倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

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50系客車とオハニ36の混結編成


倶楽部メモ(696) 平成24年 2月21日〜 2月26日


投稿者

マシュマー

投稿日

2012年 2月21日(火)17時09分26秒

タイトル

はじめまして

はじめましてどうぞよろしくお願いします。
さて、国鉄50系客車がTOMIXよりリリースされましたが、
オハフ50系が売り切れで1両しかゲットできず、
オハ50系2両とオハニ36を入手しました。
貴掲示板で50系客車と旧型客車混結編成の話題を見ましたが、
オハニ36・オハ50・オハ50・オハニ50の順の4両編成、
実車でも走行可能なのでしょうか。
牽引機関車はDD51とED75、EF81(北斗星色)、
EF65(1000番台PF)を考えています。




投稿者

仙コリ

投稿日

2012年 2月21日(火)20時33分39秒

タイトル

50系客車とオハニ36の混結編成

マシュマー様

はじめまして。
オハフ50が1両しか入手できず、50系客車とオハニ36の混結編成が可能か
とのご質問ですが、50系客車と旧型客車は基本的に(電源・暖房等に関して)
1両完結のシステムとなっており自由に編成できるのが特徴ですので、
混結はまったく問題ありません。

実際の編成はというと現実的には車内設備の差がかなりありますので、
50系客車のみで編成を組んでいた場合がほとんどです。
両端に緩急車を連結するのが基本ですので、オハ50数両をオハフ50ではさむか、
交互に編成する(オハフ50・オハ50・オハフ50・オハ50・オハフ50)のが
標準的なのはご存知の通りです。

さて、50系客車とオハニ36の混結編成が実際にあったかどうかですが、
実例は少ないと思うのですが、鉄道ピクトリアルの50系客車特集号
(2007年2月号:No.785)の6ページに、50系客車とオハニ36の混結という
そのものずばりの写真が掲載されています。
写真の解説によると、50系客車登場初期(1978年7月)の筑豊線の普通列車
ということで、オハニ36は荷物車代用として客室は締切で使用されていたようです。
ジェー・アール・アールの国鉄客車編成表80年版にも筑豊本線の編成が載っており
 オハフ50・オハ50・オハ50・オハフ50・オハニ36
といった編成で門司港→原田の2827レ・原田→飯塚の830レとして
運用されていたようです。

牽引機関車としてはDD51(九州や山陰など)と
ED75(東北)が実際に使用されていましたが、
EF81(北斗星色)やEF65(1000番台PF)の牽引実績は無いと思われます。
ちなみに上記の筑豊本線の列車の牽引機はDD51であったと思われるので、
牽引機としてはDD51がもっともふさわしいと思います。




投稿者

マシュマー

投稿日

2012年 2月21日(火)21時50分26秒

タイトル

ありがとうございます!!

仙ロリ様

50系客車と旧客混結の回答ありがとうございます!!
EF81北斗星色の50系客車牽引実績はなかったみたいとのことでしたが、
イカロス出版の季刊「j train」
(国鉄時代の車輌中心に取り上げているためお気に入りの鉄道雑誌です。)
第44号の特集「レッドトレイン50系」の42ページに
北斗星色のEF81が50系客車を牽引している写真がありました。
50系客車3両で東北本線の好摩〜岩手川口間で撮影されたものです。
この区間はひ現在はいわて銀河鉄道線に変わっていると思いますが。

50系客車は1両完結のシステムとのことですが、
仮にオハ501両の場合およびオハフ50無しのオハ50のみの編成の場合、
車掌室がないためドアは自動ではなく手動だったのでしょうか。
自分の手元資料を調べたのですが見つかりませんでした。

それにしてもDD51と50系客車及び旧客の組み合わせは何か癒されます…。




投稿者

旧狩勝線を楽しむ会

投稿日

2012年 2月21日(火)22時09分56秒

タイトル

Re:50系客車とオハニ36の混結編成

いつもお世話になっております。
下手な写真で恐縮ですが、参考になればと思い投稿させていただきました。
1983年で、たしか久大本線 恵良駅 付近だったと思います。
連続写真で通過するタイミングで3枚撮影しました。
よく見えるようにトリミングしてありますが、
もともとの写りがあまりよくなく申し訳ありません。




投稿者

クモイ103

投稿日

2012年 2月21日(火)23時18分42秒

タイトル

50系客車とオハニ36の混結編成-3

マシュマー様、はじめまして。

EF81北斗星色の50系客車牽引について補足させていただきます。
正確な年代は忘れましたが、
盛岡−青森間の普通列車が701系電車で置き換えられる前、
50系と12系の客車編成が使用されていた頃のことです。
下りの「北斗星」を牽引して青森へやって来た田端のEF81が、
上り「北斗星」を迎えるまでの間合い時間を活用し、
青森−盛岡間の普通列車も一部担当していました。
マシュマー様がご覧になった写真はおそらくその時期のものでしょう。
(話が飛びますが、「つばめ」「はと」の間合いで
青大将色のEF58が急行や普通列車も牽引していた話を連想してしまいます。
また時代は下って敦賀のトワイライト色EF81も
「日本海」や臨時列車などけっこうアルバイトしていますよね。
歴史は繰り返すんでしょうか。)

50系客車+オハニ36の編成について、まずは「実車編」から。
原則はあくまで両端オハフ50の「チンイツ」編成で、
オハニ36は付属編成でしたから、
「50系基本編成の一端の緩急車をオハニ36が務める」という構図は
厳密には実在しなかったのではないかと思います。
実物の編成例では、オハニの次はたぶんみなオハフ50になっていると思います。

次に「架空編」ですが、仙コリ様のおっしゃるように、
50系が1両完結のシステムだったことからオハニ36+オハ50+オハ50+オハフ50
という編成も理論的には可能でしょう。
但しその場合自動ドアの扱いは一端のオハフ50に限られ、
車掌の乗務位置が制約されそうです。
まあ私なら「オハフ50が検査で不足したため代用でオハニを充当した」
とか言い訳して走らせちゃうでしょうけど(笑)。

なお、牽引機で挙げられた各形式のうち、
EF65は客車に暖房を供給する機能を持たないので、
冬期は50系や旧型客車を牽引できませんので注意が必要です。




投稿者

仙コリ

投稿日

2012年 2月21日(火)23時55分42秒

タイトル

50系客車の編成について

マシュマー様

EF81北斗星色の50系客車牽引の実績は確かにあったようで、
手持ちの資料でも確認できました。
失礼いたしました。

また、1両完結のシステムと書いてしまったことも語弊があったようで、
電源方式や電源電圧、配線・配管方式の違いによって
制約を受けることの多い固定編成客車と比べて、
自由に編成が出来るといった意味でありまして、
実際に編成を組む場合には先程も書きましたとおり、
両端に緩急車を連結するのが原則となっております。
詳しく書きますと、編成の最後尾の車両には車掌弁(非常ブレーキ弁)と
尾灯を備えることが必須であり、
往復の運用を考えると編成の両端を緩急車、もしくは同様の設備を備えた車両
(荷物車・郵便車・電源車や、荷物室・郵便室と客室の合造車など)
とすることが必要となります。
また、オハ50だけでは自動ドアの問題のほかトイレも無し、
車内放送も不可能という状態になってしまいます。
いろいろと例外事項もありますが上記のような理由により、
オハ50が1両だけやオハ50だけ数両といった編成はNGとなります。
もちろんオハフ50が1両だけといった編成は可能であり、
実際にオハフ50が1両と荷物車が数両といった編成は実在していました。
さらに現実的には運用上の問題からオハニ36などの旧型客車との
混結編成の場合においても運用の途中で50系客車のみになる場合もありえるので、
両端がオハフ50の編成+旧型客車となっていたようです。
よって本来であればオハフ50が1両だけでは
50系客車を主とした編成は不可能なのですが、
模型的にはオハニ+オハ+オハ+オハフでも良いのではないかと思います。
(どこまで現実にこだわるかによりますが…)

>それにしてもDD51と50系客車及び旧客の組み合わせは何か癒されます…。
おっしゃるとおりで、私の模型編成もほとんどがDD51+旧客の編成です。


旧狩勝線を楽しむ会様

大変貴重な実際の編成の画像ありがとうございます。
百聞は一見にしかずでこれ以上の説得力のある資料はございません。
フォロー本当にありがとうございます。




投稿者 きむたお
投稿日 2012年 2月22日(水)20時05分21秒
タイトル 50系と北斗星色EF81の組み合わせ
皆様こんばんは。
北斗星色EF81牽引50系の話題が出ておりますが、
手許のメモ帳に1995年5月、1996年2月、
電車化ちょっと前の記録がありますので紹介いたします。
ちなみに、1995/3改正までの東北本線盛岡以北の普通列車は
12系客車で運転されていたはずですので、
この組み合わせは本当にわずかな期間だけだったようです。

1995/5/6
東北本線 528レ
EF81 80
オハフ50 2366
オハ50 2236
 
オハフ50 2360

1996/2/10
東北本線 528レ
EF81 88
オハフ50 2366
オハ50 2236
 
オハフ50 2360

1996/2/10
東北本線 535レ
EF81 88
オハフ50 2357
オハ50 2235
 
オハフ50 2196

1996/2/11
東北本線 528レ
EF81 86
オハフ50 2353
オハ50 2234
 
オハフ50 2358

1996/2/11
東北本線 535レ
EF81 86
オハフ50 2360
オハ50 2236
 
オハフ50 2366

・EF81の「↑」は屋上抵抗器カバーのある向き。
・客車の「↑」は側面方向幕準備塞ぎ板のある向き。

*列車番号、編成ともに変わり映えしませんが、
 私個人的には全体が赤色で美しく、好きな組み合わせです。
*このほか、メモ帳にはオリエントサルーン塗色の
 ED75牽引50系普通列車の記録もありました。

1995/5/6
東北本線 525レ
ED75 707
オハフ50 2165
オハ50 2238
 
オハフ50 2202

*写真もいくつか撮っているのですが、残念ながら富山の実家ですm(__)m



投稿者 bell
投稿日 2012年 2月23日(木)23時18分3秒
タイトル 50系客車の牽引機につきまして
管理人様、こんばんは。
50系客車の牽引機の話題が出ておりましたので、書き込みさせていただきます。

昭和63年3月改正で寝台特急北斗星が誕生しましたが、
同改正より田端所属のEF81が間合い運用で
青森−盛岡間の50系客車牽引を開始したと記憶しております。
翌年となりますが、平成元年8月に客車列車で東北地方を巡る旅行を行いましたが、
9時30分ころに八戸を出発する盛岡行の50系客車を
北斗星色のEF81 86号機が担当しておりました。

個人的には、下関−門司間のEF81ステンレス機と50系の組み合わせが
印象に残っております。



投稿者 きむたお
投稿日 2012年 2月24日(金)00時10分56秒
タイトル 東北本線の50系
▼ bell様
東北本線盛岡以北ですが、民営化初期にも50系が活躍していたのですね。
これは知りませんでした。
先の投稿で「わずかな期間」と誤った情報を流してしまい申し訳ありません。
国鉄末期に12系2000番代が東北本線北部に投入されていましたので、
盛岡−青森間は八戸線および盛岡以南から直通する50系以外は
12系だけと思っておりました。

さて、94年8月に初めて東北本線・青森−盛岡間を
普通列車で移動した際に記録した編成をご紹介いたします。

1994/8/3
東北本線 522レ
ED75 759
ED75 734
オハフ13 2012
 
オハ12 2003
 
オハ12 2005
 
オハフ13 2009

1994/8/3
東北本線 525レ
ED75 704
オハフ13 2003

オハ12 2006
オハフ13 2011


1994/8/3
東北本線 527レ
ED75 740
オハフ13 2006
オハ12 2008
オハフ13 2007


1994/8/3
東北本線 1521レ
ED75 703
オハフ50 2195
オハ50 2235
 
オハフ50 2359

1994/8/3
東北本線 524レ
EF81 89
オハフ13 2010
オハ12 2002
 
オハフ13 2014

1994/8/3
東北本線 531レ
ED75 730
オハフ13 2014
オハ12 2002
 
オハフ13 2010

*525レと527レは時刻表が手許になく、行き先が分かりません。
*524レのEF81は北斗星色、「↑」は屋上抵抗器カバーのある向き。
*12系の「↑」は洗面所、トイレのある向き。
*50系の「↑」は側面方向幕準備塞ぎ板のある向き。

12系2000番代に乗車したのはこの時が最初で最後でした。
オハフ13の切り妻側が最後尾に出ていて、
スハフ12をつないでいない編成が独特の味を出していて好きな列車でした。


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