倶楽部メモSP 急行ニセコにおけるマニ30の配置区について
倶楽部メモ(724) 平成25年 4月15日〜 4月17日
投稿者
有栖川よしおん
投稿日
2013年 4月16日(火)00時51分29秒
タイトル
急行ニセコにおけるマニ30について
初めまして,有栖川よしおんと申します。 質問なのですが,急行ニセコに連結していた時のマニ30を作っているのですが, マニ30の配置がどこの区に配置されていたのかが調べても殆ど出てきません。 確認できたのは,1972年の7月の急行ニセコで, 前期型,マニ30の2001〜2006の車番のどれかです (写真が白黒な上,後方から撮影した写真なので車番が確認できませんでした) この時点での配置,もう少し古い配置でも構いません。 ご存知の方,教えて下さい。 写真の最後尾がマニ30だそうです。
たかぼー
2013年 4月16日(火)20時11分50秒
Re:急行ニセコにおけるマニ30について
初めまして 旅行過ぎなもので、このサイトにたどり着きました。 40年ほど前まで、小樽築港機関区の近くに住んでいましたので 拙い記憶をたどりつつ・・・・ 添付された写真を見ると、左の山がニセコでしょうか? だとすると、郵便車は函館寄りに連結されていますね 私の記憶でも、たしか青い郵便車が函館寄りに連結さてれ居たと思います。 昼ころ、札幌を出発する函館行き普通列車は 茶色い郵便車を函館方面に連結していました。 (この普通列車、昭和50年代に入っても、 たま〜にストーブ列車を連結している事がありました。)
2013年 4月16日(火)20時19分54秒
回答がずっこけてましたね 函館に近い方が、一般の荷物車で、その次が郵便車でした。
スハネ30生
2013年 4月16日(火)23時12分41秒
RE:急行ニセコにおけるマニ30
マニ30(現金輸送車)の配置区ですが、 2001〜2003が南シナ、2004〜2006が北オクで 落成当初(昭和45年以前は形式マニ34)から廃車に至るまで変更ありません。 函館本線には北オク配置の3両のいずれかが航送されて 運用されていたと推察されます。 マニ30の運用は不定期ですので走行写真は貴重だと思います。 昔、東京駅で銀河併決のマニ30の荷卸を偶然にも捉えた写真 (風景が多重露光して見苦しい点は御容赦ください。) がありますのでUPします。 また改番前(マニ34)の形式写真も添付しますので参考にしてください。
昭和51年9月22日東京駅13番ホーム上り急行銀河到着後のマニ302002 (20系編成の最後尾に連結)
昭和44年11月3日尾久客車区構内のマニ342005
クモイ103
2013年 4月17日(水)20時18分28秒
マニ30について
マニ30については、その特殊な性格上極秘事項が多く、 ある意味お召し列車よりもきびしい(?)情報統制が敷かれていましたね。 運用が廃止されてある程度情報が出回るようになりましたが、 写真や編成記録といったリアルタイムの情報は貴重です。 なお、昭和53−54年度には老朽取り替えのため 50系客車をベースにした新設計のマニ30 2007〜30 2012が新製されており、 現在小樽に保存されているのはこの1両ですね。
2013年 4月17日(水)21時24分54秒
RE:急行ニセコにおけるマニ30について訂正
有栖川よしおん様からの質問で マニ302004〜2006が北オク配置と回答しましたが、 資料を良く調べた処、北オクには2005, 2006の2両配置(落成から廃車まで)が正解でした。 北海道へ渡っての運用はこの2両のいずれかと言うことができます。 マニ30の運用には謎が多いと言われていますが、 東海道線の【銀河】へ連結されていることは昔から有名でした。 (多い時は毎月1回程あったようです。) 東北筋では【八甲田】【ニセコ】とつないで札幌まで運転していたと思われます。 どの線区でも必ず旅客列車(急行)に併結されていたようで、 荷物専用列車に組込まれる事はなかったようです。 なお国鉄車両配置表にも昭和55年までは掲載されていましたので、 その頃までは知る人ぞ知るという存在であったと思います。
2013年 4月17日(水)22時33分55秒
Re: マニ30について
改めまして、スハネ30生様による形式写真から 今回学ばせて頂いたことがあります。 それは、マニ30に関して大蔵省は厳しく情報統制を敷き、 後には国鉄車両配置表からも削除されるという徹底ぶりですが、 まだこの時期の国鉄の現場サイドはかなりおおらかだったらしい? …という点です。 このように他の客車と同様の撮影が許可されるということは、 少なくとも客車区の現場では この車を特に隠すべきものと認識していなかったわけで、 その事自体をちょっと意外に感じた次第です。 もしかして大蔵省と国鉄の間に微妙な温度差が… おっとこれくらいで止めておきますね。
倶楽部メモ(725) 平成25年 4月18日〜 4月23日
マロネロ38
2013年 4月18日(木)13時49分4秒
マニ34→マニ30
『霧島』か『桜島』?だったかですが、 浜松から大阪迄帰る時にスロ62に乗車したらすぐ前に連結されて居ました。 何だか公安がうろちょろするなと想ったら、 前に貫通扉が無い車が連結されていたので、 解りました。 大阪駅では警官や公安官が多数人垣を作っていたので、 日銀大阪支店への現金だなと。 模型作りにまで国鉄が圧力をかけていたなど、 余程ギャングの襲撃が怖かったのでしょう。 1966年の客車形式図にあるマニ341-6を見ると、 警備員室はリクライニングシートと、ボックス席で、 トイレとマロネ29みたいな隅付け洗面所付きです。 車体は戦後製のオハ35系でTR23A台車と記載されています。
2013年 4月18日(木)22時40分0秒
RE:マニ34→マニ30
マロネロ38様。貴重な体験をされましたね。 乗車したのはスロ62ということですが、 その前にナハフ(スハフ)は連結されていなかったのでしょうか。 【桜島】の1号車は通常ハフの筈だったと思うのですが。 またグリーン車はオロ11が定番で、 スロ62に替わっていた(借用車と推察します)のであれば 1975年3月の列車廃止前の頃に乗車されたのでしょう。 当方は、1975年3月(新幹線博多開業)改正直前に オロ11の最後の活躍を写真に収めたく 【桜島・高千穂】をねらって東京駅に出向いたのですが、 すでにオロ11の姿はなくスロ62に替わっていて 悔しい思いをした記憶があります) (因みにスロ62は九州内に配置されたことはありません。 逆に東日本のグリーン車は当時すべてスロ62でした。 北海道にはスロ54もいましたが) 話題がそれてしまいましたが、マニ30の話に戻ります。 運用範囲に関して、鉄ピク718号の記事【客車冷房化改造の記録】によれば 東京−鹿児島、上野−釧路の長距離輸送との記述があります。 合計6両の配置から考えると、 思ったより頻繁に運用されていたのかも知れません。
2013年 4月19日(金)09時57分32秒
マニ34→マニ30 No.2
スハネ30様: スハフ42?の記憶がありません、 それに鹿児島行急行だったとの記憶しかありませんので、 −−−乗車したのは確かにスロ62でした。(窓割りと座席がずれていたので) 面白い経験では、大阪から東京行きのハネがどの列車も取れなくて、 思いつきで「大和」の和歌山発のスハネフ30を狙ったら下段がとれましたので、 湊町から『大和』のスハフ42で王寺まで行き、スハネフ301に乗車しました。 加太のトンネルで猛烈に煙が入ってきて(機関車の次位だった) 多数の乗客が咳き込んだり-----。眠れたのは名古屋からでした。 ナロハネ10には新宿→松本1回乗車で、 ロネの枕近くに通風口があり、7月だったので涼しい 風が出て来ました。(準急「上高地」) オロハネになってからは名古屋→長野(ハネx1回)、 (ロネx1回)乗車しましたが、いずれも熟睡出来ました。 オロハネはエアサスでは無いが、マロネロ38と同様好きな寝台車でした。 急行「北陸」用は両数が不足で隔日連結でしたが、これには乗りそこないました。