復 クモイ103様。

まず、先日の書き込みでご挨拶もせず、いきなり内容に及んだこと、
大変失礼しました。
改めて・・・初めまして、jfsと申します。

物心ついた時から鉄道一筋で、中でも客車列車に特に関心を示す者です。
職業柄(工学部の大学教授です)車両の構造やデザインなどにも興味がありますが、
硬い事より楽しく思い出を語り、模型の列車を動かす・・・
というような事を趣味としております。

さて、先日の件ですが、私が見た白帯車は、恐らく中央線か高崎線でのことで、
営業列車ではなく回送列車だったと思います。
当時の記憶は今でも鮮明に残っており、
その客車もマイネ40のような新しい客車でも展望車でもなく、
狭窓Wルーフのマイネ38のような寝台車ではないかと思っていました。
年月が定かではありませんが、
昭和30年の8-10月または31年の7-10月のいずれかの間であることは
間違いありません。

この時代は一等寝台車は既に廃止になって
マイネ38はマロネ49になっていたようにも思います。
またこの回送列車が廃車になった古い白帯客車の回送であったのかもしれません。
一つ気になるのはこの時代には連合軍の接収車両は全て返還されていたはずですが、
その白帯車の生き残りという物は無かったですよね?
いずれにせよ茶色の車体に真っ白な帯を見つけて
狂気のばかり「一等車」と叫んだ記憶があるのです。
まあ子供の記憶などいい加減と思われるかも知れませんが、
私は経験上色に関しての記憶は恐ろしく正確だったと親にも言われておりますし、
その白帯車がクリーム帯を見間違えたという事は無いと確信しております。

昭和30-31年当時はまだ東海道線全線電化前で青大将はありませんでしたから、
マイテ39、49、58及びマイ38それに特殊なマイフ97とか
数えるほどの一等車が存在したはずですが、
全てそれらがクリーム帯であったのかは多少疑問に残る所です。

模型の世界ではスロ60の青大将があったり、白帯のマイテ49があったりで、
それはそれで良いと思うのですが、
史実としてその辺の事を正しく把握しておきたいと思っていますが、
未だに結論はでません。

これ以外の一等車に関する疑問点もいくつかありますが、これらについても
ご存知の方がいらっしゃればお教え願います。

・マイ38は途中で改造が行われシートピッチが変更になったと認識していますが
 これは事実でしょうか?
 またピッチは1080oと認識していますが間違いないでしょうか。
・マイテ491は一等室を一人掛けのリクライニングシートに変更したようですが、
 窓と座席が合っているならピッチは950oとの認識ですが、かなり狭いですよね。
 この状態で「つばめ」や「はと」の営業列車に使用されたことは
 あるのでしょうか?
・マイテ581は青大将当時屋根上にベンチレータがの無い
 ノッペラボウの屋根でしたが、マイテ49はどうだったのでしょう?
 ノッペラボウのマイテ49の写真を見た記憶もあるようなのですが
 これはマイテ58だったのかもしれません。

以上、今後ともよろしくお願い申し上げます。




投稿者

スハネ30生

投稿日

2018年 7月15日(日)00時48分35秒

タイトル

Re:白帯車の記録

拝啓 jfs様

戦後の1等車の白帯に関しては、当方もかつて貴兄と同じく、
いろいろと疑問を持っておりましたが、
諸々の文献・資料・写真を調査した結果、
現時点では下記の見解(自分なりのものです)を得ました。
当方、HO模型で国鉄客車の製作も行っており(現在70形式以上所有)
そのための図面も多く揃えておりますので、判る範囲で回答させていただきます。

戦後、白帯は連合軍専用車に使用されていましたが、
昭和27年1月の通達(占領解除)により逐次抹消されました。
jfs様が目撃せれたのは昭和30から31年頃とのことですので、
連合軍用客車でないことは明らかです。

当時存在した1等車は寝台車のマイネ29・38・40・41、
マイネフ29・38等および展望車のマイテ39・49・58、
残りは特別車のマイフ97しかありません。
但し1等寝台車は昭和30年7月に廃止(2等寝台に格下げ)されているので、
逐次青帯に塗替えが進行していたと思われます。
 肝心の帯色ですが、規定ではクリーム色(1号)であり白ではありません。
しかし、この色は同系色の中ではもっとも薄い色であり
塗料の褪色や天候の条件を考慮すると一見、白色と認識されることは
十分に考えられます。
客車本体がブドウ色(1号)と暗い塗色ですので帯が際立って見えたなら、
遠目には白と写っても不思議はないと思われます。
証拠として当時のカラー写真が
【RM LIBRARY200号日本の展望客車】に掲載されています。
ブドウ色の特急はと(マイテ58)つばめ(マイテ39)ですが
実際はクリーム帯の筈ですが、写真では白帯にしか見えません。
クリーム色といっても、かなり薄い色だったのではないかと推測されます。
jfs様の目撃された車両も、この薄いクリーム帯のものではなかったのではないか
というの当方の見解です。
 なお大宮の鉄道博物館のマイテ3911は、
明らかにクリーム色(1号)と識別できる帯になっています。
文献によっては戦後の1等車の帯をクリーム2号と記述されているもの
が見受けられるが、これは明らかに誤りです。
(クリーム2号はキハ55気動車の登場時の塗色であり、
むしろ黄色に近い感じで帯色にはなりえません)

 マイ38のシートピッチですが、図面によると1140mmとなっています。
1人掛リクライニングシトが12列(定員24名)です。
 マイテ491の1等室のシートピッチは1030mmです。
1人掛リクライニングシートが7列(定員14名)です。
マイ38・マイテ49どちらも窓割と座席数は一致していないということです。

青大将時代のマイテ492も屋根上のベンチレータは皆無です。
引退後、交通科学館に展示保管されていたときも同じ形態でしたが、
JRで動態復活の際にベンチレータが原型の位置に設置されました。

以上、当方の知りうる事項を回答させていただきました。
参考にしていただければ幸いです。




投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月16日(月)18時41分14秒

タイトル

Re:白帯車の記憶

拝復 スハネ30生様
始めまして、jfsです。詳しいご説明ありがとうございます。
過去ログから、貴殿とは5歳違い、クモイ103様とは10歳違いと判明しました。
いずれにせよ古い時代の客車を愛する方々と出会えて大変嬉しく思います。

さて、帯色ですが、そもそもクリーム色の帯と言う物が
私の感覚では2号のキハ25の準急色を想像してしまうので、
それを白と見間違うはずは無いと申しました。
1号の色をはっきりと確認したことが無いのですが、20系客車の帯の色なら、
かつて見た物がその1号の帯であった事を否定することはできませんね。
過去の文献上クリーム帯の事を「黄帯」と表現した物も見られたので、
その色はキハ25の準急色と思っていました。

そうなると、恐らくロネに格下げ後にまだ帯色の変更がなされていない車両の
回送列車であったと考えるのが最も合理的な結論かと思います、
車両は多分マロネ38かマロネ49ということになりますね。

国鉄の塗色についてはWikiなどにもマンセル記号やRGB値が発表されていますが、
これをそのまま作っても実際の車両の色にはなりません。
専門的な話になりますが、塗料(顔料)は過去においては
ほとんどが金属の酸化物や硫化物などの天然顔料を用いていたため、
その色の管理を国鉄がどのようにシビアにやっていたのかも疑問です。
現代のアゾ系レーキ顔料なら粒子が細かいので塗料単体の色彩と塗装した時の色彩、
それが乾燥した後の色彩にそれほど大きな違いは出ませんが、
金属顔料の場合は塗装した直後はまだ粒子が平滑になっていないので、
光の屈折率の関係で色が違って見えます。
完全に乾いて平滑になった場合とかなり色が違うので、
色に関しては車両の塗装だけでなく、かなり難しい面があります。
何れにせよ帯付きの一等車をはっきり目撃したのはその時が最初で最後なので、
私的には非常に印象深い出来事でした。

シートピッチの件は、マイ38に付いては1080oという認識でしたが、
これは改造前のことなのでしょうかね。
またマイテ491のピッチは一等席のスペースに8個の窓に対して
7列のシートを配したということですね。
どんな構造だったか見たかったですが、このエリアに7列なら
1030oという数値は納得できます。
あとマイテ391の2位側の一等室にもリクライニングシートが並んでましたよね。
私の持つ図面ではここも、座席と窓割りが微妙にずれている感じがしますが、
ここはスペースに余裕があるし、窓割りに合わせれば1400oになって
かなり広いのですがどうなんでしょう。
実際には1250o程度だったのでしょうか。
実はこのマイテ391は現役時代に唯一乗車経験のある一等車でして、
そのリクライニングシート部分に着席しましたが、
前の席との間隔が広すぎて何か落ち着かず、1位側の展望席で大半を過ごした
経験があります。窓割りと座席が合っていなかったのかは記憶にありません。

私は現在は関西住まいですが、父の実家は都内にあり、
幼少期はそこに住んでいました。
しかし母の実家は関西でしたし、
父も仕事の関係でしょっちゅう東海道を往復していました。
普段父は特別二等車利用でしたが、
私がしつこく展望車と言ったので一度だけ乗せてもらったようです。

私の身長は175pなのですが、1160oピッチの特ロはなんとなく間隔が狭く感じ、
急行だいせんのスロフ62に乗車した時には足が一杯に伸ばせこれな楽だ・・・
と感じました。
そんな訳で、やはりグランクラスの1300o以上が
本来の意味での一等車にふさわしいピッチだと思っています。

あとベンチレータの件については改めて資料を精査したところ、
マイテ492のノッペラボウ屋根を確認しましたので、納得しました。

さて、話を模型の世界に移しますが、貴殿は70形式以上のHO客車を
保有されているとのこと、誠に素晴らしいの一言に尽きます。
私は学生時代にHOの車両を何両か製作しましたが、
全て電車で客車の製造はしませんでした。
なので今現在もHO模型は、電車と外国型機関車、客車
のみで日本型の客車は保有しておりません。
この点非常に残念に思うのですが、最近は目も悪くなり、
自作車両やキットの組み上げをする意欲が無くなってしまって、
勢いNゲージの完成品を収集することになっています。
まあNゲージも最近はバラエティに富み、特に運転をメインに考えれば
近頃の住宅事情も考慮すればNゲージが良いのではと思っています。

ただ、客車にこだわる人にとっては、Nの客車は随分いい加減な物が多い、
つまりスロ60の青大将があったり、
そのマイテ492の青大将はベンチレータ付きのままだったり、
窓割りが違ったりで、文句を言う諸兄も多いと思います。
私の場合は、そのようなこだわりは一切ありませんし、
むしろ自分の好み改造して楽しみたいと思う方なのですが、
(今は青大将をマヌ34を従えたEF55で牽引させたいと思っています。)
それとは別に、実物がどうであったのかは史実として知っておく必要がある
と思っています。

最後に、投稿の写真は上段が父から譲り受けたつばめの特急券、
下段が私が小学6年生の時、夏休みに一人で母の実家に行った時に乗車した
151系はとの特急券です。
やはり3本の赤線の入った特急券は当時からの憧れのまとで、
今見ても郷愁を誘われます。




投稿者

仙コリ

投稿日

2018年 7月16日(月)18時47分45秒

タイトル

Re:白帯車の記録

jfs様、はじめまして。

目撃された白帯車両についてですが、私自身はその当時生まれてもいなく
文献からの推測ではありますが、「知られざる連合軍専用客車の全貌」
(JTBパブリッシング)によりますと、軍番号1705号「PORTLAND」
(マイネロフ373)が講和条約発効後も貸渡車として
昭和30年7月11日まで利用されていたと記載されています。

狭窓Wルーフの寝台車という条件にも合致しますので、
ご覧になった客車がこの車両である可能性があるのではないかと思います。

ただ、スハネ30生様がお書きになっている通り、白帯は昭和27年1月の通達
(占領解除)により逐次抹消というのが基本だと思うので、
貸渡車についてどのような扱いであったのかは不明です。

不確実な情報ですが、ひとつの可能性として参考になれば幸いです。
また、この車両の貸渡車時代の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
フォローしていただければ幸いです。




投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月16日(月)20時18分47秒

タイトル

Re:白帯車の記録

仙コリ様初めまして、jfsです。
貴重な情報ありがとうございます。
私が目撃したのは昭和30年の8月以降でこれは確実な事ですから、
連合軍貸出車として現役の時ではありませんね。
どうやら返還後の7月以降はマイフ293になったようです。
とにかく営業列車で前後に展望車やロザを連結した編成ではなく、
回送列車と思われる、他は全て帯無しの車両だった記憶があります。
ただ帯色に関してはスハネ30生様のご指摘のようにそのマイフ293も
クリーム帯に変更された後だったかもしれません。
いずれにせよこれは目撃した物はこの客車であったかもしれません。
むしろその可能性の方が高いかもです。

信越線か、高崎線、あるいは中央線でのことでした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年 7月16日(月)21時38分15秒

タイトル

Re:白帯車の記録

jfs 様

お返事が遅くなり失礼しました。

スハネ30生様

ご無沙汰しております。


1等車の帯色についてですが、なにぶん実物を目撃していない小生が
理屈だけで考えている次第ですので、まず先にご無礼をお詫び申し上げます。
要約すると2点申し上げたく存じます。

【1】公式には「2号」でした。
【2】ただし正確な事はわかりません…

【1】
先日の書き込みで言及した「国鉄車両関係色見本台帳」について、
もう少し詳しくお話しします。
以前、貴重な文献・資料を多数蒐集されていた個人宅にお邪魔する機会があり、
許可を得てコピーさせて頂いた資料の中に、

「国鉄車両関係色見本台帳 昭和33年3月1日現在」

がありました。
これは色の「名称」とその「おもな使用箇所」が記された一覧表で、
その内容の一部を下に引用します。
なおその方は残念ながら物故され、所蔵資料はとある公共施設に寄贈され
現在整理中とのことなので、画像データの公開はご容赦下さい。

・「クリーム色1号」のおもな使用箇所は、

> フ・ウ:客車、電車、気動車の天井(防火合板使用)、便洗内部
> ペ  :荷物車天井
> 防  :客車、電車の天井(合板使用)

・「クリーム色2号」のおもな使用箇所は、

> フ:横須賀線形電車の車体外部の窓回り、
 1等車帯色、気動車(準急用)の車体外部

となっています。ただし、
「フ」:フタル酸樹脂エナメル、
「ウ」:カシュー樹脂エナメル,ウルシオール樹脂エナメル、
「ペ」:ペイント
「防」:防火塗料

1等車の等級帯は、正式にはクリーム色2号だったことになります。

【2】
もっとも、この「○○色*号」という色の呼び方が制定されたのは
昭和31年以降です。
それ以前はマンセル記号はおろかもっと原始的に、色見本板が用いられていました。
昔はそれで済むくらい色の種類が少なかった、
そしてその頃を境に色の種類が増えて収拾がつかなくなってきた、という事ですね。

つまり占領期の“クリーム帯”の現物が先に存在し、後の時代になって
色の乱立を防ぐため無理やり「○○色*号」の枠に当てはめたわけですから、
昭和30年以前の帯色が本当に旧スカ色の窓回りや準急気動車色と同じだった
という保証はありません。
ただ言えることは、少なくともクリーム色1号よりは2号に近い色だったはずです。

実際、小生は以前模型(Nゲージ)でぶどう色1号の客車に
クリーム色1号の帯を巻いてみたところ、
全く「白」に見えてぎゃふんとなった覚えがあります。
星晃氏は「薄クリーム色」と表現されていますが、
薄クリーム色にも見えませんでした。
jfs様が言及された
> 過去の文献上クリーム帯の事を「黄帯」と表現した物も見られた
との原典と同一かどうかわかりませんが、
鉄道ピクトリアル第66号(1957年1月号)の読者短信でも
「黄色」と表現された方がおられることから、
実際の帯色はかなり黄色がかったものだったのではないでしょうか。

次に「管理を国鉄がどのようにシビアにやっていたのか」という事になると、
前述のように色見本板での管理でしたから実は全然シビアでなかったわけです。
それにもう一つ、昔の塗料は今より格段に性能が劣りすぐに退色してしまったので、
輪をかけてシビアな管理など出来ない相談でした。
実際の帯色は車両ごとの状態によってまちまちとなり、
中には退色してかなり白く見えるものもあったのではないかと思われます。




投稿者

スハネ30生

投稿日

2018年 7月16日(月)23時05分0秒

タイトル

Re:白帯車の記憶

jfs様 こんばんわ

前回の投稿内容で説明不足と思われる点がありましたので、
補ってみたいと思います。

戦後の1等車が復活したのは昭和23年7月のマイネ40新製時で、
連合軍専用車の白帯と区別するために、
淡黄色(具体的塗色名は制定なし)の帯を表示したのが最初で、
その後登場した特急平和のマイテ39(1、11、21)にも同色の帯が巻かれました
(星晃氏の述懐より)
淡黄色のことですが、同系色が後にクリーム色何号と制定される訳ですが
、実用に供された順に1号、2号と命名されるルールになっているそうです。
クリーム2号は昭和25年から横須賀線車両に塗られた色
(113系以降はクリーム1号)、
クリ−ム3号は同年登場の80系関西急電に塗られています。
昭和25年以前に使用されていたクリーム系の色を探してみると
1等車の帯以外に該当する用途が見当たりません。
となればクリーム色1号が戦後最初(昭和23年)に使用された1等車の帯色である
という理論が成り立つと思うのです。
(個人的見解でありますが)
 クリーム色1号は20系の帯色でもあります。
近くで見た場合、明らかにクリーム色と認識できますが、
遠方からは白帯と捉えられることも多いのではないでしょうか。
20系のカラー写真で白帯と思われている方がいないとも限りません。
EF65の前面も同色ですが、
こちらは面積があるためクリーム色と認識できるのです。
 1等車に話を戻しますが、参考写真として
【鉄道ピクトリアル−アーカイブスセレクション 10号】の表紙に
マイネ41のカラー写真(昭和30年7月撮影)が載っておりますが
等級帯は、ほぼ白色に見えます。
 なお現存するクリーム色1号の帯を纏った車輌としては
、@ マイテ3911(大宮鉄道博物館)、
A マイネ40(名古屋リニア鉄道館)、
B マイネ40(碓氷鉄道文化村)があります。
機会がありましたら訪れてみては如何でしょうか。

 シートピッチの話ですが、
マイテ39の1等室のリクライニングシートは図面上1390mmです。
窓割とは10mmの差があります。
展望車の乗車経験がお有りとは羨ましい限りです。
151系電車にも乗っておられるのですね。
当方は改造後の181系(あさま・あずさ)に何回か乗車した思い出があります。

当方は模型から実物を偲んでおりますが
(マイテ39、49、58各2両・・・茶色と青大将色3両ずつです)
番号ごとの違いを資料に基づき、作り分けするのが醍醐味です。

お役にたてることがありましたら、
今後ともお気軽に投稿いただけましたら嬉しく思います。



倶楽部メモ(792) 平成30年 7月18日〜 7月20日


投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月18日(水)11時39分9秒

タイトル

帯色の見解など。

みなさんこんにちは、jfsです。
このたびは私の疑問に対し、クモイ103様、スハネ30生様、仙コリ様に
詳しいご説明、貴重な情報を戴き誠にありがとうございました。
私なりに一応の結論、見解を得ましたので、なにかスッキリした気分です。

まず、帯色に関してはクリーム帯が私の認識の黄色帯とは違って
20系客車の色であったために、目撃した車両の帯を白だと思い込んだ。
当時まだ幼い子供であった私は一等車=白帯という先入観で
クリーム帯の存在を知らなかったという事です。
従って、この時代の一等車はやはり全てクリーム帯であった
という事がどうやら真実でありそうです。

また目撃した車両は仙コリ様がご指摘の物、
つまりマイフ293であったことにほぼ間違いないと思います。
この客車について緊急調査したところ、
昭和30年の7月に返還されマイフ293となり、帯色はクリーム1号であったこと、
また31年の11月に廃車になり台枠をオシ17に転用した事などが判明しました。
従ってこの客車の存在時期が私が目撃した30年8月〜31年10月の期間という
時期と見事に一致します。
他の営業用の一等寝台車は既に青帯に変更されたようで、
この時期白(クリーム)帯の車両は恐らく無かったという観点から、
目撃したのはマイフ293であったとの一応の結論に達しました。

シートピッチに関してはマイ38は1140oと確認しました。
私が話した1080mmピッチは供奉車から一般車に改造当初のスイ38のピッチであり、
冷房化と同時に前位のテーブルとその周りの4つの回転椅子を撤去して
マイ38になった時に1140oピッチに改造されたことが判明、
やはり1080oは改造前の姿だったということで納得しました。

マイテのシートピッチに関してはスハネ30生様の説明の通り
窓割り寸法と合っていなかったということで納得です。
またベンチレータに関しても調査の結果ノッペラボウであった事を確認しました。

これらの結果を持って感じるのはNゲージの模型と言う物は
あまり正確な時代考証とかはされない物だなあと思いました。
ですからやはりNゲージの完成品は走らせて楽しむ物だということですね。

では、また機会を見てこちらの客車に乗車させていただきます。
ありがとうございました。




投稿者

スハネ30生

投稿日

2018年 7月18日(水)20時03分43秒

タイトル

Re:帯色の見解など

jfs様 疑問は解消していただけましたでしょうか。

当方の見解も、個人的推論の部分もあり100パーセント確実ではありません。
クモイ103様の投稿にあるとおり公式資料では【クリーム色2号が1等車の等級帯】
となっていたことは当方も存じていました。
しかし実車の各形式の残された写真(カラー・モノクロ)を繰り返し見ていて、
ほぼ白色に近い色(褪色しやすい色)であったと推測した結果、
より明度の高いクリーム色1号が塗られていたに違いないと確信した次第です。
現存する3両の保存車の等級帯に塗られているのはクリーム色1号であり
(時代考証を誰がされたかは不詳ですが)、
T社製の展望車のHO模型の帯もクリーム1号となっているので、
事実は間違いないものと考えています。
(約20年間悩んだ末の結論です)
 これも当方の推測なのですが、当時の設計者だった星晃氏の思い入れとして、
1等車の白帯を是非とも復活したかったと考えていたのではと思います。
そこで白に若干色味を加えた等級帯色を創作して、
遠目にはかつての1等車の白帯と見えるが、
連合軍から指摘された際に、
別の色だと言い訳できるようにしたのではないでしょうか。
その場合クリーム1号が白に最も近いということになります。
(一般国鉄客車の等級帯幅15cmに対して連合軍用車の帯幅は20cmなので
同色でも区別は可能であったかもしれません)

 jfs様はNゲージで客車を楽しんでおられるとのことですので、
旧型客車の模型を数多く発売していた
キングスホビーというメーカーをご存知でしょうか。
残念ながら数年前に廃業してしまいましたので模型の入手は困難と思われますが、
ホームページの製品紹介には実車に関する詳しい説明も載っていました。
時代別の等級帯に関しても書かれています。
【キングスホビーアーカイブ】で検索すると閲覧できます。
参考にしていただければ幸いです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年 7月19日(木)20時17分24秒

タイトル

Re:帯色の見解など

jfs様

ご納得いただいたとのことなので良かったです。
今後ともよろしくお願いいたします。


スハネ30生様

お説とその根拠を伺い、理解いたしました。
改めて小生の考えを整理します。
全くの対立意見となるので2日間逡巡しましたが、
ある程度ストレートにならざるを得ないことをご容赦願います。


【1】クリーム色1号の用途

色番号は実用に供された順につけられた、というのはその通りだと思います。
引用資料によれば1号の用途は天井と便洗、
つまりあらゆる客車に普遍に用いられるものです。
昔から存在するこの色が筆頭に指定されたのは自然な事で、
その後に登場した“1等クリーム帯”が2号になっても
矛盾はありません。


【2】実際の帯色は?

小生は以前「2等の青帯が『青1号』ということは
1等のクリーム帯は『クリーム色1号』なのでは?」と思っていました。
今から14年前の平成16年、
まだ手持ち情報がなかった小生がこの話題を出させて頂いた時のやりとりが、
当掲示板の過去ログ集で下記ページに収録されています。

主な話題(1〜515)
倶楽部メモSP 主な話題
 →客車の形式・色・標記の話題
  →客車の車体色・等級帯等についての話題
   →1等車のクリーム帯
     (クリーム帯色の色調について・晩年に白帯に戻ったか?)

その中からJIN様のコメントを引用させて頂きます。

> 投稿者 JIN
> 投稿日 7月15日(木)20時14分40秒
> タイトル Re5:1等車のクリーム帯
>
> こんにちは.
>
> 1等車のクリーム帯ですが,
 知人が当時大井工場に勤めていた人に聞いたところ,
 クリーム1号よりも薄かったそうです.
> 昔の西武レッドアローや小田急通勤車のように,
やや黄味がかったアイボリーとのこと.

このやりとりの後、前述の如く模型で
「ぶどう色1号+クリーム色1号」を実際に作ってみました。
結果は白にしか見えず大失敗で、「全然違う!」と実感するに至りました。
少なくとも当時実見された一部の方が
「黄色」と表現されている事実と矛盾します。

これらの事から、実際の帯色は「やや黄味がかったアイボリー」から
「黄色」まで幅があったことがうかがえます。
先日も申しました様に当時の塗料は退色し易く、
一定した色を保つことはできなかった、と考えるのが最も自然な事でしょう。
であれば、指定された本来の色はその幅の上限、
すなわち感性次第で「黄色」と表現できるくらいの色という事になります。

それからかなり経った時、先に引用した「国鉄車両関係色見本台帳」に出会い、
小生の中で結論が出ました。
1等車の帯色は本来クリーム色2号であるものの、
実際の車両では退色してしまうものが多かったわけです。


【3】鉄道ピクトリアル−アーカイブスセレクション 10号 について

同書は小生も所持しておりますが、
掲載されたカラー写真は表紙を含めて不自然な色調のものが多く、
下記のスレッドで議論がなされています。

主な話題(1〜515)
倶楽部メモSP 主な話題
→客車の形式・色・標記の話題
 →客車の車体色・等級帯等についての話題
  →国鉄客車開発記1950(掲載写真のカラーエラーについて)

要するに、「1等車の帯は白かった筈」という編集部の思い込みで
印刷の色調が恣意的に調整されたのではないか、
そのため他の部分まで影響を受けて全体に白っちゃけた
不自然な写真になってしまったのだろう、という議論でした。

なお同スレッドの最後に「安全靴をはいたたぬき」様が
一見異論を唱えられている様ですが、
同氏が述べられているのは印刷会社のスキャナオペレータの事です。
「入稿時や色校正と呼ばれるやりとりの際の指示がない限り、
特定部位の色調をいじる事はありえません」
と述べられていますが、スレの議論は出版社の編集部のことですから、
編集部が色に関して誤った認識を持っていれば、
その通りの誤ったカラー写真が出来上がってしまうことになりますね。

またそもそも昭和30年に撮影されたカラーネガですから、
如何に星晃氏の所蔵で保存状態が良かったとしても、
撮影当時の色調が本の作製時点までそのまま保存されていたとは限らない事
にも留意すべきでしょう。

【4】現存するクリーム色1号の帯を纏った車輌 について

確かにご指摘の3両は“その時代”を想像する貴重なよすがで、
少なくとも雰囲気は良く整えられていますね。
しかし実物とは言っても、「色」は実物ではなくあくまで“復元”です。
特に件の帯色に関しては、今私たちが何とか得ている情報を超える確実なものを、
博物館が持っていることは期待できません。
復元の考証に携わったスタッフも、
市販の書籍や当時の目撃情報等から検討するしかなかったはずです。
しかも車両全体にわたっておそらく膨大な検討事項がある中で、
興味のない人には些細な点である等級帯の色調を、
どの程度重要視してこだわったかもわかりません。
保存車両の「色」は復元作業の結果であり、
保存資料そのものではないことにも留意すべきと考えます。


ご無礼を弁えず申し訳ございません。




投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月20日(金)11時03分41秒

タイトル

帯色に関する最終見解

こんにちは、jfsです。
スハネ30生様、クモイ103様のコメントを拝見して、
お二方の見解が異なっていることに興味を覚えましたので
もう一度私なりの見解を述べておきます。

帯色が公式には2号で「黄帯」に近い物であったという文献は確認しておりますし、
過去にクリーム帯を「黄帯」と表現した方もいましたから、
その色が実際に帯色に使われたことを否定はできませんが、
実際には2号でなく1号のクリーム色が塗られていたことも十分考えられます。
私が目撃したマイフ293(と思われる客車)に関しては、
白もしくは1号のクリーム帯であった事は確信しています。
この車両は返還後の存在時期が2年であり、
営業に使われた形跡もほとんど確認できませんし、
黄色の帯色が褪色して白っぽく見えたという可能性は極めて
低いと思います。

当時実際に帯色に使われた塗料の顔料が何であったかはまだ調査しておりませんが、
クリーム帯に使われた顔料を推定するなら、
クロームイエローかバリウムイエローの可能性が高いです。
カドミウムイエローは高価なので多分用いていないと思います。
となると、クロームやバリウムの黄色は紫外線に対して極めて弱く
太陽光により褪色して白っぽくなることは十分あり得ますから、
これは全く真実は永遠の謎ということになります。


あと当時のカラー写真はコダクロームでない限り、色再現は全くあてになりません。
また仮にネガカラーであるなら、今のネガカラーのようなマスキングフィルム
(オレンジ色のネガ)ではなく、そのようなネガからスキャンしても、
まともな発色は期待できません。
星晃氏がネガカラーを使われたのかは不明ですが。

最近の鉄道ファン誌にコダクロームによる30年代のカラー写真が
連載で掲載されていましたが、
コダクロームだからこそ比較的正確な色が残っているということになります。
30年代の国産フィルムなど酷い物で、50年以上経過した現在、
まともな色彩が残っている方が不思議なのです。
ですから、様々な紙面で見る客車の帯色など、
私は正確な物とは認識しておりません。
印刷現場でオペレータがスキャンデータをレタッチすることはありますが、
発注者の意図に反して勝手にレタッチすることは考えにくいです。

また博物館所蔵の客車の帯色が当時の物と同じと言う保証もありません。
あくまで「こうだったのだろう・・・」という域を出ない物との認識です。


スハネ30生様
キングズホビー社は当然存じておりますし、
社のサイトや記事も確認しております。
この社のキットは3両保有しており、
37900とあとはスハニとスロハだったと思います。




投稿者

スハネ30生

投稿日

2018年 7月20日(金)15時18分11秒

タイトル

Re:帯色の見解など

クモイ103様 貴重なご意見をありがとうございます。

前々回の投稿の冒頭にも記していますが個人的推論を述べたもので、
決してクモイ103様の見解を否定している訳でないことは、
ご理解いただきたいと思います。

当方の鉄道趣味ですが、現在は模型製作に対象を絞っており
(元来は実車の調査研究が趣味の原点です)
今回のテーマに関しても模型的観点からの推論が含まれていますのでご了承ください。

クモイ103様の見解内容に関して再考した結果としまして

【1】クリーム2号はマイネ40製造時点(昭和23年)に新調されたものかが疑問です。

【2】当時の塗料は褪色しやすいのは明らかで、時間を経た場合、
  クリーム1号・2号どちらも  白に近く見えていたと考えられる。
 話が飛びますが、当方が幼少の頃(昭和30年代中頃)  
中央線快速の101系電車でやけに色の淡い
(近鉄特急のオレンジをもっと白っぽくした感じ)
車輌が編成中に数量混ざっていたことをはっきり覚えています。
後年になり朱色1号の褪色がひどく関係者が対策に苦慮していたことを知りましたが、
当時の塗料(顔料)が褪色しやすかったのは確かだと思います。

【3】印刷物の色はあてにならない・・・
例に挙げた鉄ピク・アーカイブス10号ですが、
グラビア2頁に大きなエラーがあり編集時に恣意的に色彩を変えたのは明らかです。
同書の写真の色は  信頼に値しないことを改めて認識した次第です。
同書のマイネ41のカラー写真はネコパブリッシング刊【RMライブラリー100号】
にも掲載されている・・・
こちらの色彩再現の方がマシだが、
古いカラー写真の色はいずれにしても参考程度に捉えるということですね。

【4】博物館の現存車輌の信ぴょう性ですが、
クモイ103様の見解から、考え直してみる必要がありそうです。
現場スタッフにどれほど詳しい人間かいるのかということです。
 クリーム2号の塗料は調達困難
(昭和39年以降の色見本台帳から抹消されているので、
JR工場に現物はなく新たに調合の必要がある)一方、
クリーム1号なら直流機関車等に現行使用している塗料なので
容易に調達できるため整備の際、等級帯に使用した・・・とも思えてきました。

いずれにしても過去の正しい事実を知ることの困難さを痛感しました。
クリーム1号か2号かの答は当方の胸にしまっておくことといたします。

 jfs様の投稿がきっかけで皆様の異なった見解を拝読する機会が持てたことは、
とても有意義であったと思います。
等級帯に関して疑問を抱いている方は少なからず、おられることと思います。
それらの方々にも関心を持ってコメントをご覧いただけたなら、
この掲示板の存在意義が有効に機能していることと思います。
今後とも【客車倶楽部】の発展を願って、今回は終わりにしたいと思います。




投稿者

jfs

投稿日

2018年 7月20日(金)18時52分41秒

タイトル

連合軍専用客車の帯色

こんばんは、jfsです。
この度の一件で皆様には色々とお世話になり大変感謝いたしております。

実は衝撃の事実が判明しました。
先日仙コリ様にご紹介いただいた「知られざる連合軍専用客車の全貌」を
昨日早速買い求め掲載の記事や写真を興味深く閲覧いたしました所、
軍名CARSON CITY 1408
マロネ37125の帯色が白でなくクリーム(1号)であった事を発見しました。
これは昭和26年10月に軍関係者が撮影した物で
恐らくコダクロームで撮影された物と思われます。
帯と共にサボが写っており、サボが真っ白の地肌であるのに対して、
帯色はまさにスカ線のクリーム色であるのです。
帯の下の形式記号についてもこのクリーム色表記です。
またカバー裏表紙のオロ369 SARATOGA 2370の写真では
その軍名番号がクリーム色、帯は真っ白になっているのです。
他の写真に関しては帯色も軍名番号も同じ色(白と思われる)あるのですが、
もうこうなると、言ってみれば何でもアリだったのではないか・・・
という印象さえしてきます。
この写真に関しては画面に白とクリームが映り込んでいるので、
非常に比較しやすい物です。
是非ご覧になって下さい。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年 7月20日(金)22時35分1秒

タイトル

Re:帯色の見解など

スハネ30生様

乱暴な物言いになってしまい、重ねて非礼をお詫び申し上げます。
今回改めて自分の考えを文章にしてみて、
これもまた推測に過ぎないのだという事を認識いたしました。
いつかこの“クリーム帯”の真実が明らかになることを願って、
これからも各種の情報をひも解いていきたいと思います。
真摯なご対応ありがとうございました。

jfs様

色材に関する詳細な解説、ありがとうございます。
なお星晃氏の写真をうっかり「ネガ」と書いてしまいましたが、
ネガかどうかわかりませんね。

ここからは余談になりますが、
小生も模型と実物を両目で睨みながらの趣味活動です。
ただ最近は工作の手が停まっており、いかんなあと思っているところですが…
お話しに出たキングスホビーの末期に客車キットの設計を担当していた人は
小生の知り合いでして、実物に関する情報もいろいろやり取りしていました。
彼も“帯色問題”にはお手上げだったようです。

さらに余談ですが、同社のメーカー完成品は
等級帯の幅が1.2mmで、実物換算180mmになります。
実際は皆さまご存知の通り150mm、
スケール1/150のNゲージならちょうど1mmが正解です。
かつて主要部分を金属だけで構成し
Nゲージとしては超重量級だったキングスホビーのキットに、
プラ製部品を積極的に取り入れて軽量化を推進した“改革派”の彼ですが、
1.2mmの帯幅は変える事ができず
(それ以前に同社完成品を購入した人が困ってしまうので)、
不満だったと察します。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年 7月20日(金)22時51分12秒

タイトル

Re: 連合軍専用客車の帯色

jfs様

お話を受けて「知られざる連合軍専用客車の全貌」を改めて引っ張り出しました。
カラー口絵にある連合軍兵士のスナップ写真ですね。
確かに帯の色はクリーム色1号に近い印象を受けます。

正直、連合軍専用車の世界には小生まだ十分踏み込めておらず、
この本を買ったものの恥ずかしながらしっかり読んではいませんでした。
ご指摘の点は、今後のため頭の引き出しに仕舞わせて頂きます。



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