おばんでございます。「ED76109」であります。
bell様
小生の場合は、829レからの余韻を楽しみたく、
「下関」や「門司」のホームの端で、港の灯りをボーと眺めていましたね。
特に、海を渡って「門司」から「みずほ」や「さくら」に乗るときは
必ず「1号車のハネ」を予約して、
関門トンネルを挟んでの海峡の風情を堪能しておりました。
この「829レ」、47.3.15のダイヤ改正以前は
「京都・下関間」を完走していた長距離鈍行で「京都・出雲市間」が「山陰」へ、
「出雲市・下関間」が「829レ」となった「強者」。
改正前に一度全区間制覇したかったですねぇ・・・。
前置きが長くなりましたが、今回は「旧客鈍行の戯言」を再々度記します。
先達の皆様方の話題にしていただければ、幸甚の限りであります。
1 昭和48年の春休み、
「鉄」親父と宗谷本線の「321レ(旭川・稚内間)」を乗り鉄。
「スハ32+スハフ32+マニ+マニ」の4両の旧客を
「C55」が牽引していました。
3月の道北はまだまだ吹雪が荒れ、
乗り込んでくる乗客はあたかも「雪だるま」の形相でした。
しかも、次第に乗客は減っていき、
「抜海」を出て闇の中を走るガラガラの客車はまるで「回送列車」の様相。
当時小学4年生の小生に、「まもなく、南稚内です。」
の放送とともに見えた稚内の街灯りは、
強烈な印象として今でも心に残ります。
2 昭和58年の黄金週間、
「新津」から「郡山」まで「磐越西線の旧客鈍行」を完乗。
阿賀野川沿いの山間の風景を堪能しながら、「会津若松」へ到着。
機関車もDLからELに変わり、逆編成になるのに合わせて
最後尾の「オハフ33」へ移動しました。
お目当ては今は無き「中山宿のスイッチバック」。
新緑の峠駅はのんびりとした旅情に溢れ、デッキから後ろに流れる鉄路の眺めは、
汽車旅の楽しさを小生に味わわせてくれました。
3 昭和60年の1月、就職関係の書類を道庁へ持参するための札幌行。
せっかくの機会と東北新幹線を「仙台」で捨て、「青森行」の長距離鈍行に乗車。
しかし、「オハ50のレッドトレイン仕立て」に正直がっかりしてしまいました。
しかし、それを補って余りあったのが厳冬の「トホホセ」の車窓風景。
「一ノ関」から雪が降り始めて、「奥中山」では完全な猛吹雪。
全力で「青森」まで走り抜けた「ED75」は、
「白い」ELに変身していました・・・。
長々と失礼しました。また、投稿いたします。
以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。
※赤字は後日訂正
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