たびたび失礼致します。「ED76109」でございます。
当地は、明日からかなりの吹雪が予想されております。
そろそろ帰省ラッシュも始まりますので、大きな混乱等無きよう祈念するばかりです。
今回は「列車待避」に係る「戯言」を述べさせていただきます。
いつものように先達の皆様方に話題の一つにでもしていただければ幸甚であります。
1 度々、親族の在する「鹿児島本線出水周辺」を話題にしておりますが、
小生には「折口」での列車交換風景が印象に残っています。
昭和47年の春休み、「ED76」牽引の「旧客鈍行」で「阿久根」に向かった折、
「折口」で15分程度停車したのですが、
待避ホームに止まるやいなや、
まず「583系の下り有明」が間髪入れずに轟音とともに通過。
しばらくは有明海の波音が聞こえていましたが、
今度は「旧客仕立ての上り桜島」が「ED76」に牽かれて田圃の中のカーヴへ・・・。
「桜島」が「東京」に到着するのは約24時間後の16時06分。
往年の鹿児島本線では、このような光景は日常的だったのでしょうが、
現在では想像すらできない「一コマ」に遭遇しました。
2 「伝説の山線旧客急行」と言えば「急行ニセコ」。
「ニセコ」は「小樽」でED76からDD51の重連に交換したのですが、
「ニセコ」が止まる隣のホームで待避したのは「往年の山線旧客122レ」。
「DD51」牽引の旧客が並ぶ眺めが「小樽」で展開されていたのですが、
この「強者」は「光珠内」で「711系かむい」に抜かれてから、
「渡島砂原回り」の最中に「80系おおぞら」に先を譲るまでに、
実に7本の優等列車に抜かれました。
さらに「青函連絡船の6便」も約10分の違いで、接続は完全に無視。
昭和48年の春に「鉄」親父と「完乗」しましたが、
当時小学4年の小生にとっては道を先に譲るたび、
筆舌にし難い「寂しさ」を感じました。
3 言い古されていますが、「トカホセ」のブルートレインもあと約三ヶ月の命です。
ところで、先達の皆様方は「横浜」で客車優等列車同士の待避が見られたことは
ご存じでしょうか。(失礼な物言いで恐縮です)
大阪発「銀河2号」が9時01分に到着すると、
後続の博多からの「あさかぜ2号」が9時04分に到着して9時05分に発車します。
そして、「銀河2号」は6分停車の待避後、
9時07分に発車するダイヤが設定されていました。
昭和49年の6月の日曜日、「鉄」友人と「ブルートレイン」見物に行って「遭遇」。
今にして思えば、方や「EF58」牽引の「10系急行」
、方や「EF65」牽引の「20系」・・・。
もし、現在「横浜」に出現したら「大騒動」でしょうね。
当然ながら、「撮り鉄」の方は1人もいらっしゃいませんでした。
長々と失礼しました。また、投稿致します。
以上、「クモイ103」様方の「列車番号話」に
感心しきりの「中年客車鉄ちゃん」でした。
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