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               ▼マロネロ38様: 
              > 
現地での通称は「尼港(あまこう)線」で、金楽寺線とは言いませんでした。 
               
              然様でしたか。在京時代の職場で、同支線が話題になった際、尼崎の電話市外局番が 
              大阪同様「06」である事が自慢だった塚口出身の同僚(但し「鉄」に非ず)が「ああ、 
              そら『金楽寺線』の事やな」と話していたので、以降、その様に解釈しておりました。 
              ちなみに「尼港」の字面のみ見ると、ロシア沿海州の港湾都市「ニコラエフスク」と 
              勘違いしそうです(^^) 
               
              支線廃止後も、尼崎駅のすぐ西側で東海道線を跨ぐ高架橋は、暫く残っていましたね。 
              なお、福知山線では、1986年の宝塚電化に先立ち、1956年に塚口まで電化との記録が 
              あります。これは、尼崎港支線絡みの貨物便を、電機牽引で塚口に直通させる必要が 
              あった為ではないかと想像しますが、如何でしょうか。 
               
              > 
東海道本線上下間に無理やり島式ホームを造ったので急カーブになったのです。 
               
              尼崎駅では元々、福知山線が東海道線を挟むホーム配置だった為、立川西方における 
              青梅線よろしく、下り線のみ大きく弧を描いて東海道線を跨いでいましたね。東西線 
              直通対応に際した尼崎〜塚口の線路配置は、かなり大規模に変更された訳ですね。 
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