倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
20系「日本海」の編成について
最後尾にナハネフ22・23が使用されたことは無かったのか


倶楽部メモ(496) 平成21年 3月 1日〜 3月 5日


投稿者

滉淬

投稿日

2009年 3月 2日(月)19時56分17秒

タイトル

20系日本海

失礼致します。御初にお目にかかります。滉淬と申します。
此の度は皆様に質問があり書込仕りました。

20系日本海についてなのですが、最後尾は基本的にナハネフ20・21でしたが、
同22・23が使用されたことは無かったのでしょうか。又EF65のF型としては524が
牽引歴があった様ですが他のF型の牽引歴は無かったのでしょうか。

以上二点について御存じの方がおられましたら御教示下さると有難く存じます。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月 3日(火)16時26分47秒

タイトル

「日本海」 組成

▼滉淬様:
> 同22・23が使用されたことは無かったのでしょうか。

初めまして。茨城の湿地帯に棲息する雑魚と申します。このテの調べ物では「ARC
編成室」という頁を重宝していますが、これによると、1968年の登場以来、御指摘の
車両が充当された旨の記録は無さそうです。その一方で、1970年代後半には、14系が
充当された時期もあった様ですね。以上、御参考まで。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 3月 4日(水)09時04分55秒

タイトル

日本海14系

湖西線開業のダイア改正で14系になりましたが、食堂車が無くなりましたので大変
不便になりました。朝食用にパンと缶コーヒーを買って乗車するなんて、「弁当もち
の戦時中」の再現で-駅弁は秋田ぐらいまで買えませんでしたから。
知らずに乗って夕食,朝食抜きの経験をした乗客も多かったので,後年は車内販売
がありましたがーーー。
14系は2回乗車しましたが一度目がスハネフ14で煩くて中々寝付けません
でした。矢張り20系が最高でした。例え寝台幅が狭くても良かったです。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月 4日(水)14時17分7秒

タイトル

湖西線事情

▼マロネロ38様:
> 湖西線開業のダイア改正で14系になりましたが、

なるほど、経路変更に連動した措置だったのですね。なお「日本海」を含む大阪発着
北陸線特急が湖西線経由に切替えたのは、1975年の春ですが、湖西線自体は、前年の
夏に開業しています。京葉線でも、全通から特急の経路となるまで、一年間の猶予が
ありましたが、湖西線における半年間の時間差は、何なのやら。なお「日本海」では、
75〜76年に 2往復、76〜78年に 1往復、14系が充当されていますね。

画像の光景が見られるのも、残り十日となりました。


投稿者

滉淬

投稿日

2009年 3月 4日(水)15時35分57秒

タイトル

日本海組成

雑魚様

初めまして。滉淬と申します。同サイトは自分も使用しております。
然様ですか・・・理論上代用は可能でしたが無かったですか・・・
御回答有難う御座いました。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 3月 5日(木)09時55分22秒

タイトル

104

雑魚様
14系切り替えは1975年(昭和50)春の改正(改悪?)でした。間違って済みません。
その1ヶ月前に秋田出張で20系最後の往復をして、夏の出張はもう14系でしたので
パンとコーヒーを持って乗車しました。「あかつき」と共通運用だったのは知って
いましたが、「日本海」ウヤで「あかつき」もウヤは記憶にありません。冬場には
ありそうな事です。
「日本海」には余り乗車していませんでしたが:
大館−弘前(ナハネフ20自由席開放)
大阪−秋田往復(ナハネ20)
秋田−大阪(スハネフ14)往きは東京経由で「あけぼの」
秋田−大阪(オハネ14)-:-
大阪−函館往復(オハネ24)1,4号
大阪ー青森(オハネフ25)3号
今では1本だけですが、それなら食堂車を復活して「函館」で又延長して欲しいです。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月 5日(木)16時47分10秒

タイトル

オシ 14

▼マロネロ38様:
> 14系切り替えは1975年(昭和50)春の改正(改悪?)でした。

その一方、14系編成で「オシ」を連結した事例が、どの程度あるのか、
件の「ARC編成室」で調べて見ると「あさかぜ」72〜75年「出雲」78〜84年
「さくら」72〜99年、そして「みずほ」72〜94年という処でしょうか。
なお「さくら」「みずほ」は91年に営業を休止しています。
また「さくら」では、94年から長崎・佐世保発着の両編成に
それぞれオシ連結の記載がありますね。
その後の「はやぶさ」との「同棲時代」には、
14系と24系の「道ならぬ恋」の記録があり(^^)かかる遣り繰りに、
既にブルトレの先細り状態が反映されていたのか、とも感じます。

> 食堂車を復活して「函館」で又延長して欲しいです。

青森→函館の移動の際、丁度「日本海 1号」が来たので利用しようと思えば、
かなり混雑していた事から、数十分後発の14系「海峡」に変更した事があります。
こちらはガラガラでした。
考えて見れば、料金と居住性の両面で「海峡」の方が断然おトクで、
それでも「日本海」ばかり混雑していたのは「北斗」との接続事情のゆえでしょうか。
函館発着「日本海」といえば、江差線内で後続電車特急を待避する一幕もありました。


倶楽部メモ(503) 平成21年 3月21日〜 3月22日


投稿者

きむたお

投稿日

2009年 3月21日(土)10時25分40秒

タイトル

「日本海」のナハネフ22

▼ 滉淬 様
> 20系日本海についてなのですが、最後尾は基本的にナハネフ20・21でしたが、
> 同22・23が使用されたことは無かったのでしょうか。

こんにちは。
ずいぶん前の書き込みに対してのお返事で恐縮ですが、
ちょっと前の雑誌を眺めていると1枚の写真が目に止まりましたので・・・。

雑誌は「鉄道ファン」の478号で、同誌の特集写真の中に、
1969年1月撮影のDD51が牽引する「日本海」の姿があり、
DDの後ろにナハネフ22が見えております。
確かに、「日本海」が20系客車だったのは昭和43年10月〜50年3月のあいだで、
受け持ち区の盛アオには昭和46年になってやっと配置
(46年に504・505、48年に1・19・20、49年に13・17・18)
ですからレギュラーな運用ではなかったと思われますが、
全国規模の国鉄時代のことですから、
たびたび見られたことではないのでしょうか。
また、当サイトの「20系客車誕生50周年写真館」の「関西発着列車」の中に
急行音戸様撮影の宮原の写真がありますが、
こちらに見える「日本海」もナハネフ22のようです。

ちなみに民営化後の臨時「日本海」ではナハネフ22・23による運転でした。

添付写真は本文とまったく関係ない、94年12月23日、
水橋→東富山にて撮影した臨時列車です。
中間にオハ14 701をはさんでおりますが、
編成記録をつけていないのが非常に悔やまれます(T_T)


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月21日(土)13時32分21秒

タイトル

Re:「日本海」のナハネフ22

滉淬様・きむたお様

きむたお様の書き込みを拝見して、再度手持ちの資料を見直してみたところ、
「食堂車の付いた客車列車編成記録」(鉄道ファン昭和52年6月号掲載)に
該当する記録が残っていまして、それによると、昭和50年1月5日
下り「日本海」の機関車(EF58103)次位が「ナハネフ2217」となっています。
こういった記録にも残っていますので、
「日本海」に「ナハネフ22」が使用されていた事は間違いないようです。
当時の運用・盛アオの配置状況を見ますと、きむたお様の書き込みの通り昭和46年以降、
盛アオにナハネフ22が配置され、基本的には「ゆうづる」用として使用されていますが、
大は小をかねる(定員的に)?で「日本海」においても使用されていたと思われます。
ただ、「日本海」が20系から14系化された昭和50年まで
盛アオにナハネフ20が配置されていますので、(運用離脱後に廃車)
基本的には最後まで「日本海」の所定はナハネフ20であったと思われます。
どなたかさらに詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら
フォローいただけると助かります。

参考資料:「食堂車の付いた客車列車編成記録」(鉄道ファン昭和52年6月号掲載)
     「鉄道ピクトリアル2005年7月号(20系固定編成客車特集)」


投稿者

滉淬

投稿日

2009年 3月22日(日)00時17分49秒

タイトル

20系日本海

きむたお様、管理人様

拙質問に御丁寧に回答頂き、誠に恐縮です。有難う御座います。

存在していたのですか。
定期三本帯時代のナハネフ22に日本海運用歴があったのですね。
ということはナハネフ20が21であった時もありましたので
ナハネフ22が23であった可能性も否定出来ないということなのでしょうか。
無論あくまで22は代用であったようですが・・・

しかしこうなると20系日本海は牽引機共々かなり種に富んでいるといえますね。
電源車のマニ20・カニ21、そしてナハネフ三種。ナハネフ23も入っていたとすれば
実に客車だけで八通り編成があったということになります。

文献迄御提示頂き、誠に有難く存じます。今後共宜しく御願い申し上げ奉ります。



投稿者

秋田のHO

投稿日

2009年 3月22日(日)08時44分57秒

タイトル

[ナハネフ20]

もしかしたら、ですが、
「20系日本海」当時の常連客の中には、同じ「B寝台」でも、
編成端の[ナハネフ20]は寝台区画が少しゆったりしている感じがして・・・、
という事で、[ナハネフ20]を指定して切符を取得していた
「通」の方がいらっしゃったかもしれませんね〜。
実際に、[ナハネフ20][ナハネフ21]の寝台区画の
少しゆったり感を御存知な方がおられましたら、
お話を伺ってみたいものです。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 3月22日(日)11時12分17秒

タイトル

ナハネフ20

最初は下り「日本海」に大館−弘前間昼間自由席に乗車が昭和46年,寝台は
「あけぼの」上野−秋田で昭和51年2月でした。寝台間隔が750mmだったので
感覚的には「ゆったりさ」がありました。寝台幅が同じ520mmでしたが。
「あけぼの」の時は朝起きて(横手の手前だったが)車掌室の2枚窓が一面に氷結
していて電気機関車の赤い色がボーッと映っていたのが印象的でした。
カレチが寒いので逃げ出したらしくて空っぽでしたが^^^


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月22日(日)14時14分32秒

タイトル

「日本海」 牽引機

滉淬様の御質問について、管理人様・きむたお様の御回答内容を踏まえ、その後更に
調べたところ「阿房列車ピクトリアル」というサイトの「寝台特急・日本海」の項に、
1974年11月に大阪駅にて撮影したという「ゴハチ」牽引編成の画像があり、最後尾が
ナハネフ22である由、解説がありました。特定の情報元への一元的依存を反省。

北陸特急にあって、直流機牽引とは これ如何に? と思えば、件の写真の撮影時期は、
湖西線の開業直後ながら、優等列車が米原経由のまま残っていた移行期間で、米原〜
田村は、相変わらずDL連絡だったたのですね。ただし「ゴハチ」が充てられたのは
湖西線経由に変更される直前の一年間のみ。それ以前の東海道線区間では、EF65が
充てられたそうです。

なお「日本海」では、DD51が、上記「交直接続リレー区間」のほか、1971年までは
糸魚川〜青森、翌年までは糸魚川〜秋田を牽引していました。1969年には新潟以西の
電化が完了していましたが、EF81の登場がその前年なので、直ちに遣り繰り対応が
出来なかったものと想像します。

それにしても、明治時代に東京電燈と大阪電燈が、それぞれ異なる規格の発電機器を
導入した事に由来する商用電源周波数の境界線が「静岡・糸魚川構造線」に符合する
事情があるとは云え、北陸線の交直切替が糸魚川〜梶屋敷で行われるのは、糸魚川の
立ち位置も相まって、地勢的に少し中途半端な観が否めません。

秋田以北がED75牽引となった1971年の部分電化に伴い、秋田・青森県境の矢立峠は、
新線に移行しましたが、その直前、大館機関区所属の蒸機による名物・三重連運転を
記録した「新日本紀行」が、数年前「NHKアーカイブズ」の枠で再放送された事は、
以前、申し上げた事と思います。旧線の急勾配を喘ぎながら通過する無骨な蒸機群と、
高規格の新線を軽快に通過するDL牽引「日本海」の映像比較は、正に時代の変遷を
如実に体現した印象でした。

なお羽越線では、1972年に交直流纏めて、白新線と共に一括して電化開業しています。
交直流が切替る村上が、平野部を主とする新潟都市圏の北端という事で、旅客需要が
大きく一段落する事情から、まず村上まで直流電化ありきと考えていた手前、意外な
印象でした。しかし電化後も、羽越線直流区間の普通列車は永らくの間、殆どが客車・
気動車で、信越線から電車を捻出する余裕が無かった様に見受けられ、そう考えると、
然もありなん、ですね。

画像は、村上市岩ヶ崎地区から、三面川河口越しに、瀬波温泉方向を眺めたものです。
同河川の橋梁を境に、風景や地形、そして人口分布が一転する辺りに旅情を感じます。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月22日(日)14時46分6秒

タイトル

ナハネフ20とナハネフ22

ナハネフ20とナハネフ22の話題?になっているので、
ナハネフ20とナハネフ22の見分け方について
皆様に質問というか確認なのですが…
側面から見れば、窓割りの違いはもちろん
車掌室側のドア位置の違い等で簡単にわかりますが、
正面からの画像だけで見分ける方法はあるのでしょうか?
雑魚様のご紹介サイトでも平面ガラスだとナハネフ20、
曲面ガラスだとナハネフ22のような記述となっていますが、
平面ガラスだったのは元ナハフ20のうち
1・2・3・51・52の5両だけだったはずなので
ナハネフ20については3両のうち2と3は平面ガラス、
4は曲面ガラスであると認識していたのですが、
間違いでしょうか?


投稿者

きむたお

投稿日

2009年 3月22日(日)16時13分7秒

タイトル

ナハネフ20 4の丸妻面の窓

▼ 管理人様

> 平面ガラスだったのは元ナハフ20のうち
> 1・2・3・51・52の5両だけだったはずなので
> ナハネフ20については3両のうち2と3は平面ガラス、
> 4は曲面ガラスであると認識していたのですが、
> 間違いでしょうか?

当方もちょっと気になって、いろいろ思いをめぐらせていて、
いつぞやのジャーナル誌に20系日本海の乗車記録があったなぁ・・・と。
で、いろいろ調べて辿り着いたのはジャーナル別冊の「青い流れ星NO.2」でした。
この中にデビュー直後の「日本海」に大阪から青森まで乗るのがあり、
この列車のハネフがナハネフ20 4であり、
パノラミックウィンドーであるのが確認できました。
当方も管理人様がおっしゃるとおり、その由来から、
ナハネフ20 2、3は平面ガラス、4は曲面ガラスということで間違いないと思います。

また、最後尾から見た際の見分け方ですが、
車掌が腰掛けるイスの幅が異なるようです。
やや高い位置から撮った写真だと背もたれの上辺のアルミの枠が見えるので
判断材料になるのではないでしょうか?
あくまで形式図からの推測ですが(^^;;;

いかんせん、当方も20系については、物心つくかつかないかのときに
東京の親戚が乗って帰っていった「北陸」を見送った以外は
晩年の臨時列車しか知らず、
雑誌を見て回るしか能がなく、現役時代を知る方には敵いません。

↓は93/1/31のシュプール回送ですが、
ナハネフ22車掌室のイスの背もたれが見えます。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月22日(日)19時04分15秒

タイトル

Re:ナハネフ20 4の丸妻面の窓

きむたお様

ナハネフ20 4の丸妻面の窓についてフォローありがとうございます。
鉄道ジャーナル別冊「青い流れ星ブルートレインNO.2」私も持っていました。
ナハネフ20 4の画像を探してもなかなか見つからなかったのですが、
手持ちの資料にあったとは…
間違いなく曲面ガラスですね。
また、最後尾から見た際の見分け方もご教授頂きありがとうございます。
かなり難しい方法のようですが、とても参考になります。

実は話の流れからナハネフ20と22の見分け方が
丸妻面のガラスの差異であると勘違いされてしまう方が
出てしまう事を危惧しましてあえて書き込ませていただいたのですが、
はっきりと確かめる事が出来まして良かったです。


倶楽部メモ(504) 平成21年 3月23日〜 3月29日


投稿者

さくら号

投稿日

2009年 3月23日(月)19時02分39秒

タイトル

ナハネフ21、20

座席車改造のナハネフ21と、ナハネフ20の
寝台通路側のつかみ棒?はあったのでしょうか?
昭和40年さくら号のナハネフ21に乗ったときは
寝台の窓が狭かったと子供心に思っていましたが、
通路側のつかむ棒が合ったのかどうかわかりません。ご教示ください。


投稿者

秋田のHO

投稿日

2009年 3月23日(月)19時46分33秒

タイトル

[ナハネフ20]

マロネロ38  様
[ナハネフ20]実車内のお話、誠にありがとうございますです。
更に御伺いしてすみませんが、
やはり小窓が連続する車体なので、[ナハネフ22]等と比較して、
日中は必然的にB寝台区画や通路は明るい雰囲気であったでしょうか?。
また、さくら号 様の質問に便乗致しまして、
通路側の折り畳み式椅子は、
[ナハネフ22]等と同様な感じでありましたでしょうか?。
度々すみませんが、御教示下さればさいわいでございます。


投稿者

滉淬

投稿日

2009年 3月23日(月)21時41分43秒

タイトル

20系

失礼仕ります。

雑魚様

御紹介のサイト様に某も訪問致しましたところナハネフ22の日本海の画像を
確認出来ました。御紹介、誠に有難う御座います。

所で関水より明日さよなら20系が出荷されるようですね。
二本帯はやはり三本帯に比べ風格に欠けるとは思いますが
初期あさかぜ、さくら等様々な形態を製品化していながら
尚新規製作を行うという所に拘りと同系の根強い人気を感じている次第です。
こうなると(半分別形式ですが)マヤ20の製品化も遠くないのでは
と思ったりも致します。
尤も構造的にも運用的にも異端児であったマヤ20ですので、
有井辺りが出しそうな気もしますが・・・。
ワールド工芸が出しているので望み薄でしょうか。

何はともあれ今後は43系列再販、14系さくら、
TOMIXから32系列と怒涛の如く発売される様で、
皆様におかれましても蝦蟇口が緩んでしまうことかと思われます。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 3月24日(火)09時35分34秒

タイトル

ナハネフ20

>秋田のHO様:
昼間は明るい感じでしたが、22には乗車していないので比較は出来ません。
折りたたみ椅子はもう記憶にありません。
悪しからず。


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