倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
戦前の「富士」について
バックサイン掲出開始日・三等車の連結開始時期について


倶楽部メモ(694) 平成24年 2月 2日〜 2月18日


投稿者

浪速原人

投稿日

2012年 2月 6日(月)09時20分22秒

タイトル

戦前の「富士」について

皆様こんにちは。
今回は諸先達方も居られる当掲示板にて少々伺いたいことがあり
訪問させていただきました。
小生は戦前の富士号が好きで色々見聞しておりますが
以下の二点について文献により内容の振れが認められますので伺いたく存じます、

展望車のバックサイン(テールマーク)の掲出開始日
昭和4年11月7日からでしょうか?
昭和4年12月1日からでしょうか?
 文献筆者の単語の用い方にすぎない可能性がありますが、
 前者の11月7日としている 文献では「制定」と表現されています。
 制定日と掲出開始日が別だと仮定した場合、ふたつの日付が存在する
 つじつまは合いますが、これは小生の一推測にすぎません、
 ほんとうのところはどうなのでしょうか。

三等車の連結開始
昭和8年12月1日からでしょうか?
昭和9年12月1日からでしょうか?
 前者の8年としている文献には使用車種まで記されています
 (スハネ31・オハ34)
 一方で丹那開通の昭和9年としている文献のほうが
 多く見受けられるように思います。

上記二点についてお詳しい方が居られましたら
是非ご教示ご回答頂きたく存じます。
よろしくお願いします。




投稿者

スイロハ35

投稿日

2012年 2月 6日(月)13時01分31秒

タイトル

Re.戦前の富士について

浪速原人様
質問の件なのですが、テールマークの取り付けは1929年11月のようで、
三等車の連結開始は丹那トンネル開通によるダイヤ改正に伴うもので、
昭和9年12月との情報がございました。
櫻の二等車の連結開始もこの時からだそうですが、
あくまでも書類上の話だそうで、
実際はそれ以前からの連結や取り付けという可能性もございます。




投稿者

クモイ103

投稿日

2012年 2月 6日(月)20時18分29秒

タイトル

Re2: 戦前の「富士」について

浪速原人様

はじめまして。
戦前の事にはかなり疎く、はっきりしたお答えは出来ないのですが、
ちょっとだけコメントさせていただきます。

三等車の連結開始時期について文献により異なる記述があるのは
気が付きませんでした。
どちらが正しいのか判りませんが、少なくとも「富士」に
初めて連結された三等車はオハ34(登場時は二代目スハ33000)ではなく、
スハ32・スハフ32(登場時はスハ32800・スハフ34400)だった
というのが定説です。
オハ34(スハ33000)の落成は、全12両のうち最初の2両が昭和10年3月末、
あとの10両が同年12月〜翌11年3月ですから、
昭和8年説・9年説いずれにしても間に合いません。
もし最初からオハ34だった様な記述があるならそれは明らかに誤りですね。

さらに詳しい方にフォローいただければ幸いです。

(追伸)
スイロハ35様、
ご挨拶が遅れましたが、鉄道省標準型客車まで守備範囲とのことで、
何かと話題を共有できそうですね。
よろしくお願いいたします。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2012年 2月 7日(火)17時52分34秒

タイトル

「富士」のハ

「富士」に最初からオハ34は間違いで
クモイ103様の仰る通りスハ32、スハフ32でしょう。
おぼろげな記憶ですが、故西尾克三郎さんの写真にスハ32のがあったか?




投稿者

ED76109

投稿日

2012年 2月 8日(水)00時02分17秒

タイトル

「昭和を走った列車物語」から

 ご無沙汰しております。「ED76109」でございます。


 浪速原人様

 初めまして。「ED76109」であります。
産は「東京」でありますが、
現在は「時計台の街」の高校に勤務している「中年客車鉄ちゃん」でございます。

 小生がよく引用させていただく
「昭和を走った列車物語(JTB刊・浅野明彦氏著)」では、
「第1話 快走!戦前の特急列車物語」の一節に、次のような記述が確認できます。

1 「『富士』と『桜』の最後部に、バックサインが取り付けられたのは、
 昭和4年11月7日からである。
 『富士』は、山の姿を青く描き、白文字で列車名が書いてあるが、
 これは白=1等車、青=2等車という、車体窓下の帯や、
 1・2等乗車券の色をも意識したデザイン」とございます。
 ちなみに『桜』は、3等車主体であることから
 「淡い赤を基調に桜花を描いたもの」との説明もございます。


2 昭和9年12月1日の「丹那隧道」の完成及び
 「岩徳西線・東線(現・岩徳線)全通」による「ルート変更」により、
 『富士』は「時間短縮」が図られるとともに、
 「スハネ30」+「スハ33」×2が連結されるようになった
 との記述がございます。
 新ダイヤでは、『富士』は「関釜連絡船」に1時間待ちで接続しており、
 さらに「関門連絡船」で「門司(現在の門司港)」に渡ると、
 「長崎」で「上海航路の定期船(日本郵船)」に接続する
 「長崎行急行」に接続していた旨の記述もございます。


 以上、小生が確認できました「戯言」情報でございます。
他の先達の皆様方からの確認等がございますれば、幸甚の限りであります。

 失礼致します。「中年客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

浪速原人

投稿日

2012年 2月 8日(水)13時18分28秒

タイトル

戦前の「富士」の件です

掲示板の皆様、こんにちは。

スイロハ35様初めまして、ご回答ありがとうございます。
昭和中期頃までは世の中何事についても現代のように厳格でなく
おおらかであったことは他例を承りましても多く見受けられます
ので、時代に鑑みても、余り日付に拘りすぎないで留め置く
ほうがよいのかもしれませんね。有難うございます。

クモイ103様初めまして、ご回答ありがとうございます。
やはりオハ34やスハネ31は誤りですよね、ネット上で「富士」の
歴代編成を取扱っているサイトでちらほら見受けられるのですが
それらは組成は合っていても年代のほうが誤っているのでしょうね。
確認することが出来てよかったです。有難うございます。

マロネロ38様初めまして、ご回答ありがとうございます。富士に
連結を開始した最初の三等車はスハ32およびスハフ32の二形式と
いうことですね。大変お恥しながら現在小生の調査見聞はまだ
文献のみの過程ですので、西尾氏をはじめとする大先輩方諸氏の
写真図版の参照は今後の楽しみでもあります。有難うございます。

ED76109様初めまして、ご回答ありがとうございます。
当該書籍より詳しい引用を恐縮です。車両製造年とのつじつまが
合わない前述のような明白な誤りなどはともかく、様々な資料や
文献を見聞して追及してゆく作業は愉しいものです。戯言情報とは
とんでもないです。参考になりました。有難うございます。

いつもこちらの掲示板にてお名前と記述を拝見しております
皆様より直接ご回答をくださり、大変嬉しく存じております。
小生も可能な範囲で今後も調査を追求してゆきたい所存です。
さらなる情報がござりますれば幸甚です。



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