倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

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緩急車の命名法則の謎


倶楽部メモ(518) 平成21年 5月 2日〜 5月 3日


投稿者

ものずきヲヤヂ

投稿日

2009年 5月 2日(土)13時11分42秒

タイトル

緩急車の命名法則の謎

戦後の客車ではスハ43に対しての緩急車はスハフ42、オハ46に対してはオハフ45、
スハ44にはスハフ43・・・ と言う風に
同じグループのでの緩急車形式はマイナス1の数字が
命名されているケースが多いようですね。
ただし軽量客車以後はナハ10にナハフ10、ナハネ10にナハネフ10など、
新製時には原則として同じ数字で命名されているようですが、
後の改造等で生まれたものはナハネ10→オハネフ12のような
飛番でのプラス2などと言うものも存在します。
一方、スハ32の緩急車はスハフ32と同じ32なので、
戦前までは同じ数字が原則だったのでしょうか。
戦後の新形式客車第一号となる鋼体化客車も
オハ60・61に対しオハフ60・61と同じ数字を用いていますので
ここまでは戦前の名残なのか・・・
と思いきや、同じ戦前生まれであるオハ35のそれはオハフ33と
マイナス2だったりもします。
いったいこれらはどのような法則で命名されたものなのでしょうか。
くだらない質問で申し訳ありませんが、ご存知の方がおいででしたらご教示ください。




投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 5月 2日(土)14時15分49秒

タイトル

Re:緩急車の命名法則の謎

ものずきヲヤヂ様

緩急車の命名法則の謎についてですが、
実態は当時の命名?担当者でなければわからないと思うので
あくまでも推測ですが、

1)番号の付け方は原則的に若番から順番で付番する
2)同一形式における緩急車が存在しない車両がある
といった2点から番号のズレが生じていると思われます。

30番台で言えば32までは揃っていますが、スハ32からオハ35までの間に
スハ33(特急「櫻」用の3等車等(後日追記)スハ32の台車振り替え車両)
オハ34(特急「富士」用の3等車等)が存在し、
両形式共に同タイプの緩急車は存在しなかったため、
オハ35の緩急車タイプがスハフ32の次番であるオハフ33となったものと思います。

同様に40番台でも、41は同タイプで存在しましたが、
42はオハ35タイプでTR40を台車としたスハ42がやはり緩急車無しで登場しているため、
それ以降の形式名にズレが生じてしまったものと思われます。
(誤り・後日訂正)

なぜオハ35等の登場時に緩急車の番号を飛ばして同一番号としなかったのか
という疑問が残りますが、番号を揃える事よりも、
若番から順番にという原則が優先されたものではないかと考えます。

ちなみにナハネ10→オハネフ12は違うケースで
ナハネ10:10系軽量寝台客車の標準形式
ナハネ11:ナハネ10の改良バージョン
オハネ12:ナハネ11を冷房改造した車両
ナハネフ10:ナハネ10を緩急車化改造した車両
ナハネフ11:団体旅行用に製造したナハネ11の緩急車バージョン
オハネフ12:ナハネフ10を冷房改造した車両(一部ナハネ10からの直接改造車も存在)
オハネフ13:ナハネフ11を冷房改造した車両
といった形式名の流れのなかで順番に付番した結果で、
直接ナハネ10からオハネフ12となった車両は
途中のナハネフ10を省略した形となっただけで、原則論?の通りとなっています。
冷房改造車が12で揃ったのも、この場合は偶然といえるでしょうね。

といったところではないかと推測できるのですが、
後の和田岬線用のオハ64・オハフ64のように
緩急車に63の番号がついた車両が存在しないのに、
緩急車の番号をひとつ飛ばして64で揃えている
といったケースもありますので、一概には言えないという可能性も残ります。




投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 5月 2日(土)18時04分3秒

タイトル

Re:緩急車の命名法則の謎(補足)

緩急車の命名法則の謎について大事な事を書き忘れました。
この「客車倶楽部」で以前にも話題になった事でもありますが、
12系客車以降の新系列客車においては、
基本的に同系列の客車のみで編成を組成する系列という考え方が導入されましたが、
それ以前の客車は全てが1両単位での考え方で、系列という考え方は国鉄
(もちろんそれ以前の鉄道省などを含む)内部には無かったという事です。
(オハ35系・スハ43系といった呼び方は、鉄道趣味界での呼称です。)
そういった考え方であった事も、同タイプの客車において
緩急車との番号が異なっている場合がある事(あえて揃える必然性が無かった事)
の一因であると思われます。




投稿者

クモイ103

投稿日

2009年 5月 2日(土)21時35分0秒

タイトル

Re2:緩急車の命名法則の謎

ものずきヲヤヂ様、仙コリ(管理人)様

> 1)番号の付け方は原則的に若番から順番で付番する
> 2)同一形式における緩急車が存在しない車両がある

…ということで正解と思います。仙コリ様が補足で述べられた通り、
「ハ」と「ハフ」の形式番号を揃える必然性はなく、
スハ32とスハフ32が一致しているのは偶然に過ぎません。
 ただ後には、やはりご指摘のように「ハ」と「ハフ」を
意図的に揃える場面が出てきたようですね。
これは時代の変遷と考えたほうが良いような気がします。
 なお、形式消滅で欠番が生じた場合は、新形式がそこに割り込んで
2代目を名乗ることが多々ありました。
従って、形式番号の関連性を調べる場合、各形式の登場年代を確かめて
前後関係をよく考慮しないと、混乱することがあります。

 昭和16年、車両称号規程が改正されて鋼製客車の形式番号は
それまでの5桁から2桁となりました。
新しい番号は、5桁の旧形式番号の並び順に30から機械的に割り振られました。
(誤り・後日訂正)
この時点で誕生した「ハ」と「ハフ」の形式は、下記の通りです。

【ハ】
◆初代オハ30(←旧オハ31980)
 昭和12年に火災全焼した木製のナハ2両を鋼体化の上復旧したものでした。
 鋼製の「ハ」には通常32000以降の番号が割り振られていましたが、
当時は両数が増えて空き番号が減少していたため、
 わずか2両の異端車として「はみ出し番号」が与えられたものと思われます。
 ちなみにこの2両は昭和34年に事業用車に改造されて形式消滅しましたが、
 その後昭和36年にオハ31を座席減少させた二代目オハ30が登場して、
 和田岬線で使用されました。
◆オハ31(←旧オハ32000)
 言わずと知れた第一世代鋼製客車の代表形式です。
 自然な流れでいけばトップナンバーの「30」が付されるべきだったと思われますが、
 前記2両の異端車に割り込まれたため、トップを逃しました。
◆スハ32(←旧スハ32600(二重屋根車)・スハ32800(丸屋根車))
 もともと2つの別形式でしたが、
 屋根以外はほとんど同じ仕様ということで、一緒にされてしまいました。
◆スハ33(←旧スハ32550←初代スハ33900)
 昭和5年、特急「櫻」用に誕生した一方向座席車で、戦後製スハ44の先輩格です。
 昭和12年、前記のスハ32800の増備で番号を明け渡すことになり32550に改番、
 その後大部分が病客車スヘ32550となりましたが、
 残った2両が16年改番でスハ33となったものです。
 その後スヘからの復旧や、同系のスハフ(→スヘフ)35250形式からの編入
 などが加わりました。
 以上はいわゆる「スハ32系二重屋根車」に属し、「初代スハ33」とも呼ばれます。
 昭和41年からはスハ32丸屋根車の台車振り替え車が加わって、
 こちらは「二代目スハ33」とも言われますが、
 初代のグループとは約3年間共存していました。
◆オハ34(←旧スハ33980←二代目スハ33900←スハ33000)
 昭和10〜11年に登場した、特急「富士」専用車です。
 スハ32丸屋根車に似ていますが、特急用としてシートピッチを広げ、
 その分座席を1ボックス分減らしたので、定員は8名少ない80名です。
 総勢12両という小世帯の悲しさで、
 前記スハ32800や後述のスハ33650の大量増備に追い上げられて改番を余儀なくされ、
 昭和12年に二代目33900、15年には33980と逃げ回ったあげく、
 16年改番でやっと侵略の心配のない2桁番号に落ち着きました。
 ちなみに、昭和17〜19年にはスハネ30・31が改造編入(13〜)されて
 一気に大世帯となりましたが、
 これらは昭和34〜37年にスハネ30・スハネフ30に戻っていったため、
 たった1両戻り損ねたオハ34 13を加えた13両の小世帯に戻って、
 昭和40年代半ばまで存在しました。
◆オハ35(←旧スハ33650)
 ご存知、戦前型国鉄客車の決定版です。
 昭和16年の称号改正が行われたのは、旧来の5桁番号の方式が、
 この形式の大量増備に対応しきれなくなったためでした。

【ハフ】
◆オハフ30(←旧オハフ34000)
 オハ31の緩急車です。こちらはしっかりトップの座を占めました。
◆初代オハフ31(←旧オハフ34180)
 オハ30の緩急車で、前記オハ30と同じ昭和12年の火災で焼失した
 木製のナハフを鋼体化した 1形式1両の存在でした。
 オハとオハフで番号が逆転しているのが面白いです。
 こちらは戦災で廃車されましたが、昭和36年にはオハ30と同様、
 和田岬線用にオハフ30を座席減少した二代目オハフ31が誕生しています。
◆スハフ32(←旧スハフ34200(二重屋根車)・スハフ34400(丸屋根車))
 スハと同様、2つの形式が屋根だけの違いということで一緒にされました。
◆オハフ33(←旧スハフ34720)
 スハ33とオハ34には対応する緩急車がなかったため、
 次はオハ35の緩急車となりました。

 その後、座席減少の戦時改造などで形式が増えましたが、
 これは戦後みな元に戻されています。
 昭和23年、オハ35・オハフ33の増備車に
 鋳鋼製のTR40台車を履かせて重くなったため
 別形式にする必要が生じました。
 この時点で「ハ」は41まで、「ハフ」は40までふさがっていたため、
新形式は「スハ42」「スハフ41」となりました。
 このうちスハフ41は全20両の小世帯で、
 翌年マイネ40の乗り心地改善のため台車を供出し
 TR23をもらってオハフ33に編入され、わずか1年で形式消滅しました。
 この時の「ハ」と「ハフ」の形式番号のずれ「1」が、
 その後も引きずられることになったわけです。

 主要参考文献:JTBキャンブックス「国鉄鋼製客車1」
(但しけっこう細かいミスがあります。)




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2009年 5月 2日(土)22時07分33秒

タイトル

Re:緩急車の命名法則の謎(補足)

国鉄では車務課という部署が形式や番号を管理していました。
形式や番号の付与には原則はありますが、
担当者の裁量に左右される部分もありました。
例えば、北海道用の二重窓の車両ですが、
スハ32系・オハ35系では形式・番号とも何も区別されていません。
これがスハ43系になると形式を分け、10系では番号で分けるようになりました。
さて、鋼製の二軸ボギー客車は、昭和16年の称号改正で30から順に埋められています。
オハ30:昭和16年称号改正(火災事故のナハ22000系を鋼体化)
オハ31:   〃    (17m級Wルーフ)
スハ32:   〃    (20m級Wルーフ・シングルルーフ)
スハ33:   〃    (20m級Wルーフ特急用)
スハ33:昭和41年(スハ32の台車振替)二代目
オハ34:昭和16年称号改正(20m級シングルルーフ特急用)
オハ35:   〃    (おなじみの形式)
スハ36:戦時中(スハ32の一部座席撤去)
オハ36:昭和34年(スハ42の軽量化改造)
下一桁の7から9は3軸ボギー車
オハ40:戦時中(オハ35の一部座席撤去)
スハ40:(オハ36の電気暖房取付車)
×ハ41:(不勉強にして不明)
オハ41:(通勤用ロングシート)
スハ42:昭和23年
となります。「ハフ」についても同様に埋まり、
スハ43系で「ハ」と「ハフ」の形式が一つずれているのは、
意図してずらした訳ではないでしょう。
それが証拠に同時代の鋼体化客車では「ハ」と「ハフ」が揃っています。
なお、重量を表わす記号だけ異なる形式は避けるのが大原則です。
「オハネ25」が存在するのに「スハネ25」を符番したのは違反なんですね。
また、10系のうち、鋼製客車の台枠を利用した形式は、
10系には違いないが純粋な10系ではないことから
10番台の後ろから符番されました。
オシ17(昭和28年から7は2軸ボギー車に変更)、オシ16とオハネ17・スハネ16です。

投稿者のホームページ




投稿者

JIN

投稿日

2009年 5月 3日(日)00時21分46秒

タイトル

Re:緩急車の命名法則の謎

久しぶりの書き込みです.

客車の番号は,製造年が古い順に30から順番に付番されています.
中間車と緩急車で番号がずれたのは単に形式数が違うからです.

ちなみにスイテ37は展望車としては最新でもオイテ27000の改造であり,
その製造年次は鋼製展望車では最も古いので最若番となっています.
オハ30,31とオハフ30,31が鋼製新製車と鋼体化車で順番が違うのも同様です.
オハではオハ30の元形式のナハ22000がオハ31よりも古いから,
オハフではオハフ31の種車ナハフ25029は
オハフ30製造開始後に製造された車輛だからなのです.
木造車が鋼製車よりも新しい?と思われるかもしれませんが,
当時は鋼製車と木造車は平行して製造されていたのでこのような事になりました.

あと初代オハ41はオハ31の戦時定員増改造車です.




投稿者

ものずきヲヤヂ

投稿日

2009年 5月 3日(日)07時53分16秒

タイトル

[お礼]緩急車命名法則の謎

しょうもない私の疑問にこれだけ多くの方々から反応があるとは・・・
質問にお答えいただいた各位に感謝・感謝です。
おかげで長年の胸のつかえがとれた思いです。

なるほど、深く考える必要は無く、基本的には単純な追番だったんですね。
「系列」という概念にまでは至らないにしても、素人考えでは同じグループを
同じ数字で揃えた方が管理しやすいと考えがちですが
やはりそれはファン的な素人考えなんですね(笑)。

ところで厚かましくももうひとつ地味な(笑)ご質問。
スハ43系あたりまでは新製時には客室廊下の床に
いくつかの「タンツボ」が設けられていましたね。
設置理由は当時の国民病である結核の感染防止の理由があったようです。
汚い話ですが、これらの「タンツボ」は当時の便所同様に
「垂れ流し」だったのでしょうか。
「痰」はかなり粘度が高そうですが便所と異なりその都度水で流すわけでもなく、
小さな穴から自然に下に抜けるとも思えません。
第一、冬場にはすきま風で寒冷地でなくともかなり寒そう・・・・




投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 5月 3日(日)11時58分9秒

タイトル

Re:[お礼]緩急車命名法則の謎

ものずきヲヤヂ様

>しょうもない私の疑問にこれだけ多くの方々から反応があるとは・・・
とんでもありません。
レスの多さが示している通り、本来この「客車倶楽部」にとって
最も望ましい種類の話題であります。
また、私自身このところの客車形式に対する勉強不足を痛感いたしましたので、
こういった話題の際にすぐに対応できるような解説ページを作らなければ
という創作意欲を駆り立てていただきました。

それから「タンツボ」についてですが、過去の書き込みを見ると自然外部排出型?
とでもいいますか、いわゆる垂れ流しであったようですが、
私も実物を見た事は無いので、実際の状況をお知りの方が
いらっしゃいましたらコメントいただけると助かります。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 5月 3日(日)19時30分12秒

タイトル

痰つぼ

あれは車内通路が歩き難くかったです。
一度ボーイさんが真鍮の凹型蓋を持ち上げて掃除していたので、なにか
「溜める工夫」がしてあったと想います。当時は痰つぼ兼用灰皿みたいな
物でした。垂れ流しでは車体の下が汚れ過ぎますし、痰つぼの壷でもあった
のか???客車は確かスロ34だったと記憶します。
(円屋根)。
煙草の吸殻はニコチンで「田舎の便所」に捨てると「蛆虫防止」になるから
,返って消毒作用もあったのでしょうか?



倶楽部メモ(519) 平成21年 5月 3日〜 5月 6日


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 5月 4日(月)15時13分13秒

タイトル

客車の痰壷

旧高砂工場車体担当のOBの方に伺つて見ました。
何と「垂れ流し」だそうです。但し運用の途中、毎日(入庫,滞留)?で掃除
していたとの事でした。
長編成の場合担当者は大変だったと想います。




投稿者

クモイ103

投稿日

2009年 5月 5日(火)08時27分26秒

タイトル

Re:Re:緩急車の命名法則の謎

>JIN様
ご無沙汰しております。

> 製造年が古い順に30から順番に付番

…という点、勉強不足でありました。ご教示ありがとうございます。
展望車の附番は知っていた筈なのに見落としておりました。
また、スハ32〜オハ35の間もよく見れば5桁番号の順になっていませんね。
お恥ずかしい限りです。
というわけで、5月 2日(土)21時35分0秒の拙稿中、

> 新しい番号は、5桁の旧形式番号の並び順に30から機械的に割り振られました。

…というくだりは誤りでした。
管理人様、お手数ですが修正をお願いしますm(_ _)m
(できれば取消し線を付けて「後日訂正」とでも付記して頂ければと思いますが…)。



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