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               客車版「さんべ」に関して、十八番の「ARC資料室」を改めるも、ED76 
109様が 
              御示しの1978年より以前は、不明な点が多い様ですね。この列車、山陰と九州を結ぶ 
              印象が強いのですが、漢字で「三瓶」と記した「ヨンサントオ」以前は、大阪と大社・ 
              浜田を結んでおり、同改正で、その役割を「だいせん」が継承した、という印象です。 
               
              急行「さんべ」といえば、山陰線と美祢線、夫々を経由する分割編成が、再合流する 
              気動車便の「美談」が有名ですが、同運用は「ヨンサントオ」以降、急行が全国的に 
              大幅淘汰された1985年の「科学博改正」まで、意外に長期間、続いていた様子ですね。 
              更に、1975年までは山口線に入る編成の記述もありますが、これは、小郡折り返しで 
              上記「美談」には与しないとの事、残念………(^^) 
               
              この様に「ヨンサントオ」を契機に守備範囲が変遷するも、総じて山陰線の全線域に 
              ゆかりの列車という印象で、愛称の由来たる島根県大田市郊外の三瓶山とは、かくも 
              名峰とされているのでしょうか。標高は 
1,100m程度ですが、形の良い円錐の山容が、 
              平面地図からも窺えますね。 
               
              私が「さんべ」を利用したのは、1988年の春。小郡→長門市の移動で「おき」からの 
              乗換えでした。当時は既に美祢線経由の多層建も廃止され、車内はガラガラでしたが、 
              団臨または回送扱いで、御座敷客車を併結しており、もしや、グリーン料金を払えば 
              乗せてくれるだろうかと、車掌に尋ねたら、にっこり微笑んで、きっぱり「駄目です」 
              ………世の中、そう甘くない……… 
               
              この「さんべ」に準ずる「美談」で思い出すのが、函館を朝発つ長万部行の普通列車。 
              大沼で渡島砂原迂回の便を分離後、赤井川経由で北上するも、森では長時間停車して、 
              上記分離便の到着を待つというダイヤ(ただし再連結は無し)が印象的でした。 
              
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