倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
荷物輸送と長距離鈍行


倶楽部メモ(517) 平成21年 4月29日〜 5月 2日


投稿者

高速貨A

投稿日

2009年 4月30日(木)14時13分53秒

タイトル

寝台車付き定期夜行普通列車について

長々としたタイトルですみません.
「山陰」「ながさき」「はやたま」「からまつ」の4列車が
寝台車を連結した定期夜行普通列車なのは皆様方ご存じと思います.
(ここでは急行「大雪」のように特定区間が普通列車を除きます)
普通列車に愛称名がついたのは,みどりの窓口で予約する際,
列車番号のみだと一般客にはわかりづらいからと考えております.
 さて,昭和55年10月改正以降廃止が相次ぎましたが,
それ以前,特に昭和30年代の長距離普通列車が多数存在していた頃は,
全国各地に上記4列車のような寝台車付き普通列車が運行されていたのかな
と思っていました.
しかしながら復刻版JTB時刻表によると,わたしが思っていたような事はなく,
全国的に見ても珍しい存在でした.
「寝台列車=快適な睡眠が確保され,目覚めると目的地」が理想とすれば,
やはり急行列車や特急列車が最適なのでしょう.
 それにしても当時は様々な長距離普通列車が存在していました.
18きっぷによる長距離移動計画を立てる際に,
「昔のような列車があればなぁ」と考えるこの頃です.




投稿者

ED76109

投稿日

2009年 4月30日(木)20時25分33秒

タイトル

「鉄」話あれこれ

 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 高速貨A様
 >昔のような列車があればなぁ

  御意。小生も、最近は「昭和48年JTB刊6月号時刻表」を
眺めることが多くなりました。
回顧趣味でしょうか、正直楽しいですね。
高速貨A様のお好みは、どのような列車でありましょうか。
現在、高速貨A様と同じ「北の大地」におりますので、以下のように記してみます。

  「121レ・122レ 函館・旭川(山線経由)」
  「425レ・422〜1422レ 釧路・滝川」
  「831レ・832レ 札幌・網走」
  「321レ・324レ 旭川・稚内」「240レ 室蘭・函館」などなど・・。

 全国レベルですと、まだまだございますが「東北以南」は別の機会にいたします。
しかし、「鉄」親父が仕事で使っていた「111レ(東京・門司)」や
「145レ(東京最終夜行・大阪行、後の143レ)」の復活など
無理でありましょうか。
小生の希望は、「18きっぷ」の利用時期に「札幌・函館(当然山線経由です)」、
「東京・大阪」、「大阪・下関」及び「上野・盛岡」等に
「臨時快速(全席指定)」を運転していただければ、
何があっても馳せ参じて「乗り鉄」するところであります。

 雑魚様
 >西武の山口線を復元するのも一興か

  昭和54年の春休み、小生の所属していた高校の「鉄研」で、
新入生部活動紹介用の「8o」映画撮影のために「山口線」を訪問。
西武鉄道に協力願い、車庫に入れてもらいナローゲージの「SL」を
取り上げたことがありました。
現在は「我が道民球団」のライバルチームの総本山である「西武ドーム」が、
完成間近の頃(当時は「西武球場」)でありました。
同45〜46年にかけて、「鉄」親父が「狭山貯水池」に勤務していたことから、
懐かしの地でもあります。
狭山湖畔の「桜」が見事でございました・・・。

 マロネロ38様
 >「マンボ」(煉瓦巻きトンネルの水路兼用人道トンネル)

  何か懐かしい「鉄道建築物」のようであります。
小学生の頃、「鉄」仲間と「品鶴貨物線」の古いガードを潜って
「EF18牽引の貨物」や「0系」を眺め、
大森付近の「東海道線」の古いガードを潜って「ブルートレイン」を眺めに
自転車で行ったことが多々ありました。
特に「東海道線の古ガード」は、「昭和初期(?)」建造で「複々線」を潜る代物であり、
独特の風情が・・・。
きっと「マンボ」も同じ「鉄道レトロ」を感じさせてくれるものなのでありましょう。
「見学旅行」の引率の折に訪問させていただくことに致します・・。
ところで、小生も「鉄」に係り、「TV」と「ラジオ」に出演したことがございます。
平成12年、「NHK札幌」制作の「我が北海道思い出の駅」という番組に出演して
「旧上目名」の思い出話を「15分」程度の番組にしていただきました。
また、「はやぶさ・富士」の廃止に係り、
奇しくも最終日に「ミュージックギフト〜音楽地球号〜」に出演し、
「谷村新司」さんの「浪漫鉄道・蹉跌編」を流していただきました。
生来の「脳天気」な小生、言いたい放題で、
スタッフの方々に呆れられるやら笑われるやら・・・。
今となっては、恥ずかしい限りであります。

 長々と失礼致しました。
以上、「高校教師」よりも「アナウンサー」になりたかった
「中年客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

雪だるま

投稿日

2009年 4月30日(木)21時45分33秒

タイトル

乗り鉄

ED76 109 さま
私、昨日は1日散歩きっぷで江別→岩見沢→苫小牧→南千歳→札幌→小樽→江別
と乗ってきました。

遠くに行けないものですから。室蘭線のキハ40に乗ってる時が一番なごみました。
客車列車があればと悔やまれます。
室蘭線224レ岩見沢→長万部もリバイバルして欲しいです。

昨日キハ141に挟まれたマヤ34と安平ですれ違ってしまった!と思いました。
以上おじさんの妄想でした。




投稿者

ED76109

投稿日

2009年 4月30日(木)23時02分16秒

タイトル

「鉄」話あれこれパート2

 連投失礼致します。「ED76109」であります。

 雪だるま様
 >室蘭線224レ岩見沢→長万部もリバイバルして欲しいです

  お久しぶりでございます。
「昭和48年JTB刊6月号時刻表」では、「岩見沢8時35分発→
苫小牧10時35分/10時44分→東室蘭12時32分/12時53分→
長万部14時50分着」ですね。
きっと「狭窓のスハフやスハ」が「C57」に牽かれていたのでありましょう・・・。
初渡道の昭和48年の春は、「222レ」で「岩見沢」から「室蘭」まで、
件の「スハフ」に揺られました。
その後、「ちとせ3号」で「札幌」まで行き、「DC鈍行」で「旭川」入り。
翌日の「122レ」の乗り通しに備えたのでありました。
今年の夏は、最低でも「道内フリーキップ」で日帰りでも良いから、
「道南」「道東」及び「道北」の「乗り鉄」に行くつもりであります。

 失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

雑魚

投稿日

2009年 5月 1日(金)10時47分38秒

タイトル

西武山口線の事など

▼高速貨A様:

かつて、客車による長距離鈍行が幅を利かせていた理由としては、機回し手間の軽減、
そして特急・急行が、現在ほど一般的でなかった世相の下、多少の時間を要してでも
普通運賃のみで移動という、ある意味、鷹揚な感覚が一般的だったという事でしょう。
私自身、所帯持ちの現在、経済的事情から、家族単位での移動は車に頼らざるを得ず、
当時の感覚が、この齢になって判る様な気がします。

▼マロネロ38様:

常総線から分岐する砂利専用線の件、良く御存知ですね。このテの路線は全国各地で
見られたと思いますが、私が実際に見た例で印象に残っているのが、高崎線新町から
上野方向に分岐し、神流川の上流方向(ただし、八高線橋梁のかなり手前で終点)に
伸びていた電化線です。かの「トワイライト・ゾ〜ン・マニュアル」によると、一見、
頼りなさそうな木製電柱の作風に反し、F級電機が入線していたとの事。秩父鉄道と
一駅間を輻輳していた東武熊谷線共々、高崎線の車窓風景におけるアクセントでした。

▼ED76 109様:

旧西武山口線が廃止された1980年代の半ば、私は東京都民でしたが、現役時代を一度
見て置くべきだったかと、今頃になって、臍を噛んでいます(^^)

その数年後、大井川鉄道を訪ねた際、千頭で井川線に乗り継いで間も無く、山口線で
稼動していた 白地に青帯(?)の凸型BLを、側線に一瞥しました。井川線は、確か
国内標準軌の筈だが、と悩むも、これは森林鉄道が三線軌条方式で千頭まで輻輳した
名残りだそうですね。うろ覚えですが、当該BLはその後、浜松界隈の何かの施設で
動態保存されたと聞きます。

ところで、長万部〜岩見沢の長距離客レは、秘境・小幌駅にも停車したのでしょうか。
陸路では、徒歩を含め、アクセスが極めて困難と聞きますが、かかる状況で、旅客駅
扱いという必然性が、良く判りませんね。駅から 1kmほど北西の辺りを、日本海側の
寿都を河口とする川が流れている辺り、一帯の太平洋岸の峻険振りが、良く判ります。

最後に、雪だるま様の旅をイメージして、十八番の苫東道路からの俯瞰を一枚。




投稿者

高速貨A

投稿日

2009年 5月 1日(金)13時57分39秒

タイトル

「乗り鉄」あれこれ

▼ED76 109様:
ワイド周遊券を使用して旅行していた当時は,
長距離鈍行よりも急行列車を多用していました.
また,一人旅出来る年齢に達した頃は,
長距離鈍行はもとより急行列車も廃止が相次いでおり,
私が乗車出来た長距離鈍行は函館〜札幌の「山線夜行」です.
(長距離と言えるかどうか疑問ですが)
荷物輸送が主体で旅客はオマケ?のような編成でしたが,
元をたどると函館〜釧路の長距離鈍行という
由緒正しき?列車でした.
「かつての長距離鈍行があれば・・・」と考えたりもしますが,
長距離を乗換えずに乗車するメリットと,
室内環境(当然ながら非冷房)を考えると,現
代の中短距離乗車・(場所によって)長時間ロングシート・冷暖房完備,
どっちが良いものでしょうか?
もちろん長距離輸送は他交通機関が主役なので,
どうしても中短距離輸送に重点が置かれるのは当然と考えております.

▼雑魚様
小幌駅について,当初は信号場扱いだったのが駅に昇格しました.
保線関係の人,釣り人,マニア以外の利用は皆無かと思います.
函館本線・張碓駅のように廃止にならないのが不思議です.
後述する事情のためGW明けに視察しようと考えております.

▼雪だるま様
私の本拠地は旭川で,現在は札幌に単身赴任中です.
暦通り休暇のため,明日以降の休暇のうち1日は「道北一日散歩きっぷ」にて
「増毛ノロッコ号」乗車を考えておりますが,
妻子の許可が下りるかどうか(妻子ともに”鉄分ゼロ”)
よって,GW後の休日に「休日出勤」と偽って
「一日散歩きっぷ」にて小幌駅視察を計画しております.
最後に,私は長期出張が多く,特に冬期間は内地勤務をしております.
毎年春先に釈放?される生活ですが,
その際に帰郷を兼ねて「18きっぷ」などによる長距離移動を実施しています.
その時つくづく思うのは(復刻版時刻表に記載されているような)
「長距離鈍行があればなぁ」です.
鉄道会社の事情や世の中の動き等を考えると復活は無理でしょうが,
乗継・乗継の連続乗車する度に,よく思います.

▼管理人様へ
客車列車に関する話題から離れてしまい,申し訳ありません.
旧型客車乗車は20年以上も昔だし,
最近の客車乗車は「はまなす」と「ノロッコ号」なので.




投稿者

クモイ103

投稿日

2009年 5月 1日(金)20時12分14秒

タイトル

またまた長距離鈍行

 長距離普通列車の話題が再燃し、ちょっと嬉しいクモイ103です。
 ブルトレブームの頃、高校鉄研では
「特急・ブルトレはガキが追うもの」と歯牙にもかけず、
皆それぞれ独自の世界に没頭していました。
通学で利用する電車の編成調査をする者は私を含め何人かいましたが、
それを「日常の共通活動」とすれば、
「非日常の共通活動」で大きな比重を占めるものが、
「旧型国電」と「長距離鈍行」だったのです。
 私自身、文化祭発表用に上野発郡山行き121レと上野発一ノ関行き123レを
同級生3人で追跡取材しましたし、
下級生で門司発福知山行き824レを完乗した者もいました。
 以前に書いたと思いますが、
「憧れ」で終わったのが「最果て鈍行」宗谷本線321レでした。
C55の牽引で稚内入りしたかったです
(私の高校時代すでにSLは過去のものでしたが…)。


▼雑魚様
> かつて、客車による長距離鈍行が幅を利かせていた理由

 長距離鈍行の最後の活躍を鉄道雑誌が盛んに追っていた当時
(1980年前後の数年間?)、
長距離鈍行が残っているのは「荷物輸送」のためであると言われていましたが、
そういう記述をお読みになったことはありませんか?

 当時すでに、長距離を普通列車で移動する旅客は少数派でした。
しかし、今は無き「荷物輸送」のためのマニやクモニなどを直通させるため、
「お供」として旅客車の直通も残していた…というのが実状のようです。
 郵便車や荷物車は旅客列車に併結されるのが古くからの基本で、
これは国鉄末期に郵便・荷物輸送が廃止されるまで、
脈々と受け継がれたスタイルでした。
荷物専用列車というのもありますが、
これはまとまった輸送量のある大幹線に限られ、
それも戦後かなり経ってから増えてきた比較的新しい列車形態です。

 一方、雑魚様のご指摘にある

> 特急・急行が、現在ほど一般的でなかった世相の下、
多少の時間を要してでも普通運賃のみで移動という、
ある意味、鷹揚な感覚が一般的だったという事

…は、さらに「ひとむかし」「ふたむかし」と時代を遡ってゆけば、
だんだん当たってくるでしょうね。
なにしろ究極的には、全国どこへ行くにも
普通列車に揺られるのが当たり前の時代が最初にあって、
後から急行や特急が現れ、さらに時間をかけて庶民化してきたのですから。
 それとは逆に、

> 機回し手間の軽減

…というのは、昔へ行くほど当たらなくなるのではないでしょうか。
「手間」とか「人手」に対する感覚は、ほんの数十年遡るだけで全く異なります。
機械力が限られていた当時、人手をかければ済むものは人手でやるのが当たり前で、
それを仕事の誇りに思いこそすれ、
手間を軽減しようという感覚はきわめて希薄だったことでしょう。
 それに前にも一度書いたことがありますが、
「国鉄が元気だった」頃、全国どこでも貨車の入れ換えが日常茶飯事で、
とにかく機関車で推したり牽いたり突放したり、普通にやっていましたから、
旅客列車の機回しくらい何でもなかった筈です。

 そうは言っても、東北新幹線開業後の仙台−盛岡間の在来線で、
客車普通列車による1時間ヘッド運転が行われたときは、
さすがにたまげましたが(^^)。




投稿者

ED76109

投稿日

2009年 5月 2日(土)00時28分42秒

タイトル

荷物輸送と長距離鈍行

 おばんでございます。「ED76109」であります。

 高速貨A様
 >どっちが良いものでしょうか?

  当然でありましょうが、「スハフ」や「オハフ」等がボックスシートである点や
「モーター」等の余計な振動が皆無であることから、
「長距離鈍行」の方が居住性に優れていると判断いたします。
いくら鈍行の風情を感じながらも、
「上野・青森」をトイレの無い「ロングシート」で、
乗り継ぎホームや階段を疾走するのでは・・・。
小生であれば、「仙台」あたりで「新幹線ホーム」を目指すでしょう。
 「クモイ103」様の主張を拝読して、
「荷物輸送」に係り長距離鈍行が残っていたという部分は、
まさしく当を得たご発言であります。
つまり、「首都圏」から新聞等を地方に運搬する
「ニ」の必要性から「長距離鈍行」が残り、
他の運搬手段に移行した結果、長距離鈍行が淘汰されたと考えるべきであります。
現在は「上野」から「青森」まで「直通する役割」を果たす列車ではなく、
1分でも「青森」に「早着できる」列車が必要なのですから。
 小生の前述した「旧客鈍行」は、全て「ニ」や「ユ」等が連結されておりました。
「121レ・122レ」は「2〜3両のニ・ユ」が、
「41レ・42レ」「43レ・44レ」は
「荷物列車」に「2〜3両のハザ」が連結(他の旧客鈍行も然り)。
 「エコ対策」のために「高速道路」のトラック通行量を制限し、
最もエネルギー消費の少ない「動力車牽引方式」で、
その貨物量を鉄道で全て引き受ければ、
必然的に「貨物列車」や「荷物列車」が復活する
という「暴論」が成り立つと小生は考えます。

 長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」