再び、失礼申し上げます。「ED76109」であります。
世間では、「ニュージーランド大地震」や「北アフリカ革命」が
連日新聞等を飾っておりますが、
小生は「中国からのパンダ」が「上野動物園」へレンタルされたニュースが
気になりました。
そこでという訳ではないのですが、
「動物と鉄」に係る「象列車の戯言」を少々述べさせていただきます。
1 昭和24年5月、東京の台東区の小学生たちが「子ども議会」で、
当時名古屋の「東山動物園」に生存していた
2頭の象「エルド」・「マカニー」を
東京に貸してもらえないかという請願を行いました。
と申しますのは、戦中、国内で象を延命させていたのは、
「東山動物園」のみだったからであります。
しかし、2頭の象はいずれも高齢化しており、
「東京」へ送る事が不可能であるという判断がなされ、
逆に子どもたちを「東山動物園」へ送る代替案が出され、
「象列車」運転の運びとなったのでありました。
しかし、当時の「国鉄」は、
「連合軍民間運輸局(CTS)」の管理におかれており、
臨時列車の運転も自由な状況ではありませんでした。
そのため何度も請願を繰り返し、ようやくそれが認められて
「象列車」が設定される事になったのであります。
2 同年6月25日、ついに「象列車」は運転の運びとなりました。
列車名は「エレファント号」。
当初は「10両」編成で計画されたのですが、
希望者が多く「14両」編成に変更されました。
ダイヤは、下りが「東京21:50→名古屋7:47」、
上りが「名古屋15:00頃(?)→上野22:01」。
前述されましたように、「復員列車」や「連合軍専用列車」が
すでに運転されていたことから、
「東京・上野」は苦もなくダイヤ設定がなされたようであります。
また、当時の客車事情を勘案すれば、
「PC」はおそらく全国の「客車区」からの寄せ集めであり、
運転後の回送の利便性をあげるために「東ヲク」への引き上げを考慮して、
「上野」まで運転されたという説もございます。
3、「象列車」の編成や時刻に関する公式記録は
残っていないとされておりますが、
当該列車には「エレファント号」という「ヘッドマーク及びバックサイン」が
取り付けられていたようであります。
同25年に運転が開始された「PCつばめ」の「C62(浜松・大阪)」に
設置されたものが初めてであるという定説との関連が不明確ではありますが、
「連合軍」の中心的役割を果たしていた
「アメリカの鉄道」は「バックサイン」が、
「イギリス、フランス」といった「ヨーロッパの鉄道」は
「ヘッドマーク」を好んでいたようであり、信憑性は認められるようです。
また、「太平洋戦争」を子どもたちにも語り継ごうとする動きから、
「象列車」の運転された41年後の「平成2年8月26日」に、
「品川7:25→名古屋13:40」のダイヤで
「第2回象列車」が運転されております。
ちなみに編成は「EF65」が牽引する「14系PC」でありました。
※「昭和を走った列車物語 鉄道史を彩る十五の名場面(JTB刊)」
長々と失礼致しました。
以上、「やさぐれぱんだ」がご贔屓の「中年客車鉄ちゃん」でありました。
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