倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
横浜駅追い抜き
横浜駅での20系銀河・あさかぜ2号追い抜き


倶楽部メモ(479) 平成20年12月23日〜12月27日


投稿者

ED76109

投稿日

2008年12月26日(金)00時18分21秒

タイトル

いつもの想い出話です・・・

 たびたび失礼致します。「ED76109」でございます。
 当地は、明日からかなりの吹雪が予想されております。
そろそろ帰省ラッシュも始まりますので、大きな混乱等無きよう祈念するばかりです。
今回は「列車待避」に係る「戯言」を述べさせていただきます。
いつものように先達の皆様方に話題の一つにでもしていただければ幸甚であります。

 1 度々、親族の在する「鹿児島本線出水周辺」を話題にしておりますが、
小生には「折口」での列車交換風景が印象に残っています。
昭和47年の春休み、「ED76」牽引の「旧客鈍行」で「阿久根」に向かった折、
「折口」で15分程度停車したのですが、
待避ホームに止まるやいなや、
まず「583系の下り有明」が間髪入れずに轟音とともに通過。
しばらくは有明海の波音が聞こえていましたが、
今度は「旧客仕立ての上り桜島」が「ED76」に牽かれて田圃の中のカーヴへ・・・。
「桜島」が「東京」に到着するのは約24時間後の16時06分。
往年の鹿児島本線では、このような光景は日常的だったのでしょうが、
現在では想像すらできない「一コマ」に遭遇しました。

 2 「伝説の山線旧客急行」と言えば「急行ニセコ」。
「ニセコ」は「小樽」でED76からDD51の重連に交換したのですが、
「ニセコ」が止まる隣のホームで待避したのは「往年の山線旧客122レ」。
「DD51」牽引の旧客が並ぶ眺めが「小樽」で展開されていたのですが、
この「強者」は「光珠内」で「711系かむい」に抜かれてから、
「渡島砂原回り」の最中に「80系おおぞら」に先を譲るまでに、
実に7本の優等列車に抜かれました。
さらに「青函連絡船の6便」も約10分の違いで、接続は完全に無視。
昭和48年の春に「鉄」親父と「完乗」しましたが、
当時小学4年の小生にとっては道を先に譲るたび、
筆舌にし難い「寂しさ」を感じました。

 3 言い古されていますが、「トカホセ」のブルートレインもあと約三ヶ月の命です。
ところで、先達の皆様方は「横浜」で客車優等列車同士の待避が見られたことは
ご存じでしょうか。(失礼な物言いで恐縮です)
大阪発「銀河2号」が9時01分に到着すると、
後続の博多からの「あさかぜ2号」が9時04分に到着して9時05分に発車します。
そして、「銀河2号」は6分停車の待避後、
9時07分に発車するダイヤが設定されていました。
昭和49年の6月の日曜日、「鉄」友人と「ブルートレイン」見物に行って「遭遇」。
今にして思えば、方や「EF58」牽引の「10系急行」
、方や「EF65」牽引の「20系」・・・。
もし、現在「横浜」に出現したら「大騒動」でしょうね。
当然ながら、「撮り鉄」の方は1人もいらっしゃいませんでした。

 長々と失礼しました。また、投稿致します。
以上、「クモイ103」様方の「列車番号話」に
感心しきりの「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

太田拓也

投稿日

2008年12月26日(金)06時54分15秒

タイトル

少し後でも通用しますよ

▼ED76109様
2と3について指摘したいことがございます。

「鉄道ジャーナル別冊36 列車追跡リバイバル
 懐かしの国鉄列車PART3 竹島紀元作品集」に1
985年の128レの乗車記が載ってますが、それと同じ感じでしょうか? 
この時もタッチの差で連絡船に接続しませんでしたが、
東北新幹線が上野まで開業していたので東京へはそう遅くないとか。

とうとう私の地元(実家の西宮と現住の神戸)からブルトレが消えるのですか・・・ 
北方貨物線分岐点(JR東西線の加島付近)がブルトレの最西端になるのですね。
ところで「銀河」と「あさかぜ」ですが、
「銀河」が20系になっても追い抜きがあったそうです。
「20系同士」だと横浜でなくても騒ぎになるがな・・・

投稿者のホームページ


投稿者

雑魚

投稿日

2008年12月26日(金)11時17分4秒

タイトル

天草海峡鉄景色?

▼ED76 109様:
> 男を追って女性が「急行桜島」で「熊本入り」と小生は勝手にイメージ

歌のタイトルから、私としては、豊肥線急行「火の山」を推したい処(^^)この列車、
島原行フェリーに接続する為、一部が三角線に直通しており、三角では「♪私は一人、
国道フェリーに乗り〜」………あ、一昨年に航路廃止されたのでしたね。

> この「強者」は「光珠内」で「711系かむい」に抜かれてから、

普通列車にも使用された 711系の急行運用は「遜色急行」という事になるでしょうが、
寒冷地仕様という事もあり、急行に準じた設計思想が窺われ、何より俊足性に於いて、
道内でも屈指の「韋駄天的存在」として、一目を置かれたのではないかと拝察します。

>「渡島砂原回り」の最中に「80系おおぞら」に先を譲るまでに、

私が「ニセコ」に乗ったのは14系時代、山線に「北海」が残っていた80年代半ばです。
追い抜きの有無は判りませんが、この時も函館行は渡島砂原を迂回しました。今なお、
上り「はまなす」が、この伝統を受け継いでいますね。

異経路での追い抜きと言えば、特急「あさしお」同士、京都を先発した便が宮津線を
迂回している間に、後続便が山陰線経由で、豊岡に先着という事例もありましたっけ。

渡島砂原経路に関して印象的だったのが、函館を朝に発つ長万部行の気動車鈍行です。
大沼で迂回線経由の編成を分離するも、森駅では長時間停車。件の附属編成の到着を
待つという、山陰線急行「さんべ」に通じる作風が見られましたが、現在は、単純に
迂回線経由で函館と長万部を結ぶだけの様ですね。

この様に、起点を共有しつつ経路を異にする列車が、再合流点で接続の便が図られた
事例として、網走を上り「大雪」の後に発つ湧網線の普通列車が、遠軽で「大雪」に
接続していたダイヤを思い出します。

変わった処では、新潟→山形の急行「べにばな」を今泉で長井線列車に繋ぎ、赤湯で
再び接続可能、という事例もありましたね。これは、米沢盆地での迂回振りを見れば
明らかで、一方、羽前小松〜羽前椿を諏訪峠で短絡すれば、米坂線列車の追跡撮影も
比較的容易という事情があります。

>「横浜」で客車優等列車同士の待避が見られたことはご存じでしょうか。

私の記憶違いでなければ、数年前、沼津で「出雲」「銀河」と、上りブルトレ同士の
待避があった様です。未明ゆえ、撮影対象にはならなかったと思われますが(^^)


投稿者

ED76109

投稿日

2008年12月26日(金)17時24分31秒

タイトル

「戯言情報」です

 失礼します。「ED76109」であります。

 まず、本日道央地域の猛吹雪のため、
札幌発の特急列車は15分から70分の遅延で運転しております。
(JR北海道Webより)
「北斗星」等の「ブルートレイン」の情報について詳細は確認できませんが、
東北路及び北陸路等での「撮影情報」としてご参考下さい。

 太田拓也様
 >1985年の128レの乗車記が載ってますが、それと同じ感じでしょうか?
  まさしく、その通りです。
「黒松内」で、「鉄」親父が函館車掌区のカレチさんから
「青森から『八甲田』や『はくつる』にお乗りになるのでしたら・・。」
と暗に乗り換えの必要性を伝えられました。
しかし、「いや、明日の『いなほ』の特急券を持ってますので。」
の「鉄」親父の一言でカレチさんも納得。(笑)
当時は、「6便」であれば「583系ゆうづる」、
さらに「16便」であれば「はくつる」及び「八甲田」に接続し、
翌朝「上野」に着きました。
しかし、「122レ」が接続した(4時間待ち・・)「12便」「2便」ですと、
所謂「はつかり」若しくは「みちのく」の「黄金ルート」になります。
「鉄」親父は件のカレチさんに、
「「はつかり」、「みちのく」は満席だと考えたので「いなほ」を確保した」
旨を話していたように記憶しています。
確かに当時は、「はつかり1号」「みちのく」ともに全車指定席でしたね。
「新幹線」の速さは・・・、小生は論評を避けます。(!!)

 >、「銀河」が20系になっても追い抜きがあったそうです。
  それはすごい。(絶句)もし現在に残っていたら・・・。
  きっと「黒山の人混み(!)」状態でしょうね。

 雑魚様
 >この時も函館行は渡島砂原を迂回しました。
  今なお、上り「はまなす」が、この伝統を受け継いでいますね。
  御意。「上りトワイライト」もこの経路です。
しかも、この「上りトワイライト」、夏至のころに空が澄んで快晴であれば、
なんと「掛澗」付近で噴火湾を通して「白鳥大橋」が見えます(!!)。
是非、ご試乗ください。

 長々と失礼しました。また、投稿致します。
以上、自宅前の「雪かき」で軽い「ぎっくり腰」を煩ってしまった、
少々運動不足気味の「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

スイロフ

投稿日

2008年12月27日(土)00時06分55秒

タイトル

横浜駅追い抜き

>ED76109様、太田拓也様
こんばんは。横浜駅での20系銀河・あさかぜ2号追い抜き時の写真を
弊HPに掲載していましたので、アップいたします。
1976年3月撮影。時計が9時5分くらいを指しています。
銀河は写っていませんが、私は銀河に乗っていて、
あさかぜ2号到着時にホームに降りて撮影したものです。
銀河の牽引機はEF58でした。今思えば銀河もレンズに入れておけば...ですね。


倶楽部メモ(480) 平成20年12月27日〜12月30日


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年12月27日(土)10時28分16秒

タイトル

Re: 横浜駅追い抜き

スイロフ様
 横レス失礼します。
 ご紹介の写真で「あさかぜ」が入ってきているのは、横浜駅の上り副本線ですね。
「銀河」が本線で待避し、「あさかぜ」が副本線を通って追い抜いたのでしょうか?


投稿者

ED76109

投稿日

2008年12月27日(土)11時16分43秒

タイトル

「戯言情報」第2弾です

 またまた失礼致します。「ED76109」でございます。
 昨日来の悪天候により、本日札幌着の「トワイライトEXP」が
約7時間半の遅延であります。
そのため、本日札幌発の「上りトワイライト」が「函館発」で運転されるか、
「札幌発」で大幅な遅延ダイヤで運転されるかは確認できません。
確認できれば報告致します。明日の「北陸筋」等での撮影のご参考まで。

 スイロフ様
  懐かしい・・・。ありがとうございます。
小生が見た折は、待避ホームに「銀河」、本線に「あさかぜ」でした。
先に到着した「銀河」のカレチさん(恐らく東京車掌区)が、
「隣にブルートレインが来るよ」と声をかけてくれたのを憶えています。
友人は「スゲー!」と興奮気味でした。

 太田拓也様
 少々言い足りない(あれだけ書いたのに?)ので・・・。
当時、「6便」及び「16便」には「おおぞら」以外に
「急行宗谷(稚内・函館間)」、「特急おおとり(網走・函館間)」
が接続しており、誰が「122レ」で「青函連絡船」に乗るの?といった感じでした。
さらに、「12便」「2便」には「日本海縦貫線」の王者
「白鳥(青森4時50分発、大阪着18時48分)」が接続していました。
「はつかり1号」、「みちのく」そして「白鳥」が勢揃いしたホームの壮観さは、
当時小学4年の小生にとってまさに圧巻でした。
先達の皆様方も、想い出がおありになる方々がいらっしゃるのではないでしょうか。

 いつも長々と失礼しました。以上「戯言」情報等でした。


投稿者

スイロフ

投稿日

2008年12月28日(日)00時51分21秒

タイトル

Re: 横浜駅追い抜き

>クモイ103様
どうもこんばんはです。
昔のことでよく覚えていませんが、たしかに副本線にいるのは妙ですね。
この日だけの都合だったのかどうか... 記録を漁ったら1976.3.10のことでしたが。


投稿者

太田拓也

投稿日

2008年12月28日(日)06時56分41秒

タイトル

(無題)

▼スイロフ様
ブルトレの追い抜き、生の証人がいらっしゃったとは。

▼ED76109様
連絡船接続ダイヤはパターン化されていたので説明されなくても大体わかります。
青森発0時過ぎの東北線夜行(青森乗り入れ時代の「北斗星2号」もこのスジ)
に接続するパターンと
「2D〜2(深夜便)〜2M」の黄金パターンですね。
確かドン行は接続列車とみなされていなくて
乗船名簿も配られていなかったという記述を読んだ事があります。

投稿者のホームページ


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